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ランキング最高順位51位!『異世界に転移したので、もう我慢するのはやめました ~固有能力《自由》で好き勝手に生きる~』  作者: くんくん
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呼ばれたままの名前

卓の上に置かれた黒い箱を、レグはじっと見つめていた。


 父ガルドが十数年前、傷だらけでこの谷へ戻り、ネイラに預けたもの。


 自分の足でここまで来た娘へ渡すこと。


 ただし、その娘が《レグ》ではない名を名乗ったなら渡すな。


 理由は――。


『それは俺たちの娘じゃないかもしれない』


「……どういう意味?」


 レグの声は小さかった。


 ネイラは椅子へ座り直す。


「そのままの意味を知ってるわけじゃない。ガルドは全部を説明しなかったから」


「聞かなかったの?」


「聞いた。怒鳴った。ちゃんと説明しろとも言った」


「ネイラ、怒った?」


「かなりね」


「おとうさんは?」


「笑った」


「……」


「だからもう一回怒った」


 レグが少しだけ顔を上げた。


「おとうさんっぽい」


「本当にね」


 ネイラもわずかに笑ったが、その表情はすぐ戻った。


「でも、そのあとだけは真面目だった」


 十数年前。


 血と泥で汚れたガルドは、この家の同じ場所に座っていたという。


 片方の翼はまともに畳めず、脇腹には深い傷。人の姿を取るだけでも苦しそうだった。


 それでも箱から手を離さず、ネイラへ何度も確認した。


 ――名前を聞け。


 ――俺たちが呼んでいた名前を、自分で答えられるか確かめろ。


「《レグ》って?」


「そう」


「でも、もう一個もレグの名前なんでしょ?」


「それが難しいところなの」


 ネイラは少し考えてから、言葉を選んだ。


「竜には、昔から名前を特別に扱う一族や群れがいた。今はそんなこと気にしない竜も多いけど、昔は名前が役目や血筋と結びついていたこともある」


 カイルが反応する。


「役目と名前が一緒になる?」


「近い。だけど同じではない」


「古い施設と関係ある?」


「あると思う」


「思う?」


「私は施設を調べる役じゃなかった」


 きっぱり言われ、カイルは口を閉じた。


「知らないものは知らない。ガルドもミレアも、その辺は私より詳しかった」


 ハヤトは以前見た壁画を思い出す。


 六頭の竜。


 それぞれが別の場所へ向かい、守り、封じ、残した。


 もし名前そのものが、役目と何かの形でつながっていたなら。


「古い名前を名乗ると、その役目に戻されるとか?」


 ハヤトが聞く。


「可能性はある」


「戻される?」


 レグが見る。


「決まったことをしなきゃいけなくなるってこと?」


「そこまでは分からない」


 ネイラが首を振る。


「だから今、勝手に答えを作らない方がいい」


「うん」


 レグは素直に頷いた。


 セラが静かに尋ねる。


「でもガルドさんは、別の名前を答えたら『娘じゃないかもしれない』と言ったんですよね」


「そう」


「役目を受け入れただけなら、本人であることは変わらないように思えます」


「私もそこが引っかかった」


 ネイラがレグを見る。


「だからガルドに聞いたの。《名前が変わっただけなら、この子はこの子でしょう》って」


「なんて?」


「『そうならいい』」


 ハヤトの眉が寄る。


「そうじゃない場合がある?」


「ガルドはそう考えてた」


「何が起きるんだ?」


「そこから先は言わなかった」


「なんでだよ……」


「本人に会ったら殴っていいよ」


「ネイラが?」


「私が」


 即答だった。


 レグが少しだけ笑う。


「レグも?」


「お前は話を聞いてからにしなさい」


「うん」


 笑いはすぐ消えたが、部屋の空気は少しだけ軽くなった。


 ネイラが箱をレグの前へ押す。


「少なくとも、お前はここへ来て自分をレグだと言った。もう一つの名を求められても、言わなかった」


「うん」


「なら約束通り、これはお前のもの」


「開けていい?」


「そのために渡したの」


 レグが両手を箱へ伸ばす。


 途中で止まった。


 ハヤトを見る。


「どうした?」


「開ける?」


「俺が?」


「いっしょに」


 以前なら、危険かもしれないと先に触っていただろう。


 でも今は違う。


「レグが開けて。俺はここにいる」


「セラも?」


「もちろん」


「カイルも?」


「いる」


 足元ではクロがレグの膝へ鼻先を寄せる。


「クロもいる」


 レグが頷く。


 今度こそ、箱へ触れた。


 光は出ない。


 印も反応しない。


 古びた留め金を上げると、乾いた音がした。


「普通に開くんだ」


 ハヤトが思わず言う。


「何を期待してたの?」


 セラが呆れる。


「最近、箱開けると何か光ること多かったから」


「これはガルドが作った箱よ」


 ネイラが言う。


「魔術を仕込むような器用なやつじゃない」


「おとうさん、不器用?」


「かなり」


 レグがまた嬉しそうになった。


 蓋を開く。


 中には三つ。


 古い革で包まれた薄い冊子。


 短い黒紐。


 そして、掌ほどの木片。


「……これだけ?」


 ハヤトが覗く。


「何だと思ってた?」


「もっとすごいもの」


「だから何を」


「分かんないけど」


 レグは最初に木片を取った。


 片面には、あの印。


 二本の線が重なり、先で分かれている。


 裏には。


「文字ある」


 カイルが身を乗り出す。


「見せて」


「触らないで」


「見るだけだ」


「ほんと?」


「最近俺への信用どうなってるんだ」


 レグが木片を差し出す。


 カイルが目を細めた。


「古代文字じゃない」


「読める?」


「普通の字だ。ちょっと癖が強いけど」


「何て?」


 カイルが一度、レグを見る。


「……《レグへ》」


 レグの指が止まった。


「おとうさん?」


「多分な」


 その下に、もう一行。


「《もしお前がこれを見ているなら、俺の心配は半分外れた》」


「半分?」


「続きがある」


 カイルが読む。


「《残り半分は、お前が俺より馬鹿じゃないことを祈る》」


 沈黙。


 ネイラが額を押さえた。


「……あいつ」


 ハヤトは吹き出した。


「最初にそれ書く!?」


「おとうさんっぽい」


 レグだけは嬉しそうだ。


「会ったことほとんど覚えてないのに、もう父親像固まってきたな」


「馬鹿?」


「そこじゃない」


 木片の最後には、短く。


 《ネイラの言うことは半分聞け》


「ガルドォ……!」


 ネイラの声が低くなる。


「半分だって」


 レグが言う。


「全部聞きなさい」


「どっち?」


「私」


「うん」


「迷わないのね」


 セラが笑いを堪えている。


 けれど冊子を開くと、空気は再び変わった。


 最初の数頁は文字ばかり。


 カイルが読むには時間がかかりそうだった。


「これも普通の文字?」


「大部分は。ただ、途中に古い記号が混じってる」


「ガルドが書いた?」


「筆跡は木片と同じに見える」


 ネイラが首を横に振る。


「私は読んでない。約束だったから」


「十年以上開けなかったの?」


 セラが尋ねる。


「開けたくなったことはあるけどね」


「なんで我慢したの?」


「友達に頼まれたから」


 簡単な答えだった。


 レグがネイラを見る。


「おとうさんと友達?」


「喧嘩もしたけどね」


「みんな喧嘩してる」


「ガルド相手なら普通」


「おとうさん、人気?」


「そういうことにしておきなさい」


 カイルが最初の頁を読み始める。


 途中で何度か止まり、戻り、また読む。


「……これ、手紙じゃないな」


「何?」


「記録だ」


「何の?」


「レグの……いや」


 眉を寄せる。


「《名》について」


 部屋が静かになる。


 カイルが読みやすい部分を拾っていく。


「《名は本人を作らない》」


 次。


「《だが古い仕組みは、名で本人を見分ける》」


 ハヤトは身を乗り出した。


「やっぱり施設?」


「多分」


「続き」


「《名を呼べば、扉が開く》。《名を返せば、場所を知らせる》」


 イリスの警告。


 セインの忠告。


 すべてが少しずつつながる。


「だから返事したら居場所が分かる?」


「そう読める」


 レグが胸へ手を当てた。


「前の声も?」


「可能性は高いな」


 さらに読み進める。


 カイルの声が止まった。


「どうした?」


「ここ」


 指で示す。


「《だが最も古いものは、それだけではない》」


「何するの?」


 カイルがゆっくり読む。


「《名を役目として扱う》」


 次の一文。


「《役目を名として呼び続ければ、本人がそれを自分だと思うことがある》」


 誰もすぐには口を開けなかった。


 レグが理解しようとするように首を傾げる。


「……いっぱい呼ばれると、レグじゃなくなる?」


 セラがすぐ答えようとせず、冊子を見る。


「完全に別人になるって書いてあるわけじゃないよ」


「うん」


「でも、自分が何をしたいかより、その名前に結びついた役目を自分自身だと思い込む可能性がある……ってことかな」


 カイルが頷く。


「多分、それに近い」


 ハヤトはガルドの言葉を思い出した。


『それは俺たちの娘じゃないかもしれない』


 身体が別物になるわけではない。


 記憶が全部消えるとも限らない。


 それでも。


 自分で選ぶレグではなくなっていたら。


 ガルドは、それを恐れたのかもしれない。


「ミレアが名前を封じたのも」


 ハヤトが言う。


「これを防ぐため?」


「可能性はある」


 ネイラが答える。


「でも、まだ決めつけないで」


「うん」


 レグも頷く。


 冊子にはまだ先がある。


 そして最後の方。


 何頁かまとめて、文字が乱れていた。


「ここ、書いたとき手震えてるな」


 カイルが言う。


「怪我してたから?」


「そうかも」


 読み取れる言葉だけを拾う。


「《ミレア》」


 レグが顔を上げる。


「おかあさん?」


「その次……《東》」


「谷より東?」


「分からない」


「ほかは?」


 カイルが目を凝らす。


「《探すな》」


 レグの表情が止まった。


「……探すな?」


 さらに読む。


「違う。続きがある」


 一行下。


「《俺を探すな》」


 レグは黙る。


「おとうさんを?」


「そう書いてある」


 ハヤトも何も言えなかった。


 けれど、その次の文字。


 カイルが読む。


「《ミレアを見つけろ》」


「……」


「《もしお前が、それを望むなら》」


 最後の言葉だけは、はっきりしていた。


 命令ではない。


 頼みですらない。


 望むなら。


 そこにも、二人がレグへ残したものがあった。


 選ぶこと。


「おとうさんは?」


 レグが尋ねる。


「他に書いてない?」


「まだある」


 カイルが頁をめくる。


 最後の一枚。


 そこには文字が少ない。


「《俺のことは、俺が何とかする》」


 ハヤトは思わず顔をしかめた。


「いや、その状態で言う?」


 ネイラも同じだったらしい。


「だから馬鹿なのよ」


 レグは父親からの言葉を見つめる。


「おとうさん、生きてる?」


 その問いに、誰も答えられない。


 十数年前の記録。


 これだけでは、今を証明できない。


 ネイラも首を横に振った。


「分からない」


「そっか」


「ごめんね」


「ううん」


 レグは冊子へ手を置く。


「分かんないなら、分かんない」


 以前なら、すぐ次を探そうとしたかもしれない。


 でも今は違った。


「レグ、おかあさん探す?」


 ハヤトが聞く。


「うん」


「ガルドは?」


 少し長く考える。


「探す」


 冊子を見た。


「でも、おとうさんの言うとおりにはしない」


 ネイラの目が少し丸くなる。


「探すなって書いてあるよ?」


「うん」


「それでも?」


「レグが決めるから」


 ハヤトは笑った。


「それでいいんじゃない?」


「うん」


 レグは少し胸を張った。


「おとうさんも、レグに決めろって言ってる」


 探すな。


 でも最後に決めるのは娘。


 ガルド本人がそこまで考えていたかは分からない。


 それでも、レグはそう受け取った。


 ネイラはしばらく黙ったあと、深く息を吐いた。


「……本当にガルドの娘ね」


「どこが?」


「人の言うこと聞かないところ」


「いいところ?」


「場合による」


「レグは?」


「今は、いいところ」


 レグが笑う。


 そのとき。


 足元にいたクロが突然立ち上がった。


「クロ?」


 鼻先を冊子へ寄せる。


 紙ではない。


 その下。


 箱の中。


「何かある?」


 レグが覗き込む。


 黒紐しか残っていない。


 クロはその紐へ鼻を近づけ、低く喉を鳴らした。


「これ?」


 レグが触れようとする。


「待って」


 ネイラが止めた。


 彼女自身も初めて見るような顔をしている。


「その紐……」


「知ってる?」


「違う」


 ネイラの視線は、紐の端に付いた小さな金具へ向いていた。


「今まで黒くて分からなかった」


 布で表面を拭う。


 汚れが落ちる。


 現れたのは。


 円。


 その中に三本の細い線。


 クロの首に残る印と同じ形だった。


 ハヤトたちの表情が一斉に変わる。


 レグがクロを見る。


「クロと、おなじ」


「ああ」


 カイルが低く答える。


 父ガルドが残した箱。


 そこに入っていた、古代施設とクロを結ぶ印。


 ネイラがゆっくりと顔を上げる。


「……これなら」


「何?」


 ハヤトが尋ねる。


「クロの印について、心当たりがある」


 クロは黒紐から鼻を離さない。


 ネイラはその首元の古い傷跡を見つめた。


「この子は、ただ施設で捕まっていた獣じゃないかもしれない」

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