中継所の先客
男の言葉に、空気が変わった。
「竜までいるとは聞いてないな」
レグは弓へ手を伸ばさなかった。ただ、さっきまでより少しだけ姿勢を低くして、男の左手を見ている。
セラも前へ出ることはせず、ハヤトの横で指先を軽く開いた。
治癒術ではない。
いつでも火を出せる構えだ。
「どうしてレグが竜だって分かった?」
ハヤトが尋ねると、男はようやく自分の言葉が警戒させたことに気づいたらしい。
「ああ、悪い。見て分かったわけじゃない」
左手を持ち上げる。
握られていた黒灰色の金属片には、細い溝が何本も刻まれていた。
「こいつが反応した」
「それで竜って分かる?」
レグが聞く。
「正確には、古い竜系統の印を持ってる奴が近くにいるって分かる」
男は金属片を自分の掌へ載せた。
よく見ると、中央の一本だけが薄く赤みを帯びている。
「近づくとこうなる。昔の道を調べるための道具だ」
レグが自分の胸元へ触れる。
そこにはもう目に見える石も印もない。
それでも、身体の中にはミレアから受け継いだものが残っている。
「中の印?」
「たぶんな」
男はそこで初めて、少し興味深そうにレグを見た。
「外から見えないなら、ずいぶん綺麗に馴染んでる」
「触らないで」
「触る気はない」
返事は早かった。
少なくとも、無理に確認しようという様子はない。
ハヤトは少しだけ肩の力を抜いたものの、完全には警戒を解かなかった。
「あなたは?」
「ユアン。古い道や中継所を見て回ってる技師だ」
「技師……」
カイルが男の持つ金属片へ目を向ける。
「ソルドの石柱に、これと似た金属が入ってた」
ユアンの表情が変わった。
「ソルド?」
「ああ。道を見る家が使ってる古い石だ」
「まだ残ってたのか」
その言い方に、カイルがすぐ反応する。
「知ってるのか?」
「俺自身が直したわけじゃない。でも話は聞いてる」
ユアンは入口から少し離れ、中継所の壁際へ腰を下ろした。
「立ち話するなら中に入れ。雨漏りはするが、外よりはましだ」
敵意がないと決めつけるには早い。
それでも、このまま入口で睨み合っていても話は進まない。
ハヤトたちは距離を取りながら中へ入った。
◇
中継所の中は、外から見たより広かった。
壁際には古い棚。
中央には石造りの台。
屋根の穴から差し込む光の下に、分解された小さな装置が置かれている。
「それも黒い金属?」
レグが聞く。
「一部はな」
ユアンは部品を一つ持ち上げた。
黒いもの。
銀色のもの。
細い板。
見た目だけなら、竜の谷で見た装置よりずっと小さい。
「ソルドの石柱に入ってたやつは?」
カイルが紙へ形を描く。
側面から差し込まれた細長い部品。
ユアンは絵を見るなり頷いた。
「《継ぎ片》だ」
「つぎ?」
「古い仕組みと、新しい使い方をつなぐための部品」
ハヤトが少し眉を寄せる。
「仕組みそのものを変える?」
「変えるというより、間に通訳を入れる感じだな」
昔の道の石は、本来なら本人が名を示して役目を受ける。
だが、ソルドでは長い年月の間に名前の付け方も、役目の受け継ぎ方も変わった。
その結果、古い石は村人の名を正しく認識できなくなった。
「だから継ぎ片を入れて、今の名でも古い石が分かるようにした」
セラが腕を組む。
「じゃあ、あの金属自体は人を縛るためのものじゃない?」
「少なくともソルドに入れたものは違う」
「入れた人を知ってる?」
カイルが尋ねると、ユアンは少しだけ考えてから答えた。
「俺の師匠だと思う」
全員の視線が集まる。
「二十年以上前?」
「ああ。俺がまだガキだった頃だ」
「名前を残してない」
「それも師匠らしい」
ユアンは苦笑した。
「仕事した場所に自分の名前を残すのを嫌う人だった。『残すなら直したものを残せ』ってな」
レグが首を傾げる。
「変な人」
「かなりな」
「おとうさんと似てる?」
「知らん」
ユアンが答え、レグは少し残念そうな顔をした。
ハヤトは笑いそうになったが、話を戻す。
「その師匠は今どこに?」
ユアンの表情から笑みが消えた。
「死んだ」
「……そうですか」
「八年前だ。病気だから、この道の話とは関係ない」
淡々とした言い方だった。
長く時間が経っているのだろう。
「師匠からソルドの話を?」
「全部じゃない。道の石が役目を受けなくなってたから、継ぎ片を入れたとは聞いた」
カイルが昨日写した文字を見せる。
《血を問わず》
《受ける者は、自ら名を示せ》
それを見ると、ユアンは少し驚いた。
「まだ読めたのか」
「普通には読めなかった」
「じゃあどうやった?」
カイルがハヤトを見る。
ユアンもつられて視線を向けた。
「俺が動かした」
「お前が?」
「本来の資格なくても、条件だけ越えられる」
ユアンが黙った。
「……何の役目だ?」
「ない」
「道の印は?」
「ない」
「昔の運び手の資格でも?」
「ないと思う」
「なのに起こした?」
「うん」
しばらく。
ユアンは本気で理解できないものを見る顔をしていた。
「お前、何者だ?」
「ハヤト」
レグが先に答える。
「それは名前だろ」
「ハヤトはハヤト」
「レグ、それ説明になってない」
「でも合ってる」
ユアンが吹き出した。
張り詰めていた空気が、少しだけ軽くなる。
◇
「《自由》っていう能力なんです」
結局、ハヤトは必要な範囲だけ説明した。
職業。
属性。
資格。
普通なら使えない理由になっている条件を、無視できること。
「何でもできるってことか?」
「いや」
そこはハヤト自身がすぐ否定する。
「使えるだけ。上手いかは別」
「剣も練習中」
レグが付け足した。
「そこ毎回言う必要ある?」
「ほんとだから」
「魔法は?」
ユアンが尋ねる。
「使えるものは多い。でも専門家みたいに全部上手いわけじゃない」
セラが横で小さく頷く。
「火なら私の方が慣れてるし、古代文字ならカイルの方が分かる。ハヤト一人で全部できるわけじゃないよ」
「なるほど」
ユアンは顎を撫でた。
「入口だけ全部開くのか」
その表現に、ハヤトは少し驚く。
「それ、分かりやすいかも」
「中に入って迷う可能性もあるがな」
「それも合ってる」
「自覚あるのか」
カイルが笑った。
◇
話が一段落したところで、カイルが本題へ戻った。
「同じ黒い金属が、別の場所では人や獣を縛る仕組みに使われてた」
クロが伏せている場所を見る。
首元には、かつての痕が残っている。
ユアンも気づいていたらしく、目を細めた。
「その獣……道番系か」
クロの耳が動く。
「知ってるの?」
レグが一歩近づいた。
「本物を見るのは初めてだ。ただ、古い記録にはある」
「首輪も?」
「いや」
ユアンはそこだけ強く否定した。
「本来は首輪なんかつけない」
「やっぱり」
レグの声が少し低くなる。
「道番は自分で付いていく相手を選ぶ。印は道を開けるためのものだ」
それは、竜の谷で聞いた話と同じだった。
ユアンは黒い金属片を卓へ置く。
「問題は、この継ぎ片そのものじゃない」
「使い方?」
セラが尋ねる。
「それと、作り方」
ユアンは分解した装置の中から、二枚の黒い板を取り出した。
一枚は滑らか。
もう一枚には、細い溝が何重にも刻まれている。
「こっちはただ変換する。古い仕組みに新しい印や名前を読ませるためのもの」
滑らかな方。
次に、溝の多い方を示す。
「こっちは、返ってきた反応を押し返す」
「押し返す?」
「認識させるだけじゃなく、向こうから命令を返せる」
ハヤトはクロの首輪を思い出した。
レグの古い名。
《帰還》。
「鎖にできる」
レグが言った。
ユアンは頷いた。
「できる」
誰も喋らなくなった。
同じ技術。
同じ考え方。
相手を認識するための仕組み。
そこへ、命令を返す機能を足す。
それだけで性質が変わる。
「誰が作った?」
ハヤトが尋ねる。
「知らない」
ユアンは迷わず答えた。
「少なくとも俺たちじゃない。師匠も嫌ってた」
「俺たち?」
カイルが聞き返す。
「北東に、こういう古い仕組みを直して回ってる技師がいる。数は少ないけどな」
「組織?」
「昔はそうだったらしい。今は工房がいくつか残ってる程度だ」
「その中に、命令を返す方を作る人間がいる?」
「いる」
今度の答えは重かった。
「少なくとも、いた」
◇
ユアンは少し迷ったあと、中継所の奥に置いてあった鞄から布に包まれた部品を取り出した。
「これを見つけたから、ここまで来た」
布を開く。
黒い金属の輪。
完全な首輪ではない。
途中で割れている。
それでも、ハヤトには嫌な見覚えがあった。
クロの痕と似ている。
レグもすぐ気づいた。
「首につけるやつ?」
「形としては」
「誰の?」
「分からない。ここよりさらに北東の古い中継所で拾った」
「最近?」
「三日前」
カイルが身を乗り出した。
「使われた痕は?」
「ある」
内側。
擦れた跡。
新しい傷。
錆も少ない。
「昔の遺物じゃない?」
セラが確認すると、ユアンは首を横に振った。
「部品自体は古い。でも、使われたのは最近だ」
レグの手が、無意識にクロの背へ触れた。
クロは静かにしている。
怯えてはいない。
ただ、黒い輪から目を逸らさなかった。
「おとうさん、これ追ってた?」
レグが尋ねる。
「可能性はある」
ハヤトはそう答えた。
「でも、まだ決めない」
「うん」
レグは頷く。
その返しに、ユアンが少し意外そうな顔をした。
「父親を探してるのか?」
「ガルド」
ユアンの表情が止まった。
「……ガルド?」
今度は、ハヤトたちの方が反応する。
「知ってるの?」
レグが一歩前へ出た。
ユアンはすぐには答えなかった。
記憶を探すように視線を下げる。
「会ったことはない」
レグの顔から少し期待が落ちる。
「でも名前は知ってる」
「どこで?」
「北東の工房で」
「何で?」
「七、八年前くらいだったと思う」
ユアンは黒い輪を見たまま続ける。
「古い仕組みを片っ端から調べてる竜がいるって話になった」
「竜?」
「ああ。怪我してても止まらない。質問は多い。人の話を最後まで聞かない」
レグがハヤトを見る。
ハヤトもレグを見る。
「……おとうさんっぽい」
「かなりな」
ユアンはさらに続けた。
「それと、やたら娘の話をする」
レグの顔が変わった。
「娘?」
「会った奴全員に言うらしい。娘がいる。すごい。可愛い。強くなる。たぶん自分より賢い――」
「おとうさん」
レグが両手で顔を覆った。
セラが笑いをこらえている。
ハヤトは無理だった。
「本人だろ、それ」
「多分な」
ユアンも笑った。
「名前までは聞いてない。でも、ガルドって竜の話は覚えてる」
「どこ行った?」
顔を上げたレグが、今度は真剣に尋ねる。
ユアンは北東を指した。
「最後に聞いたのは、《旧環路》の方へ向かったって話だ」
「きゅうかんろ?」
カイルが地図を広げる。
「場所は?」
「今の地図にはほとんど載ってない」
ユアンは指で北東をなぞり、山地の手前で止めた。
「古い中継所が輪みたいにつながってる地域がある。俺が拾った首輪の部品も、その入口に近い」
「そこに行けば、おとうさんの痕跡ある?」
「七、八年前の話だぞ」
「でも行く」
レグの返事は早かった。
すぐ続ける。
「準備してから」
その一言に、ハヤトは少し笑った。
「ちゃんと入ったな、それ」
「うん」
◇
夕方まで、ユアンから道の情報を聞いた。
旧環路までは、ここからさらに数日。
途中に使える中継所が二つ。
水場はある。
ただし、三つ目の道から先は崩れている可能性が高い。
「俺も戻る途中だった」
ユアンが言う。
「戻る?」
「北東へだ。工房へ報告する」
「一緒に行く?」
レグが尋ねる。
ユアンは少し考えた。
「二つ先の中継所までは道が同じだ。そこまでなら」
「決まり」
「俺の返事、今しただろ」
「した」
「……まあいい」
レグは満足そうだった。
その夜。
中継所で火を囲む。
ユアンは壁際。
カイルは地図。
レグはクロの横で、トルにもらった木彫りの鳥を眺めている。
セラは少し離れたところで、薬草の冊子を閉じた。
「ハヤト」
「ん?」
「今日、何も触らなかったね」
「触るものなかっただろ」
「黒いのいっぱいあった」
「それは勝手に触ったら絶対怒られるやつじゃん」
「分かるようになったんだ」
「俺の扱いひどくない?」
セラは笑う。
「褒めてる」
「それ褒めてる?」
「多分」
少しだけ間が空いた。
火の向こうではユアンとカイルが、まだ部品について話している。
「でも」
セラが声を落とした。
「今日の話、ちょっと嫌だね」
「首輪?」
「うん」
古いものが残っているだけなら、まだいい。
誰かが今も使っている。
その可能性が出てきた。
「レグには聞こえてるかな」
「聞こえてると思う」
二人で少し先を見る。
レグは木彫りの鳥をしまい、クロの頭へ手を置いた。
そして黒い輪ではなく。
北東へ続く暗い道を見ていた。
ガルドが通ったかもしれない道。
今も誰かが、古い仕組みを使っている道。
明日から。
そこへ向かう。




