それぞれの続きを
「歌、うたう人」
レグがそう言うと、卓を囲んでいた全員が少しだけ黙った。
もっと大げさな話が始まると思っていたのかもしれない。
古代の竜。
封じられた名前。
謎の印。
何百年も残る施設。
今日だけでも話すことはいくらでもある。
けれどレグが最初に話したのは、母親が歌を歌っていたことだった。
「どんな歌?」
イリスが尋ねる。
「これ」
レグが短く鼻歌を歌う。
修道院の奥で思い出した旋律。
まだところどころ曖昧で、セインに直された最後の音も少し怪しい。
「もう一回」
「うん」
二度目。
今度は少し長い。
ノアが粥を食べる手を止めた。
「……聞いたことある気がする」
ヴァンも顔を上げる。
「お前も?」
「どこかで」
「施設?」
「分からん」
レグの歌が止まる。
「知ってる?」
「いや。覚えてないだけかもしれない」
ノアが頭を押さえかけたので、セラがすぐ口を挟んだ。
「無理に思い出さなくていいですからね」
「まだ何もしてないぞ」
「しそうな顔してたから」
「顔で止められるようになった」
ディルが横で笑う。
「諦めろ。今は逆らわない方がいい」
「お前、半日で適応しすぎだろ」
「生きるためだ」
「二人とも食べてください」
「はい」
二人揃って粥へ戻る。
エドが呆れたように眺めていた。
「昔より扱いやすくなってねえか?」
「弱ってるだけ」
イリスが答える。
「元気になったらまた面倒になるよ」
「聞こえてるぞ」
ヴァンが言った。
「なら早く元気になって」
「それは努力する」
思っていたより、食卓は穏やかだった。
カイルが修道院で見たものを順番に説明していく。
セインという竜。
ガルドとミレアを知っていたこと。
レグが幼い頃に修道院へ来ていたこと。
地下に残されていた記録。
隠された庭。
そして――竜の谷。
「ちょっと待て」
そこまで聞いたところで、ヴァンが手を上げた。
「今の場所、もう一回」
「竜の谷?」
「ああ」
カイルが地図を卓の中央へずらす。
「セインはそう呼んでた。人間側には名前が残ってないらしい」
「位置は?」
「この辺」
今日書き足した線の先を指す。
ヴァンが身を乗り出そうとする。
「座って」
セラの声。
「地図見るだけだ」
「座ったまま見えます」
「……はい」
椅子を少し前へ動かして地図を覗く。
「やっぱり」
「知ってるの?」
ハヤトが聞いた。
「場所そのものには行ったことがない。ただ、この辺りについて書かれた記録は見た」
「何て?」
「《閉じた空》」
カイルの眉が寄る。
「聞いたことない」
「俺も最初は地名だと思ってなかった」
「どういう意味?」
「山に囲まれて、外から見えない土地があるらしい。古い記録じゃ、人間の国の地図には載せるなとまで書かれてた」
「竜が住んでるから?」
「多分な」
セインが言っていた話とも合う。
人の姿を選ばなかった竜。
人間を快く思わない者もいる。
「行った人は?」
セラが尋ねる。
「記録を書いたやつは、入口までは行ったらしい」
「中には?」
「入れてもらえなかった」
「理由は?」
「人間だから」
簡潔だった。
ハヤトは思わず地図を見る。
「俺ら、普通に駄目じゃん」
「だからセインが注意したんだろ」
カイルが言う。
「レグと一緒なら入れるかもしれない。でも、歓迎される保証はない」
「別に歓迎されなくてもいい」
レグが言った。
「会いたい人いるかもしれない」
母親。
父親。
確実にそこにいるとは、まだ誰も言っていない。
けれど可能性はある。
「それに」
レグがハヤトとセラを見る。
「一人で行かない」
「うん」
セラが頷いた。
ハヤトも続く。
「ああ」
ヴァンは三人を見たあと、地図へ戻った。
「なら気をつけろ」
「それはもちろん」
「そうじゃない」
「何?」
「人間に敵意がある竜より、話が通じる竜の方が面倒なこともある」
「……なんで?」
「約束があるからだ」
ハヤトはセインの言葉を思い出した。
役目。
責任。
帰属。
昔の約束。
「レグに何かやらせようとする?」
「可能性はある」
「何を?」
「知らん。だから注意しろと言ってる」
「それもセインと同じだな」
ヴァンが少し驚く。
「そこまで言われたのか」
「レグの代わりに答えるなって」
「なら従え」
「分かってる」
すぐに答えた。
レグのことだから、守りたいとは思う。
けれど守ることと、代わりに人生を決めることは違う。
第一部の旅を終えた頃なら理解したつもりだったが、実際にこういう場面が来ると難しい。
レグが嫌だと言う前に、自分が嫌だと言ってしまいそうになる。
「ハヤト」
「ん?」
「むずかしい顔してる」
「ちょっと考えてた」
「何を?」
「レグが変なこと頼まれたら、俺が先に断りそうだなって」
「だめ?」
「場合による」
レグが考える。
「レグが『いや』って言う」
「うん」
「ハヤトはそのあと?」
「一緒に逃げる」
「それでいい」
「戦うじゃないんだ?」
「いっぱい竜いるなら逃げる」
ハヤトは少し笑った。
「ちゃんと成長してるな」
「レグ、かしこい」
「それは自分で言うんだ」
クロの尻尾が卓の下で一度床を叩いた。
カイルが地図を畳もうとする。
「今日はこのくらいにしよう。続きは明日――」
「待って」
イリスが止めた。
「先に決めた方がいいことあるでしょ」
「何だ?」
「私たち」
六人の空気が少し変わった。
ハヤトたちには直接関係のない話。
けれど席を外すには、もう遅かった。
イリスは気にせず続ける。
「全員揃った」
「ああ」
エドが答える。
「それで?」
「これからどうするの?」
誰もすぐに答えなかった。
五年前に六人で遺跡へ入り、離れ離れになった。
カイルは五年間、仲間を探した。
エドも別の場所からノアとディルを探し続けた。
ヴァンは施設を止めて回り、イリスは二か月前に目を覚ました。
ノアとディルに至っては、失った時間そのものが違う。
六人が揃うことだけが目的なら、それはもう終わった。
「俺は施設を回る」
最初に答えたのはヴァンだった。
「まだやるの?」
イリスが聞く。
「ああ」
「一人で?」
「できれば」
「却下」
「……何でお前が決める」
「昨日死にかけてたから」
「死んでない」
「言い方変えようか? 昨日、床に転がって一人で起き上がれなかったから」
「……」
「反論は?」
「ない」
エドが腹を抱えて笑い出す。
「お前、本当に弱くなったな」
「今だけだ」
「昔からイリスには弱かっただろ」
「黙れ」
イリスは笑いながら腕を組んだ。
「私も行く」
「身体は?」
「だからこそ。私のこれ」
左腕に埋め込まれた黒い金属へ触れる。
「外せる方法を探したい。施設を調べるなら、その答えもあるかもしれない」
ヴァンは少し嫌そうだったが、止めなかった。
「エドは?」
カイルが聞く。
「俺か」
エドはノアとディルを見る。
「こいつらがまともに歩けるまでは一緒にいる」
「そのあと?」
「まだ決めてねえ」
「探す相手いなくなったもんな」
ノアが言う。
「お前が言うな」
「二年探させたらしいし」
「らしいじゃねえよ」
「俺には昨日だから実感なくてな」
エドの顔が微妙になる。
「その言い方ずるくない?」
「事実だ」
ディルが粥の器を置いた。
「俺は帰る」
静かな声だった。
「どこへ?」
カイルが尋ねる。
「故郷」
「まだあるか分からないぞ」
「だから見に行く」
誰も止めなかった。
「二年……いや、外じゃ五年か」
ディルは自分の手を見る。
「家族がどうしてるかも知らない。遺跡より、まずそっちだ」
「ああ」
カイルが頷く。
「そうしろ」
ノアも少し考える。
「俺も一回戻るかな」
「お前の故郷は反対だろ」
エドが言う。
「だから途中まで一緒に行く」
「身体戻ってからな」
「分かってる」
それぞれ違う。
六人揃ったからといって、昔と同じ六人に戻るわけではない。
五年間は消えない。
失った時間も、それぞれがその間に選んだことも。
イリスが最後にカイルを見る。
「カイルは?」
「俺?」
「うん」
視線が自然とハヤトたちへ向いた。
レグは何も言わない。
ただカイルを見ている。
「俺は――」
少し間があった。
「修道院まで付き合うって話だった」
「もう終わったね」
「ああ」
「なら?」
カイルは黙る。
以前なら、仲間を探すと言っただろう。
でももう見つかった。
五年追いかけた目的が、急になくなった。
「決まってないなら、残れば?」
イリスが言う。
その声に引き止める響きはなかった。
「せっかく全員揃ったし」
「……」
「それとも」
イリスが少し笑う。
「もう行きたい場所ある?」
カイルの目がハヤトたちへ向いた。
「何でこっち見るの?」
ハヤトが聞く。
「お前が聞くな」
「俺ら竜の谷行くけど」
「知ってる」
「来る?」
あまり考えずに聞いた。
セラがハヤトを見る。
レグも。
カイルは眉を寄せる。
「もう少し迷わせろ」
「嫌ならいいけど」
「嫌とは言ってない」
その言葉。
以前にも聞いた気がした。
レグがすぐ答える。
「じゃあ来る」
「決めるな」
「来ない?」
「……」
「来る?」
カイルが深く息を吐く。
「行く」
レグが笑った。
「うん」
「それだけか?」
「だって仲間だから」
あっさりしていた。
カイルはしばらく何も言わず、最後に小さく笑った。
「五年探してた連中に会った次の日に、今度は竜の谷か」
「忙しいな」
ハヤトが言う。
「誰のせいだ」
「レグ?」
「レグ?」
本人が自分を指す。
「そこで乗るな」
セラが笑った。
イリスも肩を揺らしている。
「行ってくればいいじゃん」
「本当にいいのか?」
カイルが聞いた。
「何が?」
「また離れる」
「今度は場所が分かってる」
イリスは即答した。
「帰ってくれば会えるでしょ」
カイルが何か言おうとして、やめた。
「ああ」
短い返事だった。
それで話は決まった。
ただし明日すぐ出発するわけではない。
ヴァンたちの身体をもう一日見る。
カイルは修道院で写した記録を整理する。
竜の谷へ向かう食料も必要だ。
セインの話では十日以上。
道が変わっていれば、さらにかかる。
「食料いっぱい?」
レグが聞く。
「そこに反応するの?」
セラが笑う。
「十日」
「十日分全部持つわけじゃない。途中で村や町があれば補給する」
「なかったら?」
「多めに持つ」
「いっぱい?」
「そこだけ目輝かせるな」
長い旅になる。
これまでのように一日、二日で次の町へ着くとは限らない。
「弓も使う?」
レグが聞いた。
「持ってるなら練習にはいいかもな」
ハヤトが答える。
エルナのガルド――父親とは別人の猟師から教わった弓。
旅の途中で使える機会もあるだろう。
「狩る」
「食べる前提?」
「うん」
「まあ、それも必要か」
レグが嬉しそうに頷く。
話し合いが終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
それぞれが寝る準備を始める。
ハヤトは卓に残った地図を片づけようとして、白銀の鱗がまだ置かれていることに気づいた。
「レグ」
「なに?」
「これしまうぞ」
「うん」
レグが近づく。
ハヤトが布へ包もうとしたときだった。
「待って」
「どうした?」
鱗の裏。
光の加減で、細い線が見えた。
「何かある」
カイルを呼ぼうとすると、レグが先に覗き込む。
「文字?」
「いや……傷?」
母親の鱗には、ほんの小さな印が刻まれていた。
円でもない。
三本線でもない。
見慣れた古代の印とは違う。
小さな二本の線が重なり、その先だけが分かれている。
レグはじっと見た。
「知ってる?」
ハヤトが聞く。
「……ううん」
「じゃあカイルに――」
「でも」
レグが鱗を手に取る。
「これ、おとうさん」
「え?」
「おとうさんの印」
「何で分かる?」
「わかんない」
レグ自身も困っている。
「でも、そう思う」
ハヤトは鱗の小さな印を見る。
母親の鱗に刻まれた、父親だとレグが感じる印。
呼び声もない。
光りもしない。
それでも。
母親だけではなく、父親も確かにこの先へつながっている。
レグは鱗を布へ戻した。
「明日、セインに聞く?」
ハヤトが尋ねる。
レグは少し考えて首を振った。
「今はいい」
「いいの?」
「うん」
鱗をハヤトへ渡す。
「谷で聞く」
「誰に?」
「おとうさんいたら、おとうさんに」
いなかったら。
その言葉は続かなかった。
けれど、以前のように不安そうな顔もしなかった。
「そうだな」
ハヤトは鱗を丁寧にしまう。
探すことを、急がなくなった。
だからこそ今度の旅は、誰かに答えを与えてもらうためだけのものではない。
レグが自分で確かめるための旅になる。
卓の向こうでは、カイルが新しい地図へ一本の線を引いていた。
修道院から、さらに東へ。
今まで何も描かれていなかった場所へ。
次に進む道が、初めて地図の上に形を持った。




