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ランキング最高順位51位!『異世界に転移したので、もう我慢するのはやめました ~固有能力《自由》で好き勝手に生きる~』  作者: くんくん
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知らなかった暮らし

翌朝、レグが目を覚ましたとき、最初にしたことは胸元を確かめることだった。


 熱くない。


 声もしない。


 昨夜まで何度も古い名を呼んできたものは、嘘のように静かになっている。


「……レグ」


 自分で小さく言ってみる。


 もちろん何も起こらない。


 それでも少しだけ嬉しくなって、もう一度。


「レグ」


「朝から何してるの?」


 セラの声に振り返る。


「名前いってた」


「それは聞こえた」


「ちゃんとレグ」


「昨日からずっとそうでしょ」


「うん」


 レグが笑う。


 ネイラの家では、すでに朝食の準備が始まっていた。大きな鍋から湯気が上がり、焼いた薄いパンのようなものが何枚も積まれている。


 ハヤトはまだ完全に目が覚めていない顔で席についていた。


「おはよ」


「おはよう……」


「ねむい?」


「夜中に戻ったからな」


「レグ元気」


「知ってる」


 カイルはさらにひどい。


 卓へ頬杖をついたまま、片目しか開いていなかった。


「昨日、戻ってからも記録見てたでしょ」


 セラが言う。


「少しだけ」


「どれくらい?」


「……一刻くらい」


「寝てください」


「もう朝だ」


「今夜は寝てください」


「はい」


 ネイラが鍋を置きながら笑う。


「完全に扱い分かられてるね」


「昨日からずっとこんな感じだ」


「昔から?」


「最近特に」


「古いもの見つけると駄目になるんです」


 セラが説明すると、カイルは不満そうに顔を上げた。


「本人の前で言うな」


「間違ってる?」


「……間違ってない」


 レグはそのやり取りを聞きながら、皿へ視線を落とした。


「これなに?」


 丸いものが三つ。


 焼き色がついている。


「山芋に似た根を潰して、肉を混ぜて焼いたもの」


「肉!」


「そこだけ聞かない」


「食べていい?」


「全員座ったらね」


 昨日と同じ。


 レグは大人しく待った。


 クロも足元へ座っている。


「クロも待ってる」


「クロの方が偉いかもね」


 ハヤトが言う。


「レグも待ってる」


「そうだった。偉い偉い」


「子どもみたいに言わないで」


「そこは分かるんだ」


 全員が揃い、ようやく朝食が始まった。


 レグは一口食べて、目を見開く。


「おいしい」


「よかった」


「もう一個ある?」


「まず今の食べて」


「うん」


 ネイラの言うことはちゃんと聞く。


 昨日ガルドの木片に《半分聞け》と書かれていたが、今のところレグはかなりの割合で従っていた。


「今日、すぐ道に入る?」


 ハヤトが聞く。


「まだ」


 答えたのはネイラだった。


「オルネが朝から確認してる。昨夜開いた道が安定しているか、あと《閉じる》の状態も見るって」


「どれくらい?」


「昼前には分かると思う」


「じゃあ午前中空く?」


 レグがすぐ反応する。


「なんで嬉しそうなんだ」


「ルクアと飛ぶ」


「ああ、あれか」


 着地勝負。


 まだ続いていたらしい。


「昨日あんなことあったのに?」


 セラが少し驚く。


「昨日は昨日」


「切り替え早いな」


「約束したから」


 ちょうどそのとき、外から声がした。


「レグ!」


「あ」


 レグが椅子から立ち上がる。


「まだ食べてるでしょ」


 ネイラの一言で座り直した。


「……ルクア、待って」


 外から笑い声が返ってくる。


「急がなくていいよ!」


 ハヤトは少し感心した。


「ちゃんと待つんだな」


「昨日ネイラに怒られたから?」


「聞こえてるよ!」


 また外から声。


 ネイラは満足そうに頷いた。


「学習するならいい」


 朝食を終えたあと、レグはすぐ外へ飛び出した。


 ハヤトたちも少し遅れて家を出る。


 谷には朝の光が落ちていた。


 上空を何頭もの竜が飛び、川辺では小さな竜たちが水を跳ね上げて遊んでいる。人の姿の竜たちは、畑を見たり、石造りの建物から荷物を運び出したりしていた。


 昨日までは珍しいものにしか見えなかった景色が、少しずつ生活として見えてくる。


「普通に朝なんだね」


 セラが呟いた。


「竜でも朝は朝だろ」


「分かってるけどさ」


「もっとこう、岩の上で吠えてるとか?」


「ハヤトの竜像どうなってるの?」


「知らないから想像で」


 その前では、ルクアがすでに竜の姿になっていた。


『いくよ』


 レグも竜へ戻る。


『今日は勝つ』


『何回目で?』


『一回』


『昨日もそう言ってた』


『今日はちがう』


 二頭が飛び立った。


 ハヤトは自然と空を見上げる。


 昨日までなら、危なくないかと先に考えていた。


 今も心配はある。


 それでも、すぐ止めようとは思わなかった。


「変わったね」


 隣からセラが言う。


「俺?」


「うん」


「何が?」


「前なら『高く飛ぶな』『遠く行くな』『無茶するな』って三つくらい言ってた」


「昨日言いすぎって怒られたから」


「私、怒ってないけど」


「似たようなもん」


 セラが笑う。


「でも本当に、ちょっと慣れたんじゃない?」


「レグが?」


「ハヤトが」


 空ではレグが大きく旋回し、岩場へ向けて高度を落としている。


 一度翼を広げて速度を殺し、そのまま足をつく。


 一歩。


 止まった。


『できた!』


「おお!」


 思わずハヤトが声を上げる。


 ルクアも降りる。


 ほとんど音がない。


『どう?』


 レグが聞く。


『まだ私の方が上手』


『でも転ばなかった』


『それは認める』


『じゃあ半分勝ち』


『何その勝ち方』


 二頭とも楽しそうだった。


「同年代くらいなのかな」


 セラが尋ねる。


「竜の年齢分からないけどな」


「あとでネイラに聞いてみる?」


「本人に聞く方が早くない?」


「竜って年齢聞いていいのかな」


「それ人間でも相手によるだろ」


「じゃあやめとこ」


 そこだけ妙に慎重だった。


 カイルはというと、飛行練習には興味がないらしい。


 少し離れた石壁を見ている。


「カイル!」


 セラの声が飛ぶ。


「触ってない!」


「まだ何も言ってない!」


「先に言っとく!」


「完全に学習してるな」


 ハヤトが笑う。


 しばらくして、ネイラがセラを呼んだ。


「時間あるなら薬草見る?」


「いいの?」


「昨日興味ありそうだったから」


「見たい」


 セラはすぐについていった。


 ハヤトは残される。


「俺は?」


 ネイラが振り返る。


「来たい?」


「薬草分からない」


「じゃあ好きにしてて」


「ですよね」


 カイルは壁。


 セラは薬草。


 レグは飛行。


 クロはレグが着地する場所の近くで伏せている。


「……暇だな」


 ハヤトは谷を見回した。


 久しぶりだった。


 何かを探す必要もない。


 誰かを助けに走る必要もない。


 目の前に開いた道へ、すぐ飛び込む必要もない。


「旅って、こういう時間もあったよな」


 一人で呟く。


 第一部の頃。


 町を歩いたり。


 食事を探したり。


 セラとレグの買い物についていったり。


 何でもない時間が、もっとあった。


 最近はずっと、次の謎が次の謎を呼んでいた。


「ハヤト!」


 空から声。


 顔を上げる。


『見て!』


「見てる!」


 レグがもう一度着地する。


 今度はさらに綺麗だった。


「うまい!」


『勝った?』


 ルクアが横へ降りる。


『まだ』


『なんで!』


 ハヤトは笑った。


 こういうのでいい。


 少なくとも今は。


 昼前。


 セラが薬草を抱えて戻ってきた。


「いっぱい持ってるな」


「分けてもらった。止血に使えるのと、軽い火傷に使えるの」


「谷の外にもある?」


「似た種類はあるみたい。ただ、こっちの方が魔力が濃いんだって」


「へえ」


「ハヤト何してた?」


「レグ見てた」


「ずっと?」


「ほぼ」


「暇だったんだ」


「言い方」


 レグも人の姿へ戻ってやってくる。


 額に少し汗をかいている。


「おなかすいた」


「知ってた」


「お昼?」


「オルネが来るまで待つ?」


「お昼は先」


「即答」


 ルクアも人の姿でついてきた。


「私も食べていい?」


「ネイラに聞いて」


「なんで?」


「家主だから」


「前は勝手に食べた」


 後ろからネイラの声がした。


「だから今日は聞きなさい」


「……食べていい?」


「いいよ」


「やった」


 レグとルクアが並んで家へ入る。


「完全に友達じゃん」


 ハヤトが言う。


「本人たちはまだ言ってないけどね」


 セラも笑っている。


 昼食は朝よりさらに賑やかになった。


 ルクアが谷の外へ出たことがほとんどないと知り、レグは今まで食べたものの話を始めた。


「温泉のあと、牛乳」


「牛乳?」


「おいしい」


「谷にもあるよ」


「ほんと!?」


「山の向こうで飼ってる」


 レグの表情が変わる。


「ハヤト」


「何」


「谷にも牛乳ある」


「よかったな」


「あとで飲む」


「道入るんじゃないの?」


「帰ってきてから」


「ちゃんと予定に入れた」


 セラが笑う。


「温泉もある?」


 ルクアが聞く。


 レグが止まった。


「ある?」


 ネイラを見る。


「谷の北側に湯が出るところはあるよ」


 ハヤトとセラの動きが同時に止まった。


 カイルだけが気づかず食べている。


「温泉?」


 レグの目が輝く。


「入れる?」


「竜も入るけど」


「人でも?」


「入れるよ」


 レグがハヤトを見る。


 セラも見る。


「……なんで二人とも俺見るの?」


「前の温泉」


 レグが言う。


「忘れて」


「仕切り」


「忘れて」


「ハヤト、のぞ――」


「言わなくていい!」


 セラが顔を背ける。


 耳が少し赤い。


 ネイラとルクアが二人を見る。


「何したの?」


「何もしてません」


 ハヤトが即答した。


「事故です」


 セラも続ける。


 カイルがようやく顔を上げた。


「俺は巻き込むなよ」


「まだ何も言ってないだろ」


「嫌な予感がした」


「温泉って怖い?」


 ルクアが真面目に聞く。


「場所による」


「ハヤトがいると?」


「セラ!」


「冗談」


 レグが笑っている。


 ネイラまで口元を押さえていた。


 そのとき、扉が叩かれた。


「いるか」


 オルネだった。


 一気に全員の表情が戻る。


「確認終わった?」


 レグが立ち上がる。


「ああ」


「道、入れる?」


「少なくとも最初の区画までは」


「《閉じる》は?」


「昨夜から亀裂は広がっていない」


 オルネが中へ入る。


「ただし、道の奥から弱い反応がある」


「何の?」


「《閉じる》だ」


 カイルがすぐ食事を終えようとする。


「待ちなさい」


 セラが止める。


「もう食べた」


「口に入ってる」


「……」


「飲み込んでから喋って」


 レグが吹き出す。


「おかあさんと同じ」


「何が?」


「『食べてからしゃべって』」


 セラが一瞬止まった。


 ネイラも笑う。


「確かに似てるね」


「えぇ……」


 セラは少し困った顔をした。


 ハヤトは横で笑いそうになったが、視線が来る前に食事へ戻った。


 昼食を終える。


 荷物を必要最低限に整える。


 水。


 灯り。


 治療道具。


 ロープ。


 カイルの筆記道具。


「それ必要?」


 ハヤトが聞く。


「必要だ」


「絶対記録取る気じゃん」


「取れるなら取る」


「置いてかれるぞ」


「歩きながらやらん」


「ほんとに?」


「お前までセラみたいになってきたな」


「悪い?」


 少し離れた場所で、レグはルクアと話していた。


「一緒に来る?」


「行かない」


「なんで?」


「あそこはお前の道だから」


「レグだけ?」


「違う」


 ルクアはハヤトたちを見る。


「連れていくって決めたやつと行けばいい」


「ルクアは?」


「帰ってきたらまた飛ぶ」


「牛乳も」


「飲む」


「温泉も」


「それはネイラに聞く」


「うん」


 約束が一つずつ増えていく。


 レグは谷へ来るまで、ここに何があるか知らなかった。


 両親の痕跡だけを探していた。


 今は少し違う。


 ルクアがいる。


 ネイラがいる。


 オルネもいる。


 昔の自分を知る者がいて、今の自分から始まった関係もある。


 それでも。


「レグ」


 ハヤトが呼ぶ。


「行くぞ」


「うん!」


 迷わず、こちらへ走ってくる。


 ネイラが家の前から見送る。


「気をつけて」


「うん」


「何でも触らない」


 レグがカイルを見る。


「俺に言ってる?」


「二人とも」


 今度はハヤトも含まれていた。


「なんで俺まで」


「自覚して」


 セラに言われる。


「はい」


 谷の東。


 昨夜開いた道の前には、まだ《レグ》の文字が淡く光っていた。


 声はしない。


 古い名も呼ばれない。


 ただ、奥から冷たい風が流れている。


 オルネは入口まで来たところで止まった。


「私はここに残る」


「来ない?」


 レグが聞く。


「道を開いたのはお前だ」


「でも知ってること多い」


「必要なら戻って聞け」


「そっか」


「それと」


 オルネがレグを見る。


「中で何かがお前を別の名で呼んでも、昨日と同じだ」


「返さない」


「違う」


 レグが首を傾げる。


「返すかどうかも、お前が決めろ」


「……いいの?」


「名を知ること自体が悪いわけではない」


 オルネは静かに言う。


「ただ、それを何のために使うのかを、自分より先に他人へ決めさせるな」


 レグは少し考えた。


「うん」


「行ってこい」


 レグが前を向く。


 クロが隣へ。


 その後ろにハヤトとセラ。


 カイルが最後につく。


 昨日までなら、谷は目的地だった。


 今はもう、その先へ続く道がある。


 レグは一歩、暗い通路へ踏み入れた。


 数歩進んだところで振り返る。


「ルクア!」


 少し離れた岩の上。


 見送りに来ていたルクアが手を上げる。


「なに!」


「帰ったら勝負!」


「今度も負けない!」


「牛乳も!」


「それも!」


 ネイラの声まで飛ぶ。


「帰ってから考えなさい!」


 レグは笑った。


 そして今度こそ、前を向いた。


 暗い道の向こうへ。


 待っているものを確かめるために。

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