選び取る明日
町へ着いた頃には、空の半分以上が夕暮れに染まっていた。
遠くから見たときは小さな町に思えたが、中へ入ってみれば宿屋も食堂もあり、街道沿いには商人の荷車が何台も停まっている。
町の名はトルカ。
周囲に広がる畑と、街道を行き交う荷を相手に成り立っている町らしい。
「肉のにおいする」
宿を探していたレグが、いきなり進路を変えた。
「そっちは宿じゃないぞ」
ハヤトが呼び止めると、レグは食堂の前で足を止める。
「先にごはん」
「荷物置いてから」
「近い」
「何が?」
「ごはん」
「宿も近いから」
レグは少し考え、食堂とハヤトを見比べた。
結局、渋々戻ってくる。
「セラも宿?」
「当たり前でしょ。私も荷物重いし」
そう言って、セラは肩に掛けた鞄を持ち直した。
その動きを見ていたハヤトと目が合う。
一瞬。
セラが先に視線を逸らした。
「……何?」
「いや、何も」
「なら見ないで」
「見てないって」
「見てた」
レグが横から言う。
「お前はいいから宿探せ」
「なんで?」
「なんでも」
後ろを歩いていたカイルが、小さく笑った。
「随分分かりやすくなったな」
「何が?」
「何でもない」
「お前までそれ使うな」
結局、街道から一本入ったところにある宿へ入った。
部屋を取って、荷物を置く。
そのあとは当然のように、レグが最初に見つけた食堂へ向かった。
◇
翌朝。
「今日はどうする?」
朝食を終えたところで、セラが尋ねた。
ハヤトはパンをちぎりながら首を傾げる。
「どうするって?」
「次の行き先」
「ああ」
決めていなかった。
白い森を出るときも。
この町へ向かうときも。
ひとまず補給できる場所へ行こう。それだけだった。
レグがすぐ口を挟む。
「おとうさんの方?」
「今すぐは行かないって決めただろ」
「うん」
「なら、まず情報集め」
カイルが卓の上へ地図を広げる。
北東。
ミレアから聞いた、ガルドが向かった可能性のある地域。
そこだけ、カイルの地図は極端に情報が少ない。
「道そのものがないわけじゃない。ただ、この先は古い地図と今の地図でかなり違う」
「じゃあ新しい地図探す?」
セラが聞く。
「それもする。商人にも話を聞きたい」
「何日くらい?」
「二、三日いてもいいんじゃないか」
ハヤトがそう言うと、レグは意外そうな顔をした。
「急がない?」
「急いでないからな」
「おとうさんいるかも」
「いるかもしれない。でも、どこか分からないまま突っ込んでも仕方ないだろ」
「うん」
以前なら、そこで「じゃあ探しながら行く」と言っていたかもしれない。
今のレグは素直に頷いた。
「じゃあ何する?」
「とりあえず町見るか」
「ごはん?」
「朝食ったばっかだろ」
「お昼の見る」
「早い」
セラが笑う。
「私は冒険者組合があるなら、一回見てみたいかな」
「依頼?」
「それも」
少し歯切れが悪い。
ハヤトが聞き返そうとすると、セラはもう席を立っていた。
「行けば分かる」
「なんだそれ」
「早く」
「はいはい」
◇
トルカの冒険者組合は、それほど大きくなかった。
受付が二つ。
依頼板が一枚。
酒場を兼ねた待合には、朝から数人の冒険者がいる。
レグは入った瞬間に依頼板へ向かった。
「これ」
「読める?」
「ちょっと」
「何て書いてある?」
「……畑」
ハヤトが横から読む。
「畑を荒らす角兎の駆除だな」
「やる?」
「お前、何でもやりたがるな」
「弓使える」
「ああ、なるほど」
確かに練習にはなる。
ただ、その前にカイルは受付で地図について話を聞き始めていた。
ハヤトもそちらへ行こうとして。
「セラ?」
足が止まる。
セラが見ていたのは依頼板ではない。
組合の奥。
半開きの扉の向こうに、簡素な寝台が並んでいる。
一人の男が腕に包帯を巻かれ、その隣では女性が治癒術を使っていた。
「治療所?」
ハヤトが尋ねる。
近くにいた受付の女性が答えた。
「小さいものですけどね。この辺、今は収穫期なので怪我人が多くて」
「組合で治療するんですか?」
「冒険者だけじゃないですよ。町の治療院が手いっぱいのときは、ここにも回ってきます」
奥で治療していた女性が、額の汗を拭う。
年齢は五十前後だろうか。
一人治療を終えると、すぐ別の男が入ってきた。
「忙しそうだね」
ハヤトが言っても、セラは返事をしなかった。
視線が治癒術を追っている。
傷口そのものではない。
術の使い方。
魔力を流す位置。
手の動き。
「気になる?」
声をかけると、セラがようやくこちらを見た。
「ちょっと」
「見たことないやつ?」
「治癒術自体は普通。でも……あの人、傷を全部治してない」
「治してないの?」
「うん」
セラはもう一度、奥を見る。
「出血を止めて、傷が開かないところまでで術を止めてる。多分、残りは自然に治すつもり」
「何で?」
「分からない」
だから気になる。
そういう顔だった。
しばらくすると、治療していた女性がこちらに気づいた。
「何か用かい?」
「あ、すみません」
セラが一歩下がる。
「見てただけで」
「治癒術師?」
「一応使えます」
「一応、ねえ」
女性はセラの腰にある冒険者証を確認した。
「ちょうどいい。暇なら手伝ってくれない?」
「え?」
「昼まででいい。今朝、荷馬車がひっくり返ってね。あと五人来る」
セラが完全に不意を突かれた顔をした。
「私が?」
「治せるんだろ?」
「治せますけど……」
セラがハヤトを見る。
視線が合った。
ハヤトは少し待ってから聞く。
「やりたい?」
「……」
セラはすぐには答えなかった。
奥の治療所を見る。
もう一度ハヤトを見る。
「予定は?」
「ない」
「地図は?」
「カイルがやってる」
「レグは?」
二人で依頼板の方を見る。
レグは角兎の依頼を剥がそうとして受付に止められていた。
「勝手に取るなって言われてる」
「……元気そうだね」
「かなり」
セラが笑った。
それでもまだ、少し迷っている。
「でも、みんなで来たのに」
その言葉を聞いて、ハヤトは首を傾げた。
「別に一日くらい別々でよくない?」
「そうだけど」
「セラがやりたいならやればいいだろ」
言ってから。
少しだけ考え直す。
「いや」
「何?」
「俺は、やってみたらいいと思う」
セラが瞬きをする。
「何その言い直し」
「好きにすれば、だけだと何か違うかなって」
「……」
「興味あるんだろ?」
「ある」
「ならそれでいいじゃん」
セラはしばらく黙っていた。
やがて。
「じゃあ、手伝う」
奥の女性へ向き直る。
「昼まででもいいですか?」
「十分。こっち来な」
「はい」
セラは二、三歩進んだところで振り返った。
「ハヤト」
「ん?」
「終わるまでどっか行ってていいよ」
「言われなくても」
「でも昼には戻ってきて」
「分かった」
一瞬だけ。
白い森へ行く前より自然に、二人とも笑った。
◇
その後、ハヤトとレグは角兎の駆除依頼を受けた。
クロも一緒。
カイルは町に残る。
「俺も畑行かないの?」
カイルが聞くと、ハヤトは地図を指した。
「お前、そっちの方が行きたいだろ」
「まあ」
「なら頼む」
「分かった」
全員が別々。
こんな日は珍しい。
畑へ向かう道で、レグが聞いてきた。
「セラ、いない」
「昼には戻る」
「うん」
「寂しい?」
「ちょっと」
「俺も」
「ハヤト、セラ好き?」
足が止まりかけた。
「急だな!」
「なんで?」
「なんでって」
レグは普通に歩いている。
悪意も、からかうつもりもない。
「セラいないと寂しいって言った」
「レグもだろ」
「レグはセラ好き」
「そういう意味じゃなくてな」
「違う好き?」
「……弓の練習しようか」
「逃げた」
「どこでそんな言葉覚えた」
「セラ」
「絶対嘘だろ」
レグが笑った。
畑に着く頃には、ハヤトも諦めて笑っていた。
◇
角兎は、思ったより素早かった。
一匹目。
レグの矢は外れる。
二匹目。
足元。
三匹目で、ようやく矢が胴の横を掠めた。
「惜しい!」
「今の当たった?」
「掠っただけ」
「半分当たり」
「前にも聞いたな、それ」
クロが逃げる角兎の進路へ回り込む。
追い詰めるのではない。
畑から森側へ逃げるよう、自然に道を塞いでいる。
「クロ、うまい」
「昔の道番ってこういうのも得意だったのかもな」
レグが弓を引く。
今度は急がない。
呼吸。
足。
弦。
放つ。
矢が、角兎のすぐ前の地面へ刺さった。
驚いた角兎が進路を変え、森へ飛び込んでいく。
「……外れた」
「でも畑から出した」
「倒してない」
「依頼、追い払うだけでもいいって言ってたぞ」
「じゃあ成功?」
「一匹はな」
レグの顔が明るくなる。
「次」
「元気だな」
畑の持ち主に礼を言われる頃には、太陽が真上近くまで上がっていた。
「セラのとこ戻る」
レグが言う。
「そうだな」
「お昼も」
「そっちが本命じゃない?」
「どっちも」
◇
組合へ戻ると、治療所の前は朝より静かになっていた。
セラは最後の一人を診ている。
横には、朝の女性。
「そこまででいい」
「でも傷、まだ」
「塞ぎすぎると、今度は身体の方が追いつかない」
「魔力を使いすぎるから?」
「それもある。治した場所が全部元通りになったと思って、本人がすぐ動くのも困る」
セラは腕を組んで考えている。
「治せるから全部治す、じゃないんですね」
「必要な分だけ治す。それも治癒術だよ」
女性が答えた。
セラの顔が変わった。
納得したというより。
まだ知りたい。
そんな顔。
ハヤトは声をかけずに待った。
やがて治療が終わる。
「お疲れ」
セラがこちらを見る。
「戻ってたんだ」
「今」
「依頼は?」
「レグが一匹追い払った」
「倒した?」
レグが胸を張る。
「追い払った」
「そこは正直なんだ」
「成功」
「うん。成功だね」
女性が片付けながらセラへ言った。
「明日も町にいる?」
「多分」
「なら午前中だけ来る?」
セラが止まる。
「いいんですか?」
「働いてもらうんだから、こっちが聞いてるんだよ」
「でも」
「覚えたいなら、見てくだけよりやった方が早い」
セラは反射的にハヤトたちを見る。
そして。
途中で止めた。
少しだけ笑う。
「……明日も来ます」
自分で答えた。
「じゃあ朝ね」
「はい」
女性が奥へ戻っていく。
ハヤトはセラを見る。
「決めるの早かったな」
「駄目?」
「いや」
「じゃあいいでしょ」
「うん」
セラは少し嬉しそうだった。
「二日くらい、この町いてもいい?」
「俺はいい」
レグもすぐ頷く。
「弓やる」
「俺も地図集めたい」
戻ってきたカイルも異論はない。
「じゃあ決まりだな」
ハヤトが言うと、セラがこちらを見る。
「ハヤトは?」
「俺?」
「みんな理由あるけど」
考えていなかった。
セラは治癒術。
レグは弓。
カイルは地図。
クロはどこへ行ってもクロだ。
「俺は……」
少し考える。
「何か探す」
「何それ」
「予定ないんだから仕方ないだろ」
セラが笑う。
「じゃあ明日、一人だね」
「別に平気だよ」
「寂しい?」
「……ちょっと」
セラの笑みが深くなる。
「素直になったね」
「誰のせいだと思ってる」
「知らない」
今度はセラが先に歩き出した。
昼飯を探すレグがすぐ後を追う。
カイルは集めた地図を抱えている。
ハヤトも、その後ろへ続いた。
急ぐ理由はない。
だから足を止める。
何もしないためではなく。
それぞれが今、やってみたいことを選ぶために。
第三部の旅は、そんな寄り道から始まった。




