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ランキング最高順位51位!『異世界に転移したので、もう我慢するのはやめました ~固有能力《自由》で好き勝手に生きる~』  作者: くんくん
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森に残る温度

白い森へ入ると、外の街道の音が急に遠くなった。


 風は吹いている。


 銀色がかった葉も揺れている。


 鳥の声も、ときどき聞こえる。


 それなのに、森全体が何かを隠すように静かだった。


 レグは先頭を歩いていた。


 すぐ隣にクロ。


 少し後ろをハヤトとセラが続き、カイルは周囲の木や地面を確認しながら歩いている。


「まだ匂う?」


 ハヤトが尋ねた。


「うん」


 レグは迷わず答えた。


「こっち」


 道はない。


 少なくとも、人間が見てすぐ分かるようなものはなかった。


 けれどレグは何度か立ち止まりながらも、進む方向そのものは変えない。


「昔の匂いじゃないの?」


 セラが慎重に聞く。


「わかんない」


「でも強い?」


「うん」


 レグは少し考えてから続けた。


「修道院より近い」


 それが距離の話なのか、時間の話なのか。


 本人にも分からないようだった。


 ハヤトは余計な期待を口にしなかった。


 今までも、何度も母親の痕跡を追ってきた。


 そのたびに一歩ずつ近づいてはきたが、本人がそこにいるとは限らなかった。


 今度も同じかもしれない。


 それでもレグの歩みは、自然と速くなっていた。


「レグ」


 セラが呼ぶ。


「走らなくていいよ」


 レグが振り返る。


「走ってない」


「さっきより速い」


「……ちょっとだけ」


「転ぶよ」


「転ばない」


 言った直後、木の根に足を引っかけかける。


 ハヤトが何も言わず手を出した。


 レグは自分で踏ん張って止まる。


「今のなし」


「何も言ってない」


「顔」


「俺、何もしてないだろ」


 セラが小さく笑った。


 少しだけ、張っていた空気が緩んだ。


 森の中ほどまで進んだ頃。


 クロが突然、道を外れた。


「クロ?」


 レグもついていく。


 白い幹の木が三本、寄り添うように生えている。


 その根元。


 クロが鼻を近づけた。


「何かある?」


 カイルが近づく。


「待って」


 セラが足元を指した。


「踏まない方がいいかも」


 落ち葉の下。


 細い線が一本、地面を横切っている。


 罠ではない。


 木の枝を削って埋めたものだった。


「印?」


 ハヤトが聞く。


「文字ではないな」


 カイルがしゃがむ。


「古い竜の印とも違う」


 レグはそれを見たまま動かなかった。


「知ってる?」


 ハヤトが尋ねる。


「……うん」


 小さな返事。


「おかあさん」


「ミレアの?」


「ここ通ったら、踏まない」


「どういう意味?」


 レグは額に手を当てる。


 記憶を無理に掘り起こすような顔。


「小さいとき」


 しばらくして、言葉が出た。


「おかあさんが線つくった」


「何のため?」


「……帰る道」


 全員が黙った。


「道しるべ?」


 セラが聞く。


「たぶん」


 レグは地面の線を跨がず、その横から回り込む。


「踏んだら消えるから」


「なるほど」


 カイルも納得する。


「魔法じゃない。単純な目印か」


 ハヤトは少し意外だった。


 ミレアと聞くと、古い名前の封印や施設への細工ばかりを思い浮かべていた。


 けれど、こういうものも使う。


 森で迷わないための、ただの目印。


「こっち」


 レグが言った。


 線が示していた方向。


 木々の間に、同じような印が少しずつ続いている。


 古いもの。


 消えかけたもの。


 そして。


「これ」


 セラが足を止めた。


 一本だけ。


 明らかに新しい。


 削られた木の表面が、まだ白い。


 風雨にもほとんど晒されていない。


「いつくらい?」


 ハヤトが尋ねる。


 カイルが指先で触れずに観察する。


「正確には分からない。でも何年も前じゃない」


「もっと最近?」


「ああ」


 レグはその印へ顔を近づけた。


 鼻を動かす。


 瞬間。


 息を止めた。


「おかあさん」


「匂いある?」


「ある」


 今度の返事は速かった。


「新しい?」


「……前より」


 レグの声が少し震える。


 セラが一歩近づいた。


 でも触れない。


 何も言わない。


 ただ隣に立つ。


「行こう」


 レグが言った。


 その先からは、印が増えた。


 誰かが今も森を歩いている。


 そう考える方が自然なほどに。


     ◇


 やがて木々の密度が薄くなった。


 小さな空間。


 中央に、一軒だけ建物がある。


「家?」


 ハヤトが呟く。


 立派なものではない。


 木と石を組み合わせた小さな家。


 屋根には白い葉が積もり、壁には蔦が這っている。


 長い間放置されたようにも見える。


 でも。


「煙」


 セラが言った。


 煙突。


 ほとんど見えないほど薄い煙が上がっていた。


 レグが止まった。


 クロも止まる。


 カイルまで何も言わない。


「……いる?」


 レグの声が小さい。


 ハヤトは答えられなかった。


 煙は出ている。


 誰かが火を使った。


 それだけは確かだ。


「近づく?」


 セラがレグを見る。


 レグは少し迷った。


「うん」


 一歩。


 また一歩。


 今までなら、勢いのまま駆けていったかもしれない。


 今日はゆっくりだった。


 家の前には、小さな畑があった。


 薬草らしい植物。


 食べられそうな根菜。


 どれも枯れていない。


「誰か世話してる」


 セラが葉を見ながら言う。


「最近まで、じゃなくて今もだと思う」


 家の脇。


 薪が積んである。


 切り口は新しい。


 さらに、水桶。


 中には澄んだ水。


 表面に落ち葉一つ浮いていない。


「ここ」


 レグが突然、しゃがんだ。


 地面。


 薄い足跡。


 人のものに近い。


 ハヤトたちのものより少し小さい。


「これ、おかあさん?」


「足跡だけじゃ分からない」


 カイルが言う。


「でも新しい」


「どれくらい?」


「今日でもおかしくない」


 レグの肩が動いた。


 ハヤトは思わず声をかけそうになった。


 けれどやめる。


 レグは今、自分で確かめようとしている。


 玄関の前まで来る。


 扉は閉じていた。


 レグが手を伸ばす。


 途中で止めた。


「……勝手に開けていい?」


「家なら駄目じゃない?」


 セラが言う。


「ノックしよう」


「ノック?」


「こうやって」


 セラが扉を軽く叩いた。


 三回。


 返事はない。


 レグが耳を澄ます。


「誰もいない?」


「少なくとも中から音はしない」


 ハヤトも聞く。


 火は使われている。


 でも人の気配はない。


「外に出てるのかも」


 セラが言った。


 レグは扉を見つめた。


「待つ?」


「それもありだな」


 カイルが周囲を見る。


「ここまで来て、勝手に入って揉めるよりはいい」


「珍しく常識的」


 ハヤトが言う。


「俺を何だと思ってる」


「古いもの見ると止まらない人」


「それは否定しない」


 家の脇。


 少し離れた場所に平たい石がいくつか並んでいる。


 レグはそこへ近づいた。


「これ」


「知ってる?」


「……似てる」


「何に?」


「修道院の庭」


 母親の隠された庭。


 三人で座った記憶。


 石の配置まで同じではない。


 でも、空気が似ているらしい。


 レグが中央の石へ座る。


「ここ、座った気がする」


「前に?」


「わかんない」


 少し黙る。


「でも」


 レグが自分の膝を見る。


「おかあさん、よくこういうの作るのかも」


 ハヤトも近くの石へ腰を下ろした。


「休む場所?」


「うん」


 セラも座る。


 カイルは最初立っていたが、結局少し離れた石を選んだ。


 クロはレグの足元。


 しばらく待つ。


 十分。


 二十分。


 森は静かなままだった。


「遅いね」


 レグが呟く。


「いつ戻るか分からないからな」


「夜まで?」


「可能性はある」


「泊まる?」


「ここで?」


「外」


「本人いない家の前で?」


 ハヤトが少し考える。


「……だいぶ怖くない?」


「おかあさんなら大丈夫」


「本人じゃなかったら?」


 レグが止まる。


「それは怖い」


「だろ」


 セラが笑った。


「少し周り見てみようか」


「遠く行かない?」


「家が見える範囲だけ」


「うん」


 四人とクロで周囲を確認する。


 畑。


 薪。


 細い水路。


 家の裏には、小さな池まであった。


 そこで。


「セラ」


 ハヤトが呼ぶ。


「これ」


 池の横。


 物干しのように渡された細い縄。


 一枚の布が掛かっている。


 洗ったばかりなのか、まだ湿っていた。


「……今日だね」


 セラが触れずに言う。


「少なくとも昨日よりずっと近い」


 レグが布へ近づく。


 匂いを確認する。


 そして。


「おかあさん」


 今度は迷わなかった。


「ほんと?」


「うん」


 レグの声が震えた。


「これ、おかあさん」


 ハヤトの胸まで少し熱くなる。


 本人はここにいる。


 少なくとも。


 今日、ここにいた。


「レグ」


 セラが静かに呼ぶ。


「うん」


「大丈夫?」


「……うん」


 目が潤んでいる。


 でも泣いてはいない。


「会えるかも」


「うん」


「ほんとに」


「そうだね」


 レグは何度か頷いた。


「会ったら」


 そこで止まる。


「何?」


 ハヤトが尋ねる。


「何言う?」


 誰もすぐには答えなかった。


「いっぱいある」


 レグが自分で続ける。


「なんでいなくなったとか」


「うん」


「名前とか」


「ああ」


「おとうさんのことも」


「うん」


「でも」


 少し困った顔。


「最初、何言う?」


 セラが優しく笑った。


「そのとき出てきたのでいいんじゃない?」


「ちゃんと考えなくていい?」


「レグがミレアに会うんだから」


「……そっか」


 レグが小さく息を吐く。


「じゃあ考えない」


 ハヤトもそれでいいと思った。


 用意した言葉より。


 顔を見たときに出たものの方が、きっと正しい。


     ◇


 夕方が近づく。


 まだ誰も戻らない。


 レグは何度も森の奥を見る。


「どこ行ったんだろ」


「薪とか食べ物取りに行ったなら、結構遠いかもな」


 カイルが答える。


「待つしかない」


「うん」


 今夜は家から少し離れた場所で野営することにした。


 勝手に敷地へ入らないためだ。


 火を起こす。


 簡単な食事を作る。


 日が落ち始める。


 ハヤトが鍋を見ていると、隣にセラが来た。


「交代する?」


「まだ平気」


「焦がさないでね」


「信用ないな」


「前に一回やったでしょ」


「あれは火が強かっただけ」


「それを焦がしたって言うの」


「はい」


 二人の手が鍋の取っ手の近くで触れた。


 一瞬。


 どちらも止まる。


 昨夜のことが頭をよぎった。


 セラが先に手を離す。


「……任せる」


「お、おう」


 少し離れたところからレグが見ている。


「何?」


 ハヤトが聞く。


「また変」


「気にするな」


「うん」


 今回は素直だった。


 助かる。


 食事を終える頃には、森は暗くなっていた。


 ミレアは戻ってこない。


「今日は帰らないのかな」


 レグの声に、少し不安が混じる。


「明日まで待とう」


 ハヤトが言う。


「うん」


「ここにいたのは間違いないんだから」


「うん」


 レグが家を見る。


 煙突からの煙は、もうほとんど消えている。


 誰もいない家。


 それでも、今まで追ってきた古い痕跡とは違った。


 水。


 畑。


 薪。


 濡れた布。


 全部が今日につながっている。


 レグが毛布へ入ろうとした、そのとき。


 クロが突然、立ち上がった。


「クロ?」


 耳が森の奥へ向く。


 唸らない。


 警戒でもない。


 ただ、じっと聞いている。


 レグも顔を上げる。


「何?」


 ハヤトが剣へ手を伸ばす。


 レグが手を出した。


「待って」


「何か聞こえる?」


「……うん」


 全員が黙る。


 風。


 葉の擦れる音。


 その向こう。


 小さな旋律。


 ハヤトにも聞こえた。


 四つ。


 五つ。


 短く繰り返される歌。


「これ……」


 セラが息を呑む。


 修道院で。


 扉の向こうで。


 何度も聞いた。


 ミレアの歌。


 でも。


「違う」


 レグが立ち上がった。


「何が?」


 ハヤトが聞く。


「今までと違う」


 声が震えている。


「記録じゃない」


「分かるの?」


「うん」


 森の奥。


 歌が少しずつ近づいてくる。


 枝を踏む音。


 ゆっくり。


 誰かが歩いている。


 レグは一歩も動かなかった。


 逃げもしない。


 駆け出しもしない。


 ただ待つ。


 木々の向こうに、人影が見えた。


 長い髪。


 片手には、集めた薬草の束。


 薄暗くて顔までは分からない。


 それでも。


 レグの唇が震える。


「……おかあさん」


 歌が止まった。


 人影も止まる。


 数秒。


 誰も動けない。


 やがて。


 森の奥から、静かな声が返ってきた。


「……レグ?」


 古い名ではなかった。


 役目でもない。


 母親が呼んだ。


 今もレグが選んでいる、その名前を。

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