消さないために
翌朝。
ガルドは昨日より明らかに元気だった。
「よし、行くぞ!」
石室いっぱいに響いた声を聞いて、セラがゆっくり振り返る。
「昨日、今日は様子を見るって言いましたよね?」
「寝た。食った。もう平気だ」
「左脚」
「平気」
「背中」
「平気」
「魔力」
「……だいぶ平気」
「最後だけ変わりましたね」
ガルドが視線を逸らした。
レグはその横で朝食を食べながら、迷いなく言う。
「セラがいいって言うまでだめ」
「お前、再会したばっかの父親よりそっち優先するのか?」
「うん」
「少しくらい迷え!」
ハヤトはパンを噛みながら笑った。
昨日まで足跡だけだった男が、朝からずっとうるさい。
妙な感じはする。
でも。
嫌な感じではなかった。
「歩くくらいなら大丈夫です」
セラがようやく許可を出す。
「ただし無理に装置を押さえたり、壊したりしないでください」
「壊してねぇ。止めてたんだ」
「鉄棒挟んで殴ってたんでしょ?」
「結果的に止まってただろ」
「おとうさん」
「……はい」
ガルドが負ける。
昨日から何度目か分からない。
◇
北の記録庫へ続く道は、止めた円形装置の裏にあった。
ガルドが先頭へ立つ。
その隣にレグ。
少し後ろをクロが歩く。
「おとうさん、ここ何回来た?」
「三回」
「なんで三回?」
「一回目は途中まで。二回目で中に入った。三回目が今回だ」
「一回でできなかった?」
「そう簡単じゃねぇんだよ」
「ハヤトなら一回かも」
「なんでそこでそいつと比べる!」
「資格ならね」
ハヤトが補足すると、ガルドが振り返る。
「昨日から思ってたけど、お前のそれ何なんだ?」
「《自由》」
「名前じゃなくて中身だ」
「使えない理由を越えられる」
「ざっくりしすぎだろ」
「俺も最初はもっと単純だと思ってたんだよ」
職業。
属性。
装備。
資格。
役目。
ここへ来てからは、古い仕組みの認証まで越えるようになった。
説明を聞いたガルドはしばらく黙っていたが、やがて一言だけ返した。
「厄介だな」
「すごいじゃなくて?」
「使う奴次第で厄介だろ」
意外な答えだった。
ハヤトが少しだけ目を見開く。
「何でも開けられるなら、開けちゃいけねぇ場所も開けられる」
「……それ最近俺も思ってる」
「ならまだマシだ」
「おとうさんも壊しちゃだめ」
すかさずレグが入る。
「今その話してねぇだろ!」
◇
一時間ほど進むと、道の先に巨大な扉が現れた。
今までの環門とは違う。
六つの印もない。
中央に刻まれているのは、一つだけ。
《残す》。
カイルが文字を読み始める。
「《記録を持つ者、記録を求める者、共に名を示せ》」
「二人必要?」
セラが聞く。
「そうみたいだな」
カイルは下の文字も追う。
「《残す者だけで決めるな》……か」
ユアンが扉を見る。
「記録する側と、それを使う側の両方が必要ってことか?」
「多分」
「俺が前に来たときは、ここで止まった」
ガルドが言う。
「一人だったから?」
「ああ。無理やり開けようとした」
「やっぱり」
レグの声に呆れが混ざる。
「結局開かなかったんだからいいだろ」
「よくない」
カイルが扉の左へ立った。
「《残す》は俺で通るはずだ」
「もう一人は?」
「《記録を求める者》だから、役目じゃない」
誰でもいい。
ただし、何を知りたいのかを示す必要があるらしい。
ハヤトたちは自然とレグを見た。
「レグ?」
「うん」
迷いはなかった。
カイルが左。
レグが右。
二人が手を置く。
「カイル。《残す》を受ける」
左側に白い光。
次にレグ。
「レグ」
右側の印が反応する。
その直後。
扉から淡い光が伸び、レグの胸元へ触れた。
『何を求める』
昨日までの《呼ぶ》とは違う。
命令ではない。
問いかけだった。
レグは少し考える。
「名前と役目が、なんで縛るものになったか」
光が揺れる。
『記録を示す』
扉が開いた。
「普通に聞いた」
レグが少し驚いた顔をする。
「最初はこういう仕組みだったんだろうな」
カイルが答える。
「答えるまで待つ」
ハヤトは、昨日まで何度も聞いた声を思い出した。
《応えよ》。
《戻れ》。
同じ古い仕組みでも。
ずいぶん違う。
◇
記録庫の中は、想像していたより広かった。
天井まで届く石棚。
薄い石板。
金属板。
巻物を入れていたらしい筒。
中央には、何本もの細い光が絡み合う大きな柱が立っている。
「うわ……」
カイルの声が漏れた。
「嬉しそう」
レグが言う。
「これ見て何も思わない方がおかしい」
「俺は嫌な予感がする」
ユアンは中央の柱を見ていた。
光は白だけではない。
途中から赤。
黒に近い紫。
色の違う線が、元の白い線へ何重にも重なっている。
「これ全部、変更記録?」
ハヤトが尋ねる。
ガルドが頷いた。
「俺も前に見た。問題はここからだ」
カイルとユアンが近づく。
文字。
構造。
それぞれ違うものを見る。
やがてカイルが一枚の大きな石板を見つけた。
「最初の記録がある」
全員が集まる。
「《役は求める》」
一行。
「《名をもって縛らない》」
次。
「《受ける者なくば、待つ》」
レグが最後の言葉を見た。
「待つ」
「ああ」
最初から。
そこに書いてあった。
誰もいなければ。
待つ。
「でも待てなくなった」
セラが静かに言う。
カイルは次の板へ移る。
時代が新しくなる。
「《応じる者が少ない。再度知らせる》」
さらに後。
「《役の名をもって知らせる》」
その次。
「《家名と役名を合わせ、引き継ぎを確実にする》」
また次。
「《離れる者が増えたため、登録を継続する》」
ガルドが低く唸った。
「これだ」
「何が?」
ハヤトが見る。
「一個ずつなら、そこまでおかしく見えねぇ」
確かに。
返事が来ないからもう一度知らせる。
引き継ぎが途切れないよう名前を合わせる。
人が減ったから登録を長く残す。
どれも。
その一つだけなら、理由は理解できる。
「でも重ねた」
レグが言う。
「ああ」
ガルドが答える。
「何百年もな」
◇
奥へ進むほど、記録は新しくなった。
やがて。
首輪。
命令返し。
強制帰還。
見覚えのある言葉が出てくる。
ただ。
「作者名が全部違う」
カイルが言った。
地域も。
時代も。
目的も違う。
一人の人間。
一つの集団。
そんな単純な話ではなかった。
「本当に誰か一人が始めたわけじゃないんだな」
ハヤトの言葉に、ガルドが鼻を鳴らす。
「だから困ってんだ」
「殴れないから?」
「それもある」
「そこ認めるんだ」
セラが笑う。
だがガルドはすぐ真面目な顔へ戻った。
「もっと面倒なのはな。悪い変更だけ消せば済む話じゃねぇってことだ」
ユアンが一本の赤い線を指した。
「これだろ?」
命令返し。
その途中。
別の白い線と繋がっている。
「何?」
「崩落時の緊急停止」
ユアンが読む。
「こっちは水門の自動閉鎖。こっちは……火災時の退避命令」
「命令って全部悪いわけじゃない?」
レグが聞く。
「そういうことだ」
ガルドが答える。
山が崩れる。
水が溢れる。
火が出る。
その瞬間に。
全員の返事を待っていたら間に合わないこともある。
「じゃあ全部消したら」
セラが言う。
「今度は守れなくなる」
「ああ」
ハヤトは中央の柱を見上げた。
簡単じゃない。
強制を全部消せば自由になる。
そんな答えではなかった。
◇
「基準が必要だ」
カイルが言った。
「何を残して、何を外すか」
「誰が決める?」
ユアンが聞き返す。
誰もすぐには答えなかった。
ハヤトが決める?
違う。
ガルド?
それも違う。
北環工房でもない。
「昔は?」
セラが尋ねた。
「こういう変更をするとき、誰が決めてたの?」
カイルは記録を探す。
やがて。
「……あった」
古い板。
かなり初期のもの。
「《役を変える時、使う者だけで決めるな》」
次。
「《受ける者の名を示せ》」
「また両方」
レグが扉を振り返る。
記録を残す者と。
記録を求める者。
道を使う者と。
役を受ける者。
「使う側だけで、便利に変えちゃだめだった」
セラが言った。
「受ける側も決める」
「それが途中で抜け落ちたんだろうな」
ユアンが呟く。
◇
「じゃあ戻せる?」
レグが尋ねた。
ガルドではなく。
カイルとユアンを見ている。
「記録としては、元の仕組みも残ってる」
カイルが答える。
「問題は、今の各地へ送られる優先設定だ」
「優先?」
ハヤトが聞く。
ユアンが中央柱の上部を指す。
何本もの変更記録。
その一番上。
一つの黒灰色の板が差し込まれている。
文字は短かった。
《役の維持を最優先》
その下。
《拒否より継続を優先》
レグの顔から表情が消える。
「それ嫌」
「ああ」
ガルドも同じだった。
「今まで止めた仕組みが戻る原因は、たぶんこいつだ」
各地で。
本来の《知らせる》へ戻しても。
強制を切っても。
ここに残った優先設定が、後からまた押し戻す。
「これ外せば終わる?」
ハヤトが聞く。
「終わらねぇ」
ガルドは即答した。
「各地の変更そのものは残る。ただ、勝手に強制側へ戻されるのは止まるはずだ」
「じゃあまず外す?」
「待て」
ユアンが止めた。
ハヤトは手を出していない。
「触ってないよ」
「お前じゃない」
ユアンが見ていたのはガルドだった。
すでに前脚を上げかけている。
「……何だよ」
「殴る気だったろ」
「外れそうだったから」
「やめろ!」
レグがガルドを見る。
「おとうさん」
「はい」
また負けた。
◇
「普通に外す方法は?」
セラが聞く。
カイルが黒灰色の板の周囲を読む。
しばらくして。
眉を寄せた。
「六つ必要だ」
「また?」
ハヤトが言う。
「役目の六つ?」
「そう。ただし、それだけじゃない」
カイルは文字を指す。
「《六役を示し、変更を受ける者の同意を得よ》」
「変更を受ける者?」
「多分」
カイルが周囲の記録を見渡す。
「今この仕組みに繋がってる人や場所」
「全部?」
ユアンが顔をしかめる。
「そんなの何人いると思ってる」
「直接全員じゃない」
その続きがあった。
「《各地へ問いを送り、拒否なきもののみ改めよ》」
ハヤトは目を瞬く。
「聞く?」
「そうみたいだ」
昔の仕組みは。
勝手に全部を書き換えるようにはできていなかった。
変更案を送る。
それぞれの場所が受けるか決める。
拒否された場所には適用しない。
「……ちゃんとしてる」
レグが呟く。
「元はな」
ガルドが答える。
いつから。
問いかけが命令へ変わったのか。
その答えが、ここに全部残っていた。
◇
「やるなら」
ユアンが中央柱を見る。
「《役の維持を最優先》を外す提案を各地へ送る」
「それだけ?」
「まずはな」
カイルが続ける。
「その上で、強制的な命令返しを使ってる場所は個別に見直す」
「全部一気に直らない?」
レグが聞く。
「ああ」
「時間かかる」
「かなり」
レグは少し考えた。
「でもいい」
ガルドが娘を見る。
「もっと簡単な方法もあるぞ」
「壊す?」
「全部止める」
「だめ」
即答。
「何でだ?」
「使えるのもある」
ソルドの道。
監視塔の知らせ。
水路。
記録。
ここまで来る間に。
古い仕組みが人を助けている場所も見てきた。
「嫌なのだけ変える」
「それが一番面倒なんだぞ」
「知ってる」
ガルドがしばらくレグを見て。
笑った。
「そうか」
◇
「でも六つどうする?」
セラが柱の周囲を見る。
ここには主環のような六本の柱はない。
中央柱の根元に、六つの小さな印が並んでいるだけだ。
「前と同じでいいんじゃない?」
ハヤトが言う。
レグ。
セラ。
カイル。
ユアン。
自分。
ただ。
「今五人だな」
全員がガルドを見る。
「俺?」
「ちょうどいる」
レグが言う。
「役目持てる?」
「知らん」
「やってみる?」
ガルドは六つの印を見る。
《守る》。
《閉じる》。
《残す》。
《運ぶ》。
《見張る》。
《呼ぶ》。
しばらく考え。
「《見張る》」
レグが首を傾げる。
「なんで?」
「何年も見て回ったからな」
「それだけ?」
「それと」
ガルドは中央の記録を見上げる。
「今度は、変になったらちゃんと誰かに言う役にする」
ハヤトは少し笑った。
「それなら合ってるかも」
「お前に認められる筋合いはねぇ」
「まだ何もしてないだろ」
「顔が気に入らん」
「初対面から厳しくない?」
セラが横で笑う。
◇
今日は、そこまでにした。
変更を送る前に。
記録をもっと読む。
何が起きるのか確かめる。
ガルドも今度は急がなかった。
夕方。
記録庫の入口近くで休む。
レグはガルドの隣に座り、紙へ何かを書いていた。
「何してる?」
ハヤトが覗く。
「おかあさんに書く」
「送れるの?」
「おとうさんが古い道で送る方法知ってるって」
「短くしろよ」
ガルドが言う。
「何て書くの?」
セラも近づく。
レグは紙を見せた。
《おとうさん見つけた》
そこまで。
「短っ」
ハヤトが思わず言う。
「分かる」
「いや、もうちょっとあるだろ!」
ガルドが慌てる。
「元気とか!」
「元気?」
「書け!」
レグが一行足す。
《うるさいけど元気》
「余計だ!」
今度は全員が笑った。
何年も届かなかった声。
それが今は。
短い一枚の紙で済む。
レグは最後に少し考えて。
もう一行だけ書き足した。
《一緒に帰るかは、まだ話してる》
ガルドがその文を見た。
何も言わなかった。
帰る。
残る。
また旅へ出る。
それも。
誰かに決めてもらうことではなかった。




