第21話 大騒ぎ
「レグ、はやとと、おなじ!」
ベッドの上で、見知らぬ女性――いや、どう見てもレグらしい女性が嬉しそうに両手を広げている。
ハヤトはしばらく動けなかった。
長い黒緑色の髪。
金色の瞳。
髪の間から覗く、小さな二本の角。
見た目だけなら二十歳前後の小柄な女性にしか見えない。
だが、その表情。
首を傾げる仕草。
そして何より。
「はやと?」
この声は間違えようがなかった。
「……本当にレグなんだよな?」
「レグ」
「竜の?」
「うん」
「昨日まで四本足だった?」
「よん……?」
「そこは分からないか」
ハヤトは頭を抱えた。
何がどうなっているのか、さっぱり分からない。
レグ本人はそんなことなど気にしていないらしく、自分の手を何度も開いたり閉じたりしている。
「これ、すごい」
「指?」
「いっぱいある」
「元から爪はあっただろ」
レグは今度は足を見た。
毛布の中で動かしているらしい。
「はやと。レグ、ながい」
「何が?」
「あし」
「ああ……」
確かに竜の姿とは随分違う。
本人にとっては、人間になることより指や脚の形が変わったことの方が面白いらしい。
その時。
廊下から足音がした。
「ハヤト? さっきからうるさいんだけど」
セラ。
まずい。
説明。
いや、そもそも自分も説明できない。
「ちょっと待――」
扉が開いた。
「何して……」
セラが止まった。
ハヤトも止まった。
ベッドの上には、毛布に包まれた見知らぬ女。
その横に立つハヤト。
深夜。
二人きり。
沈黙が落ちた。
「……」
「……」
セラの目が細くなる。
「早いわね」
「何が!?」
「村に来て一日よ」
「違うから!」
「私は別に、あなたが誰と何しようと――」
「だから違うって!」
ハヤトが必死に手を振る。
するとベッドの上の女性が、ぱっと笑った。
「せら!」
セラが固まる。
「……え?」
「せら」
女性がもう一度呼ぶ。
そして自分の胸へ手を当てた。
「レグ」
セラの目が大きくなる。
女性を見る。
ハヤトを見る。
もう一度女性を見る。
「……レグ?」
「うん!」
「本当に?」
「レグ、かわいい」
「そこ覚えてるのかよ」
ハヤトが思わず突っ込む。
セラはしばらく何も言わなかった。
やがて部屋へ入ると、レグの顔をじっと覗き込んだ。
角。
瞳。
髪。
「確かに……面影はある」
「分かる?」
「言われてみればね。目の色も同じだし、角も残ってる」
レグは自分の角を触ろうとして、なかなか届かない。
何度か手を空振りした後、ようやく触れた。
「ある」
「あるな」
「あるわね」
三人で確認する。
妙な時間だった。
セラはレグの周りを一周した。
「竜の中には、人の姿を取れる個体がいるって話は聞いたことがあるけど……」
「普通なの?」
「普通なわけないでしょ。伝承とか、昔の記録に出てくるくらいよ」
「じゃあレグ、すごい?」
本人が食いついた。
セラが少し考える。
「たぶん、かなり」
「レグ、すごい」
満足そうだった。
「自己評価上がるの早いな」
ハヤトが苦笑する。
ただ、心当たりがないわけでもない。
昨日。
ホーンベアとの戦いでレグが吐いた、金色の炎。
その前から喉元には光が出ていた。
言葉を話し始めたのも同じ頃だ。
何かしらの成長期に入ったと考えれば、一応筋は通る。
「で」
セラが腕を組む。
「いつまでその格好なの?」
「格好?」
レグが首を傾げた。
ハヤトは即座に横を向いた。
「そう、それ」
レグは毛布一枚。
人間の服など持っているはずもない。
「とりあえず俺の服貸す」
「あなたの?」
「他にないだろ」
荷物から替えのシャツとズボンを取り出す。
「レグ、これ着ろ」
渡す。
レグは服を見る。
「これ?」
「そう」
「どうやる?」
「……そこからか」
結局、セラに頼むことになった。
「何で私が」
「俺が着せる方がまずいだろ!」
「それはそうだけど」
セラは服を受け取り、ハヤトを部屋の外へ追い出した。
「終わるまで入ってこないで」
「はい」
扉が閉まる。
中からレグの声が聞こえた。
「せら、これ、どこ?」
「頭をここから出して」
「くらい」
「顔まで入れないの」
「うごけない」
「腕が違うところに入ってる!」
ハヤトは廊下で笑いを堪えた。
数分後。
「いいわよ」
扉を開ける。
レグが立っていた。
ハヤトのシャツは明らかに大きい。
袖は手をほとんど隠し、裾も長い。
ズボンも腰紐をかなり締めている。
「……ぶかぶかだな」
「はやとの」
レグは嬉しそうだった。
袖の先から指を少しだけ出している。
「まあ、村にいる間だけ我慢してくれ。ラーデン戻ったら服買おう」
「かう」
「お前のな」
「おにくも?」
「服の話してるだろ」
「おにく」
「はいはい」
セラがため息をつく。
「人の姿になっても食欲は変わらないのね」
「おなかすいた」
「朝まで待て」
レグの顔が曇る。
「あと少しだ」
「すこし?」
「太陽出るまで」
窓を見る。
空はまだ暗いが、夜明けまではそれほど長くない。
レグも窓を見る。
しばらく考えたあと。
「じゃあ、ねる」
「そうしろ」
レグは当然のようにベッドへ向かった。
「待て」
止まる。
「そこ俺のベッド」
「きのう、いっしょ」
「昨日は竜だっただろ」
レグが首を傾げる。
「レグ、レグ」
「そうなんだけどな」
本人にとっては何も変わっていないのだろう。
昨日まで普通に身体を寄せて寝ていた。
姿が変わったから急に距離を取れと言われても、意味が分からないらしい。
「はやと、こない?」
「いや……」
「いっしょ」
ハヤトが困っていると、セラが冷たい目を向けてきた。
「好きにすれば?」
「その言い方怖いんだけど」
「私は部屋に戻るわ」
「助けてくれないの?」
「何を?」
セラは扉まで歩いていく。
そこで一度振り返った。
「一応言っておくけど、今のレグはどう見ても人間の女の子なんだから、そのつもりで接しなさいよ」
「分かってる!」
「ならいいけど」
「せら」
レグが呼ぶ。
「何?」
「せらも、ねる?」
「寝ない」
即答だった。
「さんにん」
「もっと寝ない」
扉が閉じた。
レグが残念そうにする。
「せら、ねない」
「普通寝ないんだよ」
「はやとは?」
「俺は……」
ベッドを見る。
村長が用意してくれた部屋に、寝具は一つ。
床で寝るという手もある。
ハヤトは毛布を一枚取った。
「俺は床」
「なんで?」
「何でも」
床へ横になる。
レグはベッドからこちらを見下ろした。
「はやと」
「寝ろ」
「さむい?」
「平気」
「いたい?」
「平気だって」
しばらく静かになる。
やっと寝たか。
そう思った頃。
ベッドから足音。
ぺたぺた。
次の瞬間。
レグが床へ座った。
「何してんの?」
「レグも、ここ」
「ベッドで寝ろよ」
「はやと、ここ」
「……」
ハヤトは天井を見た。
説得しても無駄そうだ。
「じゃあ毛布もう一枚使え」
「うん」
結局。
ハヤトは床。
そのすぐ隣にレグ。
距離は少し空けた。
レグは満足したのか、数分もしないうちに眠った。
「自由すぎるだろ……」
小さく呟く。
でも。
それを見ていると、不思議と嫌ではなかった。
◇
朝。
ハヤトは頬に何かが当たっている感触で目を覚ました。
「……ん」
目を開ける。
黒緑色の髪。
近い。
近すぎる。
レグが隣で寝ていた。
夜は少し離れていたはずなのに、いつの間にか距離が消えている。
ハヤトの腕へ抱きつき、そのまま眠っていた。
「おい……」
起こそうとして。
レグの目が開いた。
金色の瞳がハヤトを見る。
「はやと」
「おはよう」
「おはよう」
そこはもう覚えたらしい。
次の瞬間。
「おなかすいた」
「知ってた」
レグが起き上がる。
すると。
額から小さな光。
「ん?」
身体全体が金色に包まれた。
「ちょっと待て!」
光が縮む。
数秒後。
そこには。
いつもの幼竜がいた。
ハヤトは目を丸くした。
レグも自分の前脚を見る。
「……戻った?」
「きゅ?」
「喋れなくなってるし!」
扉が勢いよく開いた。
「今度は何!?」
セラが入ってくる。
床に座るハヤト。
その横に幼竜。
セラは一度だけ瞬きをした。
「戻ったの?」
「みたい」
レグがハヤトの膝へ前脚をかける。
そのままよじ登る。
腹。
胸。
肩。
そして。
当然のように頭へ乗った。
「重い!」
セラが吹き出す。
「結局そこに戻るのね」
「こいつ、人の姿の時よりこっちの方が落ち着くんじゃないか?」
レグが頭の上で喉を鳴らす。
どうやら正解らしい。
「でも自分で戻ったわけじゃなさそうね」
「寝起きで勝手に戻った」
「なら、まだ人化を自由には扱えないってことかも」
ハヤトはレグを頭から降ろす。
「レグ。さっきの姿になれる?」
レグが首を傾げる。
「人間」
首を反対側へ。
「昨日の」
また反対。
「分かってないな」
しばらく試したが、再び人の姿になることはなかった。
どうやら一度できたからといって、自由に変身できるわけではないらしい。
「まあ、そのうち覚えるでしょ」
セラが言う。
「そうだな」
急ぐ理由もない。
レグはレグだ。
竜でも。
人でも。
本人が好きな方を選べるようになれば、それでいい。
「よし」
ハヤトは立ち上がる。
「村長に報告して、ラーデン戻るか」
レグの耳が動く。
「帰ったら服も買わないとな」
反応なし。
「肉も」
尾が勢いよく動く。
「そこだけは人でも竜でも同じか」
ハヤトは笑った。
ローデ村での依頼は終わった。
ホーンベアを倒し。
狩人二人を助け。
そしてレグは、言葉と新しい姿を手に入れた。
ラーデンへ戻れば。
おそらくまた騒ぎになる。
ハヤトにはもう、それが簡単に想像できてしまった。




