第25話 人化の練習は、まず服から
王都へ向かうことが決まった翌朝。
俺たちは、ラーデンの宿の一室で重大な問題に直面していた。
「……もう一回やってみるか」
「ん」
俺の言葉に、ベッドの上にちょこんと座っていたレグが頷く。
今のレグは、いつもの小さな竜の姿だ。
昨日、街中で突然人の姿になったときには本気で肝を冷やした。
いや、人化そのものはいい。
問題は――。
「レグ。人になるとき、これ持っとけ」
俺は毛布を差し出した。
レグが首を傾げる。
「これ?」
「そう。絶対離すなよ」
「わかった」
「なんでハヤトがそんな真剣な顔してるのよ……」
部屋の隅で荷物を整理していたセラが呆れたように言った。
俺は振り返る。
「重要だからだよ」
「まあ……重要だけど」
昨日の人化で分かったことがある。
竜の鱗は服になってくれない。
つまり、人になった瞬間――何も着ていない。
初回は外套を投げつけてどうにかなったが、王都のど真ん中で同じことをやられたら笑い話では済まない。
下手をすれば衛兵のお世話になる。
異世界に来てから色々あったが、『連れの竜が突然裸の女になりまして』なんて理由で捕まりたくはない。
「じゃ、いく」
レグが毛布をぎゅっと抱いた。
「おう」
次の瞬間。
淡い光が小さな身体を包み込む。
輪郭が伸び、翼と尾が消え、数秒後には一人の女性がベッドの上に座っていた。
小柄で、若々しい。
見た目だけなら二十歳前後にしか見えない。
薄い銀髪が肩のあたりまで流れ、金色の瞳が俺を見上げる。
そして。
「できた」
「よし」
今回はちゃんと毛布も一緒だ。
俺は安心して頷いた。
「成功ね」
セラも感心したようにレグを見る。
昨日より変化も滑らかだった気がする。
少なくとも突然街中で光り始めたときよりは、ずっと落ち着いている。
「どうだ? 苦しくないか?」
「だいじょうぶ」
レグは自分の両手を開いたり閉じたりする。
「ゆび、いっぱい」
「竜のときもあるだろ」
「ちがう。こうできる」
一本ずつ指を曲げて、なぜか得意げな顔をする。
「便利」
「まあ、便利だな」
何がそんなに嬉しいのか分からない。
しばらく自分の手を眺めていたレグだったが、突然こちらを見る。
「ハヤト」
「ん?」
「おなかすいた」
「そこは変わらないんだな」
人になろうが竜だろうが、こいつの中心にあるのは食欲らしい。
セラが吹き出した。
「ふふっ……ほんと、レグってそこだけは一貫してるわね」
「そこだけじゃない」
「じゃあ他には?」
レグは少し考えたあと、俺の隣へ移動してきた。
そして当然のように腕へ抱きつく。
「ハヤトもすき」
「……」
セラの目が細くなった。
「へえ」
「なんで俺を見る」
「別に?」
「その顔で別には無理あるだろ」
レグだけは気にした様子もなく、俺の腕に頬を寄せている。
竜の姿なら頭や肩に乗ってくるから今まではそこまで気にならなかったが、人になると距離感がおかしい。
見た目は完全に成人女性だ。
だが本人には、人間同士の距離感という概念がほとんどない。
「レグ」
「ん?」
「人の姿のときは、もうちょっと離れようか」
「なんで?」
「なんでって……」
レグが首を傾げる。
純粋に意味が分かっていない顔だ。
説明に困っていると、セラがため息をついた。
「レグ。人間の女性は、普通は男の人にそんなにくっつかないの」
「セラは?」
「わ、私はくっついてないでしょ!」
「なんで?」
「なんでって……!」
今度はセラが詰まった。
俺は笑いを堪える。
「ハヤト」
「なんだ?」
「セラ、かお赤い」
「言わなくていい!」
朝から平和だ。
王都行きを決めた昨日は色々と考えたが、こういう時間があると少し肩の力が抜ける。
俺はレグの頭を軽く撫でた。
「とりあえず、今日は服を買いに行くぞ」
「ふく?」
「人の姿になるなら必要だからな」
「おにくは?」
「服を買ってからだ」
「……おにく、先」
「却下」
「ハヤト」
「その顔しても駄目」
じっと見つめてくる。
竜の姿でもこいつは目で訴えてくるが、人になると破壊力が増した気がする。
「ハヤト」
「駄目」
「おにく」
「駄目」
「ちょっとだけ」
「どこでそんな言葉覚えた?」
横を見ると、セラが視線を逸らした。
「セラ?」
「……知らないわよ」
犯人はこいつか。
◇
結局、朝食を先に食べることになった。
俺が折れたわけではない。
人化の維持時間を確認するついでだ。
断じてレグの視線に負けたわけではない。
「おいしい」
宿の食堂で、レグは肉を頬張っていた。
今日は人の姿のままだ。
服はまだないので、昨日と同じく俺の予備の上着とズボンを着せている。
当然サイズは合っていない。
袖は余っているし、ズボンも紐で無理やり締めている。
「レグ、それ食い終わったら街に行くぞ」
「ん」
「あと、勝手に人化を解くなよ」
「わかった」
「絶対だからな」
「わかった」
信用していいのだろうか。
そんなことを考えていると、向かいに座っていたセラがパンをちぎりながら言った。
「でも、昨日より安定してるわよね」
「ああ」
人化してから、すでに一時間近く経っている。
昨日は数時間ほどで竜の姿に戻った。
魔力切れなのか、単純に慣れていなかっただけなのかは分からない。
レグ本人に聞いても、
『なんか、つかれた』
以上。
参考にならなかった。
「王都まで五日だっけ?」
「出発までが五日。王都までは商隊について何日かかかるって話だったな」
「それまでに、服と旅道具を揃えて……私も治癒術院の書類を確認しておかないと」
セラが少し緊張した顔になる。
王都治癒術院。
セラがずっと行きたかった場所だ。
入学金は五十金貨。
簡単に払える額ではない。
少なくとも、普通の駆け出し冒険者が気軽に用意できる金じゃなかった。
だが今の俺たちなら払える。
というより――。
「何度も言うけど、五十金貨はあとでちゃんと返すからね」
「またそれか」
「当然でしょ」
「別にいいって」
「よくない」
きっぱり言われた。
こういうところは本当に真面目だ。
「じゃあ、治癒術院で稼げるようになってから返してくれ。それまでは考えなくていい」
「……絶対よ」
「はいはい」
「絶対だからね?」
「分かったって」
セラはまだ何か言いたそうだったが、そこでレグが顔を上げた。
「ごじゅうきんか?」
「そうよ」
「いっぱい?」
「かなりいっぱいね」
レグが少し考える。
「おにく、いっぱい?」
「たぶんレグが一年食べても余る」
「!」
金色の瞳が見開かれた。
「セラ、すごい」
「なんで私がすごいの!?」
「ごじゅうきんか、たべる」
「食べないわよ!」
朝食の席で、俺はとうとう笑ってしまった。
◇
昼前。
俺たちはラーデンの商業区に来ていた。
目的はレグの服と、王都までの旅支度。
「これがいいんじゃない?」
セラが一着の服をレグに当てる。
派手すぎない生成り色のシャツに、動きやすそうな濃色のズボン。
冒険者として動くなら悪くない。
「どう?」
「わかんない」
「じゃあこれは?」
「わかんない」
「……レグ。何か好きな色とかないの?」
「おにくの色」
「服の話してるのよ!」
店に入ってからずっとこれだ。
レグは服にまったく興味がない。
一方、セラは意外と楽しそうだった。
最初は『必要なものだけ買うわよ』などと言っていたくせに、すでに五着ほどレグへ合わせている。
「ハヤト、どれがいいと思う?」
「俺に聞くなよ」
「一緒にいる時間、一番長いでしょ?」
「竜の姿でな」
俺が答えると、セラは少し考えてから一着を持ち上げた。
黒を基調にした、軽装向きの上下。
ところどころに銀色の留め具がついている。
銀髪のレグには確かに似合いそうだ。
「これ、いいかも」
「お、いいじゃん」
「……ハヤト、これすき?」
レグが聞いてくる。
「ああ。似合うと思うぞ」
「じゃあ、これ」
即決だった。
セラが半眼になる。
「私があれだけ選んだ時間は何だったのよ……」
「ハヤトがすきなら、これ」
「……はいはい」
なぜかセラまで不機嫌になった。
俺は悪くない。
たぶん。
最終的に服を三組。
下着や靴。
旅用の外套。
それから、人化が突然解けたときに備えて大きめの布まで買った。
「これで最低限は大丈夫だな」
店を出たところで、俺は荷物袋を見下ろす。
セラも頷いた。
「あとは保存食と薬、それから予備の水袋ね」
「武器は?」
「私は今ので十分。ハヤトは?」
「俺も問題ない」
「レグは?」
二人でレグを見る。
レグは串焼きの屋台を見ていた。
「……いらないわね」
「ああ。あいつ自身が武器みたいなもんだ」
「おにく」
「買わないぞ」
「まだ言ってない」
「顔に書いてある」
「……おにく」
「ほらな」
そんなやり取りをしながら、大通りを歩く。
王都へ行く。
昨日決めたばかりなのに、もう少しずつ現実味を帯び始めていた。
この世界へ来たとき。
俺は自由に生きると決めた。
誰かに命令されて、我慢して、言いたいことも飲み込んで。
そんな生き方は、もうしない。
だから冒険者になった。
好きな場所へ行って、好きなことをする。
王都だってその延長のつもりだった。
大きな街を見て。
美味いものを食って。
セラを治癒術院へ送り届けて。
ついでに面白そうな依頼でも探す。
その程度に考えていた。
――このときまでは。
「……ん?」
通りの向こう。
人混みの中で、一人の男がこちらを見ていることに気づいた。
灰色の外套。
冒険者には見えない。
商人にも見えなかった。
視線は俺ではなく――。
「レグ?」
「ん?」
俺が名前を呼ぶと同時に、男は踵を返した。
「どうしたの?」
セラが聞いてくる。
「いや……」
人混みの向こうを確認する。
もう姿はない。
気のせいか?
レグの人化は珍しい。
いや、そもそも竜が人になるなんて、この世界でどれほど知られていることなのかも俺は知らない。
「ハヤト」
袖を引かれた。
レグが俺を見上げている。
「おなかすいた」
「……さっき食っただろ」
「ちょっとすいた」
俺はため息をついた。
そして、さっきの男のことを頭の隅へ追いやる。
「一本だけな」
「!」
「甘やかしすぎじゃない?」
「今日だけだ」
「昨日も言ってなかった?」
「気のせいだ」
レグが嬉しそうに串焼きの屋台へ走っていく。
その後をセラが追う。
俺も二人の後を歩き出した。
五日後。
俺たちはラーデンを出る。
目的地は王都。
そこで何が待っているのかは、まだ分からない。
ただ一つだけ。
人混みに消えたあの男の視線が、妙に頭に残っていた。




