ひとりでは開かない
北環工房を出たのは、翌朝まだ陽が低いうちだった。
ハヤト、セラ、レグ、カイル、ユアン、バルク。
そしてクロ。
これまでより一人増えた一行は、工房の裏手から山へ伸びる古い道を進んでいた。
バルクは工房長という肩書きから想像するより、ずっと歩き慣れていた。先頭のユアンと同じ速度で山道を上り、息もほとんど乱れていない。
「工房長って、もっと机に座ってる人かと思ってた」
レグが率直に言うと、バルクが振り返る。
「昔は現場に出ていた」
「今は?」
「人に仕事を振る方が多い」
「偉い人」
「そういう言い方をされると嫌だな」
その返しに、レグは少し笑った。
昨日までなら、バルクは首輪を肯定した北環工房の責任者という印象の方が強かった。
だが一晩話して分かったのは、それだけではない。
彼自身、工房で行われている仕事のすべてを把握していたわけではなかった。
それを言い訳にはしなかった。
だから今、自分で確かめに来ている。
道は次第に傾斜を増していった。
右手は岩壁。
左は深い谷。
所々に古い石柱が残っているが、どれももう文字はほとんど読めない。
「主環までどれくらい?」
レグが尋ねると、バルクは前方を見ながら答えた。
「順調なら二日半。だが、七年前にガルドが通った頃より崩れている場所が増えている」
「ディオルたちは十二日前」
「ああ。三人で通った記録がある以上、少なくともその時点では道は使えたはずだ」
カイルが地面を見た。
「その三人の痕跡、残ってるかな」
「昨日まで雨があったから、足跡は期待しない方がいい」
ユアンの言葉どおり、土の道は何度も水に洗われていた。
ただ。
人が通った痕跡は別の場所に残っていた。
◇
昼前。
細い吊り橋の手前で、ユアンが立ち止まった。
「これ、最近替えてるな」
橋を支える太い縄。
片側だけ色が新しい。
切れたものを結び直したのではなく、一本丸ごと交換されている。
バルクが結び目を確認した。
「北環のやり方だ」
「ディオルたち?」
「可能性は高い」
レグは橋の向こうを見た。
「追いつく?」
「十二日差だぞ」
ハヤトが言うと、少し考える。
「遅い」
「普通に歩いてたらな」
「飛ぶ?」
「俺たちは飛べないって何回言えば」
「ハヤトなら魔法で飛べない?」
突然振られ、ハヤトは黙った。
セラまでこちらを見る。
「……どうなの?」
「いや、待って。飛行魔術なんて俺習ってないぞ」
「でも使える条件なら越えられるんだろ?」
ユアンまで乗ってきた。
「《自由》は知らない術を頭に入れてくれる能力じゃないからな?」
そこは重要だ。
ハヤトは本来使えない職業や属性の術でも、やり方を知っていれば使える。
だが、知らない魔法が勝手に生えてくるわけではない。
「じゃあ今度覚える」
レグが簡単に言う。
「誰に?」
「飛べる人」
「お前が教える気?」
「羽の動かし方なら」
「人間に羽ないからな」
橋を確認していたバルクが、とうとう笑った。
「話は後にしろ。渡るぞ」
◇
橋を越えた先で、道は大きな岩山へ突き当たった。
ただし行き止まりではない。
岩肌の中央に、巨大な石扉が埋め込まれている。
その前には六本の細い柱。
確認台で見たものと同じ印が、それぞれ一つずつ刻まれていた。
「早速?」
ハヤトが呟く。
バルクは扉の前まで行き、表面を確かめた。
「第一環門だ」
「ここからもう六つ必要?」
セラが尋ねる。
「全部ではないはずだが……」
カイルが扉の文字を読み始める。
ユアンも六本の柱を確認した。
しばらくして、カイルが顔を上げる。
「《三つを示せ》」
「三つ?」
「その下に、《残る三つは先に備えよ》」
ハヤトは六つの柱を見る。
「前半と後半に分かれてる?」
「多分」
バルクが頷いた。
「主環へ近づくにつれて必要な役目が増える。昔の資料にもあった」
今回必要なのは。
《運ぶ》。
《見張る》。
《守る》。
「昨日と同じなら」
セラが《守る》の柱を見る。
「私でいい?」
「確認台と本物は違う。無理だと思ったらすぐ離せ」
バルクの言葉に、セラは頷いた。
ユアンが《運ぶ》。
ハヤトが《見張る》を担当する。
「レグは?」
「まだ出番なし」
「む」
「先に《呼ぶ》があるって書いてある。取っとけ」
カイルに言われ、レグは少しだけ納得した。
三人が柱の前へ立つ。
◇
最初にユアンが手を置いた。
「ユアン。《運ぶ》を受ける」
白い光が灯る。
次にセラ。
少し緊張した様子で《守る》へ触れる。
「セラ。今、この道を守る役目を受けます」
一瞬の間。
柱が淡く光った。
「通った」
レグが嬉しそうに言う。
最後にハヤト。
本来なら、役目を受けるための知識も印もない。
柱へ手を置いた瞬間、拒絶が返ってきた。
《見張る者として登録されていない》。
《必要な印なし》。
「二つ」
ハヤトが呟く。
「いける?」
セラは柱から手を離さないまま、こちらを見る。
「ああ」
《自由》を通す。
条件だけを越える。
白い光が三つ揃った。
しかし。
扉は開かなかった。
「……あれ?」
レグが首を傾げる。
「三つ揃ってる」
カイルが扉の文字をもう一度確認した。
「待て。下にまだある」
古い文字を追う。
そして、表情が変わった。
「《三つが互いを認めてから開け》」
ハヤトが眉を寄せる。
「互いを認める?」
バルクが理解した。
「三人が別々に役目を取るだけでは足りない。誰と一緒にやるかを示すんだ」
「どうやって?」
「名前だ」
レグがすぐ反応する。
「名前使う?」
「命令じゃない。確認するだけだ」
バルクは三人を見た。
「自分の名前じゃない。隣の二人の名前を示す」
「お互いに?」
「ああ」
ユアンが苦笑する。
「面倒な仕組みだな」
「一人で勝手に開けさせないためだろ」
カイルが言う。
ハヤトは少し納得した。
資格を持つだけでは足りない。
誰と一緒にその役目を担うかまで確認する。
「じゃあやるか」
ユアンがセラを見る。
「セラ。ハヤト」
《運ぶ》の柱が少し強く光る。
セラも続く。
「ユアン。ハヤト」
二本目。
ハヤトは二人を見る。
「セラ。ユアン」
三本目。
その瞬間。
岩山の奥から、低い音が響いた。
巨大な扉がゆっくり左右へ開いていく。
「開いた!」
レグが声を上げた。
ハヤトは柱から手を離しながら、開いていく道を見る。
「本当に一人じゃ開かないんだな」
「お前なら条件そのものは越せるかもしれん」
バルクが言った。
「でも今の仕組みまで無視する必要はないだろう」
「うん」
昨日なら、試しに全部自分で越えられるか考えていたかもしれない。
今は、その気にならなかった。
三人で開くように作られているなら。
三人で開けばいい。
◇
扉の向こうは、岩をくり抜いた長い通路だった。
壁には古い灯りが並んでいる。
ユアンが入口の板へ触れると、淡い光が一つずつ奥へ続いていった。
「こっちは技師認証だけで動く」
「俺の出番ない?」
ハヤトが聞く。
「残念だったな」
「別に残念じゃない」
「顔」
セラが小さく言った。
「ちょっとだけだよ」
レグが笑う。
通路は途中から下り坂になった。
湿気が増える。
しばらく進んだところで、先頭のクロが止まった。
レグも足を止める。
「匂い?」
クロは床へ鼻を近づけた。
何度か確かめたあと、右側の壁へ寄る。
そこには古い休憩所のような小部屋があった。
中には何もない。
いや。
「焚き火」
セラが隅を指した。
灰が残っている。
ハヤトがしゃがむ。
「古くないな」
完全に冷えてはいる。
だが何年も前のものではない。
ユアンが灰の下を棒で軽く崩す。
「一週間前後か」
「ディオルたち?」
「時期は合う」
壁際には木箱。
中身は空。
その近くに、紙の切れ端が落ちていた。
カイルが拾う。
「北環の記録紙だ」
バルクが横から確認した。
「持ち出した部品の番号が書いてある」
「六枚のやつ?」
「ああ」
ただし。
番号は五つしかない。
「一枚足りない?」
セラが尋ねる。
「違う」
バルクの顔が険しくなる。
「一枚、ここで使ったんだ」
全員が周囲を見る。
どこに。
何のために。
答えはすぐ近くにあった。
通路の奥。
壁の一部だけ、黒灰色の金属が新しく埋め込まれている。
「継ぎ片」
ユアンが立ち上がる。
その先には小さな扉があった。
表面に刻まれた印は一つ。
《見張る》。
「何でここだけ?」
レグが近づきすぎない距離から覗く。
カイルが文字を読む。
「《先を見る者のみ通す》」
バルクの眉間に皺が寄った。
「こんな条件、昔の図面にはない」
「ディオルが足した?」
「可能性が高い」
ハヤトは黒い継ぎ片を見る。
命令を返すための部品。
それが一枚。
扉へ組み込まれている。
「何を命令する?」
セラが呟く。
「開けてみないと分からん」
ユアンが答えたが、すぐ続けた。
「ただし、今度はハヤトが先に触るな」
「言われると思った」
ユアンは自分の道具を取り出す。
カイルが文字。
バルクが図面。
三人で確認する。
ハヤトたちは待った。
レグも急かさない。
◇
「……まずいな」
最初に声を出したのはユアンだった。
「何が?」
「この継ぎ片、《見張る》役を通すために入れたんじゃない」
「じゃあ?」
「逆だ」
ユアンが細い溝を示す。
「通った奴へ、《見張れ》を返す」
ハヤトが意味を考える。
「役目を押しつける?」
「ああ」
ただ扉を越えるだけだった者を。
通った瞬間、《見張る者》として固定する。
「名前まで?」
レグの声が低くなる。
「そこまでは分からん。ただ、今まで見た命令返しと構造が同じだ」
バルクは何も言わなかった。
北環から持ち出された部品。
自分の工房の技師がここへ入れた可能性が高い。
カイルが床を見る。
「待て」
扉の前。
新しい靴跡が三人分。
だが。
扉の向こうから戻ってきた跡は、二人分しかなかった。
「一人、向こうに残った?」
セラが言う。
「それか」
ハヤトは黒い継ぎ片を見る。
「戻れなくなった?」
誰も答えられなかった。
ユアンが立ち上がる。
「開ける必要がある」
今度はバルクも止めなかった。
「だが、普通に認証するな。この部品が何を返すか分からん」
「なら俺か」
ハヤトが言う。
セラがこちらを見る。
「できそう?」
「資格を越えて、返ってくる方だけ受けないようにできるか試す」
「そんな使い方したことないでしょ」
「ない」
「……やっぱり」
止めるのかと思った。
だがセラは少し考えたあと、ユアンを見る。
「危ないと思ったら、すぐ手を離させて」
「俺もそのつもりだ」
「カイルは文字」
「ああ」
「バルクさんは部品を見てください」
セラが順番に確認していく。
最後にハヤトへ戻る。
「一人でやらないでね」
ハヤトは少し笑った。
「今まさにみんなでやってる」
「ならいい」
◇
黒い部品へ直接は触れない。
まず古い扉の認証部へ手を置く。
拒絶。
《見張る者ではない》。
ここはいつも通り。
《自由》で越える。
扉が僅かに反応した。
同時に。
黒い継ぎ片から別の何かが流れ込んでくる。
「来た」
「どんな?」
ユアンの声。
「役目を……こっちに押してくる」
《見張れ》。
言葉ではない。
でも意味は分かる。
ここに残れ。
先を見続けろ。
道を離れるな。
それが正しい。
そう思わせるように、意識の奥へ入り込もうとする。
「ハヤト?」
セラの声が少し遠く聞こえた。
危ない。
これは、今までの資格認証とは違う。
条件ではない。
命令そのもの。
だが。
「……それは俺が決める」
ハヤトは小さく言った。
《自由》を向ける先を変える。
扉を開く資格ではなく。
押しつけられている《役目》へ。
――従う必要はない。
その境目を越える。
命令が途切れた。
「消えた!」
ユアンが叫ぶ。
黒い継ぎ片の光が落ちる。
だが古い扉の認証は残ったまま。
「今!」
ハヤトが手を押し込む。
扉が開いた。
そのまま一歩下がる。
「ハヤト!」
セラが腕を掴んだ。
「大丈夫」
「本当に?」
「ああ」
頭痛もない。
少し気持ち悪い。
それくらい。
「でも今の」
ハヤト自身、少し驚いていた。
《自由》は、使えない条件を越えるだけだと思っていた。
今は。
押しつけられた役目そのものを、拒んだ。
ユアンも同じことに気づいたらしい。
「お前の能力……」
「俺も今ちょっと考えてる」
「あとにしろ」
カイルが扉の向こうを見た。
奥から。
人の声が聞こえる。
「誰か……いる」
弱い。
掠れた声。
レグが一歩出る。
「ディオル?」
返事はない。
ただ。
暗い通路の先。
壁際に、一人の男が座り込んでいた。
首輪はない。
鎖もない。
それでも。
同じ場所を見つめたまま、小さく繰り返している。
「見張らないと」
一度。
「ここを見張らないと」
二度。
足元には。
北環工房の技師章が落ちていた。




