それぞれの名前
主環の外壁に残されたガルドの文字。
《北へ行く》
《来るなら、自分で決めろ》
レグはその隣から指を離すと、もう一度だけ二本の印を見た。
「行く」
小さな声だったが、迷いはない。
けれど、そのまま北へ向かおうとはしなかった。
振り返る。
「先にこっち」
六本の柱。
主環の入口。
ここで何が起きているのかを確かめてから、父親を追う。
それも自分で決めたことだった。
「じゃあ調べよう」
ハヤトが柱へ近づこうとすると、セラが横から見る。
「触らずに?」
「触らずに」
「よし」
「最近確認厳しくない?」
「必要だから」
ハヤトは大人しく手を引っ込めた。
◇
調査にはかなり時間がかかった。
確認台では六つの印が並んでいただけだったが、こちらは本物だ。
柱の下にはそれぞれ細かな文字が刻まれ、床の石にも複数の線が走っている。
カイルが文字を読み。
ユアンが構造を見る。
ディオルも少し離れた場所から、黙って装置を確かめていた。
ノイは岩壁に腰を下ろして休んでいる。
まだ本調子ではないが、本人の希望でここまで来た。
「確認台と基本は同じだ」
カイルが顔を上げる。
「ただし、役目を示すだけじゃ足りない」
「また増えた?」
ハヤトが嫌そうな顔をする。
「そうじゃない」
カイルは柱の間にある文字を指した。
「《受ける時を示せ》」
「時間?」
「期間に近いかもな」
ユアンが隣から覗く。
その下にも文字がある。
「《終わりを定めぬ役は、受けさせるな》」
ディオルの表情が僅かに動いた。
「期限があるのか」
「ああ」
カイルは文字を追う。
「一日。十日。一季……かな。場所によって違うらしい」
レグが《呼ぶ》の柱を見る。
「ずっとじゃない?」
「元々はな」
ユアンが答える。
「必要な間だけ受けて、終わったら返す」
ソルドで見つけた仕組みより、さらに具体的だった。
役目を選べるだけではない。
終わる時まで決められる。
「じゃあ」
セラがディオルを見る。
「昔の仕組みを戻すなら、本当は誰かを一生その役目にする必要ないんじゃない?」
ディオルはすぐに反論しなかった。
「……理屈の上ではな」
「理屈?」
「役目を短くすれば、そのたびに次を探す必要がある」
「でも探すんでしょ?」
「見つからなかったから、ここまで来た」
やはりそこへ戻る。
仕組みが自由だったとしても。
引き受ける者がいなければ動かない。
ディオルの問題は消えていない。
「中に何が残ってるか見よう」
ハヤトが言った。
「外から話してても、そこは分からないし」
ディオルが六本の柱を見る。
「ああ」
今度は反対しなかった。
◇
確認台で試した組み合わせを、そのまま使うことになった。
《呼ぶ》――レグ。
《守る》――セラ。
《残す》――カイル。
《運ぶ》――ユアン。
残った《閉じる》と《見張る》をハヤト。
ディオルは参加しない。
「いいの?」
レグが聞くと、男は持っていた黒灰色の継ぎ片へ目を落とした。
「今の俺が入るなら、これを使わないと役を通せない」
「普通に受ければ?」
「古い認証を受けるための印がない」
ハヤトには《自由》がある。
だがディオルにはない。
「ならハヤトが一つ渡せない?」
レグの言葉に、ハヤトは首を傾げた。
「俺が?」
「前の石、《次を選べ》ってあった」
ユアンとカイルが同時に顔を上げた。
「……待て」
カイルが柱へ戻る。
文字を探す。
「ある」
「何?」
「《役を持つ者は、次を示せる》」
ディオルが初めて大きく目を見開いた。
「役目を渡せる?」
「認証上は」
カイルは続きも読む。
「ただし、《受ける者が自ら名を示すこと》」
強制はできない。
今役目を持っている者が推薦する。
次の者が自分で名乗り、受ける。
両方が揃って初めて移る。
「試す?」
ハヤトがディオルを見る。
「俺が《見張る》を一度通して、そのあとディオルに渡す」
「なぜ俺だ」
「主環を直したいんだろ?」
「ああ」
「なら、自分でやればいいじゃん」
ディオルが黙る。
「嫌なら俺がやる」
「……嫌とは言ってない」
「じゃあ?」
少し長い沈黙。
「やる」
その答えを聞いて、レグが頷いた。
「それでいい」
◇
六本の柱へ、それぞれが立った。
最初はレグ。
《呼ぶ》へ手を置く。
「レグ」
古い名ではない。
自分で選んで使っている名前。
白い光が灯った。
次にセラ。
「セラ。《守る》を受けます」
二本目。
カイル。
ユアン。
順番に光が増えていく。
ハヤトは《閉じる》へ左手を置いた。
拒絶。
資格も印もない。
《自由》で越える。
五本目。
最後。
《見張る》。
ここも同じように条件を越えた。
六本すべてが白く光る。
だが。
まだ入口は開かない。
「名前」
カイルが言った。
「互いを示す」
第一環門と同じ。
ただ今回は五人いる。
全員の名を言う必要があるのかと思ったが、文字は違った。
「《共に受ける者を、一人示せ》」
「一人でいい?」
セラが聞く。
「多分。六つを輪にするんだ」
誰か一人だけが中心にならないように。
次の者へ繋ぐ。
「じゃあレグはセラ」
「私はカイル」
「俺はユアン」
「なら俺はハヤトだな」
ユアンが言う。
残ったハヤトはレグを見る。
「俺はレグ」
「輪になった」
レグが少し嬉しそうにする。
五人の名が示された瞬間。
六つの光が柱から床へ流れた。
線と線が繋がる。
巨大な円になる。
「……でもハヤトが二つ持ってる」
セラが言った。
「ああ。だからここから一つ渡す」
ハヤトは《見張る》の柱へ意識を向けたまま、ディオルを見る。
「どうすれば?」
カイルが文字を読む。
「今の役を持つ側が、次の名を示す」
「ディオル」
ハヤトが呼ぶ。
柱の光が揺れた。
続いて。
「受ける側が、自分で名を示す」
ディオルは動かなかった。
一瞬だけ。
手にしていた継ぎ片を見る。
それを使えば、もっと簡単に役を通せる。
誰かの承認も。
自分で受けるという言葉もいらない。
やがて。
黒い部品を地面へ置いた。
柱に手を置く。
「ディオル」
白い光が、ハヤトの手元からディオルへ移った。
ハヤトにかかっていた一つ分の重さが消える。
「……通った」
ディオルが呟く。
「何か変?」
「いや」
自分の手を見る。
「何も押しつけられてこない」
「自分で受けたからじゃない?」
レグが言った。
ディオルは答えなかった。
ただ。
柱から手を離さなかった。
◇
六つ。
六人。
一人一つ。
今度こそ揃った。
主環の山全体が、低く震える。
巨大な石壁の中央。
今まで継ぎ目すら見えなかった場所へ、一本の線が現れた。
左右へ広がる。
「開く」
セラが息を呑む。
何十年。
あるいは、それ以上。
閉じていた巨大な扉がゆっくり開いていく。
土埃が落ちる。
暗い空間の奥で、次々と白い灯りが点った。
「入れる?」
レグが聞く。
ユアンが柱を確認する。
「認証は残ってる。手を離しても大丈夫だ」
全員が柱から離れる。
ディオルだけが最後まで自分の手を見ていた。
「どうした?」
ハヤトが聞く。
「いや」
ディオルは首を振る。
「役目を受けるって、こんなものだったのかと思っただけだ」
「どんな?」
「……何もない」
力が増えるわけでもない。
頭へ知識が流れ込むわけでもない。
ただ。
自分が引き受けたことを、仕組みが認める。
「それでよかったんじゃない?」
セラの言葉に、ディオルは返事をしなかった。
◇
主環内部は、巨大な円形の空間だった。
中央に石造りの台。
そこから六方向へ通路が伸びている。
壁には無数の小さな光点。
消えているもの。
弱く点滅するもの。
まだ明るいもの。
「これ……全部道?」
レグが見上げる。
「多分な」
カイルは中央の台へ近づいた。
古い文字が並んでいる。
今度はハヤトも触らない。
読むのを待つ。
「《主環》」
カイルが一行ずつ追う。
「《道を結び、役を求め、記録を渡す場所》」
ユアンが反応する。
「役を求める?」
「続きがある」
《空いた役があれば、近くへ知らせよ》
《受ける者があれば、期間を示せ》
《必要な知識は記録より渡せ》
「知識を渡す?」
ハヤトが聞く。
「魔法みたいに頭へ入れるって意味じゃないと思う」
カイルは周囲を見る。
「あれじゃないか?」
壁際。
棚のような場所に、大量の石板が並んでいる。
ユアンが一枚を抜き取る。
「整備手順だ」
別の板。
「水路の開閉方法」
さらに。
「冬季の道封鎖……」
仕事の記録。
やり方。
失敗例。
注意点。
誰かが役目を受けたとき、必要な知識を学ぶためのものが最初から用意されていた。
「役目だけ押しつけても駄目って、作った人分かってた」
セラが言った。
「受けたあと、覚えるんだ」
ハヤトは石板を見る。
少しだけ、自分の《自由》に似ている気がした。
入口は開く。
でも。
使いこなすには学ばなければならない。
◇
ディオルは、ずっと黙っていた。
中央台。
石板。
壁の光。
全部を順番に見ている。
「これなら」
やがて口を開いた。
「今の人間でも受けられる」
ユアンが頷く。
「少なくとも、古い血筋や名前である必要はない」
「期間も選べる」
セラが続ける。
「一生じゃなくていい」
「でも」
ディオルは壁の消えた光を見る。
「受ける人間が必要なのは変わらない」
やはり、そこは消えない。
「うん」
ハヤトも否定しなかった。
「だから募集するしかない」
「簡単に言うな」
「簡単とは言ってない」
「誰が来る」
「分からない」
「来なかったら?」
「そのときまた考える」
ディオルが眉を寄せる。
ハヤトは中央台を指した。
「でも今までよりは条件いいだろ」
一生ではない。
家を捨てる必要もない。
知識を一から探す必要もない。
必要な期間。
必要な場所。
何をする仕事か分かった上で選べる。
「それでも足りないなら」
ユアンが口を挟む。
「工房が支える」
ディオルが見る。
「西路も?」
「俺が決められるのは俺の分だけだ。でも戻ったら話す」
「北環もだ」
声を出したのはノイだった。
少し遅れて中へ入ってきている。
壁に手をつきながらだが、自分の足で歩いていた。
「少なくとも私はやります」
「ノイ」
「でも」
彼女はディオルを真っすぐ見た。
「今度は、自分で選びます」
ディオルは視線を落とした。
地面には。
まだ四枚の黒い継ぎ片が入った鞄がある。
しばらくして。
それをユアンへ差し出した。
「持ってろ」
「俺が?」
「今の俺が持ってるよりましだ」
ユアンは少し驚きながらも受け取った。
「使わない?」
レグが聞く。
ディオルは主環の石板を見た。
「少なくとも、ここではな」
完全に考えを変えたわけではない。
問題が解決したわけでもない。
だが。
一度止まった。
今はそれで十分だった。
◇
「カイル」
レグが中央台の奥を指す。
「これ何?」
一枚だけ。
他とは離れた場所に置かれた石板がある。
かなり古い。
表面には、六つの印とは別の線。
北へ伸びる一本の道。
カイルが文字を読む。
「《北保守路》」
ディオルが近づく。
「ガルドが入った道だ」
レグの顔が上がる。
さらに文字が続いていた。
「《主環外。第三保守域へ続く》」
「第三?」
ユアンも知らないらしい。
その下。
新しい傷があった。
古代文字ではない。
共通語。
しかも。
二本の線が、文字の横に刻まれている。
「おとうさん」
レグが近づく。
ガルドの印。
そして短い一文。
《ここから先、古い呼び声がまだ動いてる》
次。
《レグには近づけたくない》
レグの眉が寄る。
その下に。
さらに書き足されていた。
《でも来るなら、たぶん止めても来る》
「分かってる」
レグが即座に言った。
まだ続きがある。
最後の一行。
カイルが読む前に、レグ自身が声にした。
「《そのときは、俺より先に自分を信じろ》」
静かになった。
四か月前。
ガルドがここにいた。
この石板を見て。
その先へ向かった。
レグは少しだけ黙ったあと、ハヤトを見る。
「行こう」
「ああ」
今度は。
誰も止めなかった。




