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ランキング最高順位51位!『異世界に転移したので、もう我慢するのはやめました ~固有能力《自由》で好き勝手に生きる~』  作者: くんくん
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小さな爪痕

暗い階段を、レグがゆっくり降りていく。


 先頭にいるのはレグ。そのすぐ後ろにハヤトとセラ、クロが続き、少し間を空けてカイル。セインは言った通り、階段の入口から数段降りたところで足を止めた。


「本当に来ないの?」


 レグが振り返る。


「まずは、お前たちで行け」


「呼んだら?」


「行く」


「ちゃんと?」


「ああ」


 それで納得したらしい。


 レグは再び前を向いた。


 カイルの灯りが石壁を照らしている。階段そのものは狭いが、途中に扉も分かれ道もない。ただ地下へ、緩やかに曲がりながら続いていた。


「覚えてる?」


 ハヤトが聞く。


「ちょっと」


「どんな感じ?」


「おかあさん、前」


「うん」


「おとうさん、うしろ」


 レグが振り返る。


「レグ、まんなか」


「挟まれてたんだ」


「うん」


 その光景を想像する。


 小さな竜だったレグが、母親の後をついて階段を降りている。後ろには父親。


 今とよく似た並び方なのかもしれない。


 そう思った瞬間、レグが足を止めた。


「どうした?」


「ここ」


 壁の一部を指す。


 特に文字があるわけでも、仕掛けがあるわけでもない。古びた石が並んでいるだけだ。


「何かある?」


「……レグ、ここでころんだ」


「え?」


「たぶん」


 レグは壁を見つめながら、自分の膝に触れた。


「いたいってなった」


「階段で?」


「うん」


「それで?」


「おとうさん、笑った」


「笑ったの?」


「おかあさんに怒られた」


 ハヤトは思わず吹き出した。


「なんか想像できるな」


「何で? 会ったことないでしょ」


 セラが笑う。


「セインの話聞いたら何となく」


「確かに」


 レグは二人を見た。


「ころんだのに、笑うの?」


「多分、大丈夫なの分かってたんじゃない?」


「ハヤトも笑う?」


「怪我してなかったらちょっと」


「じゃあ、おとうさんとおなじ」


「そこ似なくていいんだけどな」


 レグは少し嬉しそうに、また階段を降り始めた。


 やがて最後の一段へ着く。


 地下は思っていたより明るかった。


「灯り?」


 セラが見上げる。


 天井付近に埋め込まれた白い石が、ほんのりと光を放っている。


「まだ生きてるのか」


 カイルが近づいて観察する。


「魔石?」


「似てるけど違うな。魔力を貯めてる感じがしない」


「触らないでね」


「分かってる」


「ほんとに?」


「何で俺だけ念押しされるんだ」


 ハヤトは答えなかった。


 セラも答えない。


「お前らな……」


 地下へ続く通路は一本だけだった。


 ただ、これまで入ってきた古代施設とは雰囲気が違う。


 金属の管もない。


 生き物を拘束する鎖もない。


 壁を埋め尽くす不可解な装置もなかった。


「家みたい」


 レグが言った。


「家?」


「うん」


 その言葉を聞いてから見直すと、確かにそう見えなくもない。


 通路の途中には小さな部屋がいくつかあり、古びた棚や石の机が残されている。生活していた形跡こそ薄いが、実験や管理のためだけに作られた場所ではなさそうだった。


 最初の部屋。


 中には何もない。


 二つ目。


 壁際に割れた器。


 三つ目へ入ろうとしたところで、クロが先に動いた。


「クロ?」


 床の匂いを嗅ぎながら奥へ進んでいく。


 レグもついていく。


「何かある?」


 クロは部屋の隅で止まった。


 そこには小さな石台があった。


 上には何も載っていない。


 だが、その下。


「……傷?」


 ハヤトがしゃがむ。


 石壁の低い位置に、細い線が何本も残っている。


 三本。


 四本。


 また三本。


 不規則な引っかき傷。


「古いな」


 カイルも見る。


「文字じゃない」


「クロみたいな動物?」


 セラが聞く。


 レグが近づいた。


 傷へ手を伸ばしかけて、寸前で止める。


「これ」


「覚えてる?」


「……レグ」


「え?」


「レグがやった」


 ハヤトはもう一度傷を見る。


 高さは床からほんの少し。


 小さな竜が爪を立てれば、ちょうどこのくらいだ。


「何で?」


「わかんない」


 レグはしゃがみ込んだまま、しばらくその傷を見ていた。


「怒ってた?」


 セラが隣にしゃがむ。


「ちがう」


「遊んでた?」


「……たぶん」


 そして。


「あ」


「何か思い出した?」


「おとうさん」


「何してた?」


「ここに手おいてた」


 レグが石壁へ掌を当てる。


 自分より少し高い場所。


「レグ、そこまで爪とどくかやってた」


 ハヤトは傷の意味を理解した。


「背比べみたいなものか」


「せくらべ?」


「大きくなったか見るやつ」


「うん。それ」


 レグは立ち上がる。


 今の人の姿では、傷は膝より少し下にある。


「大きくなったな」


「うん」


「めちゃくちゃ」


「うん!」


 レグは胸を張った。


 セラが壁の上を見る。


「ほかにもないかな」


 探してみると、少し離れた位置にもう一つ傷があった。


 先ほどより高い。


 さらにその横。


 もう一段高い場所。


「何回か来てたのかな」


「セインは数日って言ってたな」


「その間に測ってたとか?」


「竜って数日でそんな育つ?」


「知らない」


 視線がレグへ集まる。


「レグも知らない」


「だよな」


 カイルは傷を見ながら考えていた。


「これ、時期が違う」


「分かるの?」


「風化の具合が違う。こっちの低い傷の方が古い」


「じゃあセインの記憶と違う?」


「それか、セインが知らない時期にも来てた」


 ハヤトは一番高い傷を見る。


 幼いレグが何度かここへ連れてこられていた。


 少なくとも、その可能性がある。


「先行く?」


 レグが聞いた。


「ああ」


 部屋を出る。


 通路の先には、今までより少し広い部屋があった。


 中央に石の机。


 奥には棚。


 そして壁一面に、古い文字が刻まれている。


「やっと俺の出番か」


 カイルが灯りを掲げた。


「読めそう?」


「見てから言え」


 壁へ近づく。


 少しずつ目で追っていく。


「……古いな」


「それは分かる」


「黙ってろ」


 セラも隣から覗く。


「どう?」


「全部は無理だ。ただ、前の施設より文章になってる」


「何について?」


「竜……だな」


 カイルの指が文字を追う。


「姿。名前。魔力……この辺は見たことある」


「人化?」


「多分、それも含んでる」


 レグが興味を持って横へ来る。


「レグのこと?」


「お前個人かは分からない」


 カイルはさらに先を読む。


 やがて手が止まった。


「これ」


「何?」


「《名を隠す》」


 ハヤトの表情が変わる。


「昨日の話か?」


 普段使うレグという名前とは別に、封じられた名前がある。


 そしてそれを不用意に口にすると、何かに居場所を知られる可能性がある。


「その先は?」


「待て」


 カイルが時間をかけて読む。


「《呼ばれる》……いや、《探される》か?」


「誰に?」


「そこが読めない」


 何度見ても分からないらしい。


「次」


「《印を……閉じる》」


「黒い石?」


「かもしれない」


「決めつけない方がいいね」


 セラが言う。


「ああ」


 さらに数行。


 カイルの表情が難しくなる。


「ここから文字が違う」


「古くなった?」


「いや、書いた人間が違う」


「分かるの?」


「形が急に崩れてる。こっちは古代の記録じゃなくて、あとから誰かが書き足したみたいだ」


 ハヤトが壁を見る。


「読める?」


「むしろこっちの方が新しい分、読みやすい」


「何て?」


 カイルは最初の一行を見た。


 次にレグ。


 また壁へ戻る。


「……《この子の名を閉じる》」


 誰も声を出さなかった。


「この子?」


 レグが聞く。


「そう書いてある」


「レグ?」


「まだ分からない」


「次は?」


 カイルが読む。


「《呼び声が届かぬように》」


 ハヤトは昨夜のことを思い出す。


 届いた。


 知らない名前を呼ぶ声が、レグに。


「封じたのに聞こえた?」


 セラも同じことを考えたらしい。


「印が戻ったから?」


「可能性はあるな」


 施設で黒い石がレグの中へ戻ったのは、その直前だ。


「次」


 カイルの声が少し低くなる。


「《私たちが離れたあとも》」


 レグの顔から、さっきまでの笑みが消えた。


「離れる?」


「……続き読むぞ」


「うん」


「《この子が、自分で選べる日まで》」


 そこで文章が一度途切れていた。


 セラが小さく息を吐く。


「これ……」


「ミレアが書いた?」


 ハヤトが聞く。


 カイルは首を振る。


「名前がない。筆跡なんて俺には分からない」


 レグが壁へ近づく。


 文字には触れない。


 ただ、見ている。


「おかあさん?」


 返事はない。


 当然だ。


 壁に残っているのは、昔書かれた文字だけ。


 ハヤトは何か言おうとして、やめた。


 今は余計な言葉を挟まない方がいい。


 レグが自分で次を尋ねた。


「まだある?」


「ああ」


 カイルがその下を見る。


「短い」


「読んで」


「……《忘れてもいい》」


 レグの目が揺れた。


「《思い出せなくてもいい》」


 以前見た映像。


 母親の声。


 ――忘れても、あなたはあなたのままだから。


 あの言葉と重なる。


「最後」


 カイルが少し間を置いた。


「《戻ることを、約束にしない》」


 レグが瞬きをする。


「約束しない?」


「戻ってこい、とは書いてない」


 ハヤトが答えた。


「来なくてもよかったってこと?」


「多分な」


「……セインも言ってたね」


 セラがレグの横へ立つ。


「自分の足で戻ってきたなら、選ばせてって」


「うん」


 レグはしばらく黙っていた。


「おかあさん、レグに会いたくなかった?」


 その問いに、ハヤトの胸が少し詰まる。


「それは違うと思う」


「なんで?」


「会いたくないなら、こんなの残さないだろ」


 壁を見る。


「忘れてもいいって、わざわざ書く必要もない」


 セラも静かに頷いた。


「戻ってきてほしくないんじゃなくて、戻ることをレグの義務にしたくなかったんじゃないかな」


「ぎむ?」


「絶対しなきゃいけないこと」


「……帰らなくても?」


「うん」


「探さなくても?」


「たぶん」


 レグは考える。


「でもレグ、来た」


「うん」


「自分で」


「そうだな」


 少しずつ、表情が戻る。


「じゃあいい」


「早いな」


「だって来たかった」


 それで終わった。


 レグにとっては、本当にそれで十分なのだろう。


 クロが横から鼻先を押しつける。


「クロもきた」


 尻尾が一度動いた。


「セラも」


「うん」


「ハヤトも」


「ああ」


「カイルも」


「俺だけ最後か」


「四ばん」


「クロより後なのか」


「クロは家族」


「それなら仕方ないな」


 妙に素直だった。


 カイルは壁の残りを調べ始める。


「ほかに何かある?」


 ハヤトが尋ねる。


「この辺は普通の記録だ。人化について……あとは魔力の違いとか」


「持って帰れる?」


「石壁を?」


「写せばいいじゃん」


「言われなくてもそのつもりだ」


「じゃあ任せる」


「最初から手伝う気ないだろ」


「古代文字書き写して間違えたら怒るだろ?」


「……触るな」


「ほら」


 セラが呆れたように笑った。


 レグはもう次の部屋へ顔を向けている。


「まだ先ある」


「行きたい?」


「うん」


 通路はさらに奥へ続いていた。


 次の部屋へ入る。


 そこには記録も装置もなかった。


 ただ、古い石の台が一つ。


 その上に、小さなものが置かれている。


「何あれ?」


 近づく。


 布だった。


 長い年月で色は抜け、触れれば崩れてしまいそうなほど古い。


 その隣には木で作られた小さな輪。


「首輪?」


 ハヤトが聞く。


「違う」


 レグが即答した。


「知ってる?」


「これ……」


 近づく。


 今度は誰も止めなかった。


 レグは触れずに、木の輪をじっと見る。


「おもちゃ」


「レグの?」


「うん」


「覚えてるの?」


「ちょっと」


 木の輪の端には、深い噛み跡が残っていた。


 ハヤトは笑う。


「めっちゃ噛んでるな」


「レグ?」


「他に誰がいるんだよ」


「クロかも」


 クロが顔を上げる。


「いや、何年前だと思ってる」


 レグは木の輪を見たまま、突然笑った。


「おとうさん、取った」


「何を?」


「これ」


「何で?」


「レグ、ずっと噛んでたから」


「それで?」


「レグ、怒った」


「さっきの壁の傷、それじゃない?」


 セラが言う。


 レグの目が丸くなる。


「あ」


 数秒後。


「そうかも!」


「背比べじゃなかったのかよ」


「ちがった?」


「記憶ってそんなもんか」


 ハヤトは笑った。


 全部が正確に戻るわけではない。


 断片。


 匂い。


 感触。


 誰かの笑い声。


 それでいいのかもしれない。


 レグは木の輪を見つめながら、ぽつりと言った。


「おとうさん、返してくれなかった」


「根に持ってる?」


「うん」


「会えたら言う?」


「言う」


「最初に?」


 レグは少し考えた。


「おかえり、のあと」


 ハヤトは返事をしなかった。


 セラも何も言わない。


 ただ、二人とも少しだけ笑っていた。


 そのとき。


 部屋の奥で、クロが歩き始めた。


「クロ?」


 壁の前。


 鼻先を寄せる。


 低く鳴いた。


「何かある?」


 レグも近づく。


「風」


 ハヤトには感じない。


「向こうに部屋?」


 カイルが来て壁を調べる。


「……隙間があるな」


「扉?」


「多分」


 だが取っ手も印もない。


 レグが壁を見る。


 胸元が淡く温かくなったらしい。


「また反応した?」


「うん」


「触る?」


 ハヤトが聞く。


 レグはすぐには動かなかった。


 以前ならそのまま手を伸ばしていたかもしれない。


 今回は自分で考えている。


「……セイン呼ぶ」


 ハヤトは少し驚いた。


「先に?」


「うん」


「どうして?」


「おかあさんと約束してたから」


 地下へ勝手に入らず、この場所を守っていたセイン。


 その先に何があるのか分からないなら、知っている可能性のある者へ聞いてからでいい。


「そうしよう」


 レグが振り返る。


「セイン!」


 地下に声が響く。


 少しして、階段の方から足音が返ってきた。


 急いではいない。


 だが確実に近づいてくる。


 その間も、壁の向こうから風が流れている。


 冷たい風ではなかった。


 どこか外の空気に似た、わずかに草の匂いを含んだ風。


 レグが鼻を動かした。


「……ハヤト」


「ん?」


「おかあさんのにおい」


 今度は迷わなかった。


「向こうからする」

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