それぞれの午前
翌朝。
宿の食堂で朝食を終えると、四人は本当に別々の方向へ散った。
セラは昨日の治療所へ。
カイルは商人組合と地図屋を回ると言って、パンを食べ終えるなり出ていった。
レグも弓を背負って立ち上がる。
「昨日の畑?」
ハヤトが聞くと、レグは首を横に振った。
「組合の裏に練習するとこあるって聞いた」
「一人で?」
「クロいる」
足元ではクロがすでに立ち上がっている。
「それに昨日、弓持ってる人いた。教えてくれるって」
「誰?」
「名前聞いてない」
「そこ聞いとけよ」
「今日聞く」
本人が気にしていないならいいのだろう。
レグが外へ向かいかけたところで、セラが呼び止めた。
「お昼には一回戻ってきてね。ずっと弓引いてると腕痛めるから」
「わかった」
「ちゃんと休んで――」
途中でセラが口を閉じる。
レグが振り返った。
「なに?」
「……水も飲んで」
「うん」
それだけ言うと、セラは自分の荷物を持って先に出ていった。
ハヤトはその背中を見送りながら笑う。
「今、お母さんみたいって言われると思っただろ」
レグが頷いた。
「うん」
「言わなかったんだ」
「毎回言うとセラ困る」
「学習してる……」
「レグ、ちゃんとしてる」
「自分で言うなって」
レグもクロを連れて出ていく。
宿の前に残ったのは、ハヤト一人だった。
「……本当に一人になったな」
昨日は気楽に考えていた。
ところが、いざ自由な時間を渡されると何をすればいいのか思いつかない。
異世界へ来たばかりの頃なら、知らない町を歩くだけでも楽しかった。
最近は目的地がありすぎた。
レグの両親。
古い施設。
カイルの仲間。
竜の谷。
白い森。
誰かを探すか、何かを調べるか。そのどちらかが当たり前になっていた。
「何か探す、か」
昨日自分で言った言葉を思い出す。
目的もなく町を歩き始めた。
◇
トルカは朝から忙しかった。
市場には採れたばかりの野菜が積まれ、街道側では荷馬車へ袋を運び込む人々が声を掛け合っている。
ハヤトは武器屋を覗き、道具屋を覗き、結局何も買わずに出た。
次に見つけたのは、小さな訓練場だった。
冒険者向けというより、町の自警団が使う場所らしい。
木剣を振っている若者が数人。
その端で、年配の男が荷車の車輪ほどもある丸太を立て直している。
「手伝います?」
何となく声をかけた。
男が振り返る。
「冒険者か?」
「一応」
「ならこっち持ってくれ。朝から腰が限界だ」
「いいですよ」
二人で丸太を起こす。
見た目以上に重い。
《自由》を使えば何か楽な方法があるのかもしれないが、わざわざ使うほどでもない。
力を合わせて固定する。
「助かった」
「これ何に使うんですか?」
「槍の練習。畑に出る獣相手なら、剣よりこっちの方が安全だからな」
男は自警団のまとめ役で、名をベルドと言った。
ハヤトが町に数日いると話すと、木剣を一本投げてくる。
「暇なら相手してけ」
「俺?」
「今、暇なんだろ?」
「……まあ」
否定できなかった。
若者の一人と向かい合う。
本気の模擬戦ではない。
相手の打ち込みを受け、何度か返す。
特別強くはない。
だからこそ、基本がよく見えた。
「足止まってるぞ」
ベルドの声が飛ぶ。
「え、俺?」
「お前だ」
ハヤトは自分の足元を見る。
「そんな止まってます?」
「相手が振る瞬間だけな。受けること考えすぎだ」
言われてからもう一度やる。
確かに。
相手の剣を見てから受けようとすると、一瞬身体が固まる。
今まで強い敵を相手にするときは、《自由》や魔法、仲間との連携で何とかしてきた。
剣そのものを、きちんと習った時間は意外と少ない。
「もう一回お願いします」
若者が頷く。
今度は足を意識する。
少し違った。
「さっきよりまし」
ベルドが言う。
「まし止まり?」
「二回で達人になるなら、俺が泣く」
「ですよね」
妙に納得した。
できることと、上手くできることは違う。
レグが弓を始めたときにも、同じことを思った。
《自由》があるからといって、自分だけ例外ではない。
気づけば、昼近くまで木剣を振っていた。
◇
その頃、セラは治療所で昨日とは違う壁にぶつかっていた。
「そこまで」
治療を見ていた女性――マーナが声をかける。
セラはすぐ術を止めた。
寝台に座っているのは、荷運び中に足を捻った若い男だ。
腫れはかなり引いている。
それでもセラには、まだ治せるのが分かった。
「もう少しいけます」
「いけるね」
「なら――」
「でもやらない」
マーナは患部を確認し、男へ足をつかないよう念を押す。それから包帯を巻き直した。
「昨日の話、覚えてる?」
「全部治すのがいいとは限らない」
「そう。でも今は別の理由もある」
セラは男の顔を見る。
疲れている。
怪我だけではない。
「魔力?」
「この人のね」
治癒術は術者だけの力で傷を消すものではない。
身体が治ろうとする力へ、魔力で手を貸す。
無理に進めれば、その分だけ本人にも負担が残る。
「傷だけ見たら駄目なんですね」
「人を見る」
マーナは短く答えた。
「同じ切り傷でも、子どもと冒険者じゃ違う。昨日寝てない奴と、飯食ってきた奴でも違う。治癒術が上手いっていうのは、光を強くできることじゃないよ」
セラは自分の手を見る。
これまでにも何人も治してきた。
ハヤト。
レグ。
旅先で出会った人たち。
傷を治せれば、それで役に立てていると思っていた。
「難しい……」
「だから面白いんだろ?」
マーナが次の患者を呼ぶ。
セラは少し笑って、その横へ立った。
◇
昼。
宿の食堂へ戻ると、最初に来ていたのはレグだった。
卓に突っ伏している。
「どうした?」
ハヤトが向かいに座る。
「腕いたい」
「やりすぎた?」
「ちょっと」
「セラに言われてたじゃん」
「休んだ」
「どれくらい?」
「途中で一回」
「時間は?」
「……ちょっと」
「絶対短いやつだな」
レグは顔だけ上げた。
「でも当たった」
「何本?」
「十本のうち三本」
「昨日よりいいじゃん」
「うん」
すぐ機嫌が戻る。
「教えてくれた人、名前聞いた?」
「聞いた。ディン」
「よし」
「狩人だった」
そこでセラも戻ってきた。
椅子に座るなり、レグの腕に目を向ける。
「痛いの?」
「ちょっと」
「見せて」
「だいじょうぶ」
「いいから」
レグは素直に腕を出した。
セラは軽く触れ、動きを確かめる。
「筋肉使いすぎ。ただの疲れ。今日はもう弓なし」
「夜は?」
「なし」
「明日は?」
「痛みがなければ」
レグが不満そうな顔をする。
ハヤトが聞いた。
「治癒術で治さないの?」
「治せるけど、これは治さなくていい」
即答だった。
昨日までなら、軽く術を使っていたかもしれない。
「使った分ちゃんと休ませれば戻るから。痛みだけ消したら、またレグやるでしょ」
「やる」
「だから駄目」
「なるほど」
ハヤトが笑う。
「もう勉強したこと使ってるじゃん」
セラは少し嬉しそうだった。
「今日教わった」
「面白かった?」
「うん」
迷いのない返事だった。
「明日も行く?」
「行く」
そこへカイルも戻ってくる。
丸めた紙を何本も抱えていた。
「収穫あった?」
ハヤトが尋ねる。
「あった。北東へ行く商隊は少ないけど、道自体は残ってる。あと古い地図も一枚見つけた」
「買った?」
「高かった」
「じゃあ?」
「写させてもらった」
「何時間?」
「聞くな」
セラがじっと見る。
「ちゃんとご飯食べた?」
「今から食う」
「朝から?」
「……今から食う」
「食べてないじゃん」
カイルが席につく。
「全員、自分のことやってたらこれだ」
ハヤトが呟くと、セラがこちらを見る。
「ハヤトは何してたの?」
「剣振ってた」
「急に?」
「町歩いてたら誘われて」
「どうだった?」
「足止まるって言われた」
レグが顔を上げる。
「ハヤトも練習?」
「らしい」
「一緒」
「そうだな」
少し嬉しそうに笑う。
セラも何か言おうとして、ハヤトの手を見た。
「手」
「ん?」
「皮むけてる」
木剣を握っていた右手。
親指の付け根に小さく皮が剥けたところがある。
「ああ、これくらい平気」
「見せて」
「いや、レグには治癒術使わないって」
「これは傷だから別」
「ほんのちょっとだぞ」
「化膿したら面倒」
セラが手を取る。
淡い光。
ほんの一瞬だけ。
傷が塞がる。
「はい」
「……ありがと」
「どういたしまして」
手を離す。
昨夜までなら、それだけだった。
今は少しだけ、二人とも間が空く。
レグが見ている。
「何?」
セラが先に聞いた。
「今日は変じゃない」
「今日は?」
「ちょっとだけ」
「どっちなの」
レグは考えたが、すぐ運ばれてきた昼食へ興味を移した。
助かったのか、少し残念なのか。
ハヤト自身にもよく分からなかった。
◇
午後。
四人は一緒に冒険者組合へ向かった。
今日はもう依頼を受けるつもりはない。
ただ、明日の予定を確認するためだった。
マーナが治療所から出てくる。
「ちょうどよかった。セラ」
「はい」
「明日なんだけど、朝から治療所じゃなくて外でもいい?」
「外?」
マーナは依頼板の端に貼られた紙を指した。
町の北。
古い用水路沿いに生える薬草の採取。
治療所でも使うものらしい。
「今いる子たちじゃ、ちょっと遠い。あんた冒険者なんだろ?」
「はい」
「薬草の見分け方を教える。その代わり、採ってきてほしい」
セラは紙を読む。
「一人で?」
「仲間連れてっていいよ。採取分は依頼として報酬も出る」
レグがすぐ横から覗いた。
「行く」
「まだ内容ちゃんと読んでないでしょ」
「外行く」
カイルも紙を見る。
「用水路って、この古い街道の近くだな」
「地図にある?」
「ああ」
ハヤトは依頼書を見た。
薬草採取。
畑。
古い用水路。
特別な遺跡でもなければ、怪しい施設の話もない。
「明日は全員で行くか」
そう言うと、セラが少し驚いた。
「いいの?」
「セラの勉強にもなるんだろ?」
「うん」
「レグは外出たい」
「うん」
「カイルは道見たい」
「まあな」
「俺も暇じゃない」
セラが笑った。
「最後だけ理由弱くない?」
「剣振るのは帰ってからでもできる」
「じゃあ決まり」
マーナが依頼書を外す。
「朝、ここへ来な。薬草の絵を渡す」
セラが頷いた。
組合を出る。
夕方の町。
昨日と同じ道なのに、少し違って見えた。
急ぐ旅ではない。
だから一人で動く時間もある。
別々にやりたいことを選んで、それでもまた一緒に戻ってくる。
「明日、弓持ってく」
レグが言う。
「腕治ってたらね」
セラが返す。
「治ってる」
「明日の朝見る」
「ハヤトも剣?」
「持ってくよ。普通に武器だからな」
「練習する?」
「薬草採りながらはしない」
カイルが横から笑った。
「お前ら、少し休むことも覚えた方がいいぞ」
三人が同時にカイルを見る。
「何だ」
ハヤトが言った。
「今日昼飯抜いたやつに言われたくない」
「それはそう」
セラが頷く。
レグまで真似して頷いた。
カイルだけが言葉に詰まった。
明日は久しぶりに、全員で町の外へ出る。
目的は薬草。
今のところ、それだけだった。




