言ってほしかったこと
翌朝になっても、記録庫にはいくつかの返事が届き続けていた。
《受ける》。
《今回は保留》。
《春に再度問われたい》。
短いものばかりだ。
中には返事のない場所もある。
それでも昨日までとは違う。
返事がない場所へ、こちらから勝手に答えを押しつけることはしない。
「これで最後か?」
ガルドが中央柱を覗き込む。
「分からない」
カイルは記録を整理しながら答えた。
「数日後に返すところもあるかもしれない」
「じゃあずっと待つのか?」
「全部揃う必要はないだろ」
ユアンが横から言う。
「ここは問いを残しておける。返事が来れば、そのとき処理すればいい」
ガルドが眉を寄せる。
「誰が?」
「北環と西路で話す」
「俺は?」
「お前は技師じゃない」
「昨日からそればっかだな」
「事実だからな」
レグが二人の間から顔を出した。
「おとうさんは、知ってること話す役」
「それ役なのか?」
「レグが決めた」
「勝手に決めんな!」
「嫌?」
聞かれて、ガルドが止まる。
「……嫌ではねぇ」
「じゃあやる」
「お前、こういうとこミレアに似てきたな……」
レグは少し嬉しそうだった。
◇
記録庫を離れる前に、もう一つ確認することがあった。
レグが昨日書いたミレアへの手紙だ。
「送れるって言ったよね?」
「ああ」
ガルドは古い伝達板を引っ張り出した。
「ただ、白い森の中継まで届くかは分からんぞ。何年もまともに使ってねぇ」
「竜の谷には?」
「直接は無理だ。白い森側の古い石に残して、ミレアが通れば拾える」
「じゃあそれでいい」
レグが紙を渡す。
ガルドが目を落とす。
《おとうさん見つけた》
《うるさいけど元気》
《一緒に帰るかは、まだ話してる》
「二行目消さねぇ?」
「だめ」
「何でだよ」
「本当だから」
ハヤトは笑いを堪えた。
「いいじゃん。生存確認としてはかなり分かりやすい」
「お前は黙ってろ」
「俺への当たり強くない?」
「娘と何年一緒にいたと思ってんだ」
「それ関係ある?」
「ある」
「何に?」
「まだ決めてねぇ」
「決めてから絡んでくれよ」
セラがとうとう笑い出した。
ガルドは不満そうに鼻を鳴らしながらも、結局そのまま紙を伝達板へ収めた。
◇
昼前。
一行は主環へ戻る準備を始めた。
そこでレグがガルドへ聞いた。
「おとうさん、これからどうする?」
ガルドはすぐには答えなかった。
記録庫を振り返る。
「まず北環まで戻る」
「ディオルと話す?」
「ああ。あいつがやろうとしてたことも、全部間違いだったとは思わねぇ」
道を維持する人間が必要なこと。
技術を残す必要があること。
放っておけば危険な場所が増えること。
そこは事実だ。
「ただ、やり方は変えさせる」
「殴る?」
「話す」
レグが驚いた顔をする。
「おとうさんが?」
「俺だって話くらいするわ!」
ガルドは少し間を置いてから付け足す。
「話して駄目なら考える」
「殴るのは最後」
「……努力する」
かなり譲歩したらしい。
「そのあと?」
「竜の谷へ行く」
レグの目が僅かに大きくなる。
「帰る?」
「ああ」
「おかあさんも戻るって」
「聞いた」
「会う?」
「そのつもりだ」
「怒られるよ」
「知ってる」
「いっぱい」
「それも知ってる」
ガルドは大きく息を吐いた。
「逃げても仕方ねぇだろ」
レグはしばらく父親を見上げていた。
「レグも行く?」
自分から尋ねた。
ガルドは少し驚いたようだった。
「来たいのか?」
「会いたい」
「なら来い」
「でも」
レグはハヤトたちを見る。
「ずっとは行かない」
ガルドは何も言わなかった。
「おとうさんとおかあさんに会って。それから、またハヤトたちと行く」
「……そうか」
「だめ?」
「何で俺が決めるんだよ」
答えは早かった。
「お前が決めろ」
レグの顔が緩む。
「うん」
「ただし」
「なに?」
「たまには帰ってこい」
レグは少し考えた。
「ごはんある?」
「それで帰るか決めんのか!?」
「冗談」
「お前、冗談言うようになったのか……」
ガルドの方が衝撃を受けていた。
◇
主環へ戻る道。
レグとガルドはずっと前を歩いていた。
話したいことが山ほどあるらしい。
ガルドが何か言う。
レグが短く返す。
またガルドが話す。
時々レグが笑う。
その少し後ろを、クロがついている。
「しばらくあれ続きそうだね」
セラが言った。
「何年分もあるからな」
「邪魔しない方がいいかな」
「多分」
ハヤトは隣を歩くセラを見る。
昨日の話が残っていた。
この旅が終わったあと。
ちゃんと話したい。
自分からそう言った。
「セラ」
「ん?」
「今でもトルカ戻りたい?」
少し意外そうな顔をする。
「覚えてたんだ」
「マーナさんの本、借りたままだろ」
「うん」
セラは鞄へ手を当てる。
古い治療記録。
旅の間にも何度も開いていた。
「戻りたい」
答えははっきりしていた。
「もっと教わりたいし、今回のことも話したい。人だけじゃなくて獣を診たこととか、治癒を使わなかった方がよかったときとか」
「どれくらい?」
「分からない」
セラが少しだけ困ったように笑う。
「数日かもしれないし、もっといたくなるかもしれない」
「そっか」
「……ハヤトは?」
「俺?」
「次、行きたい場所ある?」
ハヤトは考えた。
特にない。
以前なら。
ここで答えは決まっていた。
なら、セラの好きにすればいい。
自分は自分で適当に旅をする。
また会えばいい。
それが《自由》らしいと思っていた時期もある。
でも。
「ある」
口から出た言葉に、セラが少し驚く。
「どこ?」
「セラと一緒」
足が止まりかけた。
「……場所じゃないけど」
「うん」
ハヤトも少し照れた。
でも今度は、誤魔化さなかった。
「俺は、セラに一緒にいてほしい」
セラが黙る。
前を歩いているレグたちとの距離が、少しずつ開いていく。
「トルカに戻りたいなら戻ればいい、とか」
ハヤトは続けた。
「学びたいなら好きにすればいい、とか。多分、前の俺ならそう言ってた」
「言いそう」
「だろ?」
「うん」
セラが笑う。
「でも、それだけじゃなくて」
ハヤトは一度息を吐いた。
「俺は一緒に行きたい」
今度は。
はっきり言った。
「セラと」
少しの沈黙。
セラの頬が僅かに赤くなる。
でも、目は逸らさなかった。
「それって」
「うん」
「旅の仲間だから?」
聞かれると思っていた。
だから。
逃げない。
「それだけじゃない」
セラの表情が止まる。
「好きだから」
言った。
あまりにも普通の言葉で。
だからこそ、もう言い換えようがなかった。
◇
セラはしばらく何も言わなかった。
「……今なんだ」
ようやく出た言葉がそれだった。
「タイミング変だった?」
「かなり」
「やっぱり?」
「山の中だし。前でレグがお父さんとずっと喋ってるし」
「確かに」
「しかも昨日まで世界規模の古い仕組み直してたのに」
「世界規模かは分からないけど」
「今そこ訂正する?」
セラが笑った。
それから。
少しだけハヤトへ近づく。
「でも」
「うん」
「言ってほしかった」
今度はハヤトが黙った。
「ずっと?」
「……まあ、結構前から」
「それ早く言ってよ」
「ハヤトが言うところでしょ」
「そうなの?」
「そう」
即答だった。
ハヤトは負けた気がした。
「じゃあ、セラは?」
「何が?」
「俺だけ言って終わり?」
セラが少し意地悪そうに笑う。
「聞きたい?」
「聞きたい」
「自由に想像すれば?」
「そこで《自由》使うのやめて」
セラが声を出して笑った。
そして。
ハヤトの手を取る。
「私も好き」
指を絡める。
「一緒にいたい」
ハヤトは握り返した。
「じゃあトルカ行く?」
「そこまで一気に決めるの?」
「嫌なら――」
「嫌じゃない」
セラはすぐに否定した。
「でも、ハヤトが私に合わせるだけなのは嫌」
「合わせるだけじゃないよ」
「本当に?」
「俺が行きたい」
「なんで?」
「セラがいるから」
「それを合わせてるって言うんじゃない?」
「俺がそうしたいなら俺の自由だろ」
セラが一瞬黙って。
「……それはずるい」
「能力使ってないぞ」
「そういう意味じゃない」
笑いながら、握った手を少し強くする。
◇
「じゃあ」
セラが前を向いた。
「一回、竜の谷行こっか」
「レグと?」
「うん。ガルドさんも帰るんでしょ?」
「そのあとトルカ?」
「そのあと考える」
「決めないんだ」
「決めてもいいけど」
セラは横目でハヤトを見る。
「今度は二人で決めるんでしょ?」
ハヤトも笑った。
「そうだな」
「なら、それでいい」
行く場所。
どれくらいいるか。
その先。
全部を今決める必要はない。
でも。
一緒に考える相手だけは決まった。
◇
前方。
レグが振り返った。
「ハヤト、セラ遅い」
「今行く!」
ハヤトが返す。
レグは二人の手を見る。
じっと。
「なに?」
セラが聞く。
「まだ持ってる」
「持ってるけど」
「今度は離さない?」
ハヤトとセラが顔を見合わせる。
先に答えたのはセラだった。
「離さない」
「そっか」
レグは満足そうに前を向いた。
ガルドだけが状況を分かっていない。
「何だ? 何の話だ?」
「おとうさん知らなくていい」
「何でだよ!」
「うるさい」
「再会して一日で扱い雑になってねぇか!?」
また大きな声が山道へ響く。
ハヤトとセラは笑いながら歩いた。
今度は。
手を離さないまま。




