↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ランキング最高順位51位!『異世界に転移したので、もう我慢するのはやめました ~固有能力《自由》で好き勝手に生きる~』  作者: くんくん
選び取る明日

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
160/175

追いついた背中

翌朝、整備小屋を出て一時間もしないうちに、クロが足を止めた。


 道の中央。


 昨夜の雨で柔らかくなった土に、一人分の靴跡が残っている。


 昨日まで何度も見てきたものより、輪郭がはっきりしていた。


「新しい」


 レグがしゃがむ。


 クロも鼻先を近づけ、そのまま北東を見る。


「どれくらい?」


 ハヤトが尋ねると、ユアンは足跡の端を確認した。


「夜露が溜まる前だな。昨日の夕方以降」


「近いね」


 セラが言った。


 ノイは何も言わなかった。


 けれど、さっきまでより歩く姿勢が少し固くなっている。


「ノイ」


「大丈夫です」


「まだ何も聞いてないよ」


「あ……」


 セラに言われ、ノイが少し困った顔をする。


「先に言っちゃいました」


「なら本当にきつくなったときも言って」


「はい」


 そのやり取りを見てから、ハヤトは前を向いた。


 近い。


 今度こそ、本当に追いつくかもしれない。


 だが誰も走らなかった。


     ◇


 昼前になると、山道は緩やかな下りへ変わった。


 遠くに巨大な石柱が何本も見える。


 半分は折れ、残ったものも上部が欠けていた。


「何あれ?」


 レグが見上げる。


「昔の信号柱だ」


 ユアンが答える。


「環路同士で異常を知らせるためのもの。監視塔より長い距離へ飛ばせたらしい」


「今は?」


「見ての通り」


 壊れている。


 けれど近づくにつれ、そのうち一本だけ状態が違うことに気づいた。


 根元に足場が組まれている。


 新しい縄。


 工具箱。


 そして。


 人がいた。


 一人。


 柱の根元にしゃがみ込み、黒灰色の部品を外している。


 ノイの足が止まった。


「……ディオルさん」


 男も声に気づいた。


 ゆっくり振り返る。


 五十前後。


 灰色が混じった髪を後ろで短く束ね、細身の身体には北環の作業着を着ている。


 疲れているのは遠目でも分かった。


 だが。


 ノイを見た瞬間。


「ノイ?」


 手から工具が落ちた。


「なんでここにいる」


 その声には、本気の驚きがあった。


 ノイの表情が揺れる。


「……それ、私が聞きたいです」


 ディオルが立ち上がる。


「命令は?」


「切れました」


「主環はまだ起動してないぞ」


「知ってます」


「じゃあどうやって――」


 そこで初めて、ディオルの視線がハヤトたちへ向いた。


 ユアンで止まる。


「西路?」


「ユアンだ」


「お前が解除したのか?」


「俺じゃない」


 ユアンはハヤトを顎で示した。


 ディオルの視線が移る。


「こいつが認証を越えた」


「……何?」


「リドもノイも解除した」


 ディオルの顔から驚きが消えない。


 ハヤトはそれより先に聞いた。


「リドがおかしくなったの、分かってたんだよな」


 空気が止まる。


 ディオルは否定しなかった。


「ああ」


 ノイが俯く。


「戻れば解除できたんですよね」


 今度は彼女自身が聞いた。


 ディオルの表情が苦くなる。


「できた」


「指定技師、ディオルさんだったから」


「ああ」


「じゃあ、どうして」


 責める声ではない。


 むしろ静かだった。


 それが余計に重かった。


「どうして戻ってくれなかったんですか」


 ディオルはしばらく答えなかった。


 風が折れた石柱の間を抜けていく。


「主環まで進めば、仮に与えた役目はまとめて解けるはずだった」


「はず?」


 レグが反応した。


 ディオルは彼女を見る。


「ああ。確証はなかった」


「リド置いてったときは?」


「成功すると考えていた」


「ノイ置いてったときは?」


 今度は返事が遅れた。


「……危険があると分かっていた」


 ノイが目を閉じる。


 ディオルは続けた。


「だが戻れば二日以上失う。主環はもう目の前だった」


「だから置いてった?」


 レグが聞く。


「ああ」


「本人が戻りたいか、聞いた?」


 ディオルは答えられなかった。


 レグもそれ以上は言わなかった。


     ◇


「お前がやったことを責めに来ただけじゃない」


 ユアンが前へ出る。


「何をしようとしてるのか聞きに来た」


「北環で聞かなかったのか?」


「概要はな」


「なら分かってるだろ」


「分かってるから聞いてる」


 ユアンの声は低かった。


「命令返しを六枚も持って、主環で何をする」


 ディオルは視線を逸らさない。


「役目を戻す」


「誰に?」


「今も登録が残っている者へ」


「本人が望まなくても?」


「必要なら」


 その一言で、レグの眉が寄った。


 ハヤトも口を挟む。


「道を直したいのは分かる。でも、何でそこまで急ぐ?」


 ディオルは壊れた石柱を見上げた。


「これだけじゃない」


 北東の環路は、何十年も少しずつ壊れてきた。


 水を送る場所。


 崩落を知らせる場所。


 山道を冬の間閉じる場所。


 危険な獣が増えたとき、集落へ知らせる場所。


「今年止まった場所だけで十一ある」


「十一……」


「北環の技師は二十二人。まともに古い系統を触れるのは、その半分もいない」


 ユアンは何も言わない。


 同業だからこそ、その数字の意味が分かるのだろう。


「直しても終わらない。次の場所が止まる。人を送っても、その人間が死ねば終わりだ」


 ディオルの声に怒鳴るような強さはない。


 疲れていた。


「昔は違った」


「役目があったから?」


 カイルが聞く。


「ああ。誰かが道を見た。誰かが水を守った。誰かが記録を残した。仕組みと人が繋がっていた」


「選んで?」


 セラの問いに、ディオルがこちらを見る。


「最初はそうだったのかもしれない」


「ならそこまで戻せばいいんじゃない?」


「どうやって」


 返事は早かった。


「今の人間に、何十年も忘れられた役目を一から覚えろと言うのか? 村を捨てて山へ入れと? 危険な道を毎日歩けと?」


「少なくとも聞くことはできる」


「聞いてきた」


 ディオルの声が初めて強くなる。


「何年もな」


 誰も来なかったわけではない。


 だが足りなかった。


 長く続かなかった。


 危険。


 収入。


 家族。


 それぞれに生活がある。


 当然だった。


「だから選ばせるのをやめる?」


 セラが静かに聞いた。


「道が死ぬよりましだ」


 言い切った。


     ◇


 しばらく、誰も話さなかった。


 ディオルの言っている問題そのものは本物だ。


 ここまで来る間にも、壊れた施設をいくつも見た。


 人が死んだ道もある。


 何もしなければ困る者がいる。


「俺が主環開けたら?」


 ハヤトが言った。


 全員がこちらを見る。


 ディオルだけが意味を分かっていない。


「お前が?」


「役目の資格、越えられる」


「何の話だ」


「昨日、五つまで同時に通した」


「ハヤト」


 セラが横から入る。


「確認台では、ね」


「分かってる」


 ディオルがユアンを見る。


 冗談かどうか確かめている顔だった。


「本当だ」


 ユアンが答える。


「こいつは役目も職も資格も、使う条件なら越えられる」


「そんな能力があるわけ――」


「リドとノイの解除認証も、それで越えた」


 ディオルが黙った。


 ハヤトは続ける。


「主環を動かすために六つ必要なら、入るところまでは何とかできるかもしれない」


「六つ全部を一人で?」


「それはやらない」


 自分でも即答だった。


 確認台で見つけた言葉を思い出す。


 《一つの名に集めるな》。


「俺たちで分ける」


 レグが横から言った。


「レグは《呼ぶ》」


「私は《守る》」


 セラ。


「俺は《残す》」


 カイル。


「《運ぶ》は俺だ」


 ユアン。


 残った二つだけを、ハヤトが《自由》で越える。


 ディオルは一人ずつ見た。


「……それで入口は開くかもしれない」


「なら強制する必要ない?」


 レグが聞く。


「違う」


 ディオルは首を振った。


「入口を開けるだけじゃ何も解決しない」


 ハヤトも、それは分かっていた。


「俺たちが一回動かして終わりじゃ駄目ってことだろ」


「ああ」


「俺もそう思う」


 今度はディオルが意外そうな顔をした。


「俺が毎回来るわけにいかないし」


「だったら――」


「でも」


 ハヤトは言葉を重ねた。


「だからって、嫌がる人を役目に固定するしかないとは思わない」


「他に方法があるのか?」


「今から探す」


「そんな時間はない」


「本当に?」


「何?」


「今日じゃないと駄目なのか」


 ディオルは口を閉じた。


「明日でも駄目?」


「……」


「十日後なら?」


「場所による」


「じゃあ全部が今すぐじゃない」


「だが放っておけば――」


「放っておかない」


 ハヤトは壊れた石柱を見る。


「使えるものは使う。直せるところは直す。必要なら俺の力も使う」


 それだけでは足りない。


 だから。


「その間に、続けられる形を探す」


 ディオルの眉間に皺が寄る。


「理想論だ」


「そうかも」


「失敗したら人が死ぬぞ」


「そっちも失敗してる」


 ノイが顔を上げた。


 ハヤトではない。


 彼女の言葉だった。


「私とリドが」


 ディオルの表情が止まる。


「主環が動けば戻るかもしれなかった。でも、戻らないかもしれなかった」


「ノイ」


「私、自分で試すって言いました」


「……ああ」


「でも、ああなるって知ってたら言わなかった」


 ノイは震えていなかった。


「それでも、私が選んだことになりますか」


 ディオルは答えなかった。


     ◇


 長い沈黙のあと。


 ディオルは足元に落とした工具を拾った。


「……主環まで、あと一日だ」


「行くの?」


 レグが尋ねる。


「ああ」


「まだやる?」


 ディオルは手にしていた黒い部品を見る。


 残り四枚。


「分からない」


 初めてだった。


 ここまで迷わず進んできた男が、分からないと言った。


「だが主環は見る」


「それなら一緒に行く」


 ハヤトが言う。


「信用してるのか?」


「してない」


「即答だな」


「でも逃げる気ないだろ」


「ない」


「じゃあ見えるところにいた方がいい」


 ユアンが鼻で笑った。


「それは賛成だ」


 ディオルはしばらくハヤトを見たあと、諦めたように息を吐く。


「好きにしろ」


「する」


 レグが答えた。


「お前に言ってない」


「でも行く」


     ◇


 昼食を取ってから、一行は再び歩き始めた。


 今度はディオルがいる。


 彼はノイへ何度か話しかけようとしたが、そのたびに言葉を飲み込んでいた。


 ノイも自分からは何も言わない。


 時間が必要なのだろう。


 それでも、二人は同じ道を歩いている。


 夕方。


 山の向こうに、これまでとは比べものにならないほど大きな構造物が見えた。


 岩山そのものを囲むような石壁。


 そこから六方向へ延びる古い道。


「主環?」


 レグが足を止める。


「まだ外周だ」


 ディオルが答えた。


「本体はあの山の中にある」


 レグはしばらく眺めていたが、ディオルの横顔を見てから聞いた。


「ねえ」


「何だ」


「ガルド知ってる?」


 ディオルの足が止まった。


 ハヤトも振り返る。


「なぜその名前を知ってる」


 レグが自分を指す。


「おとうさん」


「……は?」


「レグのおとうさん。ガルド」


 ディオルはレグを見つめた。


 今までとは違う目だった。


「お前、名前は?」


「レグ」


 その瞬間。


 ディオルの表情がはっきり変わった。


「レグ……?」


「うん」


「竜で、レグ」


「そう」


 ディオルが額を押さえた。


「なんだよ」


「なに?」


「いや……」


 今度は。


 小さく笑った。


「本当に来たのか」


 レグが目を細める。


「何が?」


 ディオルは彼女を見る。


「ガルドに会った」


 誰も動かなかった。


 レグの目が大きくなる。


「……いつ?」


「七年前じゃない」


 ディオルの答えに、空気が変わる。


「いつ?」


 レグがもう一度聞く。


 ディオルは主環の山を見た。


「四か月前だ」


 レグの手から。


 持っていた水筒が落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。