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ランキング最高順位51位!『異世界に転移したので、もう我慢するのはやめました ~固有能力《自由》で好き勝手に生きる~』  作者: くんくん
選んだ道の先へ

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明日の前に

東へ向かう準備は、昼前にはほとんど終わった。


 白い岩が三つ並ぶ場所。


 その先にある、小さな森。


 ガルドが残した記録をもとにネイラとオルネから道を聞き、食料と水も揃えた。明日の朝に谷を出れば、無理をせず進んでも数日で辿り着けるらしい。


 あとは休むだけ。


 そんな時間ができたのは、いつ以来だろう。


「レグ!」


 家を出た途端、頭上から声が落ちてきた。


 岩の上にルクアが立っている。


「飛ぶよ!」


「あ」


 レグの顔が明るくなる。


「行く!」


「ちょっと待って」


 セラが呼び止めた。


 レグはもう走り出しかけている。


「弓置いていきなよ」


 背負ったままだった。


「……忘れてた」


「あと水」


「飛ぶだけ」


「昨日もそれで喉渇いたって言ってたでしょ」


「持ってく」


 素直に荷物を置き直す。


 ハヤトはその様子を眺めながら笑った。


「完全に扱い分かってるな」


「何が?」


「いや、別に」


 余計なことを言うと矛先がこちらへ来そうなのでやめた。


 準備を終えたレグは竜の姿へ戻り、ルクアと一緒に谷の上空へ飛び出した。


 二頭が岩壁の間を抜けていく。


 レグの飛び方は、谷へ来たばかりの頃より明らかに安定していた。


「速くなったね」


 セラが眩しそうに空を見上げる。


「着地もだいぶ上手くなった」


「昨日ずっとやってたもんね」


「勝てたのかな」


「本人は勝ったって言いそう」


「ルクアは絶対認めなさそうだけど」


 二人で笑う。


 少し離れた場所では、カイルがオルネのところへ向かう準備をしていた。


「また記録?」


 ハヤトが聞く。


「出る前に見られるものは見とく」


「夕飯までには戻れよ」


「分かってる」


「本当に?」


「お前までセラみたいなこと言うな」


「便利なんだよ、この立場」


「やめろ」


 カイルは嫌そうな顔をして去っていった。


 昼を過ぎても、谷は穏やかだった。


 人の姿で畑を見て回る竜。


 川辺で遊ぶ小さな竜。


 岩の上で何時間も動かず昼寝をしている大きな竜。


 最初に見たときは何もかもが珍しかった景色が、今は少しずつ生活として見える。


 やがてレグとルクアが戻ってきた。


 二頭が順番に高度を落とす。


 先に降りたルクアはほとんど音もなく着地した。


 次にレグ。


 翼を広げ、速度を落とし――。


 足が地面につく。


 一歩。


 止まる。


「できた!」


 人の姿へ戻ったレグがすぐこちらを見る。


「見た?」


「見た」


「きれいだった?」


「かなり」


 レグは満足そうに頷く。


 隣でルクアが腕を組んだ。


「でもまだ私の方が上手」


「今日は同じくらい」


「違う」


「ちょっとだけ?」


「もっと」


 レグがハヤトを見る。


「どっち?」


「俺に振るなよ」


「見てた」


「見てたけど」


 ルクアまでこちらを見る。


「どっち?」


「……ルクア」


「ハヤト!」


「聞いたのレグだろ!」


 レグが頬を膨らませる。


「次は勝つ」


「明日出るんじゃないの?」


「帰ってきたら」


 ルクアが一瞬止まった。


「帰ってくる?」


「うん」


「いつ?」


「わかんない」


 それでもレグは迷わなかった。


「でも来る」


 ルクアが笑う。


「じゃあ次」


「勝つ」


「まだ言ってる」


 二人がまた言い合い始める。


 ハヤトはそれを見ながら、少しだけ安心していた。


 レグにとって竜の谷は、両親の痕跡を探すだけの場所ではなくなった。


 ここにも、帰ってきたい理由ができた。


     ◇


 午後。


「じゃあ行くよ」


 ネイラに案内され、谷の北側へ向かった。


「どこ?」


 レグが聞く。


「昨日言ってたでしょ」


「牛乳?」


「その前」


「温泉!」


「そう」


 レグが嬉しそうにルクアを見る。


「温泉!」


「そんなに珍しい?」


「好き」


 ハヤトとセラは一瞬だけ目を合わせた。


 前に温泉へ泊まったときのことを、二人とも思い出したらしい。


「……今回は何も起きないよね」


 セラが小さく言う。


「俺に聞くなよ」


「一応」


「前のも俺が起こしたわけじゃないからな」


「分かってる」


「本当に?」


「しつこい」


「はい」


 岩場を抜けると、白い湯気が見えてきた。


 いくつもの天然の湯溜まりが段々に並んでいる。


 一番大きな湯には、竜がそのままの姿で入っていた。


 巨大な身体が半分ほど湯に沈んでいる。


「でっか……」


 ハヤトが立ち止まる。


「普通に入ってる」


「温泉なんだから入るよ」


 ルクアには何もおかしくないらしい。


 別の湯には人化した竜たちもいる。


 ハヤトが周囲を確認する。


「……分かれてない?」


「何が?」


 ルクアが聞く。


 嫌な予感が当たった。


「いや、人間は普通、男と女で」


「なんで?」


「なんでって……」


 説明しようとして困る。


 セラが横から言った。


「人間はそういうものなの」


「見たらだめ?」


「だめというか……」


「恥ずかしい?」


「そう」


「竜はあんまり気にしない」


「それは見れば分かる」


 ネイラが少し先を指した。


「人間が使うなら下の方がいいよ。岩で分かれてるから」


 二つの小さな湯。


 中央には高い岩壁がある。


 ハヤトは心底安心した。


「最初からあそこ教えてほしかった」


「そんなに気にするとは思わなかった」


「気にするんです」


 セラの返事は速かった。


 男女に分かれて湯へ入る。


 こちら側にはハヤトと、途中で合流したカイル。


 向こうにはセラ、レグ、ルクア。


 岩壁は十分高い。


「今回は平和だな」


 ハヤトが肩まで浸かる。


「何が?」


「こっちの話」


 カイルは気にせず湯へ沈む。


「生き返るな……」


「記録庫いた時間長すぎじゃない?」


「最後だからな」


 そのとき。


 向こうからレグの声が飛んだ。


「ハヤト!」


「何ー?」


「ルクア、尻尾だけ出せる!」


「……どういうこと?」


 返事の代わりに。


 ばしゃん。


 大量の湯が岩壁を越えて降ってきた。


「熱っ!」


 ハヤトとカイルが同時に身を起こす。


 向こうから笑い声。


「ごめん!」


 ルクアだ。


「なんで尻尾出した!?」


「レグが見たいって」


「レグ!」


「長かった」


「感想じゃない!」


 さらに奥の大きな湯で、竜が寝返りを打った。


 水面が大きく動く。


「待て待て待て」


 嫌な予感。


 次の瞬間、こちらの湯にも波が押し寄せた。


「うわっ!」


 向こうではレグが大笑いしている。


「竜の温泉、落ち着かねえ……」


 カイルが湯を拭いながら呟く。


「同感」


 前の温泉とは、別の意味で騒がしかった。


     ◇


 湯上がり。


 約束していた牛乳を受け取ると、レグとルクアは並んで一気に飲んだ。


「おいしい」


「でしょ?」


「もう一本」


「早くない?」


 ネイラが呆れる。


「夕飯食べるんだから一本にしなさい」


「入る」


「入るかどうかじゃない」


 レグは少し残念そうに瓶を置いた。


 そのあとも、ルクアは谷のあちこちを案内した。


 普段使っている飛行場所。


 道具を作る工房。


 小さな竜たちが集まる水場。


 両親とは何の関係もない場所ばかりだった。


 それでもレグは楽しそうだった。


 夕食を終えたあと。


「レグ」


 ルクアが声をかける。


「今日うち泊まる?」


「いいの?」


「うん」


 レグは少し考えてから、ハヤトとセラを見る。


「行っていい?」


「レグが行きたいなら」


 ハヤトが答える。


「明日の朝は戻ってきてね」


 セラが続けた。


「出発するから」


「うん」


「寝坊しないでよ」


「しない」


 ルクアが笑う。


「私が起こす」


「ルクアも寝坊しそう」


「しないよ」


「ほんと?」


 二人で言い合いながら準備を始める。


 クロもレグについていくらしい。


「じゃあまた明日」


「おやすみ」


「まだ寝ない」


「知ってるよ」


 レグとルクア、クロが夜の谷へ消えていった。


 その背中を見送りながら、ハヤトはふと気づく。


「初めてじゃないか?」


「何が?」


「レグが俺たちと別のところに泊まるの」


 セラも少し考える。


「……そうかも」


「変な感じだな」


「寂しい?」


 セラがこちらを見る。


「ちょっと」


「私も」


 素直な答えだった。


 二人でしばらく、レグが消えた方向を見る。


「でも」


 セラが言う。


「よかった」


「何が?」


「ここにレグの友達ができて」


「ああ」


「最初、谷に来るのちょっと怖かったんだ」


「前にも言ってたな」


「うん」


 セラは家の前の石段へ腰を下ろす。


 ハヤトも少し間を空けて隣へ座った。


「レグが、ここに残りたいって言うかもしれないと思ってた」


「俺も」


「もしそう言ったら、止められないでしょ?」


「止めない」


「……寂しくても?」


「寂しくても」


 セラが笑う。


「同じだ」


「でも今は」


 ハヤトは夜の谷を見る。


「ここも好きで、俺たちとも旅する。それでいいんだろ」


「うん」


「どっちか選ばなきゃいけないわけじゃない」


「そうだね」


 少しの沈黙。


 風が気持ちいい。


 湯上がりの身体から、ようやく熱が引き始めていた。


「明日から、また三人だね」


「クロとカイルもいるけどな」


「そこは分かってる」


 セラが少し笑う。


「最初の三人って意味」


「ああ」


「ミレアに会えたら、どうなるんだろ」


「分からない」


「レグ、泣くかな」


「どうだろうな」


「ハヤトは?」


「俺?」


「泣きそう」


「なんで俺が」


「レグが泣いたらつられそうじゃない?」


「……否定できない」


「でしょ」


 セラが笑った。


 話はそこで途切れた。


 けれど、どちらも立とうとしない。


 しばらくしてハヤトが気づく。


 最初より距離が近い。


 いつ縮まったのかは分からない。


「……セラ」


「何?」


「近くない?」


 セラがこちらを見る。


 視線を落とし、二人の間を見る。


「そうかも」


「離れないんだ」


「嫌?」


「いや」


 答えると。


 セラが少しだけ困ったように笑った。


「じゃあいいでしょ」


「……まあ」


 また沈黙。


 今度はさっきまでとは違った。


 前の温泉では酒があった。


 セラは酔っていた。


 ハヤト自身も、どこまで本気にしていいのか分からなかった。


 今日は違う。


 セラは素面だ。


 自分も。


「前の温泉のとき」


 セラがぽつりと言った。


「またその話?」


「私、どれくらい酔ってた?」


「かなり」


「何か言った?」


「少し」


「何」


「聞かない方がいい」


「何それ」


「覚えてないならそのままでいいだろ」


「気になる」


「やめとけって」


「……ハヤトが困ること?」


「困るというか」


「じゃあ言ったんだ」


「何を」


「何か」


「雑だな」


 セラはしばらくハヤトを見ていた。


「私、ハヤトに近かった?」


「近かった」


「どれくらい?」


「……かなり」


 セラがほんの少しこちらへ寄った。


「これくらい?」


「お前、わざとやってるだろ」


「ちょっと」


「ちょっとかよ」


 離れない。


 ハヤトも離れなかった。


 目が合う。


 今までは、こうなるとどちらかが冗談を言った。


 レグが割って入ることもあった。


 今回は誰もいない。


「……セラ」


「うん」


 名前を呼んだだけ。


 次の言葉が出てこない。


 セラも待っている。


 ハヤトは少し迷ってから、頬にかかった髪へ手を伸ばした。


 指先で払う。


 セラは動かなかった。


「これ、前もやろうとしてなかった?」


「……よく見てるな」


「止めたから気になった」


「今は?」


 セラが答える代わりに、ハヤトの袖を軽く掴んだ。


 それで十分だった。


 ゆっくり顔を寄せる。


 セラも目を閉じる。


 唇が触れた。


 ほんの短い時間。


 すぐに離れる。


「……」


「……」


 二人とも何も言えなかった。


 先に目を逸らしたのはセラだった。


 頬が赤い。


「……今の」


「うん」


「勢い?」


 ハヤトは少し考えた。


「勢いってことにした方がいい?」


 セラがこちらを見る。


 しばらく黙って。


「それは嫌」


 小さな声だった。


「俺も」


 それを聞いたセラが、今度は自分から距離を詰めた。


 二度目。


 さっきより長い。


 ハヤトの手が自然にセラの肩へ回る。


 セラも服の胸元を掴む。


 離れたあとも、距離はほとんど戻らなかった。


「……これ」


 ハヤトが言う。


「何?」


「結構まずくない?」


「何が?」


「いや」


「ちゃんと言って」


「言わせる?」


 セラも意味は分かっているらしい。


 顔を赤くしたまま、それでも逃げない。


「……部屋、戻る?」


 どちらから言ったのか。


 言ったあとで、二人とも黙った。


 結局、並んで立ち上がる。


 ネイラの家へ戻る道。


 会話はほとんどなかった。


 肩が時々触れる。


 それだけで意識する。


 家に着く。


 カイルの部屋は奥だ。


 ネイラももう休んでいるらしい。


 静かだった。


 ハヤトの部屋の前。


 二人とも立ち止まる。


 扉へ手を掛けて。


 ハヤトが動きを止めた。


「セラ」


「……何?」


「入ったら」


 言葉を探す。


「多分、普通に話して終わらないと思う」


 セラの顔がさらに赤くなった。


「……分かってる」


「嫌なら、ここでやめる」


「嫌じゃない」


 即答だった。


 それで今度はハヤトが黙った。


「嫌じゃないから」


 セラが視線を落とす。


「困ってる」


「ああ」


「ハヤトは?」


「同じ」


 扉の前で、しばらく動けなかった。


 セラが小さく息を吐く。


 それから。


「……今日は、ここまでにしない?」


 ハヤトはセラを見る。


「今日は?」


 セラが顔を上げる。


「そこ拾わないで」


「いや、大事だろ」


「もう」


 困ったように笑う。


 それでも、少し考えてから。


「……帰ってきたら」


「うん」


「そのとき、また考える」


「分かった」


「絶対覚えてる顔してる」


「忘れる方がおかしいだろ」


「そうだけど……」


 セラは一歩離れた。


 でもすぐには帰らない。


「ハヤト」


「ん?」


「さっきの」


「どっち?」


「……二回とも」


「うん」


「後悔してないから」


 ハヤトは少し笑った。


「俺も」


「じゃあ、おやすみ」


「おやすみ」


 セラが自分の部屋へ向かう。


 途中で一度だけ振り返る。


 目が合う。


 今度は二人とも少し笑った。


     ◇


 翌朝。


「ただいま!」


 まだ日が昇りきる前から、レグの声が響いた。


「早いな……」


 ハヤトが部屋を出る。


 同じタイミングで、向かいからセラも出てきた。


 目が合う。


「……おはよう」


「おはよう」


 昨夜のことを思い出したのは、おそらく同時だった。


 セラの顔が少し赤くなる。


 そこへレグが走ってくる。


「セラ」


「何?」


「顔赤い」


 セラが固まる。


「……見ないで」


「なんで?」


「いいから」


 レグは不思議そうにしながら、今度はハヤトを見る。


「ハヤトも変」


「俺は何も言われてないだろ」


「なんか変」


「朝だから」


「いつも朝」


「それはそうだけど」


 後ろからルクアもやってくる。


「二人とも眠いの?」


「多分そう」


 レグが勝手に納得した。


「じゃあごはん食べたら元気になる」


「そうだな」


 ハヤトはそれに乗ることにした。


 セラは何も言わず、こちらを一度だけ睨む。


 でもその目には、本気で怒っている様子はなかった。


 朝食を終えれば。


 東へ出発する。


 ミレアを探す旅が始まる。


 その前の一日で。


 レグには、また戻ってきたい場所が増えた。


 そしてハヤトとセラの間にも。


 昨日までにはなかったものが、一つ増えていた。

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