切れた命令
二匹目の獣が、炎の壁を避けるように大きく回り込んだ。
セラはそれを見て炎の位置をずらす。獣へ直接ぶつけるのではなく、進ませたくない場所だけを塞いでいた。火の高さも必要以上に上げていない。
「ハヤト、左!」
「見えてる!」
飛び込んできた牙を、剣で受けるのではなく半歩外して避ける。
ベルドに何度も言われた動きだった。
攻撃を見てから止まるな。
相手が攻撃しやすい場所に、自分から残るな。
以前なら正面から受けていた。今は身体をずらし、獣が通り過ぎる瞬間に横へ並ぶ。
首輪へ手を伸ばした。
だが、今度は触れる寸前で獣が身体を捻る。
「速っ!」
爪が腕を掠めそうになり、ハヤトは慌てて引いた。
簡単ではない。
一匹目は偶然うまく触れられただけだ。
「レグ!」
「うん!」
弓を構えていたレグが、獣ではなくその少し前へ矢を放つ。
地面へ刺さった矢を嫌って、獣の進路が僅かに変わった。
そこへクロが回り込む。
低い唸り声。
獣がクロを見る。
一瞬だけ動きが止まった。
「今!」
ハヤトが距離を詰める。
今度こそ首輪を掴んだ。
拒絶。
《管理者ではない》。
さっきと同じだ。
《自由》で、その条件だけを越える。
赤い光が揺らいだ。
「ユアン! さっきと同じでいいんだな!」
「たぶん同じだ! 命令側から来てる流れを探せ!」
「たぶん!?」
「俺だってこんな使い方したことない!」
役に立つのか立たないのか分からない。
それでも、入口には立てた。
首輪の中へ意識を向ける。
獣自身の魔力とは別に、外から押し込まれている細い流れがある。
さっきよりは見つけるのが早かった。
「これだ」
切る。
赤い光が消えた。
獣の身体がその場で崩れそうになる。
ハヤトが慌てて支えようとしたが、重すぎて一緒に膝をついた。
「重っ……!」
「ハヤト!」
セラが駆け寄る。
「大丈夫。噛まれてない」
「そっちじゃなくて潰されてない?」
「そっちもぎりぎり」
獣は意識を失ったわけではなかった。
荒い息を繰り返しながら、伏せたままこちらを見ている。
だが、もう襲ってこない。
「二匹目」
レグが呟く。
残る一匹は、炎の向こう。
こちらへ飛びかかろうとしていたはずなのに、今は妙な動きをしていた。
一歩前へ出る。
止まる。
後ろへ下がる。
すると首輪が赤く光り、獣の身体が強張った。
「嫌がってる」
レグの声が低くなる。
獣は逃げようとしている。
それでも何かに引き戻されるように、またこちらへ向きを変えさせられる。
クロが唸るのをやめた。
ただ、じっと相手を見ている。
「セラ。火、少し開けられる?」
「逃げ道作る?」
「うん。でも首輪が戻してくるなら、その間に俺が行く」
セラは炎を消さず、一方向だけ細く開いた。
森へ続く道。
獣はすぐにそこを見た。
一歩。
二歩。
走り出そうとする。
だが、首輪がまた光る。
苦しそうに頭を振り、無理やり振り返ろうとした。
「今行く!」
ハヤトが走る。
レグも矢を構えたが、撃たない。
クロは獣の正面には立たず、横から進路を支えるように動いた。
ハヤトは横を抜けざま、首輪へ手をかける。
今度は一度で触れた。
拒絶を《自由》で越える。
命令の流れを見つける。
三回目。
さすがに感覚が分かってきた。
「切る!」
赤い光が消えた。
獣は数歩よろめいたあと、そのまま森側へ走った。
「行った!」
レグが声を上げる。
「追わなくていい!」
ハヤトが止めるまでもなく、クロも追わなかった。
獣は森の手前で一度だけ振り返る。
それから木々の間へ消えていった。
誰も止めなかった。
◇
残った二匹は、しばらく動けなかった。
ハヤトたちは道の端へ移し、水を置く。
セラが一匹ずつ様子を確認していた。
「傷は首のところが一番ひどい。あとは疲れすぎてる」
首輪の下。
毛が抜け、皮膚が擦れている。
それを見たレグの顔が険しくなる。
「外す?」
「待て」
ユアンがすぐに止めた。
「命令は切れてる。でも首輪そのものに別の仕掛けがあるかもしれない」
「まだ?」
「ああ。強制的に外したときに反応する型もある」
レグの手が止まった。
「じゃあどうする?」
「まず調べる」
ユアンが首輪の溝を確認し、カイルも反対側から刻印を読む。
その間、セラは擦れた皮膚へ薬を使っていた。
ハヤトが横から覗く。
「治癒術は?」
「少しだけ使う。でも全部はやらない」
セラは一番深く擦れている場所だけ、弱い光で傷を整えた。
「体力落ちてるから、今無理に治しすぎない方がいいと思う。人とは違うし、どのくらい負担になるかも分からないから」
「なるほど」
「マーナさんなら、もっとちゃんと判断できるんだろうけど」
「でも前より慎重になったな」
「それはなった」
セラは素直に頷いた。
その横で、一匹がゆっくり目を開ける。
レグが少し離れてしゃがんだ。
「もう襲わない?」
当然、返事はない。
獣はレグを見る。
次にクロ。
鼻を僅かに動かし、そのまま頭を下ろした。
「疲れてるだけっぽい」
ハヤトが言うと、レグも無理に近づかなかった。
「休むなら休む」
◇
「見つけた」
少しして、カイルが呼んだ。
首輪の外側。
細い溝の間に、小さな文字が並んでいる。
「何て書いてる?」
ハヤトが隣へ行く。
「全部は読めない。ただ、《守る》と《戻す》はある」
「戻す?」
「命令を受けた場所へ戻す、だと思う」
ユアンが別の部分を指した。
「こっちは受信側だな。やっぱり首輪単体で全部やってるんじゃない」
「どこかから命令来てる?」
「ああ」
ユアンは周囲を見回した。
「この型なら、ずっと遠くから飛ばせるほど強くない。近くに中継するものがあるはずだ」
「どれくらい近く?」
「道の状態にもよるが、数時間歩く範囲だと思う」
レグが北東を見る。
「前?」
「可能性は高い。こいつらがそっちから来たならな」
クロが同じ方角へ顔を向ける。
先ほどから気にしていた匂い。
新しい足跡。
三匹の獣。
全部が同じ方向につながっている。
「誰かが今も使ってる」
セラが言った。
ユアンはすぐには頷かなかった。
「少なくとも、最近まで命令を出せる状態だった。それが人間なのか、自動で残ってる装置なのかはまだ分からない」
「自動でもこんなことする?」
レグが首輪を見る。
「命令が残ってれば、する」
「嫌」
短い言葉だった。
ハヤトも同じ気持ちだった。
◇
首輪を外せたのは、さらに一時間ほど調べたあとだった。
ユアンが仕掛けを確認し、カイルが古い刻印を読み、最後にハヤトが《自由》で外すための認証だけを越える。
「そこ押すなよ」
「どこ?」
「今指置いてるとこの隣」
「怖いこと言うなよ」
「だから動かすなって」
「分かった」
首輪の奥で、小さく音がした。
本来なら管理側の資格がなければ開けない留め具。
そこだけを《自由》で通す。
ユアンの指示通りに金具を動かすと、首輪が二つに分かれた。
「外れた」
レグの顔が明るくなる。
「もう一匹も」
「同じ型ならいける」
二匹目はさらに早かった。
ハヤト自身も少し驚く。
できることが急に増えたわけではない。
一度やったことだから、手順が分かっただけだ。
「慣れてきた?」
セラに聞かれ、ハヤトは外した首輪を見る。
「入口開けるところだけは」
「中身は?」
「全然」
「じゃあユアンとカイル必要」
「そういうこと」
カイルが苦笑する。
「俺たち、鍵開けた後の説明係みたいになってきたな」
「重要だろ。俺だけだったら今頃どっか壊してるかもしれない」
「自覚があるならいい」
ユアンは外した首輪を布へ包んだ。
「これは持っていく。工房で調べる」
「一個は残せない?」
レグが聞く。
「調べたい?」
「クロのと比べたい」
ユアンは少し考え、一つをカイルへ渡した。
「勝手に動かすなよ」
「ハヤトに言っとけ」
「なんで俺!?」
今度はセラまで笑った。
◇
二匹の獣が立てるようになったのは、昼をかなり過ぎてからだった。
最初に一匹。
次にもう一匹。
クロが少し離れて立っている。
片方が近づき、クロの匂いを嗅いだ。
クロも相手の鼻先へ顔を寄せる。
しばらく。
それだけ。
仲間になるわけでもない。
ついてくるわけでもない。
やがて二匹は森へ向かった。
「行くの?」
レグが声をかける。
一匹だけ振り返る。
そして、そのまま森へ消えた。
レグは追わなかった。
「クロみたいに来ない」
「来る理由ないからな」
ハヤトが言う。
レグは少し考え、頷いた。
「自分で行った」
「ああ」
クロの尻尾が一度動いた。
◇
出発を再開したのは午後になってからだった。
予定よりかなり遅れている。
だが、誰も急ごうとは言わなかった。
ユアンが先頭を歩き、その隣でカイルが地図を見る。
「この先に昔の監視所がある」
「そこが命令の中継?」
ハヤトが尋ねると、ユアンは首を傾げた。
「可能性はある。ただ、俺が前に通ったときは止まってた」
「いつ?」
「半年くらい前」
「じゃあ最近動いた?」
「それを確かめる」
森の中。
さっきまでより、全員の警戒が少し強くなっている。
レグがハヤトの横へ来た。
「ハヤト」
「ん?」
「さっきすごかった」
「首輪?」
「うん」
「三匹目はちょっと慣れた」
「何でもできる?」
ハヤトは少し笑った。
「できない」
「でも首輪できた」
「触れるところまではな。ユアンがいなきゃ外し方分からなかったし、カイルがいなきゃ何が書いてるかも分からない」
「でもハヤトいないと触れない」
「今回はな」
レグはしばらく考えた。
「じゃあ、みんないるといっぱいできる」
「そういうことかもな」
「レグもいた」
「矢、助かったよ」
「セラも」
「火なかったら二匹まとめて来てた」
「クロも」
「一匹支えてたな」
レグは満足そうに頷いた。
「じゃあ強い」
誰が、とは言わなかった。
ハヤトも聞かなかった。
◇
夕方近く。
道の先に、低い石造りの塔が見えた。
三階ほどの高さ。
壁には蔦が絡んでいる。
「監視所?」
カイルが尋ねる。
「そう」
ユアンの歩みが止まる。
「でも、おかしい」
「何が?」
「半年前は上が崩れてた」
全員が塔を見る。
確かに古い。
だが、最上部には新しい木材で補修された屋根があった。
さらに。
塔の脇。
小さな煙が上がっている。
「人いる?」
レグが弓へ手を添える。
「いるな」
ハヤトも剣へ手を置いた。
まだ敵とは限らない。
そのとき。
塔の上で何かが光った。
一度。
赤。
ユアンの表情が変わる。
「伏せろ!」
全員が身を低くする。
直後。
ハヤトたちの横を何かが走り抜けた。
攻撃ではなかった。
細い赤い光が森の奥へ伸びていく。
レグが振り返る。
「今の」
ユアンは塔を見たまま答えた。
「命令を送った」
遠く。
森の中から。
獣の鳴き声が、いくつも返ってきた。




