止められた道
翌朝、中継所を出たハヤトたちは、ユアンを加えた六人と一匹で北東へ進んでいた。
古い道は昨日までより狭い。
石畳が残っているところもあれば、完全に土へ埋もれているところもある。それでもユアンはほとんど迷わなかった。
「よく覚えてるな」
ハヤトが言うと、ユアンは前を向いたまま肩をすくめた。
「仕事で何度も通ってる。全部覚えてるわけじゃないけど、古い道には癖があるんだよ」
「癖?」
「水が溜まらない場所を通すとか、山を越えるときは必ず目印を置くとか。昔の連中は無茶な場所にも道を作ったけど、適当に作ってたわけじゃない」
少し前を歩いていたカイルが振り返る。
「そういうの、記録に残ってないのか?」
「工房にはある。ただ、読むより歩いた方が早い」
「それ言ったら地図の意味なくない?」
「地図は迷ったときに見る」
「俺は迷わないために見る」
「性格出るな」
二人の会話を聞きながら、ハヤトは少し笑った。
昨日まではカイル一人が古い仕組みを追っていた。
そこへ同じものを別の側から知るユアンが加わったことで、話の進み方が変わっている。
カイルは文字や記録から読む。
ユアンは実際に直してきた経験から見る。
同じものを見ても、注目する場所が違った。
「ハヤト」
隣を歩いていたセラが呼ぶ。
「前」
「見てるよ」
「さっきカイルの方ばっか見てたから」
「転ばないって」
「この前も言ってた」
「まだ引っ張る?」
「一応」
セラはそう言いながら、自分も足元の草へ視線を落とした。
今度はちゃんと歩く速度を落としている。
「薬草?」
「似てるだけ。これは違う」
「もう見分け早くなったな」
「まだ分かるのだけだよ」
その返事には少し嬉しさが混じっていた。
◇
昼前。
道は切り立った岩壁の間へ入った。
そこでユアンが足を止める。
「ここ、前は開いてたんだけどな」
「何が?」
レグが前へ出る。
道の先を、巨大な石板が塞いでいた。
高さは三メートルほど。
左右の岩壁へぴったり収まり、隙間はほとんどない。
崩落ではない。
明らかに人の手で閉じられている。
「扉?」
ハヤトが近づくと、ユアンが頷いた。
「古い防壁。普段は地面の下に下がってる」
「誰かが閉めた?」
「そういうことになる」
カイルはすでに扉の横へ移動し、刻まれた文字を読んでいる。
「新しい傷がある」
石板の下部。
土が擦れた跡がまだ乾ききっていない。
ユアンの顔が少し険しくなった。
「少なくとも何年も閉じっぱなしじゃないな」
「最近?」
「数日……長くても数週間くらいだと思う」
レグがクロを見る。
クロは扉へ近づき、鼻を鳴らした。
それから岩壁の右側へ移動する。
「何かある?」
そこには小さな金属板が埋め込まれていた。
昨日見た黒い部品より大きい。
中央には三つの窪み。
「これで開ける?」
レグが聞く。
ユアンはすぐ触らず、しゃがんで状態を確認した。
「本来ならそうだ」
「本来なら?」
「三人必要なんだよ」
「三人?」
ユアンは窪みを順番に指した。
「道を管理する者。運ぶ者。それから、技師」
ハヤトが思わず笑う。
「めんどくさいな」
「勝手に開けられないようにしてるんだから、面倒でいいんだよ」
「ユアンは技師?」
「ああ」
「カイルは?」
「どれでもない」
「レグは?」
「竜は関係ない」
「俺は?」
ユアンが一度ハヤトを見る。
「普通なら何にも当てはまらない」
「普通なら、ね」
セラが小さく言った。
全員の視線がハヤトへ集まる。
「その顔やめない?」
「昨日の今日だから」
カイルは笑っていない。
「できると思うか?」
「条件なら、多分」
「三つ同時だぞ」
ハヤトは金属板を見る。
一つなら越えた。
石柱も。
分岐の案内も。
でも三つを同時に求められたことはない。
「やってみないと分からない」
そう答えると、レグが少し嬉しそうな顔をした。
「ハヤトっぽい」
「褒めてる?」
「うん」
「ならいいけど」
ユアンがため息をついた。
「一応言っとくが、失敗したら扉が壊れるとかはない。ただ、強く押し返されることはある」
「押し返される?」
「魔力が逆流する」
セラの表情が変わる。
「それ危ないじゃん」
「無理だと思ったらすぐ離す」
ハヤトが答えると、セラは少し考えたあと頷いた。
「分かった。でも変だと思ったらすぐ止めて」
「了解」
◇
最初にユアンが右端の窪みへ手を当てた。
淡い光が一つ灯る。
「これが技師」
「一個ついた」
レグが覗き込む。
「残り二つ」
ハヤトは中央へ手を置いた。
まず、何もせず魔力を流す。
すぐに拒まれた。
運ぶ者ではない。
昨日と同じ。
《自由》を重ねる。
境目が消えた。
二つ目の光が灯る。
「いけた」
ユアンが呟く。
「問題は最後だ」
左端。
道を管理する者。
ハヤトは空いている左手を当てる。
こちらは違った。
拒まれる。
だが、さっきより重い。
「……固いな」
セラがすぐ反応する。
「無理そう?」
「いや。越えられそうではある」
《自由》を使う。
境目へ触れる。
その瞬間、二つ目の光が揺れた。
「ハヤト」
「分かってる」
一つを越えたまま、別の一つを越える。
頭の中で二つの扉を同時に押さえているような感覚。
できないわけではない。
でも、今までとは違う。
「これ……ちょっと面白いな」
「今楽しむところ?」
セラの声が飛ぶ。
「いや、何ていうか」
ハヤトは集中したまま笑う。
「別々の役目を同時に持つのが、本来駄目なんだと思う」
「だから三人必要なんだろ」
ユアンが答える。
「多分」
普通なら、運ぶ者は運ぶ者。
道を見る者は道を見る者。
一人で両方を満たす前提では作られていない。
でも。
ハヤトには関係ない。
「なら」
息を吐く。
「両方やればいい」
《自由》がもう一段深く通った。
三つ目の光が灯る。
石板の奥で、低い音が響いた。
「開く!」
レグが一歩下がる。
巨大な石板がゆっくり地面へ沈んでいく。
完全に下がるまで十秒ほど。
その向こうに、北東へ続く道が現れた。
「……ほんとに一人で二つ通したな」
ユアンが呆れたようにハヤトを見る。
「結構きつかったけど」
「どこか痛い?」
セラがすぐ近づいてくる。
「痛くはない。ちょっと疲れたくらい」
実際、魔力を大きく使った感覚はない。
ただ、頭が少し重い。
セラは顔色を確認してから、無理に治癒術を使おうとはしなかった。
「少し休もう」
「まだ歩けるよ」
「歩けるのと休まなくていいのは別」
マーナの言葉が完全に染みついている。
ハヤトは笑って岩壁へ背を預けた。
「分かりました」
ユアンはまだ金属板を見ていた。
「技師と運び手と道守り。三つ別々に認識してるのに……」
「変?」
「変どころじゃない」
レグが得意そうに言う。
「ハヤト、すごい」
「珍しく真っすぐ褒めたな」
「でも剣は練習中」
「最後いらない」
セラが吹き出した。
◇
休憩を終え、扉の向こうへ進む。
道はそれまでより整っていた。
使われなくなった古道というより、誰かが今も最低限の手入れをしているように見える。
「草が少ない」
セラが言う。
「誰か通ってるな」
ユアンの声も低くなる。
地面には複数の足跡。
一人ではない。
靴の形も違う。
「何人?」
レグが尋ねる。
カイルとユアンがしゃがんで確認する。
「少なくとも三人」
「もっといるかもな」
その少し先。
木の幹に、新しい切り傷があった。
一本。
さらに十歩先に二本。
規則的。
「目印?」
ハヤトが聞くと、ユアンは首を横に振った。
「工房の印じゃない」
クロが止まる。
鼻を上げる。
今度は明らかに警戒していた。
背中の毛が少し立っている。
「クロ」
レグが声を落とす。
前方。
森の奥。
何かが動いた。
すぐ消える。
「人?」
セラの手に小さな炎が灯った。
いつもの治癒の光とはまったく違う。
赤く、鋭い。
ハヤトは剣へ手を伸ばしながら、少しだけ距離を取る。
「無理に追わない。向こうが出てくるなら見る」
レグも弓を構える。
カイルは短剣。
ユアンは腰の棒状の道具を抜いた。
しばらく。
何も起きない。
風だけが葉を揺らす。
「行った?」
レグが聞いた、その直後だった。
右側の茂みから何かが飛び出した。
黒い獣。
狼に似ている。
ただし、クロとは違う。
首に。
黒い輪がある。
「下がって!」
セラの声と同時に、獣が飛びかかる。
ハヤトが剣を抜く。
正面から受ける――その瞬間、ベルドの言葉が頭に浮かんだ。
打たれてから動くな。
半歩ずれる。
牙が横を抜ける。
そのまま剣の腹で胴を押し、地面へ転がした。
「殺さないで!」
レグが叫ぶ。
「分かってる!」
獣はすぐ立ち上がる。
目が普通ではない。
焦点が合っているのに、こちらを見ていない。
首輪の溝が赤く光っている。
「命令受けてる!」
ユアンが声を上げた。
「止められる?」
「首輪を外せば――」
獣が再び飛ぶ。
今度は二匹。
森の左右から現れた。
「セラ!」
「分かってる!」
セラが腕を振る。
炎が地面を走った。
獣へ当てるのではなく、その前へ壁を作る。
二匹が反射的に止まった。
火の扱い。
迷いがない。
治癒術を学んでいても、ここがセラの得意分野だ。
「今!」
レグの矢が飛ぶ。
首輪ではない。
一匹の足元。
進路を変えさせる。
クロが反対側へ回り込み、低く唸った。
三匹。
首輪。
命令。
ハヤトは一瞬考えた。
首輪を壊す?
違う。
中身が分からない。
なら。
「ユアン!」
「何だ!」
「この首輪、資格ある?」
ユアンの目が見開かれる。
「……ある!」
「何の?」
「制御側の認証!」
それだけ聞けば十分だった。
ハヤトは一匹目へ向かって走る。
「ハヤト!?」
セラの声。
「ちょっと試す!」
「ちょっとで済ませて!」
獣が牙を剥く。
ハヤトは左へ避ける。
ベルドに教わった足。
すれ違いざま、首輪へ手を伸ばす。
触れた。
瞬間。
強い拒絶。
《管理者ではない》。
「やっぱり!」
《自由》を通す。
条件が消える。
首輪の赤い光が一瞬だけ揺らいだ。
「何すればいい!?」
「命令を切れ!」
ユアンが叫ぶ。
「どうやって!?」
「分からん!」
「そこは分かっててくれよ!」
獣が暴れる。
ハヤトは手を離さない。
使える。
でも使い方が分からない。
まさにいつもの《自由》だ。
なら。
できることを探す。
押す。
切る。
止める。
感覚を探る。
首輪から何かが流れ込んでいる。
獣へ向かって、一方的に。
「これか……!」
その流れだけを断つ。
ハヤトが意識した瞬間。
赤い光が消えた。
獣の身体から力が抜ける。
倒れる――前に、クロが下へ入り込むように支えた。
「一匹!」
レグが叫ぶ。
残り二匹。
ハヤトは息を整える。
「同じならいける!」
「一人で全部やろうとしない!」
セラが炎を広げ、二匹を分断する。
「右は止める! 左行って!」
「了解!」
レグが矢で逃げ道を限定する。
クロは倒れた一匹から離れずにいる。
カイルとユアンは首輪の動きを見ていた。
一人ではない。
ハヤトが何でもできるわけでもない。
でも。
普通なら触れない場所へ、手だけは届く。
それで十分だった。
ハヤトは二匹目へ向かって駆けた。




