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ランキング最高順位51位!『異世界に転移したので、もう我慢するのはやめました ~固有能力《自由》で好き勝手に生きる~』  作者: くんくん
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返さない夜

オルネの場所を出る頃には、谷の上を渡る陽がかなり傾いていた。


 朝からクロの古い休息所へ行き、そのあと名を預かる場所まで歩いた。距離だけなら大したことはないが、知ったことが多すぎる。


 クロの印は、もともと道を開くためのものだった。


 レグのもう一つの名も、それに近い働きを持っていた。


 鍵だったものが、いつか鎖へ変えられた。


 そして今も、谷のどこかに古い仕組みが眠っている。


「今日はもう休むよ」


 ネイラが先を歩きながら言った。


「明日の朝、オルネのところへ行けばいい」


「夜に調べない?」


 カイルが聞く。


「お前は寝なさい」


「まだ元気だ」


「顔が遺跡見つけたときのやつになってる」


「どんな顔だ」


「放っておくと朝まで帰ってこない顔」


 ハヤトが思わず頷く。


「分かる」


「お前まで乗るな」


 セラも横からカイルを見る。


「今日は本当に休んだ方がいいと思う。昨日までずっと移動してたし」


 三方向から止められ、カイルは諦めたように息を吐いた。


「分かった」


「意外と素直」


「竜の谷で勝手に動いて追い出されたくないだけだ」


「十分賢いよ」


 レグは会話を聞きながら、クロと並んで歩いていた。


 時々、自分の胸元へ手を置く。


 ハヤトはそれに気づいていた。


「気になる?」


「うん」


「名前?」


「それも」


「ほかは?」


 レグは少し考えた。


「谷」


「谷?」


「知ってる気がするところ、いっぱいある」


 道。


 岩。


 川。


 建物。


 どれもはっきり覚えているわけではない。


 それでも、角を曲がる前に景色を予想できることがあるらしい。


「怖い?」


 セラが尋ねる。


「ちょっと変」


「変?」


「初めてなのに、初めてじゃない」


 レグは足を止めずに答えた。


「でも今のレグは、ここ初めて」


「うん」


「だから見る」


 セラが小さく笑った。


「それでいいと思う」


 ネイラの家へ戻る途中、小さな広場を通った。


 何頭かの竜が人の姿で食事の準備をしている。肉を焼く匂いが漂い、それにレグが即座に反応した。


「いいにおい」


「さっきまで大事な話してたのに」


 ハヤトが笑う。


「おなかは別」


「知ってる」


 広場の端では、昨日の赤褐色の竜――人の姿なら赤茶色の髪をした女性が、別の若い竜たちと何か話していた。


 レグに気づく。


「あ」


 目が合った。


 女性は一瞬だけネイラを確認してから、そっと逃げようとした。


「待ちなさい」


 ネイラの声。


「……何もしてない」


「昨日の話、まだ終わってない」


「もう布返した」


「それと、夜に人間の頭すれすれを飛ぶのは別」


「すれすれじゃない」


「何歩分?」


「……四歩くらい」


「近い」


「竜なら普通」


「人間には普通じゃない」


 女性が肩を落とす。


 レグが横から言った。


「でも楽しかった」


「レグ」


「ほんと」


 ネイラはレグを見る。


 次にハヤトたち。


「怪我は?」


「ないです」


 セラが答えた。


「なら今回はいい」


「やった」


 赤茶色の女性が顔を上げる。


「次から気をつける」


「次ある前提なんだ」


 ハヤトが呟く。


「谷にいる間はある」


 本人が当然のように答えた。


 レグが嬉しそうに笑う。


「明日も飛ぶ?」


「飛ぶ」


「着地、今度勝つ」


「まだ言ってるの?」


「勝つまで」


「じゃあ一生終わらないかも」


「む」


 二人のやり取りを見て、ネイラがため息をつく。


「名前は?」


 ハヤトが小声で聞く。


「まだ教えてもらってない」


「そういえばそうだったね」


 セラも気づく。


 女性は聞こえていたらしく、こちらを向いた。


「ルクア」


「え?」


「必要になったから」


 昨日のオルネと同じ言い方だった。


「ルクア」


 レグが繰り返す。


「うん」


「覚えた」


「忘れないで」


「レグ、名前は覚える」


 ハヤトは思わず横を見る。


「説得力あるような、今の状況だとないような」


「レグはレグ覚えてる」


「それは大事」


 ルクアは少し笑い、仲間のところへ戻った。


 ネイラの家に着く頃には、空が薄紫に変わっていた。


 夕食は思ったより豪華だった。


 大きな鍋。


 焼いた肉。


 山菜に似た野菜。


 硬いパンのようなものまである。


「こんなに食べるの?」


 セラが驚く。


「今日は人数いるから」


 ネイラが肉を切り分ける。


「竜基準じゃないよね?」


 ハヤトが念のため聞く。


「人の姿の分」


「よかった」


 レグはもう席についている。


「食べていい?」


「全員座ってから」


「座ってる」


「お前だけね」


 クロもレグの足元で待っていた。


「クロも座ってる」


「そこは数えない」


 全員が揃うと、ようやく食事が始まった。


 レグは最初こそ勢いよく食べていたが、途中でふとネイラを見る。


「おかあさんも、ここで食べた?」


「この家で?」


「うん」


「何度か」


「どこ座った?」


 ネイラが少し考えて、窓側の椅子を指した。


「そこ」


 レグが見る。


「おとうさんは?」


「そっち」


 今カイルが座っている椅子。


 カイルの手が止まる。


「俺ここいていいのか?」


「ただの椅子よ」


「いや、そうなんだけど」


 レグが嬉しそうに見る。


「カイル、おとうさんの席」


「やめろ。急に座りづらくなる」


「いっぱい喋って」


「それまで真似しろと?」


「うん」


「断る」


 ネイラが肉を取りながら笑った。


「ガルドなら食事中もずっと喋ってたよ」


「やっぱり」


「ミレアは?」


 セラが尋ねる。


「聞いてた。たまに止めた」


「何て?」


「『食べてから喋って』」


「セラみたい」


 レグが即答する。


「私?」


「うん」


「……そう?」


 ハヤトは少し納得してしまった。


「ちょっと分かる」


「ハヤトまで?」


「いや、悪い意味じゃなくて」


「ならいいけど」


 ネイラは二人を見比べ、何か言いかけた。


 だが結局、何も言わなかった。


 食後。


 カイルはオルネの石板を思い返しながら自分の写しへ書き込み、セラはネイラから谷で採れる薬草について教わっていた。


 レグはクロと一緒に外へ出る。


 ハヤトも少し遅れてついていった。


 家の前からは、谷の空がよく見えた。


 夜の竜たちが何頭か飛んでいる。


「今日は飛ばない?」


「ルクアと明日」


「そっか」


 レグは石段へ座る。


 クロもその横に伏せた。


 ハヤトは隣へ座るほどではない距離で、壁へ背を預ける。


「ハヤト」


「ん?」


「名前って、何?」


「難しい質問だな」


「ハヤトは、ハヤト?」


「うん」


「名前変わったら?」


「俺じゃなくなるかって?」


「うん」


 ハヤトは考えた。


「ならないと思う」


「じゃあ、なんで危ない?」


「名前が危ないんじゃなくて」


 言葉を選ぶ。


「昔の仕組みが、その名前に勝手な意味をくっつけてるのが危ないんじゃないかな」


「勝手に?」


「例えばさ」


 レグを見る。


「俺がレグに『今日からお前は毎日料理する人な』って言ったとして」


「やだ」


「だろ?」


「食べる人がいい」


「そこじゃなくて」


 笑ってから続ける。


「俺が勝手に決めても、レグがそうなるわけじゃない。でも、毎日みんなが『料理する人』『料理する人』って呼んで、料理しないと駄目だって言い続けたら、ちょっと変だろ」


「うん」


「古い名前は、それをもっと強くするものなのかも」


「魔力も?」


「オルネはそう言ってたな」


 レグは胸へ手を置く。


「でもレグ、料理する人って言われてもやらない」


「強いな」


「食べる」


「知ってる」


 しばらく黙る。


 夜風が吹く。


 竜の谷の夜は、外の森より音が多かった。


 翼の音。


 遠い鳴き声。


 川。


 誰かの話し声。


 それらが少しずつ静まっていく。


「ハヤト」


「何?」


「もしレグ、変になったら?」


「変って?」


「昔の名前ばっかり気にして、役目やるって言ったら」


 ハヤトはすぐに答えなかった。


「レグが本当にやりたいなら、止めない」


「ほんと?」


「危なくなければ」


「危なかったら?」


「止める」


「じゃあいつもと同じ」


「そうだな」


「でも」


 ハヤトは続ける。


「レグが『やりたい』って言ってるのか、何かに言わされてるだけなのか分からなくなったら、一回ちゃんと話す」


「それでもレグがやるって言ったら?」


「また考える」


「すぐ決めない?」


「ああ」


 レグが満足そうに頷いた。


「それでいい」


「お前が決めるんだ」


「うん」


 そのとき。


 クロが顔を上げた。


 ハヤトも会話を止める。


「何?」


 耳が立っている。


 レグも同時に胸を押さえた。


「……来た」


「声?」


「まだ」


「まだ?」


 レグの胸元。


 服の下から淡い光が漏れた。


「レグ!」


 ハヤトが立ち上がる。


 だがレグは苦しそうではない。


「熱い?」


「ちょっと」


 家の中からセラたちも出てくる。


「どうしたの?」


「印が」


 ネイラの顔が変わる。


「中に戻ったやつ?」


「うん」


 レグが立ち上がった。


 谷の奥を見る。


 オルネの場所とは違う。


 もっと東。


「声、する」


「古い名前?」


 セラが聞く。


 レグは答えない。


 耳を澄ませる。


 ハヤトには何も聞こえなかった。


 しかし今までと違う。


 レグの顔に、聞き覚えのないものを聞いた驚きがない。


 むしろ。


「近い」


「どのくらい?」


「すぐそこみたい」


 ネイラが周囲を見る。


「何て言ってる?」


 レグの唇が少し動く。


 危うく何かを返しそうになり、自分で口を閉じた。


「レグ?」


「……呼んでる」


「名前で?」


「うん」


「返さなくていい」


 ハヤトが言う。


「分かってる」


 レグは両手で口を塞ぐようにした。


 その瞬間。


 谷の奥。


 暗い岩壁の一部に、白い光が走った。


「何あれ?」


 カイルが前へ出る。


 一本。


 二本。


 六本。


 遠くの岩肌に、巨大な六つの線が浮かび上がる。


 オルネの石板に刻まれていた配置と同じだった。


「起きた……?」


 セラが呟く。


 ネイラの表情が硬くなる。


「そんなはずない」


「何が?」


「ここは何十年も動いてない」


 六本のうち。


 一本だけが、ゆっくり明るくなる。


 レグの胸の光も強くなった。


「レグ!」


「だいじょうぶ」


「本当に?」


「うん。でも」


 声がまた届く。


 今度はレグの顔がはっきり変わった。


「何て?」


 聞かれても、すぐには答えない。


「レグ?」


「……『帰ってきた』」


 ハヤトの背筋が冷える。


 さらに。


「『遅かった』」


 ネイラが東の岩壁を見る。


「誰が言ってる?」


「わかんない」


「声はミレア?」


「ちがう」


「ガルド?」


「ちがう」


 レグは首を横に振る。


「知らない」


 六本の線の中央。


 今まで何もなかった場所に、小さな光が生まれる。


 円。


 その中心へ。


 一つの文字が浮かびかけた。


「見るな!」


 ネイラの声が飛んだ。


 レグの前へ手を出す。


「何?」


「あれが名なら、読ませるな!」


 ハヤトも反射的にレグの視界を遮る。


 セラが反対側へ回る。


「家の中へ!」


「待って」


 レグが動かない。


「レグ?」


「返してない」


「うん」


「名前も見てない」


「それでいい」


「でも」


 レグはハヤトの肩越しに、光を見ないよう目を伏せたまま言った。


「声、怒ってる」


「何に?」


「レグが返事しないから」


 低い音が谷全体へ響いた。


 竜たちの声ではない。


 岩の奥。


 地面の下。


 古い何かが動き始める音。


 家々から次々に竜たちが出てくる。


 空へ飛び上がるものもいた。


「何が起きた!」


「東の壁だ!」


「光ってるぞ!」


 ざわめきが広がっていく。


 レグは胸を押さえたまま、一歩も動かなかった。


 そして。


 声がまた届く。


 今度は古い名前ではなかった。


 レグにも。


 はっきり理解できる言葉。


「……」


「何て?」


 ハヤトが聞く。


 レグがゆっくり顔を上げた。


「『役目を思い出せ』」


 その言葉を聞いた瞬間。


 レグの表情から、迷いが消えた。


「やだ」


 短い。


 でも、今までで一番はっきりした声だった。


 東の岩壁へ向けてではない。


 誰かに聞かせるためでもない。


 自分で決めるように。


「レグは、今のレグ」


 光は消えない。


 古い仕組みも止まらない。


 それでもレグは、呼ばれた名を返さなかった。

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