第18話 ガルネ山麓とレグの異変
依頼の詳細を聞いた結果。
ハヤトたちは、翌朝にはラーデンを出ることになった。
被害が出ているのは、ガルネ山の麓にある小さな村――ローデ村。
村の周囲には牧草地と森が広がり、普段は大型の魔物が出るような場所ではない。
それが十日ほど前から、家畜が立て続けに襲われ始めた。
最初は羊。
次に牛。
そして三日前、魔物を探しに森へ入った狩人二人が戻らなくなった。
現場には巨大な爪痕と、地面を抉るほどの足跡が残されていたらしい。
「対象不明のままなの?」
セラが受付で確認する。
ミレイは頷いた。
「村から送られてきた情報だけでは特定できませんでした。ただ、少なくともオーガより大型と見られています」
「飛行型の可能性は?」
「あります」
ハヤトは依頼書を見ながら尋ねた。
「報酬が高い理由って、それ?」
「対象が分からないこと。それと、すでに人的被害が出ていることですね」
危険度は今までより明らかに高い。
それでもハヤトは、依頼書を返さなかった。
怖くないわけではない。
むしろ、何が出るか分からない分だけ怖い。
だが。
同時に、自分がどこまでやれるのか試してみたい気持ちもあった。
「受けます」
ミレイがハヤトを見る。
次にセラ。
セラも頷いた。
「私も行く」
「分かりました。ただし、危険だと判断した場合は調査だけで戻ってください。討伐は必須ではありません」
「了解」
ハヤトは素直に答えた。
その瞬間。
肩の上でレグが小さく鳴いた。
「……お前も行く気?」
レグは当然のようにハヤトの頭へ前脚を乗せた。
「怪我治ったばっかだぞ」
もう一声。
「いや、返事されても」
セラが笑う。
「置いていけると思う?」
ハヤトはレグを見る。
今にも肩から降りて、勝手に受付へ依頼を出しそうな顔をしている。
「絶対ついてくるよな」
レグの尾が揺れた。
結局。
治療師に確認し、傷がほぼ完治していることを条件に同行を認めてもらった。
ただし、無理はさせない。
危険なら戦わせない。
ハヤトは何度もそう言い聞かせた。
レグがどこまで理解しているかは分からなかった。
◇
ローデ村までは、徒歩で一日半ほど。
今回は三人――正確には二人と一頭だけの旅だ。
出発してからしばらく、レグはハヤトの肩に乗っていた。
「重くなってない?」
ハヤトが聞く。
レグは知らん顔をする。
「絶対ちょっと重くなってるだろ」
「成長してるんじゃない?」
セラが横を歩きながら答える。
「まだ幼竜なんだろ?」
「そうだけど、竜の成長速度なんて私も知らないわよ」
最近。
レグの身体にはいくつか変化があった。
鱗の色が、以前より少し艶を帯びている。
翼も大きくなった。
以前は地面から数十センチ浮くのがやっとだったのに、今では数メートルなら普通に飛べる。
そして何より。
人間の言葉を理解しているような反応が増えた。
「レグ。降りて歩け」
首を振る。
「分かってるじゃん」
セラが笑った。
「じゃあ『ご飯』は?」
レグの頭が勢いよくセラへ向く。
「完全に分かってるな」
「食べ物限定だったりして」
「ありそうなのが嫌だ」
結局、昼休憩までレグはほとんどハヤトの肩から降りなかった。
◇
夕方。
三人は森の手前で野営することにした。
ハヤトが火を起こし、セラが水を用意する。
料理はもちろんハヤトだ。
最近は《料理・初級》もかなり板についてきた。
肉と野菜を炒め、簡単なスープを作る。
レグ用には味付け前の肉を別にして焼いた。
「はい」
皿を置く。
レグが近づく。
「待て」
止まる。
「……本当に覚えたな」
少し前なら肉を見た瞬間に飛びついていた。
今はハヤトが「よし」と言うまで待つ。
尻尾はものすごい勢いで動いているが。
「よし」
一瞬で食べ始めた。
「そこは変わらないか」
ハヤトたちも食事を取る。
焚き火を囲みながら、セラが地図を広げた。
「明日の午前中には村に着くと思う」
「着いたらまず被害場所?」
「村長から詳しく話を聞いた方がいいわね」
「足跡も見たい」
《追跡》を覚えてから、痕跡を見ることが以前より面白くなった。
今回こそ役に立つかもしれない。
「対象が分かったらどうする?」
セラが尋ねる。
「強さ次第」
ハヤトは即答した。
「勝てそうなら戦う。無理そうなら戻る」
「ちゃんと学習したのね」
「戦いたいからって死んだら意味ないし」
強敵へ挑むのは嫌いではない。
むしろ楽しい。
だが、自殺したいわけではない。
勝てそうな相手に全力で挑む。
そのくらいがちょうどいい。
食事が終わる。
レグは腹が満たされたのか、ハヤトの隣で丸くなっていた。
焚き火の光が鱗へ反射する。
ハヤトはその背中を撫でた。
「明日は勝手に突っ込むなよ」
レグが片目を開ける。
「俺が行くって言うまで待て」
もう一度目を閉じた。
「……聞いてる?」
尾が一度だけ地面を叩いた。
セラが笑う。
「たぶん聞いてるわよ」
「返事くらいしてくれれば楽なんだけどな」
何気なくそう言った時。
レグが顔を上げた。
ハヤトを見る。
口を開く。
「……?」
小さな声。
鳴き声ではない。
何かを喋ろうとしたように聞こえた。
「今……」
セラも気づいたらしい。
レグはもう一度口を開く。
だが今度は、いつもの短い鳴き声だった。
「気のせい?」
ハヤトが聞く。
「分からない」
セラは少し考え込んだ。
「でも竜って、成長すると人間の言葉を話す個体もいるらしいわよ」
「マジで?」
「高位の竜ならね。私は見たことないけど」
ハヤトはレグを見る。
本人はもう興味を失ったのか、再び丸くなっていた。
「そのうち普通に喋ったりしてな」
冗談半分で言う。
その時は。
本当にそうなるとは、まだ思っていなかった。
◇
翌朝。
ローデ村へ到着した。
小さな村だった。
木造の家が二十軒ほど。
周囲には畑と牧草地。
遠くにはガルネ山がそびえている。
山の中腹は森に覆われ、そのさらに上には灰色の岩肌が見えていた。
村へ入った瞬間、視線が集まった。
原因は分かっている。
「やっぱレグ目立つな」
肩の上の幼竜。
村人たちが遠巻きに見ている。
子供たちだけは興味津々だ。
一人の男が近づいてきた。
五十代くらい。
日に焼けた顔。
「冒険者の方ですか?」
「ラーデンから来ました。神崎ハヤトです」
「セラ・アーヴェルです」
男はほっとしたように頭を下げた。
「村長のロイドです。よく来てくださいました」
村長宅へ案内される。
レグだけは家の中へ入れるか少し迷われたが、大人しくしているのを見て許可された。
ハヤトの足元へ座る。
「被害の状況を教えてもらえますか?」
ロイドの表情が暗くなる。
「最初は十日前でした」
村の西側。
森に近い牧草地で羊が三頭殺された。
食べられたというより、身体を引き裂かれていたらしい。
その二日後。
別の場所で牛が一頭。
さらに数日後。
「狩人二人が森へ入り、そのまま戻っていません」
「探しに行った人は?」
セラが尋ねる。
「入口付近までは。しかし……」
ロイドは首を振った。
「森の奥から大きな唸り声が聞こえて、誰も近づけませんでした」
「足跡を見せてもらえます?」
ハヤトが聞く。
「残っていれば」
村長の案内で、西側の牧草地へ向かった。
現場は村から歩いて十分ほど。
柵の一部が大きく壊れている。
そして。
「……でかいな」
地面に残る足跡。
ハヤトの手より遥かに大きい。
四本足。
爪は三本。
かなり深く沈んでいる。
《追跡》を意識する。
重い。
相当な体重。
足跡の間隔も長い。
一歩が大きい。
セラが横から覗く。
「分かる?」
「大型なのは確実」
「それは見れば分かるわよ」
「まだ初級なんだから仕方ないだろ」
ハヤトはさらに周囲を見る。
壊れた柵。
血の跡はほとんど残っていない。
しかし。
木の幹に妙な傷がある。
四本。
縦に長い。
「爪?」
セラが近づく。
「違うかも」
傷はかなり高い位置にある。
ハヤトが手を伸ばしても届かない。
二メートル以上。
「立ち上がった?」
「それか、元々背が高い」
村長の顔色が悪くなる。
「やはり危険な魔物でしょうか」
「まだ何とも」
ハヤトは無責任に安心させることはしなかった。
分からないものは分からない。
その時。
レグが突然、低く唸った。
「レグ?」
牧草地の端。
森の方向を見ている。
翼がわずかに開いている。
背中の鱗が逆立ったように見えた。
今までとは反応が違う。
怯えている。
いや。
警戒している。
セラも気づいた。
「何か感じてる?」
レグが森へ向かって一歩出る。
ハヤトが肩へ手を置いた。
「待て」
すぐに止まった。
目だけは森から離さない。
そして。
遠く。
木々の奥から。
低い声が響いた。
獣の咆哮。
腹の底へ響くような、重い音だった。
鳥たちが一斉に飛び立つ。
村長が青ざめる。
ハヤトは森を見る。
距離はある。
姿は見えない。
だが。
「あれか」
おそらく。
今回の討伐対象。
レグが再び唸る。
その喉元。
一瞬だけ。
淡い金色の光が浮かんだ。
「……今の何?」
ハヤトが尋ねる。
セラも見ていた。
「分からない」
光はすぐに消えた。
レグ自身も不思議そうに胸元を見ている。
ハヤトは少し気になった。
しかし。
今は森の魔物が先だ。
「村長」
ハヤトが振り返る。
「俺たち、森を調べてきます」
ロイドが不安そうに頷いた。
「どうか……お気をつけて」
ハヤトは剣の位置を確認する。
セラも杖を握る。
レグは二人の間。
森の奥には。
まだ正体の分からない何かがいる。
そして同時に。
ハヤトたちのすぐそばでも。
一頭の幼竜に、今までとは違う変化が始まろうとしていた。




