第六十四話 いいよぉ
「―――バイバぁイ」
ミライの白刀が迸り、トゥーラの首に一閃して―――倒した。
その天使が黒い塵と化して舞っていくのを見上げながら、気づけばオレは寂しげに笑っていた。
「……やっぱり、お前はスゲェよミライ。オレは、お前に敵わねぇんだな……ようやくわかったよ」
あの天使を圧倒して、無傷で倒したミライに、自分との明確な実力の差を思い知った。
だから自分よりもミライは優れているのだと、ようやく認めることができた。
いや、違ぇ……初めから認めていた。
オレよりミライの方が強いってことは、とっくのとうに知っている。
オレが認めたのは、絶対にミライに追いつけない―――現実だ。
そして、
「―――オレは、幻滅師になれねぇんだな……」
……諦めもついた。
朽葉に罪を懺悔して、≪魔晶術≫の発動を邪魔する、心を縛る『ナニカ』は消えたはずなのに……≪魔晶術≫が使えないから。
それはオレに、誰かを守ることも、救うことも、シャドウと天使に復讐する力が無いってことなんだ。
ミライみたいに、圧倒的な身体能力も、一発で≪魔晶術≫を使うこともできない。
ミライみたいに、敵を前にしてヘラヘラ笑うことも、恐怖なんか知らん顔することもできない。
ミライみたいな―――幻双力っていう『特別』な力も、絶対的な『才能』も、オレには全部無い。
まだオレには可能性があるって信じていた、信じていたかった。
でも、いつも隣に立っていたと思ってたミライが、手を伸ばしても、追いかけても、本当は届かないくらい遠くにいたんだ。
―――夜を照らす、星のように。
今までずっと感じていた、ミライとの実力の差。
何度も自分を誤魔化して走り続けて、何度もいつか届くと信じ続けて、オレは足掻き続けて努力してきた。
……だけど、全部無駄だった、意味がなかった。
どれだけ時間があっても、幻滅師になる未来も、ミライに届く未来も視えない。
だったらもう、諦めるしかねぇだろ……。
太陽と月のような幻滅師になることも、シャドウと天使を一匹残らず滅ぼすことも。
何もかも、全て……。
『―――本当にそれでいいの? レン』
突然、ウツロの声が頭の中に響いた。
オレと契約するその悪魔が珍しく話しかけてきた。
『君は、幻滅師になりたいんじゃなかったの?』
「なりてぇよ。なりてぇに決まってんだろ。でも、≪魔晶術≫が使えないんじゃ……どうしようもねぇだろ……っ」
悔しさに黒剣を強く握るオレに、「はぁ」とウツロは溜息をついた。
『もー、しょーがないなー。あの時、あげなかったヒント―――あげるよ』
「………!」
コイツから信じられない言葉が聞こえて、オレは目を見開いてしまう。
空宮エルザ隊が結成した、初の隊での訓練の時。
空宮に悪魔と話して≪魔晶術≫の発動するためのヒントを教えてもらえばと言われて、ウツロと脳内会話をした。
……でも、その時、ウツロはヒントを教えてくれなかった。
いや、正確に言えば『ヒントを教えてほしかったら、その体を自分に寄越せ』って言ってきたんだ。
もちろん、オレは拒否したわけだが……そんなヤツがヒントをやるって言いやがった。
怪しい匂いしかしない。
「どういう風の吹き回しだ、なんで今さら……。まさか、オレに体を渡せってか? だったら、そんなヒントなんかいらねぇよ」
『違うよ、そんなことしないさ。僕はただ、ご主人様がかわいそーって思っただけ。純粋な善意、優しさだよ。だから……僕のこと信じて?」
信じられるわけがない。
絶対、嘘に決まっている。
仮に本当だとしても、今のオレは話を聞く気がない。
朽葉への恋を諦めたオレは、幻滅師になることだって諦めている。
もうすでに吹っ切れて未練なんてモノもない。
いつまでも、そんな叶いもしねぇことを引きずるなんて、ダセェにも程がある。
だから、オレはコイツの口車なんかに乗るワケがない。
「―――わかった……ウツロ、お前を信じる」
そう思っているはずなのに、気づけばオレはそう口にしていた。
だけど……だけど、だ。
もしも、本当に≪魔晶術≫が使えるヒントがもらえるんだとしたら。
オレにはまだ、残っているんだ。
太陽と月の幻滅師みたいになれる可能性が。
シャドウと天使に復讐できる力を手にする可能性が。
下手したらミライに届くどころか、追い越せる可能性だって、まだ、あるかもしれない。
だったら、その可能性が少しでもあるなら、ゼロパーセントじゃないなら。
―――オレは手を伸ばして、最後まで足掻きたい……!!
ここに来て、オレの悪癖が出てしまう。
自分でもうんざりするくらい、とことん諦めの悪い悪癖が……。
「だから……そのヒント、話してくれ」
「うん、もちろんだよ。それじゃ、早速言うね? どーやら君は、アオイへの罪の解放で≪魔晶術≫ができるよーになるって思ってるけど……ソレ、勘違いだよ? 君が本当に≪魔晶術≫ができない原因は―――ミライだよ』
……そのヒントは、全く理解できないものだった。
「ど、どういうことだよ……なんでミライが……」
『君はいつも自分とミライを比べていたはずだ。ミライにできることが、どーしてオレにはできない。オレの方が努力してるのに、どーして努力してないミライの方が強いんだって。……そして同時に、こーも思ってたんだ。ミライさえいなければ、オレは劣等感を抱かずに済んだ。ミライさえいなければ、朽葉に愛されていた。ミライさえいなければミライさえいなければミライさえいなければ―――。君の心の中は、いつもミライへの憎悪が渦巻いていたはずさ』
淡々と変わらぬ声音で告げるウツロ。
……けどオレは、その言葉を聞く度に心がザワついた。
両手で耳を塞いでも、この脳内会話では無意味。
嫌でも聞こえちまう……。
「ち、違う、違う……!! オレは、ミライを憎んでなんか……っ!!」
『憎んでるさ、間違いなく。君の心に棲んでいる僕が言うんだ、真実だよ。……それに、君はもー気づいてるはずだ。―――レン、君はミライを殺したかった。そして、ソレが君の≪魔晶術≫に覚醒するたった一つの方法だ……』
あぁ、言われてしまった。
ウツロの言っていることは、全てオレの醜い本心。
オレは、ミライに嫉妬していた。
ミライはあんなに強いのに、どうしてオレはこんなにも弱いんだろうって。
ミライのせいで、朽葉はオレに振り向いてもらえないって。
―――ミライが……いなくなればいいのにって。
いつも、ずっと、心の奥底のどこかでそう思っていた。
『レン、二人っきりの今ならチャンスだよ。完全犯罪できる。ミライは、さっきの天使に殺されたって言えばいーんだから』
「お、オレは…………!」
『そしてミライが死んだ後、君の好きなアオイはとっても悲しむはず。それを狙って、君がその子の隣で慰めてあげればいーんだ。これでミライへの愛を埋めるように、アオイは君を愛するようになる』
「オレは……!」
『そーなれば、君の意志で≪魔晶術《僕の力》≫を使いこなせるよーになる。君が望む、未来も、力も、夢も、復讐も、全ての願望が叶う』
「オレはっ!!」
『さー、僕の手を取って―――レン』
それは、とても優しい声。
でも、それはとても独善的で自己中心的な、オレを無視して、ただ利用するためだけの薄っぺらいモノで。
……まさしく悪魔の誘惑だった。
なのに、
「ミライを殺して、オレは全部を手に入れる」
それを知りながら手を振り払わず、オレは心の中でその手を取った。
ミライを殺せば、オレの欲しいモノは全て手に入るんだ。
理由は、それだけでいい……。
そう告げた瞬間、ウツロの顔は見えないはずなのに、牙を覗かせて陰惨に嗤っているような気がした。
でも、そんなのどうだっていい。
何もかも、全部、どうでもいいんだ。
だから、振り返るその前に、
「―――レン?」
黒剣でミライの脇腹を貫き―――もう一度、オレは同じ過ちを繰り返した。
でも、そこには決定的な違いがある。
……ウツロに取り憑かれた状態で友達を傷つけたんじゃなくて、明確に自分の意志で親友を傷つけた。
今のオレは感情を表に出さないように表情を殺した。
……なのに、胸の奥の方が痛んだ。
人間を刺した罪悪感からか、その相手がミライだからか……どっちかわからないし、その両方かもしれない。
―――でも、ミライを殺せばその痛みが消えてくれる。
そう思ったオレは黒剣を引き抜き、もう一度攻撃しようとする。
と、ミライが振り返った。
「―――ッ!」
反撃されると思ったオレは、咄嗟に後ろへ跳躍して間合いを取る。
オレは黒剣を構えて対峙するが、ミライはその白刀を構えないで小首を傾げている。
……ミライの隊服は、刺された脇腹の出血で赤く滲んでいた。
「レン。どうしてぼくのおなかブサってしたのぉ? ビックリしたんだけどぉ」
「……テメェのことが憎いからだ」
「ニクイってなぁに?」
「大嫌いってことだよ!! ふざけたこと言ってんじゃねぇ!!」
「わかんないからぁ。きいただけなのにぃ。でもぼくぅ―――レンのことすきだよぉ」
ギリッ、と奥歯を噛んで黒剣を握りしめる。
……あの眩しい笑顔が、ムカついて堪らない。
「―――うぜぇんだよ、テメェのそういうとこがッ!!」
オレは駆け出して、上段に掲げた黒剣を振り下ろす。
しかし躊躇してしまい、なぜか本気の斬撃は繰り出せなかった。
「お前がいなきゃ、オレは落ちこぼれにならなかった! お前がいなきゃ、朽葉はオレに惚れてた! お前がいなきゃ、オレはこんなに……苦しまなかったっ! お前がいなきゃお前がいなきゃお前がいなきゃお前がいなきゃお前がいなきゃお前がいなきゃ――――――!!」
オレはそのミスを取り返すように、斬撃の回転数を徐々に上げていく。
叫んで、叫んで、叫びながら。
「不平等すぎんだろ……なんでなんもしてねぇでヘラヘラ笑ってるだけのお前が、頑張ってるオレより上なんだよ、努力してるオレより強ぇんだよ。ズリィよ……なんでお前には『才能』があって、オレにはねぇんだ。ホント、神様って残酷だ。こんなにも平等じゃない。でも、もう関係ねぇ。オレは、未来も、力も、夢も、復讐も、望むモノ全部手に入れる―――テメェを殺してな……!」
最後にそう言って、オレは攻撃をやめる。
オレの斬撃を一身に全て受け止めて、切り傷が刻まれて……ミライは真っ白な肌から血を流した。
でもそれは、ありえるはずがない。
―――ミライは、オレよりも強い、圧倒的に。
だから、オレの攻撃を止めようとすれば、いつでも止められる。
避けることだってできる。
なのに、ミライは何もしないで、オレの攻撃を受け続けた。
その事実に、全身が怒りで燃え上がりそうなほど熱くなる。
初めて見る傷だらけのミライの眼前に、黒剣の剣先を突きつけて、オレは荒げた声で問い質した。
「なんで反撃してこねぇんだよ!? テメェならオレなんか、余裕でぶっ倒せるだろーが!! かかって来いよ、ミライッ!!」
「うん。レンのことぉ。よゆうでたおせるよぉ。でもイヤだよぉ。―――トモダチだからしたくなぁい」
……また、胸の奥に痛みが走った。
鋭く尖った針が刺さったような痛みだ。
どうして胸が痛むのか理解できない……オレを苦しめる原因を、ミライを駆除しているというのに。
早く、この痛みが消えてほしくて、まだ心に残っている迷いを断ち切るように、後戻りできないように、
「―――うるせぇんだよッ!!」
肩口に黒剣を振り下ろした。
―――ミライの、右腕を、切断した。
ボトッ、とミライの右腕が落ちる。
傷口から血がドバドバ流れていく。
「はぁ……はぁ……っ」
オレは振り下ろした姿勢のまま、ミライの右腕を見て、息を荒くしていた。
……今度は、杭を打たれたように、今まで一番大きな痛みが、胸の奥に襲いかかった。
「わぁ。うできられるとぉ。こんなにチぃでるんだぁ。おもしろいねぇ。ぼくのカラダぁ」
そう言って、ミライは笑いかける。
オレは立ち上がって、ミライと向き合った。
「……なんで、お前笑ってんだよ。どうして腕斬られて平然としてんだよっ……。どうしてオレに何もしてこねぇんだよっ!? どうして、どうしてなんだよっ!? お前は―――痛くねぇのかよっ!?」
自分でも、なんでそんな必死に叫んで聞いたのかわからなかった。
ただ、純粋に知りたかったんだと思う。
腕を切られて痛くないのか。
……それをした相手が親友だということに、心が痛まなかったのか。
「―――うん。ぜんぜんイタくないよぉ?」
……だけど、オレが望んだ回答とは全然違う回答が返ってきた。
「はぁ!? んなわけねぇだろ!! 腕斬られて、そんなことを親友にされて……心と体が痛いに決まってんだろ!! 嘘ついてんじゃねぇぞっ!!」
ホントはわかってる。
ミライは嘘がつけないんだから、本当のことを言ってるって……。
……でも、おかしい。
なんか違和感がある。
―――ミライは、『痛み』を正しく理解していないかもしれない。
「ココロとぉ?」
残った左腕で胸に手を当て、
「カラダぁ?」
残った左腕で頭に手を乗せ、
「やっぱりぃ。ぜんぜんイタくないよぉ」
ミライは、オレの目を見て痛くないことを伝えた。
すると、その触診でとある違和感を発見し、それを口にする。
「なんかいっぱいチぃでてぇ。うでがヘンなかんじするだけだよぉ?」
「それが『痛み』なんだよ……腕斬られて痛いはずなんだよ!! ずっと!! んなこともわかんねぇのかよ、テメェは!! どうして、お前はいつもいつも―――」
「―――あぁ。チがいっぱいでることも『イタイ』んだぁ。はじめてしったぁ。やったぁ。ぼくぅ。もっと『フツウ』だぁ」
あははぁ、とミライは笑う。
激痛に襲われてそれどころではないのに、初めて『痛み』というものを理解して……いや、ミライの中で血が出るほどの傷を負うことも『痛み』に含まれるんだと理解したみたいだ。
……そしてそのことを、ミライは嬉しそうにしていた。
長年一緒にいるけど、本当にコイツは何を考えているのか、よくわからない。
特に今は……。
オレは得体の知れないナニカを見るような眼差しで見ていると、ミライが見つめ返してきた。
「でも『イタイ』っていったらぁ。レンのほうがスゴくイタそうだよぉ?」
「はっ? 痛い? オレが? んなわけねぇだろ!!」
「だってレン―――ないてるよぉ?」
言われて、気がついた。
ミライの顔がやけにボヤけていたのは……オレが泣いていたからだ。
「どうして、オレ、泣いて……」
ゴシゴシ、と袖で涙を拭う。
視界がクリアになるけど一瞬で、すぐにまた涙が出てきて元のボヤけた視界に戻ってしまう。
……なんで、涙が止まらないんだろう。
オレは傷ついても、悲しくも、辛くもない。
ただ、胸の奥がずっと痛いだけなのに……。
なんで―――?
「レン。ぼくがおそらにいったらぁ。イタくなるなるのぉ?」
泣き続けるオレの顔を、ミライが覗き込んだ。
オレは涙を止めるのに必死で、「そうだよ」と言うことができずにいると、
「いいよぉ―――ぼくおそらいってもぉ。レンがげんきになってほしいからぁ」
あははぁ、とミライは笑った。
また笑ったんだ、ミライは……っ。
ミライは嘘がつけない。
だから、本気なんだ。
本気で自分が死ねば、オレが元気になると思っているんだ。
眩しく光り輝く、希望のようなミライの笑顔。
それは―――あの時と、オレを救ってくれた時と全く変わっていなかった。




