選ぶ朝
竜の谷で過ごしたのは、結局五日だった。
二日で出るかもしれないと言っていたレグが、三日目の朝に「もう一日」と言い。
四日目にはガルドが昔の話を始めて長くなり。
気づけば五日目。
「今日ほんとに行く?」
朝食を食べながら、レグが確認する。
「それ昨日も聞いたぞ」
ハヤトが答えると、レグは少し考えた。
「昨日は昨日」
「今日は?」
「今日も聞く」
「なるほど」
隣でセラが笑う。
「レグがもう一日って言うなら、私は別にいいけど」
その瞬間。
「じゃあもう一日――」
「待て!」
ガルドが食い気味に入った。
レグが父親を見る。
「なに?」
「お前、行くって決めたんだろ」
「うん」
「なら行け」
言葉だけ聞けば突き放しているようだった。
でも。
ガルドの顔は、全然そう見えなかった。
「引き止めない?」
「引き止めたい」
「どっち?」
「行ってほしくねぇけど、行けって言ってんだよ」
「変」
「親ってそういうもんなんだ!」
今度はミレアが静かに口を挟む。
「ガルドだけじゃない?」
「お前まで!?」
レグは少し笑った。
◇
出発の準備は昼前には終わった。
荷物は来たときより少ない。
北環や主環で増えた記録の大半はカイルが持っている。
代わりに。
レグの鞄には少しだけ物が増えていた。
ガルドが削った小さな木札。
ミレアが持たせた保存食。
ルクアからもらった、白い羽のような飾り。
そして、トルにもらった木彫りの鳥。
「多い」
レグが鞄を持ち上げる。
「置いていく?」
ミレアが聞く。
「全部持つ」
「なら持ちなさい」
即決だった。
ガルドが横から口を出す。
「俺が何か持たせようか?」
「もうある」
「何が?」
レグが木札を見せる。
「それだけ?」
「うん」
「もっとでかいの作ればよかったな……」
「持てない」
「そうか」
少し残念そうだった。
◇
「セラ」
ミレアが呼んだ。
「はい?」
二人は少し離れた場所へ移る。
ハヤトは聞くつもりはなかった。
けれど、レグとガルドがすぐ近くで言い合いを始めたので、自然とそちらへ意識が向く。
「レグのこと、ありがとう」
ミレアが言った。
セラは少し困ったように笑った。
「私だけじゃないですよ」
「分かってる」
「それに、私もレグに助けてもらってます」
「それも分かる」
ミレアは少しだけ間を置いた。
「だから、お願いじゃない」
「え?」
「これからも一緒にいて、とは言わない」
セラの表情が変わる。
「レグが決めることだから」
「……はい」
「あなたも」
ミレアが続ける。
「自分の行きたい場所を選んで」
セラは少し驚いたあと。
ゆっくり頷いた。
「そうします」
「ハヤトと一緒に?」
「それも、自分で決めました」
今度は少し照れた。
ミレアが微かに笑う。
「なら、よかった」
◇
「ハヤト」
嫌な予感のする声。
振り返ると。
ガルドがいた。
「何?」
「話ある」
「また?」
「またとは何だ」
「前も男同士の話したじゃん」
「今日は別だ」
「何の?」
ガルドは一度レグを見る。
次にセラ。
それからハヤト。
「……やっぱいい」
「何で呼んだの!?」
「何か言おうと思ったんだけど、考えたら俺が言うことじゃねぇなって」
「気になるだろ!」
「じゃあ一個だけ」
「うん」
「無茶すんな」
ハヤトは少し黙った。
「それガルドに言われる?」
「だから俺が言うんだよ」
なるほど。
少しだけ分かる気がした。
「分かった」
「本当に?」
「多分」
「今ので信用落ちたぞ」
「じゃあガルドは?」
「何が?」
「無茶しない?」
「する必要があればする」
「同じじゃん」
「……」
ガルドが目を逸らす。
「レグー!」
「呼ぶな!」
父娘の声がまた谷に響いた。
◇
出発前。
レグはルクアとも話していた。
「また来る?」
「来る」
「いつ?」
「分からない」
「じゃあ待つ」
「うん」
それだけ。
でも二人には十分らしい。
ルクアはクロにも顔を寄せた。
「クロも来る?」
クロの尻尾が一度動く。
「来るって」
「今のは分かる」
レグが満足そうに頷いた。
◇
谷の入口まで。
ガルドとミレアも一緒に来た。
途中。
レグは何度も振り返った。
でも歩みは止めない。
ハヤトとセラも急かさなかった。
やがて。
外へ続く道の前。
レグが立ち止まる。
「ここでいい」
ガルドが眉を寄せた。
「もう少し行けるぞ」
「ここでいい」
「でも――」
「おとうさん」
「……おう」
「また帰ってくる」
「ああ」
「だからここでいい」
ガルドはしばらく黙っていた。
やがて。
「分かった」
ようやく引き下がる。
ミレアは最初から何も言わず、レグの判断を待っていた。
「おかあさん」
「なに?」
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
すぐに返ってきた。
レグはガルドを見る。
「おとうさん」
「おう」
「行ってくる」
ガルドは一度口を開き。
閉じた。
何か長いことを言おうとしたらしい。
最後には。
「行ってこい」
それだけにした。
レグが笑う。
「うん」
◇
ハヤトも二人へ軽く頭を下げる。
「また来ます」
「来い」
ガルドが即答する。
「セラも」
「はい」
「ハヤト一人でも?」
「それは考える」
「なんで!?」
ガルドが笑う。
「冗談だ」
「ガルドまで冗談増えてない?」
「レグの父親だからな」
「理由になってない」
ミレアが横から静かに言う。
「気をつけて」
「はい」
セラが頷く。
それから。
二人は歩き出した。
レグ。
クロ。
ハヤト。
セラ。
元の三人と一匹。
ただし。
前とは少し違う。
◇
谷が見えなくなる手前で。
レグが最後に一度だけ振り返った。
ガルドとミレアは、まだそこにいる。
小さくなっているけれど。
ちゃんと見える。
レグは手を振った。
向こうでも。
ガルドが大きく前脚を上げる。
ミレアも手を振る。
レグは前へ向き直った。
「よし」
「何が?」
ハヤトが聞く。
「行く」
「トルカ?」
「うん」
「マーナさんに本返す」
セラが言う。
「ベルドにも会う」
ハヤトも続けた。
レグが自分の弓を触る。
「レグも練習する」
「ディンまだいるかな」
「いたらやる」
クロが先へ歩き出す。
「クロは?」
セラが聞く。
「クロはクロ」
「それ便利だな」
ハヤトが笑う。
道は山を下り。
やがて二つに分かれた。
片方は北環へ戻る道。
もう片方は。
トルカへ続く南西の道。
以前なら。
誰かの足跡や。
古い印や。
父親の行き先を確かめながら進んでいた。
今日は違う。
「こっち」
レグが南西を指す。
「決まり?」
ハヤトが聞く。
「うん」
セラも頷く。
「私も」
ハヤトは二人を見る。
「俺も」
誰かに決められた道ではない。
追わなければならない道でもない。
三人が。
今、行きたいと思った道。
「じゃあ行くか」
ハヤトが歩き出す。
その横へセラ。
少し前をレグとクロ。
背中には帰れる場所がある。
前には。
まだ知らない道が続いていた。




