重なる手
翌朝。
朝食を終えるより早く、カイルはバルクに連れられて工房の奥へ消えていった。
ユアンも当然のようについていく。
残されたハヤトたちが食堂を出た頃には、二人の姿はもうどこにもなかった。
「絶対ごはんより楽しそうだった」
レグが空になった皿を見ながら言う。
「カイルは地図とか古い文字見つけるとああなるからな」
ハヤトが立ち上がると、セラも荷物をまとめた。
「私たちも呼ばれてるんでしょ?」
「ああ。主環に行く前に見せたいものがあるって」
「六個のやつ?」
レグが聞く。
「多分」
昨日バルクから聞いた話では、旧環路の中心にある《主環》は、六つの役目を同時に認識しなければ奥へ進めない。
守る。
閉じる。
残す。
運ぶ。
見張る。
呼ぶ。
本来なら、それぞれ別の者が担うためのもの。
そしてハヤトなら、その資格を無視できる可能性がある。
昨夜の時点では、そこまでしか分かっていなかった。
「ハヤト」
工房へ向かいながら、セラが隣から呼ぶ。
「最初から六個やろうとしないでね」
「まだ何も言ってない」
「昨日ちょっとやりたそうだったから先に言ってる」
「……そんな分かりやすかった?」
「かなり」
レグまで頷いている。
最近、顔で判断されることが増えた気がする。
◇
案内されたのは、中央工房の地下だった。
広い石造りの部屋。
壁際には古い装置や金属板が並び、その中央に円形の台が置かれている。
台の縁には六つの窪み。
それぞれに違う印が刻まれていた。
「主環そのものじゃないですよね?」
ハヤトが聞くと、バルクは首を横に振った。
「昔、整備用に作られた確認台だ。主環の認証部分だけを簡単に再現している」
カイルはすでに台の横へしゃがみ込み、文字を読んでいた。
「簡単にって言っても、かなり古いぞ」
「だから残してある。北環で直した部分もあるが、基本構造は元のままだ」
ユアンが六つの窪みを順に確認する。
「ここなら失敗しても、主環みたいに何か閉じたりはしない?」
「ああ。認識するか、しないか。それだけだ」
「じゃあ試せる」
レグがハヤトを見る。
「俺?」
「他に誰がいるんだよ」
ユアンにまで言われた。
バルクは台の前へ立つと、六つの印を指した。
「まず理解しておけ。これは力を測る装置じゃない」
「資格を見る?」
「それも少し違う」
バルクは《守る》の印へ手を置いた。
淡い光が灯る。
「役目を受ける意思と、それを認める名。この二つを見る」
「バルクさん、《守る》なんですか?」
「今だけな」
ハヤトが眉を上げる。
「今だけ?」
「昔の仕組みでは、役目は固定じゃなかった」
ソルドの石柱と同じだった。
血筋で決めるのでもない。
一生その役目しかできなくなるわけでもない。
必要なときに、自分で引き受ける。
終われば離れる。
「じゃあ誰でもできる?」
レグが尋ねる。
「本来ならな。ただ、役目ごとに最低限の知識や印を求める場所もある。時代が下るにつれて、その条件がどんどん増えた」
「それが最後は名前そのものに固定された」
カイルの言葉に、バルクが頷いた。
「そういう場所もある」
ハヤトは六つの印を見た。
「俺の場合は、その条件を全部無視できるかもしれない」
「だから確かめる」
バルクが手を離すと、《守る》の光が消えた。
◇
「まず一つ」
ユアンに言われ、ハヤトは《運ぶ》へ右手を置いた。
何もしない状態では反応しない。
やがて、いつもの拒絶が返ってくる。
《役を受けていない》。
《登録された名ではない》。
「二個ある」
「越えられるか?」
「ああ」
《自由》を重ねる。
二つの条件が消えた。
窪みに白い光が灯る。
「一個」
レグが数える。
「まだ余裕?」
セラの問いに、ハヤトは頷いた。
「全然」
「なら二つ目」
今度は左手を《見張る》へ。
別の条件。
それも越える。
二つの光が同時に灯った。
「これくらいなら問題ない」
ハヤト自身、少し拍子抜けした。
塔では複数の資格を同時に越えるだけで、もっと負荷を感じていた。
「確認台だからだ」
ユアンが装置を見ながら言う。
「実際に何かを動かしてない。鍵を開けて立ってるだけみたいなもんだ」
「じゃあ六個いける?」
レグが期待した顔をする。
「まだ飛ばすな」
セラに言われ、レグが口を閉じた。
三つ目。
《残す》。
これは手が空いていないので、ハヤトが魔力を伸ばす形で触れる。
光った。
少しだけ頭が重い。
「三つ」
四つ目。
《閉じる》。
今度は明確に負荷が増えた。
別々の方向から四つの扉を押さえているような感覚。
「まだいける」
「顔は?」
セラが聞く。
「大丈夫」
「自分じゃなくて私が見る」
「厳しくない?」
「続けたいなら黙って」
「はい」
顔色を確認されてから、五つ目へ進む。
《守る》。
《自由》を重ねた瞬間。
「っ……」
こめかみの奥に鈍い痛みが走った。
五つの光は灯った。
けれど、それまでとは違う。
一つ一つは簡単だ。
難しいのは、全部を同時に成立させ続けること。
「ハヤト」
セラの声が近くなる。
「まだできる」
「聞いてない。今どのくらいきつい?」
少し考える。
「四つが普通に重い荷物なら、五つは片手で持ち方変えた感じ」
「分からない」
「俺も言ってて思った」
ユアンが呆れたようにこちらを見る。
「お前、説明下手だな」
「今集中してるんだよ」
「頭痛は?」
今度はセラの質問が具体的だった。
「ある。でも塔の四つより少し強いくらい」
「じゃあ今日はそこまで」
「六つ目だけ――」
「ハヤト」
声を強くされたわけではない。
それでも止まった。
五つの光を見下ろす。
あと一つ。
やってみたい気持ちは確かにある。
だが、ここは本番ではない。
「……分かった」
《自由》を解く。
五つの光が一斉に消えた。
身体から力が抜けるほどではない。
それでも、終わってみると想像以上に頭が重かった。
「水」
セラから渡される。
「ありがと」
「治癒術は使わないよ。これ、怪我じゃないと思うから」
「うん」
セラもまだ自分の分野を考えながら使っている。
何でも光らせればいいわけではない。
マーナから教わったことが、少しずつ染み込んでいるのが分かった。
◇
「五つか」
バルクは驚いていた。
ただし、その顔は単純に喜んでいるようには見えない。
「思ったより少ない?」
ハヤトが聞くと、工房長は首を横に振った。
「逆だ。一人で五つも成立させた人間など聞いたことがない」
「じゃあ結構すごい?」
レグが得意そうに聞く。
「かなりおかしい」
「褒め方」
ハヤトが苦笑する。
だが、バルクが気にしていたのは別のことだった。
「だからこそ、一人で六つを通すことを前提にするな」
「え?」
「この仕組みは、最初から一人で全部を握らせないために作られている」
六つの役目。
六つの判断。
誰か一人が全てを決めるのではなく、それぞれが同意して初めて奥へ進める。
「ハヤトの力なら、その決まりを破れる」
ユアンが腕を組む。
「でも、破れるから破った方がいいとは限らないってことか」
「そうだ」
ハヤトは六つの窪みを見る。
《自由》なら越えられる。
だからこそ、越えていいかは別に考える必要がある。
「じゃあどうする?」
レグが尋ねた。
バルクは彼女を見る。
「お前たちが、それぞれ受ければいい」
「役目?」
「ああ」
「レグも?」
「条件が通るなら」
レグの目が少し大きくなった。
◇
最初に試したのは、やはり《呼ぶ》だった。
「古い名前使わない?」
レグが確認する。
「使う必要はない」
バルクははっきり答えた。
「この確認台が元の形を保っているなら、本人が今そう名乗る名を示せばいい」
レグは《呼ぶ》の窪みの前へ立つ。
少しだけ緊張している。
ハヤトも思わず息を止めた。
竜の谷では成功した。
でも、ここは別の仕組みだ。
「名前を言えばいい?」
「ああ。役目を受ける意思があるなら、その上で」
「ずっと?」
「違う。今だけ」
それを聞いて、レグが頷く。
手を置く。
「レグ」
短く。
それだけ。
最初は何も起きなかった。
次の瞬間。
レグの身体の奥にある印が、微かに反応した。
窪みに白い光が灯る。
「ついた」
レグの声が弾む。
「古い名前じゃない」
「ああ」
カイルも少し笑っていた。
「ここでも《レグ》で通る」
レグは光をしばらく見つめてから、満足したように手を離した。
光は消える。
「できた」
「よかったな」
「うん」
ただ、それで終わりではなかった。
「他も試す?」
レグが聞く。
「いや」
バルクは首を横に振る。
「今のお前は《呼ぶ》とのつながりが強い。それ以外を無理に取る理由はない」
「そっか」
レグは素直に下がった。
何でもできる必要はない。
それぞれが、自分で受けたいものを選べばいい。
◇
「じゃあ俺は?」
カイルが確認台を見る。
「古い記録をずっと読んできたし、《残す》とか?」
「役目は技能試験じゃないぞ」
ユアンが言う。
「でも相性はある?」
「あるだろうな」
バルクが《残す》の印を示す。
「やってみろ」
カイルが手を置き、自分の名を示す。
反応は少し遅かった。
やがて。
灯る。
「……通った」
本人が一番驚いていた。
「お前、嬉しそう」
ハヤトが言うと、カイルはすぐ真顔に戻る。
「確認しただけだ」
「顔」
「見るな」
レグが笑っている。
次はユアン。
技師だからと《運ぶ》を選んだわけではない。
「道具と技術を次へ持っていくって意味なら、俺はこれがいい」
自分で選んだ。
認証された。
三つ。
「セラは?」
レグが尋ねる。
セラは六つの印をしばらく見ていた。
火が得意。
治癒を学び始めた。
旅では、誰かが怪我をすれば手を出す。
それでも。
「《守る》かな」
ハヤトは少し意外だった。
「治すじゃないんだ」
「治すって役目ないでしょ」
「それもそうか」
「それに」
セラは少しだけ笑う。
「火でも守れるから」
その言い方は、セラらしかった。
《守る》へ手を置く。
「セラ」
光が灯った。
四つ。
バルクが残った印を見る。
《閉じる》。
《見張る》。
「あと二つ」
ハヤトが言う。
全員の視線が集まった。
「俺?」
「お前ならどっちでも通れるだろ」
ユアンの言葉に、ハヤトは二つの印を見比べる。
「じゃあ両方」
「結局二つやるんだ」
セラが苦笑する。
「六個全部よりはいいだろ」
「それはそう」
ハヤトが両手を置く。
《自由》で条件を越える。
二つなら、負荷はほとんどない。
六つの光が並んだ。
ハヤト。
セラ。
レグ。
カイル。
ユアン。
五人で、六つ。
誰か一人が全部を握っているわけではない。
「主環でもこれができれば」
カイルが言う。
「六つを無理やり一人で通す必要はない」
「その方がいい」
ハヤトも素直にそう思った。
自分だけなら、もしかすると六つ目まで行けたかもしれない。
でも。
その必要がないなら、やらなくていい。
◇
六つの光が灯ったままになると、確認台の中央から薄い板がせり上がった。
「まだ何かある」
レグが覗き込む。
カイルが文字を見る。
「《六つが揃ったなら、道を開く》」
その下。
もう一文。
「《一つの名に集めるな》」
部屋が静かになった。
ハヤトは思わずバルクを見る。
「最初から書いてあった?」
「ああ」
「じゃあ昔の人、一人で全部持つの駄目って分かってたんだ」
「少なくとも、これを作った者はな」
そして後の時代。
役目は名前へ固定された。
名前を呼べば、役目まで従わせる仕組みに変わった。
正反対だ。
「古い方が自由だった」
レグが言った。
「全部じゃないだろうけどな」
ハヤトは六つの光を見る。
「でも、選べるようには作ってたんだな」
レグが頷いた。
◇
確認を終えたあと。
バルクは主環までの地図を広げた。
「これで行く準備は一つ進んだ。ただ、もう一つ話がある」
さっきまでとは声が違う。
工房長が別の記録を卓へ置いた。
「旧監視塔を直した北環の技師。レイドたちが話していた人間だ」
「名前分かった?」
ユアンが尋ねる。
「ああ。出入りの記録が残っていた」
名は《ディオル》。
四十二歳。
北環で長く継ぎ片の調整を担当していた技師。
「今ここにいる?」
「いない」
「どこ?」
レグが聞く。
バルクは地図の北東を指した。
「十二日前、主環へ向かった」
空気が変わる。
「何しに?」
「定期点検と申請されている」
「一人?」
「三人。部品も持ち出してる」
ユアンが記録を取る。
「どんな部品?」
バルクの顔が険しくなった。
「命令返しの継ぎ片が六枚」
六枚。
カイルがすぐに意味を理解する。
「六つの役目全部に?」
「可能性がある」
レグの表情から笑みが消えた。
古い仕組みを直すだけなら必要のない数。
それも、今の時代の名や印に合わせるだけの部品ではない。
命令を押し返す側。
「止めに行く?」
レグが聞く。
バルクはすぐには答えなかった。
「まず確かめる」
その言葉に、ハヤトは少し笑った。
「俺たちも最近そればっかだな」
「悪いことか?」
「いや」
むしろ。
それでいい。
主環へ向かった技師が何をしようとしているのか。
ガルドは七年前、そこで何を見たのか。
まだ何も決まっていない。
ただ一つ。
十二日前に誰かが、六枚の命令用部品を持って同じ道を進んだ。
それだけは確かだった。
ハヤトは地図の先を見る。
「明日出る?」
バルクが頷く。
「俺も行く」
ユアンが顔を上げた。
「工房長が?」
「北環の人間が持ち出したものだ。ここで待って報告だけ聞くわけにはいかん」
レグもすぐ頷く。
「じゃあ六人」
「クロ入れたら七だな」
ハヤトが言うと、レグは少し考えた。
「クロも手ある」
「認証台に乗せる気?」
「だめ?」
「今はやめとこう」
ようやく少しだけ空気が緩んだ。
明日。
主環へ向かう。
今度はガルドの古い足跡だけではない。
十二日前についた、新しい足跡も追うことになった。




