消えなかった道
ソルドを出てから、半日ほど。
古い北東道は、思っていたよりもしっかり残っていた。
草に覆われている場所は多い。それでも石を敷いた跡は途切れず、森の中には一定の間隔で道標らしい石が立っている。
「誰も使ってない感じしない」
レグが足元の石を見ながら言った。
「完全に使われてないなら、もっと崩れててもおかしくないな」
カイルは地図と周囲を何度も見比べている。
ソルドで聞いた話では、一つ目の石橋までは昔なら半日ほど。
その目安が正しいなら、もう近いはずだった。
セラは歩きながら道端の植物へ目を向けていた。
「それ、薬草?」
ハヤトが聞く。
「違う。似てるけど」
「もう分かるの?」
「全部じゃないよ」
セラは葉を摘まず、少し離れて観察する。
「マーナさんの本にあったやつに似てたから見ただけ。こっちは葉の裏が違う」
「俺には同じ草に見える」
「そうだと思う」
「即答だな」
以前なら、旅の途中でセラが足を止めるのは何か異変を見つけたときが多かった。
今は薬草を見るためにも止まる。
それも悪くない変化だと思う。
「ハヤト」
先を歩いていたレグが振り返る。
「橋」
木々の間。
水の音が聞こえてきた。
◇
一つ目の石橋は、まだ使えた。
幅は荷馬車一台分ほど。
欄干の一部が崩れているが、橋そのものはしっかりしている。
下を流れる川も、それほど深くない。
「普通に渡れそうだな」
ハヤトが言うと、カイルは橋の入口でしゃがみ込んだ。
「その前にこれ」
石畳の脇。
半分土へ埋もれた小さな板がある。
引き抜くと、古い文字が残っていた。
「読める?」
「少し」
カイルが土を払う。
「《第一橋》……その下は《中継》かな」
「中継所?」
レグがすぐ近づく。
「いや。《次の中継まで》って書いてあるみたいだ」
さらに文字を追う。
「《一日》」
「じゃあ二つ目の橋より先?」
「多分な」
ソルドの古い帳面にあった記録とも合う。
二つの石橋を越えた先。
そこに、名前を残さなかった技師が戻ったという中継所がある。
「明日くらい?」
レグが聞く。
「順調なら」
カイルが板を元の位置へ戻そうとして、手を止めた。
「……新しい傷がある」
「傷?」
板の端。
古い木の表面が、細く削れている。
周囲は黒ずんでいるのに、そこだけ色が明るい。
ハヤトも近くで見る。
「最近誰か触った?」
「少なくとも二十年前じゃない」
「いつ?」
「そこまでは分からない」
レグが辺りを見る。
「人いる?」
クロも鼻を上げたが、特に警戒する様子はない。
「今近くにいる感じじゃなさそう」
セラの言葉に、レグも弓へ手を伸ばすことはなかった。
誰かがこの道を使っている。
それだけ覚えておけばいい。
四人は橋を渡った。
◇
問題が起きたのは、その一時間後だった。
道が二つに分かれている。
「地図だと?」
ハヤトが聞く。
「分かれてない」
カイルが眉を寄せる。
右は少し下る道。
左は山側へ続く。
どちらにも古い石畳が残っている。
「どっち?」
レグが尋ねても、カイルはすぐには答えなかった。
「昔の道が途中で増えたのか、片方が作業道なのか……」
クロが右へ数歩進み、匂いを嗅ぐ。
今度は左。
戻ってくる。
「クロも分からない?」
レグが聞くと、尻尾が一度だけ動いた。
「それ返事なのか?」
ハヤトが言うと、レグは真剣に考えた。
「たぶん違う」
カイルは分岐の中央に立つ石を調べ始めた。
また古い文字。
ただし、かなり削れている。
「右が……《荷》?」
「荷物?」
「多分。左は……読めないな」
セラが道の様子を見る。
「右の方、車輪の跡ない?」
言われて全員が見る。
泥ではないからはっきりした跡ではない。
それでも、右側の石の方が中央だけ滑らかに擦れている。
「昔は荷車が通ってた?」
「ありそうだな」
カイルが頷きかけたときだった。
ハヤトは石柱の横に、妙なものを見つけた。
「これ何?」
腰ほどの高さに、小さな四角い窪みがある。
奥には金属。
黒いものではない。
古びた銀色。
「触るなよ」
「まだ触ってない」
「“まだ”って言ったな」
「言葉のあやだよ」
セラが横で笑っている。
カイルが窪みを覗いた。
「仕組みが残ってるな」
「道案内?」
「かもしれない」
その上に、かろうじて文字が残っていた。
カイルが読む。
「《運ぶ者、道を示せ》」
ハヤトとセラの視線が合う。
「また役目?」
レグが聞く。
「今度は《運ぶ》か」
竜の谷で知った古い役目の一つと、言葉だけなら同じだった。
だが、それだけで同じ仕組みとは言えない。
「名前必要?」
「書いてない」
カイルがさらに調べる。
「手か、何かを置く場所っぽい」
「俺、やる?」
ハヤトが言う。
三人が同時にこちらを見る。
「何その顔」
セラが腕を組む。
「ちゃんと待てるかなって」
「昨日待っただろ」
「一日で信用全部戻ると思ってる?」
「昔の俺どんだけひどかったんだよ」
レグが真顔で言う。
「いっぱい触った」
「……カイル、どうする?」
「俺に振るな」
少し笑いが起きたあと、カイルは真面目な顔に戻る。
「まず俺がやる」
窪みに手を当てる。
何も起きない。
「拒まれてる?」
ハヤトが尋ねる。
「いや。何も分からない」
次にトルから借りた古い道の札を近づけてみたが、やはり反応しなかった。
「レグは?」
「やらなくていい」
カイルが首を振る。
「竜の仕組みかどうか分からないものに、わざわざレグを先に触らせる理由がない」
「うん」
レグも納得した。
最後に。
三人の視線がハヤトへ戻る。
「俺だな」
「慎重にね」
セラが言う。
「分かってる」
◇
窪みに右手を当てる。
最初は何もない。
少しだけ魔力を流す。
そこで。
石柱のときと同じ感覚が返ってきた。
使えない。
資格が違う。
「ある」
「条件?」
カイルが聞く。
「ああ」
ハヤトは目を閉じる。
昨日より分かりやすかった。
《運ぶ者ではない》。
たぶん、それが条件だ。
「越えられそう」
「何が起きるか分からない。少しずつ」
「了解」
《自由》を重ねる。
境目が消える。
その瞬間。
石柱の中で何かが動いた。
ガコン。
「でかい音!」
レグが一歩下がる。
「俺もびっくりした!」
「離す?」
セラが聞く。
「待って。変な感じはない」
次に聞こえたのは、石が擦れる音。
道の中央。
今までただの石畳だと思っていた一枚がゆっくり持ち上がる。
その下から、細い石柱が現れた。
「……そんなの入ってたのか」
カイルが近づく。
上部には矢印が二つ。
右。
左。
右側の下には、荷車のような印。
左側には、人が歩く姿を簡略化したような印。
「右が荷の道」
「左が徒歩?」
セラが言う。
「そう見える」
カイルはさらに文字を読む。
「右は《橋へ》」
「二つ目?」
「位置的にはそうだと思う」
「じゃあ右」
レグが即答する。
だが、ハヤトはまだ手を離さなかった。
「左は?」
カイルが読む。
少し時間がかかる。
「《近道》……じゃないな。《近き道》?」
「同じじゃない?」
「昔の言い回しだから意味が違うかもしれない」
もう一行。
カイルの表情が変わった。
「《中継を知る者はこちら》」
全員が左の道を見る。
「中継所?」
ハヤトが尋ねる。
「そう読める」
右は荷車が通れる、二つ目の橋へ続く道。
左は細い。
だが、中継所を知る者が使ったらしい道。
「近道?」
レグが聞く。
「今度は本当にそうかもな」
ハヤトは《自由》を解き、手を離した。
石柱は出たままだ。
「戻らない?」
「案内を出したあとは残る仕組みみたいだな」
カイルが石柱を調べる。
「壊した?」
レグが心配そうに聞く。
「多分壊してない」
「多分?」
「だから今見てる」
数分確認したが、特に異常はなかった。
「ハヤト」
セラが隣へ来る。
「今のどうだった?」
「簡単だった」
「石柱のときより?」
「うん。条件を飛ばしただけって感じ」
「疲れてない?」
「全然」
セラは一応ハヤトの顔を見てから頷いた。
「ならいいけど」
「心配してくれた?」
「普通にするでしょ」
「そっか」
「……何その顔」
「別に」
「最近それ多い」
レグは二人ではなく、左右の道を見ていた。
「どっち行く?」
◇
結局、左を選んだ。
理由は単純だった。
探しているのは中継所だからだ。
ただし、細い道なので荷車用より荒れている可能性が高い。
「行けなくなったら戻る」
カイルが最初に決めた。
「無理に進まない」
「了解」
ハヤトが答える。
レグも頷く。
セラは地面を見ながら少し進み、足を止めた。
「これ」
道端の草。
折れている。
一か所だけではない。
「動物?」
ハヤトが聞く。
「分からない。でも」
セラが少し先を指した。
細い道の泥。
そこに靴跡が一つ残っている。
雨が止んでから付いたものだ。
「新しい」
カイルがしゃがむ。
「一人?」
「見える範囲では」
クロがその跡へ鼻を近づけた。
しばらく嗅ぐ。
そして。
北東へ伸びる道を見た。
耳が立っている。
「クロ?」
レグが近づく。
クロは歩き出さない。
ただ、匂いの先を気にしている。
「知ってる匂い?」
返事はない。
けれど、さっきまでとは明らかに様子が違った。
「追う?」
レグが聞く。
ハヤトは足跡を見る。
誰のものか分からない。
ガルドだと決める理由もない。
「普通に進もう」
「走らない?」
「走らない」
「うん」
レグは弓の位置だけ直し、クロの隣へ並んだ。
◇
道は夕方近くまで続いた。
そして。
森が途切れる。
前方に小さな建物が見えた。
石造り。
屋根の半分は崩れている。
それでも壁は残っている。
「中継所?」
レグの声が少し弾む。
「位置的にはかなり近い」
カイルが地図を確認する。
ハヤトたちはゆっくり近づいた。
入口の上。
古い文字が刻まれている。
カイルが見上げる。
「《北東第二中継》」
「当たり?」
「多分な」
だが。
ハヤトは入口ではなく、地面を見ていた。
「カイル」
「何?」
「さっきの足跡」
建物の前。
同じ形の靴跡がある。
森から来て。
中へ入っている。
「先客いる」
セラが声を落とした。
レグも弓へ手を添える。
クロは低く構えてはいない。
ただ。
入口をまっすぐ見ていた。
次の瞬間。
中から、何かが落ちる音がした。
四人の動きが止まる。
少し間を置いて。
「……誰かいるのか?」
男の声が聞こえた。
若くはない。
ガルドの声を知るレグが、一瞬だけ目を見開く。
だが。
「おとうさんじゃない」
自分でそう言った。
ハヤトは頷き、入口へ視線を戻す。
「旅の冒険者です。道を調べてここまで来ました」
中で沈黙。
やがて。
一人の男が姿を見せた。
四十代くらい。
旅装。
腰には武器があるが、手はかけていない。
そして。
左手には。
黒に近い灰色の金属片が握られていた。
「……ソルドから来たのか?」
男はハヤトたちを順に見て。
最後に、レグのところで視線を止めた。
「竜までいるとは聞いてないな」
レグの目が細くなる。
誰も。
まだ彼女が竜だとは名乗っていなかった。




