また、知らない場所へ
白い森を出てから三日目。
街道脇の小さな丘で、ハヤトたちは昼休憩を取っていた。
「できた」
レグが弓を下ろす。
少し離れた木。
幹に立てかけた的の端へ、一本の矢が刺さっている。
「当たった」
「端だけどね」
セラが言う。
「当たりは当たり」
「それはそう」
レグは満足そうに次の矢を取った。
少し前までなら、一本当たればすぐ褒めろと振り返っていた。
最近は違う。
自分で構え直す。
足の位置を確認する。
弦を引く。
放つ。
二本目は外れた。
「む」
「惜しい」
「今のどこが?」
ハヤトが聞く。
「気持ち」
「便利だな、その評価」
レグは気にせず三本目を構えた。
クロは木陰で伏せている。
カイルは少し離れたところで地図を広げ、何かを書き込んでいた。
いつもの旅。
そう言ってしまえば、それだけだった。
けれど。
白い森へ向かう前と、同じではない。
「ハヤト」
「ん?」
「これ」
セラが水筒を差し出す。
「ありがと」
受け取る。
手が少し触れた。
以前なら何でもなかった。
今は、二人とも一瞬だけ意識する。
セラが先に目を逸らした。
「……何?」
「何も言ってない」
「顔」
「最近みんな顔で判断しすぎじゃない?」
「分かりやすいんじゃない?」
「セラに言われたくない」
「何それ」
少し睨まれる。
でも、そのあとすぐ笑った。
温泉の夜。
二度の口づけ。
部屋の前で交わした約束。
――帰ってきたら、また考える。
どこへ帰ってきたら、なのか。
あのときは聞かなかった。
今になって思えば、その方がよかった気もする。
旅はまだ終わっていない。
急いで答えを出す必要もない。
「二人、何話してる?」
レグが戻ってきた。
「何でもない」
セラが答える。
「また?」
「またって何」
「最近多い」
ハヤトが水筒を返す。
「弓は?」
「三本目当たった」
「ほんと?」
「真ん中近く」
「やるじゃん」
「うん」
得意そうだ。
「おかあさんにも見せる」
「次会ったとき?」
「うん」
その言葉に、もう寂しさだけはなかった。
次がある。
レグはそう信じている。
ハヤトも同じだった。
「ミレア、もう谷向かったかな」
カイルが地図から顔を上げる。
「片付けてからって言ってたから、まだじゃない?」
セラが答える。
「ネイラに怒られる」
レグが言う。
「かなりな」
「オルネも」
「怒るというより説教長そう」
「トーレンは?」
「文句言いながら手伝うんじゃない?」
レグは少し考えてから笑った。
「ルクアびっくりする」
「お母さん連れて帰ってくるんだからな」
「レグが連れてくんじゃない」
「まあ、そうだけど」
ミレアは自分で戻る。
レグが連れ戻したわけではない。
それも大事なのだろう。
それぞれが、自分で決めた。
◇
昼を過ぎると、一行は再び街道を歩き始めた。
目的地は、ひとまず西。
急いで何かを追う旅ではない。
補給できる町へ向かい、それから次を決める。
「おとうさん探さないの?」
歩きながらレグが尋ねる。
「探さないっていうか」
ハヤトが答える。
「今すぐ北東へ突っ込むのはやめるんだろ?」
「うん」
「なら準備だな」
「何する?」
「まず地図」
カイルが答える。
「ミレアから聞いた地域は、俺が持ってる地図じゃほとんど空白だ」
「また地図の端?」
レグが言う。
ハヤトが少し笑った。
第二部の旅を始めたときも。
地図の端を目指した。
あの頃は、ただ知らない場所へ行ってみたかった。
今は違う。
その先に、探したい相手がいる。
知りたいこともある。
それでも。
「行く?」
レグが聞く。
「いつかはな」
「いつ?」
「決めてない」
「遅い」
「準備ってそういうもんだよ」
「レグ飛べる」
「俺たち飛べない」
「乗る?」
「絶対無理」
即答すると、レグが不満そうな顔をした。
「前より上手」
「着地が?」
「うん」
「人乗せる話は別だろ」
「練習する」
「誰で?」
レグがハヤトを見る。
「嫌だよ」
「まだ何も言ってない」
「顔」
「……みんな顔見る」
「お前も使うようになったな」
セラが笑っている。
カイルまで肩を揺らしていた。
道は緩やかに下っていく。
前方には平原。
その向こうには、まだ名前も知らない町の煙が見えた。
「今日あそこ?」
レグが指す。
「たぶんな」
「ごはんある?」
「町なら何かあるだろ」
「肉?」
「着いてから探そう」
「牛乳?」
「谷じゃないぞ」
「温泉?」
ハヤトとセラが同時に黙った。
レグが二人を見る。
「……ある?」
「知らない」
ハヤトが答える。
「なんでセラも黙った?」
「別に」
「顔赤い?」
「赤くない!」
「まだ見てない」
「……」
ハヤトは吹き出した。
「笑わないで」
「いや、悪い」
「ハヤトもだからね」
「はいはい」
レグは二人を見比べる。
何か言いかけた。
でも。
「おなかすいた」
結局それだった。
「助かった……」
ハヤトが小声で呟く。
「何が?」
「何でもない」
「また」
レグが笑った。
◇
夕方。
丘の上から町が見えた。
大きくはない。
城壁もない。
街道沿いに家が並び、遠くには畑が広がっている。
「知らない町」
レグが言う。
「そうだな」
「ハヤトも?」
「初めて」
「セラは?」
「私も」
「カイル?」
「知らん」
レグの顔が明るくなる。
「みんな知らない」
「珍しいな」
「うん」
しばらく。
誰も歩みを止めなかった。
白い森で母親を見つけた。
古い名前を知った。
父親の向かった先も分かった。
それでもレグは、後ろばかり見てはいない。
「ハヤト」
「ん?」
「次、何する?」
「町着いてから考える」
「依頼?」
「いいのあれば」
「食べもの?」
「それは絶対探すんだろ」
「うん」
「弓も練習する?」
セラが聞く。
「する」
「飛ぶ練習は?」
「する」
「忙しいね」
「いっぱいある」
レグは楽しそうだった。
ハヤトも空を見る。
異世界へ来たばかりの頃。
《自由》という力を与えられて。
何でもできるのだと思った。
違った。
できないことは多い。
知らないことは、もっと多い。
迷う。
失敗する。
選んだあとで、間違っていたと気づくこともある。
それでも。
次にどちらへ歩くかは、自分で決められる。
「ハヤト?」
セラの声。
「何ぼーっとしてるの?」
「ちょっと考え事」
「珍しい」
「失礼だな」
「何考えてた?」
ハヤトは少しだけ考えた。
「自由って、面倒だなって」
「今さら?」
「選べるってことは、選ばなきゃいけないってことだろ」
「まあね」
「でも」
前を歩くレグを見る。
クロが隣。
カイルが地図を片手に続いている。
そして、隣にはセラ。
「悪くない」
セラが少し笑った。
「そう思えるならいいんじゃない?」
「ああ」
ハヤトも笑う。
「ハヤト!」
レグが前から呼んだ。
「遅い!」
「今行く!」
「セラも!」
「分かってる!」
二人で歩調を速める。
町へ。
その先へ。
まだ知らない場所へ。
誰かに決められた道ではなく。
自分たちで選んだ道を。
五人と一匹は、そのまま夕暮れの街道を歩いていった。
第2部 完




