第26話 ラーデンを発つ
五日後。
まだ朝靄の残るラーデンの門前には、すでに何台もの荷馬車が並んでいた。
木箱や麻袋を積んだ馬車の周りを商人たちが忙しなく行き来し、護衛らしい冒険者たちは武器や荷物を確認している。
その少し離れた場所で、俺は背負った荷物をもう一度持ち直した。
「……こんなもんか」
「それ、今日何回目?」
隣からセラが呆れた声を出す。
「三回目くらい?」
「宿を出る前にも二回確認してたでしょ」
「じゃあ五回目だな」
「多いわよ」
そう言うセラ自身も、さっきから腰の鞄を何度も触っている。
俺はそちらへ目を向けた。
「セラも人のこと言えないだろ」
「私はいいの。大事な書類が入ってるんだから」
王都の治癒術院に関する書類だ。
普段より少しだけ落ち着かないのは、そのせいだろう。
ようやくここまで来た。
セラにとって、王都へ行くのは単なる旅じゃない。
これから先の生き方に関わる、大きな一歩だ。
「なくしたら取りに戻ればいいだろ」
「簡単に言わないでよ。もう出発するのよ?」
「まだ門も出てないけどな」
「そういう問題じゃないの!」
いつもの調子で返してくる。
それなら大丈夫そうだ。
俺が笑っていると、頭の上で何かが動いた。
「ハヤト」
「なんだ?」
「レグのにもつは?」
「ない」
「なんで?」
「お前、自分で持たないだろ」
頭の上から、ぬっとレグの顔が覗き込んでくる。
今日は小さな竜の姿だ。
人化そのものはこの五日でだいぶ安定してきた。
変化したあとに歩いたり食事をしたりすることにも慣れてきたし、人の姿でいる時間も少しずつ延びている。
ただ、旅の間は竜の姿の方が本人も楽らしい。
それに――。
「服は俺の荷物に入ってるしな」
人化したところで服まで一緒に現れるわけではない。
そこだけはどうにもならなかった。
だからレグの服一式は、俺の荷物の中にきちんと入れてある。
「レグも持てる」
「じゃあ降りて歩くか?」
「……」
返事がない。
「レグ?」
「ここがいい」
「ほらな」
セラが小さく笑う。
「もう完全に定位置になってるわね」
「肩より頭の方が気に入ったらしい」
「たかい」
「大して変わらないだろ」
「ちがう」
レグなりのこだわりがあるらしい。
まあ、重いわけでもない。
好きにさせておくことにした。
「ハヤト」
「今度は何だ?」
「王都、おにくある?」
「あるだろ。たぶん」
「いっぱい?」
「ラーデンよりでかい街なんだから、いっぱいあるんじゃないか?」
「王都、いいところ」
「まだ着いてもないのに決めるな」
俺の頭の上で、レグが満足そうに頷いた。
目的が分かりやすすぎる。
◇
「王都行きの同行者はこれで全員だな!」
少しして、商隊をまとめている男の太い声が響いた。
四台の荷馬車。
商人と御者。
そして護衛の冒険者が数人。
そこに俺たち三人が加わる。
王都へ向かう商隊に同行できる話は、冒険者ギルドを通して決まったものだ。
同じ方向へ向かう以上、単独で旅をするより安全だし、向こうとしても戦える人間が増えるのは悪くない。
俺たちにとっては都合のいい話だった。
「出発するぞ!」
声が上がる。
馬が歩き出し、大きな車輪がゆっくりと回った。
俺たちも列の横につく。
そして。
ラーデンの門をくぐった。
「……」
思わず、一度だけ振り返る。
石造りの門。
その向こうに続く街並み。
この世界へ来てから、色々なことがあった。
冒険者になった。
セラと出会った。
レグとも出会った。
気づけば三人で正式にパーティーまで組んでいる。
ずっとここにいるつもりだったわけじゃない。
それでも、いざ離れるとなると少しくらいは思うところがあった。
「ハヤト?」
セラが俺を見る。
「どうしたの?」
「いや」
俺はもう一度だけ街を見てから、前を向いた。
「ちょっと名残惜しいだけ」
セラが目を瞬いた。
「意外」
「なんでだよ」
「ハヤトなら『次は王都だな』って、もう前しか見てないかと思った」
「俺をなんだと思ってる」
「自由人」
「否定しづらいな」
セラが笑う。
そのとき。
頭の上からレグが言った。
「またくればいい」
俺とセラが同時に上を見る。
見えるのはレグの顎くらいだ。
「ラーデン」
レグが続ける。
「また、くればいい」
少しだけ間が空いた。
それからセラが笑った。
「……そうね」
「ああ」
別に別れじゃない。
戻りたくなれば戻ってくればいい。
住む場所だって、行く場所だって、自分たちで決めればいい。
「レグ、たまにはいいこと言うな」
「たまに?」
「あ」
頭を爪で掴まれた。
「痛い痛い。悪かったって」
「ハヤト、失礼」
「その言葉どこで覚えた?」
「セラ」
「私!?」
「なるほど」
「納得しないで!」
門から少し離れただけなのに、いつもの調子だった。
たぶん俺たちは、どこへ行ってもこんな感じなのだろう。
◇
街道は緩やかな丘の間を抜けて、ずっと先まで続いていた。
ラーデン周辺は人の往来も多く、ときどき反対側から旅人や荷馬車がやってくる。
最初のうちは周囲を珍しそうに眺めていたレグも、昼前には飽きたらしい。
今は俺の頭の上で寝ている。
「自由ね……」
セラが呟く。
「誰に似たんだろうな」
「ハヤトでしょ」
「俺?」
「他に誰がいるのよ」
納得いかない。
「俺は人の頭で寝たりしないぞ」
「そこじゃないわよ」
話しているうちに、前方の荷馬車が止まった。
昼休憩らしい。
街道脇の開けた場所へ馬車を寄せ、馬にも水を飲ませる。
俺たちは少し離れた草地に座った。
「ほら、レグ。起きろ」
頭からレグを下ろす。
地面に置いても起きない。
「……寝てる」
セラが覗き込む。
「知ってる」
「よくこの状態で寝られるわね」
「揺れが気持ちいいんじゃないか?」
俺が荷物から昼飯を取り出した瞬間。
レグの目が開いた。
「おきた」
「嘘つけ」
「おきてた」
「今、目開けただろ」
「おなかすいた」
「誤魔化したな?」
レグは聞こえないふりをして、俺の手元を見ている。
今日の昼は朝のうちに用意しておいたパンと干し肉だ。
俺が干し肉を一枚渡すと、レグは満足そうに齧り始めた。
セラにもパンを渡す。
「ありがと」
受け取ったセラは一口食べ、それから街道の先へ目を向けた。
「王都まで、まだ何日もあるのよね」
「ああ」
「……長いなあ」
言葉とは裏腹に、表情はどこか楽しそうだった。
「不安か?」
聞くと、セラは少し考えた。
「不安じゃないって言ったら嘘になるけど」
手に持ったパンを見ながら、小さく息を吐く。
「それより、やっと行けるんだって気持ちの方が大きいかな」
「そっか」
「うん」
それ以上は何も言わなかった。
無理に励ますようなことでもない。
セラは自分で決めてここまで来た。
なら、俺は一緒に行けばいい。
「ハヤト」
干し肉を食べ終わったレグが俺を見る。
「ん?」
「もう一個」
「話の余韻を壊すなよ」
「よいん?」
「知らなくていい」
「もう一個」
「はいはい」
干し肉を追加する。
セラが笑った。
「甘いわね」
「うるさい」
◇
午後も、大きな問題は起きなかった。
時折、小型の魔物らしい影が街道から離れた草むらに見えることはあったが、商隊へ近づいてくる気配はない。
護衛たちも特に緊張している様子はなかった。
このまま何事もなく王都まで行ければ、それが一番いい。
……とは思う。
ただ、一つだけ気になっていることがあった。
五日前。
ラーデンの商業区で見た、灰色の外套の男。
人混みの中から、レグを見ていた。
あれ以来、姿は見ていない。
出発前にも一応周囲を確認したが、それらしい人間はいなかった。
俺の考えすぎなら、それでいい。
珍しい竜を連れて歩いていれば、見られることくらいある。
まして人化したところを見られていた可能性もある。
「……」
それでも妙に引っかかっていた。
「ハヤト?」
「ん?」
「後ろ、何かある?」
セラに言われて、自分が振り返っていたことに気づく。
「いや」
もう一度街道の後ろを見る。
遠くに別の旅人が何人か見えるだけだ。
灰色の外套はない。
「何でもない」
「そう?」
「ああ」
今はまだ、それでいい。
何か起きてから考えればいい。
前を向く。
遠くまで続く街道の先に、王都がある。
セラが目指してきた場所。
俺にとっても、まだ見たことのない大きな街。
そしてレグにとっては――。
「ハヤト」
「なんだ?」
「王都ついたら、まずごはん?」
「まだ昼食ったばっかだろ」
「ついたら」
「何日後の話してんだよ」
「だいじ」
「何が?」
「さいしょのごはん」
どうやら一番重要な問題らしい。
「分かった分かった。着いたら美味いもの探そう」
「やった」
「セラもそれでいいだろ?」
「私はまず治癒術院の場所を確認したいんだけど」
「じゃあそのあと飯だな」
「……まあ、それなら」
「決まり」
レグが嬉しそうに翼を広げる。
王都までの道のりは、まだ始まったばかりだ。
何が待っているのかは分からない。
それでも今は。
三人で初めてラーデンの外へ向かう、この旅を楽しめばいい。
俺はそう思いながら、再び街道を歩き始めた。




