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ランキング最高順位51位!『異世界に転移したので、もう我慢するのはやめました ~固有能力《自由》で好き勝手に生きる~』  作者: くんくん
選んだ道の先へ

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離れた道の先で

火の中で、薪が小さく爆ぜた。


 レグはミレアの向かいに座ったまま、目元を拭わなかった。


「今日は逃げない?」


「逃げない」


 ミレアの返事を聞いてから、レグはしばらく黙っていた。


 聞きたいことは、いくらでもある。


 けれど、ありすぎるせいで、どこから聞けばいいのか分からないのだろう。


 ハヤトたちは少し離れた場所にいた。


 これはレグと母親の話だ。


 ただ、レグが「いて」と言ったから、席を外してはいない。


「じゃあ」


 レグがようやく口を開く。


「最初から」


「うん」


「レグが小さいときから」


 ミレアは一度目を閉じた。


 覚悟を決めるように。


「あなたが生まれた頃、私とガルドは古い場所を見て回っていた」


「修道院とか?」


「修道院も。そのほかにも」


 六つの道。


 古い施設。


 竜と人がまだ今より近く関わっていた頃に作られた仕組み。


 それらを完全に管理していたわけではない。


 壊れていないか。


 誰かが不用意に動かしていないか。


 必要なら閉じる。


 それぞれの竜が、それぞれの場所を長い時間かけて見ていた。


「六つの役目?」


 カイルが確認するように聞く。


 ミレアが頷く。


「昔は一頭ずつ固定された役目じゃなかった。受け継ぐ者もいたし、手伝う者もいた。名前も同じ」


「名前が役目と結びついてた」


「そう」


 ミレアの視線がレグへ戻る。


「あなたに封じた名も、本当にあなたの名前だった」


 レグが少しだけ身を乗り出す。


「役目だけじゃない?」


「違う」


 ミレアははっきり否定した。


「私たちがあなたに与えた名前の一つ。だから、偽物でも、誰かに無理やりつけられたものでもない」


「じゃあなんで二個?」


「竜には珍しくなかったから」


 普段呼ぶ名前。


 古い場所へ名を示すための名前。


 同じ一人を指していても、使う場所が違った。


「レグは?」


「私とガルドが、普段あなたを呼んでいた名前」


「おかあさんたちがつけた?」


「そう」


 その答えに、レグの表情が少しだけ柔らかくなる。


「じゃあレグも、最初からレグ」


「最初から」


「よかった」


 小さな一言だった。


 ハヤトには、その一言が妙に重く聞こえた。


 古い名前を知ることで、今の自分が後から作られたものになるのではないか。


 レグはどこかで、そんな不安を抱えていたのかもしれない。


「もう一つの名前は?」


「《呼ぶ》役目とつながっていた」


「なんでレグが?」


「私から受け継いだから」


 レグの胸の奥。


 今は身体の中へ戻っている、あの印。


「おかあさんの?」


「私より前から続いていたもの」


 ミレアは自分の胸元へ触れる。


「私も若い頃は《呼ぶ》に関わる名を持っていた。でも、あなたに同じ役目を継がせるつもりはなかった」


「なんで?」


「必要なくなっていたから」


 そこでミレアの声が少し低くなった。


「正確には、必要だったものを、そのまま渡せる状態ではなくなっていた」


 カイルが顔を上げる。


「書き換えられてた?」


「ええ」


 最初に違和感へ気づいたのは、ミレアだった。


 昔の《呼ぶ》は、必要なときに離れた役目へ知らせるためのもの。


 呼ばれた側が応えるかどうかは、その者自身が決めた。


 道番の印と同じ。


 道を開く。


 本人を示す。


 それ以上ではなかった。


「でも、ある時から変わった」


 ミレアは卓の上へ指を一本置く。


「名を返せば、役目まで認めたことにされるようになった」


「《帰還》」


 カイルが言う。


「そう」


「誰が変えた?」


 ハヤトが尋ねた。


 ミレアはすぐには答えなかった。


「分からない」


 オルネと同じ答え。


 けれど、その先があった。


「一人ではないと思う」


「どういうこと?」


「変えられた場所が多すぎる」


 竜の谷。


 西の施設。


 道番の首輪。


 人や獣へ埋め込まれた黒い部品。


 場所によって作りも年代も違う。


「最初に仕組みを変えた者と、それを後から利用した者は別かもしれない。人だったのか、竜だったのか、それすら断定できない」


「だからおとうさん探してた?」


 レグが聞く。


「うん」


 ガルドは、そういう曖昧な状態を嫌った。


 ミレアが危険だから近づくなと言えば、どう危険なのかを確かめに行く。


 古い印が鎖に変わっていると知れば、誰が変えたのかを追う。


「……やっぱりばか」


「そうね」


 ミレアの返事が早かった。


「止めなかった?」


「止めた」


「聞かなかった?」


「聞かなかった」


「やっぱり」


 レグはほんの少し笑った。


 だが、すぐに顔を戻す。


「レグの名前は?」


 ミレアの指が止まる。


「あなたが生まれてしばらくして、古い場所があなたを認識した」


「赤ちゃんのとき?」


「ええ」


「何もしてないのに?」


「印があったから」


 名と印。


 本来なら、ただ「ここにいる」と示すだけのもの。


 しかしそのとき。


 離れたはずの古い施設から、呼び返す反応が起きた。


「まだ役目なんて知らないあなたへ」


 ミレアの目が僅かに険しくなる。


「《戻れ》と」


 レグが胸へ手を置いた。


「それが最初?」


「私たちが気づいた最初」


「レグ、返事した?」


「してない」


 赤ん坊だった。


 言葉すらまともに分からない。


「でも反応は強くなった。だから私は、あなたの名と仕組みのつながりを切ろうとした」


「封じた」


「うん」


「名前消した?」


「消してない」


 ミレアはレグをまっすぐ見る。


「消したくなかった」


 名前そのものを奪うこと。


 それでは、やっていることが古い仕組みと同じになる。


「だから、届かなくしただけ」


「名前はずっとレグの中?」


「ずっと」


 レグは少し考える。


「じゃあ今聞いても、レグはレグ?」


「もちろん」


「役目にならない?」


「名前を知っただけではならない」


「……そっか」


 その表情を見て、ミレアが尋ねる。


「今、知りたい?」


 部屋が静かになった。


 ずっと伏せられてきた名前。


 何度も遠くから呼ばれた名前。


 修道院でも。


 谷へ向かう道でも。


 竜の谷でも。


 レグは少し長く考えた。


「まだいい」


 ハヤトは少し驚いた。


 ミレアは驚かなかった。


「どうして?」


「名前より、まだ聞くことある」


「そう」


「名前、逃げない?」


 ミレアの口元が少しだけ緩む。


「逃げないよ」


「じゃああと」


「分かった」


 レグは膝の上で手を組み直した。


「レグを置いてから」


 ミレアの表情から笑みが消えた。


「おかあさん、何してた?」


 今度の話は、もっと長かった。


 ミレアとガルドはレグを古い仕組みから切り離したあと、二手に分かれた。


 ミレアはレグの名を追う反応を弱めるため、各地に残っていた《呼ぶ》の記録を止めて回った。


 ガルドは反対に、反応がどこから生まれているのかを追った。


「最初は、すぐ終わると思ってた」


「どれくらい?」


「一年もかからないって」


「……長かった」


「うん」


 終わらなかった。


 一つ止めれば、別の場所が反応した。


 壊れた施設。


 人に利用されていた場所。


 すでに形すら残っていない場所。


 ガルドとミレアは、何度か合流し、また別れた。


「レグのところ行こうってならなかった?」


「何度も思った」


「行かなかった」


「うん」


「なんで?」


 ミレアは少し俯いた。


「一度、近づいたから」


 レグの目が動く。


「来たの?」


「遠くまで」


 レグが暮らしていた場所を直接見たわけではない。


 ただ、印を頼りに近づこうとした。


「そのとき、《呼ぶ》が一斉に反応した」


「……レグの名前?」


「そう」


 ミレアが近づいただけで。


 母から娘へつながる印を辿るように、止まっていた古い場所まで次々目を覚ました。


「私があなたを見つければ、向こうもあなたを見つける」


「だから戻った?」


「逃げた」


 ミレアは言い換えなかった。


「あなたから離れる方を選んだ」


「……」


「そのあとも、何度か機会はあった」


「でも来なかった」


「来なかった」


「怖かったから?」


「うん」


 レグの顔が曇る。


「レグが危ないから?」


「それも」


 ミレアは首を横に振った。


「でも、それだけじゃない」


「ほか?」


「失敗するのが怖かった」


 レグが母を見る。


「会いに行って、また離れることになるのが怖かった。あなたが私を覚えていなかったら、と考えるのも怖かった」


「……」


「あなたのためだけじゃない」


 ミレアの声は震えていた。


「私が怖かった」


 その言葉に、ハヤトは何も挟めなかった。


 守るため。


 そう言えば、もっと綺麗に聞こえる。


 でもミレアは、それだけにはしなかった。


「ごめんなさい」


 レグはしばらく母親を見ていた。


「おかあさん」


「うん」


「レグ、たぶん」


 少し考える。


「ずっと待ってた」


「……うん」


「覚えてなかったけど」


「うん」


「来るって、どっかで思ってた」


 ミレアの唇が震える。


「ごめんね」


「だから怒ってる」


「うん」


「でも」


 レグが少し前へ出る。


「今来た」


 ミレアが顔を上げた。


「レグが?」


「うん」


 母が迎えに来なかった。


 だから。


「レグが会いに来た」


「……うん」


「それでいいとは思ってない」


 レグはすぐ足した。


「うん」


「でも会えた」


「うん」


 ミレアは涙を拭った。


「会いに来てくれて、ありがとう」


 レグが少し笑う。


「どういたしまして」


     ◇


 話はガルドへ移った。


「おとうさん、今どこ?」


 レグが聞く。


 ミレアは首を横に振った。


「今は分からない」


「生きてる?」


 少しの間。


「分からない」


 レグの表情が硬くなる。


 ミレアはすぐ続けた。


「でも、最後に残ったものはある」


「何?」


 ミレアは立ち上がると、棚の奥から細長い木箱を取り出した。


 開ける。


 中には、小さな金属片。


 二本の線が重なり、最後で分かれる。


 ガルドの印。


「いつ?」


「三年前」


「三年前?」


 レグが身を乗り出す。


「ここに来た?」


「本人は来てない」


 森の境に、これだけが置かれていた。


 金属片の裏。


 短い文字。


 カイルが近づかなくても読めるほど、新しい言葉で刻まれている。


 《まだ追ってる》


 その下。


 《そっちは任せた》


 さらに小さく。


 《娘に会えたら、俺の悪口は半分にしろ》


 レグが止まった。


「……」


 ハヤトが顔を逸らす。


 セラも口元を押さえている。


「おとうさん」


「うん」


「ばか」


「私もそう思う」


「半分じゃなくて全部言う」


「それでいいと思う」


 とうとうレグが笑った。


 泣いた直後の顔のまま。


「三年前は生きてた」


「そう」


「そのあと分からない」


「うん」


「どっち行った?」


 ミレアは卓へ古い地図を広げた。


 白い森。


 竜の谷。


 さらに遠く。


 北東に、地図からはみ出すような山地がある。


「ガルドが最後に追っていたのは、この向こう」


「何がある?」


「古い施設が集まっていた地域」


 カイルの目が鋭くなる。


「西じゃなく?」


「西で見つけたものを追って、最後は北東へ向かった」


「黒い装置?」


「それも」


 ミレアはクロを見る。


「道を示す印を鎖に変えた仕組み」


 次にレグを見る。


「名を役目に縛りつけた仕組み」


「同じ?」


「ガルドは、同じ考え方から作られていると思っていた」


「誰がやったか分かった?」


「そこまでは」


「だからまだ追ってる?」


「多分」


 レグは地図を見る。


 長い時間。


「行きたい?」


 ハヤトが聞く。


 レグがこちらを見る。


「うん」


 迷いはなかった。


「でも今すぐ?」


 今度は少し考える。


「……違う」


「そっか」


「おとうさん、自分で何とかするって書いてた」


「書いてたな」


「信用する?」


 ハヤトが尋ねると、レグは真剣な顔で悩んだ。


「半分」


「ネイラと同じ扱いになった」


 セラが笑う。


「でも」


 レグはミレアを見る。


「おかあさん見つけた」


「うん」


「おとうさんの道も分かった」


「うん」


「だから、次はちゃんと準備して行く」


 急がない。


 焦らない。


 今のレグなら、それができる。


「レグが決める」


 以前。


 ガルドの《俺を探すな》という言葉を見たときと同じ。


 でも今は、少し意味が違っていた。


 ただ逆らうためではない。


 自分で時期まで決める。


「それでいい」


 ミレアが言った。


     ◇


 夜はかなり深くなっていた。


 それでもレグには、最後にもう一つ聞きたいことがあった。


「おかあさん」


「なに?」


「これからどうする?」


 ミレアが少し驚く。


「私?」


「うん」


「……考えてなかった」


「なんで?」


「あなたに会える日を考えるだけで精一杯だったから」


「じゃあ今考える」


「今?」


「うん」


 ミレアが少し困ったように笑う。


「急だね」


「レグ、明日もいる」


「明日?」


「すぐ帰らない」


 ハヤトが聞いていない話だった。


「そうなの?」


「だめ?」


「いや」


 セラが笑う。


「いいんじゃない? やっと会えたんだし」


「一日くらいゆっくりしても」


「うん」


 レグはミレアへ向き直る。


「一緒にいる」


「……いいの?」


「だから、なんで聞くの?」


「まだ慣れなくて」


「慣れて」


「努力する」


 その返事が少しだけおかしくて、レグは笑った。


「そのあと」


「うん」


「おかあさんも谷帰る?」


 ミレアが黙った。


 長い間守ってきた白い森。


 隠れ続けた場所。


「もう、あなたの古い名は呼ばれていない?」


「うん」


「谷の《呼ぶ》は?」


「レグになった」


「……レグに?」


「うん」


 ミレアが目を見開いた。


 そこで初めて、竜の谷で何が起きたのかを詳しく話していなかったことに気づく。


 母が床下へ隠した金属板。


 古い名ではなく、自分が今選んだ名で道を開いたこと。


 《閉じる》が戻り始めたこと。


 ガルドの記録。


 全部聞き終える頃。


 ミレアは、しばらく何も言えなかった。


「……成功したんだ」


「何が?」


「あなたに選ばせる仕組み」


「おかあさんが作った?」


「途中まで」


「最後レグ?」


「そう」


 ミレアが目を閉じる。


 静かに息を吐いた。


「なら」


 もう一度、白い森の家を見る。


「ここに隠れ続ける理由は、もうないかもしれない」


「帰る?」


「すぐに全部捨てて、とはいかないけど」


 畑。


 残した記録。


 まだ確認すべき境界。


「片付けたら、谷へ戻る」


 レグの顔が明るくなる。


「ほんと?」


「うん」


「ネイラ喜ぶ」


「怒ると思う」


「なんで?」


「十年以上連絡しなかったから」


「怒る」


「でしょう?」


「オルネも?」


「怒る」


「トーレンは?」


「多分文句を言う」


「ルクアは知らない」


「誰?」


「友達」


「ああ」


 ミレアが少し笑う。


「紹介して」


「うん」


 レグは即答した。


 でも。


「ハヤトとセラとは行く」


「分かってる」


「おかあさんが帰っても」


「うん」


「谷に住まない」


「それも、あなたが決めればいい」


 ミレアはレグの手を取った。


「ここに残ってほしいなんて言わない」


「残ってって思わない?」


「思うよ」


 レグが少し驚く。


「思う?」


「ずっと一緒にいたいと思う」


「じゃあなんで言わない?」


「私が思うことと、あなたが決めることは別だから」


 その言葉に。


 レグはしばらく母親を見つめていた。


 そして。


「おかあさん」


「なに?」


「会えてよかった」


 ミレアの手に力が入った。


「私も」


 レグが少し考えてから付け足す。


「まだ怒ってるけど」


「うん」


「明日もいっぱい聞く」


「うん」


「おとうさんの悪口も」


「それはいっぱいある」


「聞く」


「いいよ」


 二人が笑った。


 ハヤトは隣のセラを見る。


 目が合う。


 セラの目はまた少し潤んでいた。


 今度は何も言わなかった。


 言えば怒られそうだったから。


 白い森の夜。


 長い間離れていた母と娘は、まだ話を終えていない。


 けれど今度は。


 明日になっても、そこにいる。


 それだけで十分だった。

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