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ランキング最高順位51位!『異世界に転移したので、もう我慢するのはやめました ~固有能力《自由》で好き勝手に生きる~』  作者: くんくん
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二つの名前

翌朝。


 レグが目を覚ましたとき、最初に見えたのは白い天井だった。


 少し遅れて、鼻に焼いたパンの匂いが届く。


「……おなかすいた」


 起き上がる。


 昨日までなら、目を開けた瞬間にハヤトかセラの姿を探していた。


 今日は違った。


 部屋を出る。


 小さな台所。


 そこにミレアがいた。


「おはよう」


「……おはよう」


 レグは少しだけ止まった。


「なに?」


 ミレアが尋ねる。


「いる」


「いるよ」


「ほんとに」


「昨日もいたでしょう?」


「寝たらいなくなるかと思った」


 ミレアの手が止まった。


 ほんの一瞬。


 それから、静かに首を横に振る。


「今日はいる」


「明日は?」


「いる」


「その次は?」


「少なくとも、黙っていなくなったりはしない」


 レグはじっと母親を見る。


「約束?」


「約束」


「うん」


 それだけ確認すると、レグはいつものように椅子へ座った。


「朝ごはん?」


「そう」


「肉ある?」


「朝から?」


「だめ?」


「駄目じゃないけど」


 ミレアは少し考え、鍋の蓋を開けた。


「昨日の残りなら」


「食べる」


「やっぱりガルドに似たね」


「おとうさんも朝肉?」


「朝でも夜でも、あれば食べた」


「同じ」


 レグは満足そうに頷いた。


     ◇


 少し遅れて、ハヤトたちも起きてきた。


「おはよう」


「おはよ」


 レグは肉を食べながら答える。


 セラが皿を見る。


「朝からそれ?」


「おいしい」


「胃強いね……」


 ハヤトも席につく。


「ミレアさん、すみません。泊めてもらって」


「気にしないで」


「カイルは?」


 セラが周囲を見る。


「外」


「もう?」


「朝から家の周りの石見てる」


 ハヤトはため息をついた。


「元気だなあいつ」


「昨日あれだけ話聞いたあとによく動けるね」


「寝るより気になるらしい」


 ミレアが二人を見て、少し笑った。


「変わった人ね」


「否定できません」


 食事が進む。


 昨日は再会したばかりで、どこか全員が緊張していた。


 今日は少し違う。


 普通に食べる。


 普通に話す。


 レグがパンをもう一枚取る。


 ミレアが「食べすぎないで」と言う。


「セラと同じ」


「また?」


 セラが顔を上げる。


「おかあさんも言う」


「普通のことだから」


「二人とも普通」


「それならいいけど」


 ミレアがセラを見る。


「昔から面倒を?」


「最初からではないですけど……」


「いっぱい」


 レグが答えた。


「レグ」


「ほんと」


「まあ……否定はしないけど」


 ミレアはしばらくセラを見てから。


「ありがとう」


「え?」


「この子を見ていてくれて」


 セラが一瞬言葉に詰まる。


「……私だけじゃないです」


 ハヤトを見る。


「ハヤトも」


「俺も?」


「そこ驚く?」


 レグがすぐ続けた。


「ハヤトもいっぱい」


「じゃあ二人とも」


 ミレアが頭を下げる。


 ハヤトは少し困った。


「俺たちも、レグに助けられてるんで」


「そうなの?」


「結構」


「レグ強いから」


「そういう意味だけじゃない」


「?」


 説明するのも少し恥ずかしい。


「まあ、お互い様ってことで」


 ミレアは何かを察したように、それ以上聞かなかった。


     ◇


 朝食のあと。


 レグとミレアは家の前に並んで座った。


 昨日と同じ平たい石。


 ハヤトたちは少し離れたところにいる。


「聞く」


 レグが言った。


「うん」


「昨日の続き」


「何から?」


 レグは少し考えた。


 そして。


「名前」


 ミレアの表情は変わらなかった。


「知りたい?」


「うん」


「本当に?」


「うん」


「聞いたら、忘れられないかもしれない」


「忘れなくていい」


 レグは胸元へ手を置く。


「レグはレグって分かったから」


 ミレアがゆっくり頷く。


「分かった」


 少しの間。


 風が白い葉を揺らした。


「あなたのもう一つの名は」


 ミレアが静かに言う。


「《リーヴァ》」


 レグは動かなかった。


 その音だけが、胸の奥へ落ちていく。


 リーヴァ。


 何度も遠くから呼ばれていた。


 けれど、今まで聞こえていたのとは違う。


 命令ではない。


 引き戻す声でもない。


 ただ母親が、娘の名前を教えている。


「……リーヴァ」


 自分で口にする。


 何も起きない。


 光らない。


 胸も熱くならない。


 古い声も返ってこない。


「これ?」


「そう」


「知ってる」


 ミレアが僅かに目を見開く。


「思い出した?」


「ちょっと」


 レグは目を閉じる。


 赤ん坊の頃。


 まだ言葉もよく分からない。


 大きな手。


 明るい声。


『レグ』


 少し離れたところから、静かな声。


『リーヴァ』


 どちらも自分を呼んでいる。


「おかあさんが使ってた?」


「場所によって」


「おとうさんは?」


「ほとんどレグ」


「なんで?」


「リーヴァって呼ぶと、格好つけてるみたいで照れるって」


「……おとうさん」


 ハヤトが遠くで顔を背けた。


 笑っている。


 レグも少し笑った。


「リーヴァってどういう意味?」


「昔の竜の言葉で、いくつか意味が重なってる」


「難しい?」


「少し」


「簡単に」


「遠くへ届くもの」


「声?」


「声にも使う。知らせにも、道を示すものにも」


 ミレアは続ける。


「だから後の時代に、《呼ぶ》役目と強く結びついた」


「最初から役目の名前じゃない?」


「違う」


「レグの名前だった?」


「そう」


 レグはもう一度言う。


「リーヴァ」


 今度は少し慣れた。


「嫌?」


 ミレアが尋ねる。


「嫌じゃない」


「じゃあ、これからそう呼ぶ?」


「ううん」


 即答。


 ミレアが少し笑った。


「早いね」


「レグがいい」


「分かった」


「でも」


 レグは少し考える。


「リーヴァもレグ」


「うん」


「捨てない」


 名前を封じられた。


 長い間、知らなかった。


 それでも。


「でも呼ばれるなら、レグがいい」


「それでいいよ」


 ミレアは迷わず答えた。


「おかあさんも?」


「レグ」


 母が呼ぶ。


 レグの口元が緩む。


「うん」


 今度は、迷わず返事をした。


     ◇


 昼まで。


 レグは本当に質問をやめなかった。


「レグ、小さいときどんなだった?」


「よく噛んだ」


「セインだけ?」


「ガルドも」


「おとうさんも?」


「尻尾」


「なんで?」


「動いてたから」


「覚えてない」


「ガルドは泣いてた」


「痛くて?」


「嬉しくて」


「なんで!?」


「娘に噛まれたって喜んでた」


「おとうさん変」


「かなり」


 また一つ。


 少しずつ。


 知らなかった両親との時間が埋まっていく。


「初めて飛んだときは?」


「落ちた」


「飛んでない」


「ガルドは飛んだって言い張った」


「どれくらい?」


「岩から岩へ落ちただけ」


「おとうさん甘い」


「すごく」


「おかあさんは?」


「落ちたって言った」


「厳しい」


「事実だから」


 レグは声を上げて笑った。


 その少し離れたところで。


 ハヤトとセラが並んで座っていた。


「よかったね」


 セラが言う。


「ああ」


「昨日まで、どうなるかちょっと心配だった」


「俺も」


「ミレアが『私と一緒に来なさい』とか言ったらどうしようって」


「言わなかったな」


「うん」


 ハヤトは母娘を見る。


 レグは楽しそうだ。


 ミレアも。


「でもさ」


「何?」


「レグ、昨日ちゃんと言ったんだよな」


「何を?」


「俺たちと行くって」


 セラが少し笑う。


「嬉しかった?」


「そりゃ」


「私も」


 目が合う。


 今度は、昨夜ほど慌てなかった。


 少しだけ。


 セラの手が、石の上に置かれている。


 ハヤトの手も近い。


 触れはしない。


 でも以前なら意識すらしなかった距離。


 セラが小さく言う。


「帰ったら、だったよね」


「……覚えてた?」


「忘れるわけないでしょ」


 ハヤトが返事をする前に。


「ハヤト!」


 レグの声。


 二人とも同時にそちらを見る。


「何?」


「おとうさん、レグに噛まれて喜んだ!」


「聞こえてた」


「変!」


「それも聞こえてた」


「セラも聞いて!」


「聞いてるよ」


 セラが立ち上がる。


 その横顔は少し赤かった。


 ハヤトは何も言わず後を追った。


     ◇


 午後。


 ミレアは白い森を案内した。


 畑。


 薬草を育てる場所。


 森の境に残した印。


 十年以上、場所を変えながら最後に辿り着いたこの家。


「一人で?」


 レグが尋ねる。


「ほとんど」


「寂しくなかった?」


 ミレアは少し考える。


「なったよ」


「おかあさんも?」


「なる」


「そのときどうした?」


「歌った」


「あの歌?」


「うん」


 修道院で聞いた歌。


 古い扉に残されていた声。


 森の中で再会したときにも、ミレアは同じ旋律を口ずさんでいた。


「レグの歌?」


「元々は私が母から教わった歌」


「おばあちゃん?」


「そう」


「会える?」


 ミレアの目が少しだけ遠くなる。


「もう会えない」


 レグはすぐ察した。


「そっか」


「でも歌は残ってる」


「レグも知ってる」


「うん」


「じゃあレグも歌う」


「歌える?」


「ちょっと」


 レグが歌い始める。


 最初の四つ。


 その次。


 少し音がずれる。


「違う?」


「少し」


「もう一回」


 ミレアが隣で歌う。


 レグも続く。


 一度。


 二度。


 三度目には、ほとんど同じになった。


 ハヤトは少し離れたところから聞いていた。


 これまで謎の手掛かりとして何度も出てきた歌。


 今はただ。


 母親が娘へ教える歌になっていた。


     ◇


 夕方。


「明日、出る?」


 ミレアが尋ねた。


 レグは少し迷う。


「うん」


「もういい?」


「よくない」


 ミレアが目を瞬く。


「まだいっぱい聞きたい」


「じゃあ、もう一日?」


「でも行く」


「どうして?」


 レグはハヤトたちを見る。


「旅の途中だから」


 次にミレアを見る。


「でもまた来る」


「うん」


「おかあさんも谷帰る」


「片付けたら」


「どれくらい?」


「そんなにかからない」


「一人で大丈夫?」


「大丈夫」


「ほんと?」


「そこはセラに似てきた?」


 レグがセラを見る。


「似てない」


「似てるかも」


 セラが笑う。


「む」


 ミレアも少し笑った。


「谷へ戻ったら、ネイラたちに話す」


「怒られる?」


「多分」


「一緒に怒られる?」


「どうしてレグが?」


「おかあさんの娘だから」


「そこは別」


「そっか」


「そう」


 少しの沈黙。


「レグ」


「なに?」


「もし」


 ミレアが言葉を選ぶ。


「私が谷へ戻らず、ここにいてほしいって言ったら」


 レグの顔から笑みが消えた。


 母を見る。


「言う?」


「言わない」


「じゃあ聞かなくていい」


「そうだね」


「でも」


 レグは自分から続ける。


「言われても行く」


「ハヤトたちと?」


「うん」


「どうして?」


 レグは少し考えた。


「帰るところだから」


 ハヤトとセラを見る。


「でも」


 ミレアを見る。


「おかあさんのところも帰ってくる」


「二つある?」


「いっぱいあっていい」


 ルクア。


 ネイラ。


 竜の谷。


 白い森。


 ハヤトとセラ。


 これから先、もっと増えるかもしれない。


「前は」


 レグが言う。


「帰る場所、一個だと思ってた」


「うん」


「でも違う」


「そうかもしれないね」


「レグが帰りたいとこ、帰る」


 ミレアの目に、少しだけ涙が浮かぶ。


 でも今度は泣かなかった。


「それがいい」


 レグが頷く。


「自由だから」


 ハヤトが顔を上げた。


 その言葉を。


 レグは何でもないことのように言った。


 ハヤトが異世界へ来て。


 ずっと考え続けてきたもの。


 好き勝手に生きることではない。


 何でもできることでもない。


 自分で選ぶこと。


 誰と歩くか。


 どこへ行くか。


 何を学ぶか。


 そして。


 どこへ帰るか。


「そうだな」


 ハヤトは笑った。


「自由だ」


     ◇


 翌朝。


 白い森の入口。


 荷物を背負ったレグが、ミレアの前に立っていた。


「行ってくる」


「行ってらっしゃい」


 レグが少し動きを止める。


「それ」


「何?」


「初めて」


「何が?」


「行ってらっしゃい」


 ミレアも止まる。


「……そうだった?」


「覚えてる中では」


 ミレアの顔が少し歪む。


 レグが先に笑った。


「次、帰ったら」


「うん」


「ただいまって言う」


「待ってる」


「谷かも」


「そのときは谷で」


「ここかも」


「ここでも」


「違うところでも?」


「見つける」


「うん」


 レグが抱きつく。


 今度は昨日のように泣かなかった。


 ミレアも強く抱き返す。


「おとうさん探すとき」


「うん」


「おかあさんにも言う」


「絶対に」


「勝手に行かない」


「それはガルドより偉い」


「レグ、ちゃんとしてる」


「知ってる」


 二人が離れる。


 レグは数歩歩いてから、また振り返った。


「おかあさん!」


「なに?」


「レグ!」


 自分を指す。


「うん?」


「レグだから!」


 ミレアは一瞬だけ驚いて。


 それから笑った。


「知ってる」


「リーヴァも?」


「それもあなた」


「でもレグ!」


「分かった」


 母親が、もう一度名前を呼ぶ。


「行ってらっしゃい、レグ」


「行ってきます!」


 今度は振り返らなかった。


 クロが隣を歩く。


 セラ。


 ハヤト。


 カイル。


 四人と一匹は、白い森を抜けていく。


 母親を見つけるために始まった道は、ここで一つ終わった。


 けれど。


 レグの父親は、まだどこかを歩いている。


 ハヤトたちにも、まだ知らない場所がある。


 道は続いていた。


 今度は誰かに呼ばれたからではない。


 自分たちで選んだ先へ。

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