水の通る場所
翌朝、冒険者組合へ着くと、マーナはすでに入口で待っていた。
手には数枚の紙と、小さな布袋。
「まずこれ」
セラが紙を受け取る。
描かれているのは、細長い葉を持つ植物だった。葉の中央に白い筋があり、根元には小さな紫色の実がついている。
「《ミナ草》。傷薬にも使うけど、煮出せば熱冷ましにもなる」
「似た草は?」
「ある。そこが面倒なんだよ」
マーナは二枚目を重ねた。
ほとんど同じ形。
違うのは、葉の縁に細かなギザギザがあることくらいだった。
「こっちは?」
「腹を壊す」
ハヤトが紙を見比べる。
「難しくない?」
「だからセラに教えてるんだよ」
「俺たちは?」
「勝手に採るな」
「はい」
即答したハヤトの横で、レグも二枚の絵を覗き込んでいた。
「レグ、わかる」
「ほんと?」
「こっち白い線」
「それは絵だから見えるの」
「本物も見る」
「触る前に私呼んでね」
「うん」
マーナはさらに採取する量と、根を残して葉だけ切ることを説明した。
セラは何度も紙を見直している。
「全部持って帰ったらだめなんですね」
「次に生えなくなるからね。必要な分だけ取る。治癒術と同じ」
その言葉に、セラが少し笑った。
「またそれですね」
「覚えやすいだろ?」
「かなり」
用水路までは町から歩いて一時間ほど。
依頼としては難しくない。
ただ、途中に林があり、小型の獣が出ることもあるらしい。
「弓使える?」
レグがすぐ聞く。
「出なきゃ使わなくていいでしょ」
セラに言われ、レグは少しだけ残念そうな顔をした。
「昨日の腕は?」
「もう痛くない」
「見せて」
レグが腕を曲げ伸ばしする。
セラは軽く触れて確かめ、問題ないと判断したらしい。
「今日は昨日より少なめにね」
「何本?」
「本数決めても、外したら増やすでしょ」
「……」
「図星?」
「ちょっと」
ハヤトは笑いながら荷物を背負った。
◇
町を出ると、しばらくは畑が続いた。
収穫時期だからだろう。街道には荷車が何台も行き交い、畑のあちこちから人の声が聞こえてくる。
古い用水路が見えてきたのは、畑が途切れて林に変わる少し手前だった。
石を組んで作られた細い水路。
今も水が流れている。
「結構古そうだな」
ハヤトが言うと、カイルはすでに縁の石を見ていた。
「少なくとも最近作ったものじゃない。でも遺跡ってほどでもない」
「残念?」
「何で俺が何でも遺跡扱いすると思ってる」
三人が無言でカイルを見る。
「……分かった。たまにはする」
「たまに?」
「先行くぞ」
カイルが歩き出した。
水路沿いには細い獣道のような道が続いている。
セラは紙と足元を交互に見ながら歩いていた。
「この辺かな」
「ある?」
レグがすぐ近くへ寄る。
「まだ。ミナ草は水が多すぎる場所より、少し乾いた縁に生えるって」
数分後。
「あ」
最初に見つけたのはレグだった。
水路から少し離れた岩の下。
細い葉。
中央に白い筋。
「これ?」
手を伸ばしかけて、途中で止める。
ちゃんとセラを見る。
「触っていい?」
「待って」
セラがしゃがむ。
葉。
根元。
紫色の小さな実。
紙と比べる。
「……多分、合ってる」
「多分?」
「初めてだから慎重なの」
カイルも隣から覗く。
「ギザギザはないな」
「じゃあこれ」
「一本だけ採って、マーナに見せよう」
セラが小さな刃物で葉を切った。
根は残す。
「全部取らない?」
レグが聞く。
「ここにまた生えるように」
「次の人の分?」
「そういうこと」
レグは少し考えてから頷いた。
「じゃあいっぱいあるとこ探す」
その言葉通り、そこからはレグが一番熱心に草を探し始めた。
弓より集中しているように見える。
「意外」
ハヤトが言うと、セラも小さく笑う。
「宝探しみたいなんじゃない?」
「レグ!」
少し先へ行った本人が振り返る。
「何?」
「何でもない!」
「変」
また前を向いた。
◇
午前中だけで、布袋の半分ほどが埋まった。
予定量にはまだ少し足りない。
水路は林の中へ入り、石組みもところどころ崩れている。
「こっち、水少ない」
レグがしゃがみ込んだ。
確かに。
さっきまで勢いよく流れていた水が、この辺りだけ浅くなっている。
カイルが上流を見る。
「どこか詰まってるかもな」
「依頼と関係ある?」
ハヤトが聞く。
「薬草は水辺に生える。水が止まれば影響はあるだろうけど……俺たちが直す依頼じゃない」
「見るだけ?」
「見るだけなら」
セラが笑った。
「その言葉、カイルが言うと不安なんだけど」
「俺、信用なさすぎないか?」
「積み重ねだよ」
五分ほど上流へ進むと、原因はすぐ分かった。
倒木。
昨夜か最近の雨で流されてきたらしく、太い枝が水路を横切っている。
葉や泥まで引っかかり、小さな堰のようになっていた。
「これか」
ハヤトが近づく。
「どかせば終わりそう」
「待って」
セラの声で足を止めた。
水路の反対側。
茂みが揺れた。
クロも同時に顔を上げる。
「何かいる」
レグが弓へ手を伸ばした。
茂みから現れたのは、大型の猪に似た獣だった。
角はない。
ただし、普通の猪より一回り大きい。
鼻先と前脚が泥だらけになっている。
「こいつが倒した?」
ハヤトが木剣ではなく、本物の剣へ手をかける。
獣はすぐには突っ込んでこない。
こちらを警戒しているだけだ。
「子どもいるかも」
セラが言った。
見ると、茂みの奥で小さな影が二つ動いている。
「追い払うだけでいいな」
ハヤトは剣を抜かなかった。
レグも弓を構えたまま、矢をつがえない。
「クロ」
レグが呼ぶ。
クロは前へ出た。
吠えない。
獣へ一直線にも行かない。
少しずつ横へ回り込み、水路とは反対側の林へ逃げ道を作る。
昨日の角兎と同じだった。
「うまいな」
ハヤトが呟く。
大猪がクロを見る。
鼻を鳴らす。
レグが低い声で言った。
「そっち行って」
通じるはずもない。
それでも、クロが一歩踏み込むと、大猪は子どもたちを促すように林へ向きを変えた。
ゆっくり。
途中で一度こちらを見る。
そのまま消えていく。
「終わり?」
レグが弓を下ろした。
「終わり」
「撃たなかった」
「撃つ必要なかったからな」
「うん」
不満はなさそうだった。
むしろクロを褒めるように頭を撫でている。
「クロ、上手」
尻尾が一度だけ動いた。
◇
倒木は四人で動かした。
正確には、カイルが枝を切り、ハヤトが太い部分を持ち上げ、レグが小枝をどかし、セラが流れ始めた水の先を確認した。
「もう少し右!」
「右ってどっち!?」
「ハヤトから見て!」
「最初に言って!」
重い。
昨日ベルドに言われた足の位置を思い出し、腰ではなく脚で支える。
「お」
「何?」
「昨日より持ちやすい」
「今それ?」
セラに呆れられながら、最後に一気に押す。
倒木が水路の外へ転がった。
溜まっていた水が流れ出す。
「きた!」
レグが声を上げる。
浅くなっていた下流へ、水が勢いよく走っていく。
「濡れるぞ」
言うのが遅かった。
レグの靴に水がかかる。
「冷たい!」
「だから言った」
「遅い」
「ごめん」
カイルが水路の縁を確認する。
「石は崩れてない。町に報告だけしとけばいい」
「直さなくていい?」
ハヤトが聞く。
「俺たちは用水路屋じゃない」
「正論」
そのとき。
「あっ」
少し離れたところからセラの声がした。
何かあったのかと思い、全員が振り返る。
セラは水路の脇にしゃがんでいた。
「これ、見て」
そこにはミナ草がまとまって生えていた。
水が戻ったばかりの土。
白い筋の入った葉が何十本も並んでいる。
「いっぱい」
レグが嬉しそうに近づく。
「全部採る?」
「半分も採らない」
「なんで?」
「必要な分だけ」
セラは一本ずつ状態を確認していく。
若すぎるものは残す。
傷んだ葉も取らない。
ちょうどいいものだけ。
「昨日だったら、見つけた分全部持って帰ろうとしてたかも」
セラが言った。
「怒られる?」
「多分」
「マーナ怖い?」
「怖くはない。でも正論で言われる」
「それ一番逃げられないやつだな」
ハヤトの言葉に、セラが笑った。
ほどなくして必要量が揃った。
◇
昼食は、水路から少し離れた草地で取った。
簡単なパンと干し肉。
レグは濡れた靴を脱ぎ、陽に当てている。
「帰るまで乾く?」
「多分」
セラが答える。
「帰り裸足?」
「それは駄目」
「なんで?」
「足切るから」
「竜になれば?」
ハヤトが言う。
レグが止まる。
「それだ」
「最初からそうすれば?」
「ハヤト、頭いい」
「もっと褒めていいぞ」
「たまに」
「撤回して」
カイルが笑いながら地図を広げた。
「この用水路、古い街道に沿ってる」
「また地図?」
ハヤトがパンを食べながら覗く。
「今は普通の話だ。この先に小さい集落が一つある」
「北東?」
「ああ。ただ、ガルドを追うならまだ先だ」
レグも地図を見る。
「行く?」
「今じゃない」
自分でそう答えた。
ハヤトは少し驚いてレグを見る。
「何?」
「いや」
「レグ、分かってる」
「ああ」
「今はセラの草」
セラが笑う。
「私の草じゃないけどね」
「でもセラの依頼」
「それはそう」
レグは地図から離れ、干し肉へ戻った。
以前なら、ガルドにつながる方角と聞いただけで、もう少し食いついていただろう。
今は違う。
行かないのではない。
行く時を、自分で決めている。
◇
町へ戻ったのは午後だった。
マーナは採ってきたミナ草を一束ずつ確認した。
「悪くない」
「本当ですか?」
「三本だけ若すぎる」
セラの顔が少し曇る。
「これですか?」
「そう。次から残しな」
「はい」
「でも初めてなら上出来」
その一言で、表情が戻る。
「用水路が倒木で詰まってました」
「どかした?」
「はい」
「それも組合に報告しときな。畑の方へ影響出る前でよかった」
「報酬増える?」
レグが聞く。
マーナがレグを見る。
「そこ気になる?」
「うん」
「組合次第」
「増えるといい」
「正直だねえ」
マーナは笑い、セラへ一冊の薄い冊子を渡した。
「何ですか?」
「薬草の基礎。古いのだけど、使える」
「借りていいんですか?」
「返してよ」
「もちろん」
セラは嬉しそうに頁をめくった。
ハヤトはその横顔を見る。
治癒術を使えたから、治癒術師だったわけではない。
今まさに、自分から学び始めている。
「セラ」
「何?」
「楽しそうだな」
セラは冊子から顔を上げた。
「うん」
少し照れるかと思ったが。
今回はそのまま答えた。
「思ってたより、ずっと」
「そっか」
「何?」
「いや。それならよかった」
セラも少しだけ笑う。
「ハヤトは今日、剣やってないね」
「倒木持った」
「それ訓練?」
「足の使い方は役に立った」
「無理やりじゃない?」
「本当に」
レグが横から入る。
「ハヤト、丸太の人になる?」
「ならない」
「料理する人の次?」
「その話まだ残ってたの?」
カイルが吹き出す。
マーナだけが意味を分からず首を傾げていた。
夕方。
四人と一匹は宿へ戻った。
薬草採取。
用水路の倒木。
獣を追い払ったこと。
今日起きたのは、それくらいだ。
古い名前も。
動き出す施設も。
誰かを呼ぶ声もなかった。
それでも、一日が短かったとは誰も思わなかった。
明日もセラは治療所へ行く。
レグは腕の様子を見ながら弓を引く。
ハヤトも、また訓練場へ顔を出すつもりだった。
カイルには地図がある。
それぞれが選んだことを続ける。
次の大きな道を選ぶのは、それからでも遅くなかった。




