赤い光のあと
塔の最上階で、赤い光が脈打っていた。
森へ伸びる何本もの線。その先では、首輪をつけられた獣たちが今も命令を受け続けている。
「止めるなら、まず中央を落とす」
ユアンが装置の前へ膝をついた。
男と女性も、今度は止めなかった。
「完全に壊れることは?」
男が尋ねる。
「それを今から見る。名前は?」
「レイド。こっちはエナだ」
女性――エナが小さく頭を下げる。
二人とも、この塔を守るために配置されていたらしい。
ハヤトは中央の装置を見た。
「俺は何すればいい?」
「まだ触るな」
「分かってる」
「……本当に分かるようになったんだな」
「最近そればっか言われるな」
ユアンは答えず、黒い部品を一つずつ確認していく。
その横ではカイルが、古い石板の文字を読んでいた。
「元の仕組みは生きてる」
カイルが指したのは、赤ではなく淡い白色の線だった。
「《知らせる》部分は壊れてない。後から足された《戻す》と《従わせる》が上に被さってる感じだ」
「外せる?」
レグが階段から顔を出す。
いつの間にか上がってきていた。
「下は?」
ハヤトが聞くと、レグは後ろを指した。
「セラとクロいる。獣、止まってるけどまだ首輪光ってる」
「じゃあ早くした方がいいな」
ユアンが黒い部品の一つへ指を置いた。
「問題はここだ。命令側だけ切ればいいんだが、こいつに三つ認証がかかってる」
レイドが眉を寄せる。
「管理、技師、道守り?」
「ああ」
「俺は管理だけだ。エナが道守り。でも技師はいない」
「今までは?」
「北環工房の技師が起動した。それから一度も止めてない」
ユアンの顔が険しくなった。
「だから止められなかったのか」
レイドは言い返さなかった。
塔を止めれば、再び動かせない。
その不安があったから、獣が苦しんでいても命令を切れなかったのだろう。
「じゃあ三人いるじゃん」
レグが言った。
レイド。
エナ。
ユアン。
確かに役目だけなら揃っている。
だがユアンは首を横に振った。
「俺は技師資格を持ってる。でも北環の系統じゃない。この改造部は俺を通さない可能性が高い」
「ならハヤト」
レグの返事は早かった。
「最初から俺に来ると思った」
ハヤトが装置の前へ座る。
ユアンが念を押した。
「今回は開けるだけじゃない。三つを通したあと、命令側だけ止める。元の《知らせる》まで切るなよ」
「それ俺に分かる?」
「分からん」
「おい」
「だから俺が横で見る」
ユアンは平然としている。
カイルも石板の前から振り返った。
「俺は文字を見る。ハヤトは勝手に先へ進めるな」
「はいはい」
「返事が軽い」
「ちゃんと聞いてるって」
レグが少し笑った。
◇
ハヤトが装置へ触れる。
今までで一番、拒絶が多かった。
《管理者ではない》。
《道守りではない》。
《指定技師ではない》。
さらに、その奥。
《操作権限なし》。
「四つある」
ハヤトが言うと、ユアンが顔をしかめた。
「最後のは後付けだな」
「越える?」
「待て。まず三つまで」
言われた通りにする。
一つ目。
二つ目。
三つ目。
それぞれ違う扉を開けるような感覚だった。
ここまでは、さっき塔へ入ったときにも似ている。
だが四つ目に触れた瞬間、装置から強い圧が返ってきた。
「っ……」
ハヤトの腕が僅かに震える。
「離して!」
セラの声が階段から飛んだ。
彼女も上がってきていた。
「まだ大丈夫」
「顔、大丈夫じゃないけど」
「ちょっと重いだけ」
セラはすぐ隣まで来たが、手は出さなかった。
止めるべきなら止める。
でも、本人が続けられるなら任せる。
そんな距離だった。
「四つ目だけ妙だ」
ハヤトは装置から伝わる感覚に集中した。
資格ではない。
もっと直接的なもの。
「これ……誰か一人しか操作できないようにしてる?」
ユアンの目が細くなる。
「あり得る。起動した技師本人に固定したか」
「そんなことできる?」
「継ぎ片を使えば」
エナが不安そうに装置を見る。
「私たちも触れないようにされてたってこと?」
「多分な」
塔を守っている二人ですら、止められない。
最初からそう作られていた。
「嫌な作りだな」
ハヤトが呟く。
その条件へ《自由》を重ねた。
越える。
今度は時間がかかった。
頭の奥へ鈍い痛みが走る。
それでも。
ふっと抵抗が消えた。
「通った」
ユアンがすぐ装置の側面を開く。
「そのまま! 今は何も動かすな!」
「分かってる!」
中には、細い光の線が何本も走っていた。
白。
赤。
白。
赤。
元の仕組みと、後から足された命令系統が絡み合っている。
「カイル!」
「こっちの記述だと、《知らせる》は外側。《戻す》は内側から後付けされてる!」
「見える。ハヤト、今感じてる流れで、森へ押し出してる方分かるか?」
「……多分」
首輪に触れたときと同じ。
一方的に流れ込んでいくもの。
獣の意思とは関係なく、押しつけている線。
「これ」
「切れる?」
「やってみる」
「一本ずつ!」
ハヤトは流れを一つだけ断った。
赤い線が消える。
白は残った。
「合ってる!」
ユアンの声が上がる。
「そのまま赤だけ!」
二本目。
三本目。
次々と赤い光が消えていく。
塔の外へ伸びていた命令の線も、一つずつ途切れた。
最後の一本を切った瞬間。
塔全体が静かになった。
◇
「……止まった?」
レグが窓へ走る。
外。
森から聞こえていた鳴き声がなくなっている。
セラも窓辺へ行った。
「下の獣も止まってる」
「首輪は?」
「光ってない」
レグはそれだけ聞くと階段を駆け下りた。
「クロー!」
「転ぶなよ!」
ハヤトが声をかける。
返事だけが下から聞こえた。
装置を見る。
赤い光は完全に消えている。
しかし白い線は残っていた。
「これが元の《知らせる》?」
「ああ」
カイルが石板を確認する。
「道に異常が起きたら、守る者へ知らせる。でも応じるかは向こうが決める」
「首輪いらない?」
ハヤトが尋ねると、ユアンは頷いた。
「本来はな。印か、古い道とつながっている者なら知らせを受け取れる」
「クロみたいな?」
「道番なら可能性はある」
ハヤトは装置を見た。
最初から。
無理やり戦わせる必要などなかった。
呼ぶ。
知らせる。
来るかどうかは相手が決める。
「それで守れたのか?」
レイドの声がした。
誰もすぐ答えなかった。
彼は装置を見つめている。
「俺たちが来る前、この道で三人死んだ」
初めて聞く話だった。
古い環路の奥から獣が出てきた。
旅人を襲った。
北環工房から来た技師が塔を直し、首輪をつけた獣を配置した。
「それから死人は出てない」
レイドは拳を握る。
「だから正しいと思ってた」
エナも俯いていた。
「首輪の子たちが嫌がってるのは知ってた。でも外したら、また誰か死ぬと思って……」
ハヤトは二人を責める言葉が出なかった。
やったことが正しいとは思わない。
でも。
何も考えず傷つけていたわけでもない。
「じゃあ、別の守り方探すしかないな」
レイドが顔を上げる。
「簡単に言うな」
「簡単じゃないと思う」
ハヤトは装置から手を離した。
資格を四つ越えていた感覚が一気に消え、思った以上に身体が重くなる。
「でも首輪使うか、何もしないかの二つだけじゃないだろ」
ユアンが白い線を指した。
「元の仕組みが残ってる。まずこれを調べる」
カイルも頷く。
「記録も読む。昔どう守ってたのか残ってるかもしれない」
「俺たちも?」
エナが尋ねる。
「塔を使ってたんだろ?」
ユアンは彼女を見る。
「なら覚えてること全部話してくれ。北環工房の技師が何をしたのかも」
レイドは長く黙ったあと、小さく頷いた。
「分かった」
誰か一人が決める話ではない。
今ある危険も。
今まで使ってきた方法も。
両方見てから決める必要がある。
◇
外へ下りると、森の様子はすっかり変わっていた。
首輪をつけた獣たちは、あちこちで動きを止めている。
逃げるもの。
その場に伏せるもの。
クロへ近づくものもいた。
レグは一匹の狼型の前にしゃがんでいた。
「もう戻らなくていい」
首輪はまだついている。
だが赤い光はない。
「全部外せる?」
レグが振り返る。
ユアンは森を見回した。
「数が多い。今日中は無理だ」
「じゃあ明日も?」
「ああ」
「全部?」
「見つけられる分は」
レグは満足そうに頷いた。
セラはハヤトの隣へ来ると、小声で尋ねた。
「頭まだ痛い?」
「少し」
「休んで」
「首輪外すの――」
「今日はもう《自由》使わない」
「でも認証が」
「ユアンに他の方法ないか調べてもらう。なかったら明日」
言い切られた。
ハヤトは反論しかけてやめる。
「……はい」
「素直」
「最近成長してるからな」
「自分で言う?」
セラは笑ったあと、少しだけ表情を緩めた。
「無理しなくても、逃げないから」
「何が?」
「やること」
確かに。
全部を今日片付ける必要はない。
「そっか」
「うん」
◇
その日の夕方。
塔の周りで野営することになった。
レイドとエナも残る。
ユアンとカイルは早速、塔の記録を調べ始めていた。
レグはクロと一緒に、森から戻ってきた獣へ水を置いて回っている。
セラは軽い傷のある個体を見ていたが、必要以上に治癒術は使わなかった。
ハヤトは火のそばで、久しぶりに何もせず座っていた。
「暇?」
戻ってきたセラが聞く。
「ちょっと」
「休めって言ったでしょ」
「休んでるよ」
「ならいい」
セラが隣へ座る。
以前より近い。
肩が触れるほどではない。
でも意識すれば分かる距離。
「今日の、すごかったね」
「四つはちょっときつかった」
「そうじゃなくて」
「ん?」
「ちゃんと止めたこと」
ハヤトは塔を見る。
「俺一人じゃ無理だったけどな」
「だからいいんじゃない?」
セラは火を見たまま続けた。
「何でも一人でできるようになったら、ハヤト余計無茶しそうだし」
「信用ないな」
「あるから言ってる」
ハヤトは少し笑った。
そのとき。
「ハヤト!」
塔の方からカイルの声が飛んだ。
かなり珍しい呼び方だった。
「何!?」
「来てくれ!」
ハヤトとセラが同時に立ち上がる。
◇
最上階。
装置の裏側が開かれていた。
ユアンが古い板を外したらしい。
「これ」
カイルが指す。
内部の石。
そこに傷がある。
故障ではない。
誰かが意図的に刻んだもの。
二本の線。
一度重なり。
途中で分かれていく。
レグも少し遅れて上がってきた。
そして。
その印を見た瞬間、足が止まった。
「……おとうさん」
ガルドの印。
間違えようがなかった。
ユアンがその横の傷を照らす。
「かなり古い。今回の改造より前だ」
レグがゆっくり近づく。
印の下には、さらに短い線が刻まれていた。
カイルが汚れを払う。
文字ではない。
矢印。
北東。
旧環路の奥へ向かっている。
レグはしばらくそれを見つめたあと、静かに言った。
「ここまで来てた」
「ああ」
ハヤトも印を見る。
噂だけではない。
誰かから聞いた話でもない。
ガルド自身が、この塔にいた。
そして。
そこからさらに先へ進んだ。
北東へ。




