第六十一話 ごめんなさい
「……サクラさんの≪魔晶術≫が、当たった?」
ジレオの≪天生術≫によって放心状態だったアオイだが、サクラの≪魔晶術≫で氷像となったその天使を見て思考を取り戻す。
……あまりに信じられない光景。
サクラの≪魔晶術≫が、どうして反転しなかったのか、アオイの頭は疑問で埋め尽くされていた。
サクラも同じ理由で、目を丸くしている。
しかし、今はそんなことよりも―――
「どんな理由であれ、あの天使は氷漬けにされています。今のうちに一斉に叩けば……!」
「倒せる……!」
アオイとサクラが得物を構え直した途端、ビキビキと氷像にヒビが入って―――弾ける。
悔しげに、アオイは奥歯を噛んだ。
「間に合いませんでしたか……っ」
「―――なるなる、そういうことか」
ジレオは復帰した直後、何やら納得していた。
その白い体には氷漬けにされたことによって、所々凍傷の痕があった。
多少ダメージは負っているようだが、ご機嫌な様子からして気にしない程度のものだろう。
なぜなら―――天使は、再生能力を有しているから。
その再生能力で、ジレオの痛々しい凍傷の痕が徐々に消えて、最終的には真っ白な皮膚へ元通り。
「クッ、やはりシャドウと同じく再生能力が……!」
「天使、厄介……!」
与えたダメージを完全に回復され、忌々しげにジレオを睨むアオイとサクラ。
だが、
「おチビちゃん、君……≪魔晶術≫の軌道を自分の意志で変えられる、もしくは―――コントロールができない?」
ハッとアオイは目を見開き、ビクッとサクラの小さな肩が跳ねる。
サクラの弱点を言い当てられた美少女たちの反応に、ジレオの口元がニヤリとつり上がった。
「どうやらその様子だと……後者のようだね。アハハ! まさか俺の≪天生術≫が裏目に出るなんて、おかしすぎるし、予測できないよ!!」
ジレオは腹を抱えて笑う。
……サクラという、≪魔晶術≫のコントロール力が皆無の存在によって。
アオイとサクラはその笑い声を不気味に思い、顔が僅かに引きつった。
すると、ジレオは笑うのをやめて、視線を上げる。
「……でも、簡単な話―――黒髪の嬢ちゃんには≪天生術≫使って、おチビちゃんには使わなきゃいいだけだ」
呟いて、ジレオが駆け出す。
アオイとサクラは振り返って、全力で逃げ出した。
……≪魔晶術≫は通用せず、対抗策がないからだ。
「いずれ、追いつかれる。アオイ、対策、求める」
「はい……このままではいずれ追いつかれて、ワタシたちは終わりです。なんとかそれまでに―――って、サクラさんも考えてくださいよ!?」
「苦手、無理」
「なんでいつも、肝心なところだけ苦手なんですか!?」
気を取り直して、こうなったら自分一人で考えるしかないと、アオイはピンチの最中で決死に思考を巡らせる。
(ワタシが≪魔晶術≫を放ってしまえば、さっきと同じようにあの天使の≪天生術≫で倍の力で返され……最悪の場合、全滅の可能性が十分考えられます。そしてサクラさんが放った場合、ワタシとは反対に≪天生術≫を発動しなくても自分たちに返ってきて、それが当たって氷漬けになり……そのまま天使に殺されてしまいます。打つ手がありません……一体、どうすれば……)
何も思いつかなくて、起死回生の一手が見つからなくて、アオイの表情がますます険しくなる。
その時―――ふと、ボア・シャドウを倒した時の光景が脳裏に浮かんだ。
そして、
(―――この方法なら……!)
ついに、あの天使を滅する策が思いついた。
……しかし、望みは薄く、不安要素の大きい博打だが。
(命がかかっていることには変わりありません! イチかバチかやるしか……!!)
「―――サクラさん!」
名を呼ばれて、サクラはアオイを見る。
アオイはサクラに作戦を伝えた。
それを聞いたサクラは、
「サク、大丈夫。……でも、アオイ、大丈夫じゃない」
否定的だった。
アオイを見るジト目は、ほんの僅かばかり怒りが滲んでいた。
だが、その眼差しを向けるのは―――サクラの優しさからだ。
もちろん、アオイはそれを知っているからこそ微笑み、それから真剣な顔で言う。
「……サクラさんが心配するのは当然です。ですが、どうのこうの言っている場合じゃありません。これしか、勝機は無いんです。―――お願いします、サクラさん!」
「……一つ、約束」
「はい……」
「―――ぶっ倒れたら、許さない」
ジト目で真っ直ぐ見つめながら告げたサクラの約束に、アオイは大きく目を見開いた。
そして、アオイは自信満々の笑みでこう答える。
「はい! 約束します―――絶対に、ぶっ倒れないと!」
「……わかった、やろう」
アオイの誓いに、サクラはやはり無表情で頷いて返した。
覚悟を決めた二人の少女―――幻滅師は走るのやめて振り返り、標的である天使を迎え撃とうと作戦を開始する。
「アハハッ! 急に逃げないでどうしたの? 死を受け入れたってことかい!!」
立ち止まったアオイとサクラを見て、ジレオは狂気的に笑う。
……アオイは、その勘違いを正そうと言い放った。
「いいえ、違います。これからワタシたちは、あなたを倒します! サクラさん!」
「≪氷月花≫ッ……!」
黒弓を構え、サクラは≪魔晶術≫を三回発動。
三十本の黒矢が、凍気を纏う氷の矢に進化し、ジレオを凍らそうと風を切って進む。
しかし、
「アハハッ! 何やってるの、おチビちゃん!!」
ジレオは、おかしそうに笑い声を上げた。
サクラの≪魔晶術≫など、脅威でもなんでもないからだ。
「俺が≪天生術≫やらないと―――ソレ、自分たちの方へ返ってきちゃうよ?」
嘲るようにジレオが言うと、実際その通りに三十本の氷の矢が二人の方へ軌道を変えようとしていた。
が、それを全く意に介さず、サクラはフルフルと小さく首を横に振った。
「―――こっち、来ない。アオイ、いるから」
「≪空絶結界≫―――!!」
トン、とアオイは黒槍で地面を叩く。
瞬間、ジレオの周囲を大きく囲うような、光り輝く線が地面に浮かび上がった。
そして、その線から透明な壁が飛び出して―――巨大な結界となった。
ボア・シャドウを倒した時よりも遥かに大きな結界の中に、ジレオと―――全ての氷の矢を閉じ込めた。
それぞれ違う方向に三十本の矢が乱反射し、ジレオはそれを目だけを動かして矢の動きを捉える。
「……なるほどね。おチビちゃんの矢が反転する前に結界の中に閉じ込めることで、自滅を回避しつつ、俺を攻撃しようってことか。―――でも俺には、≪|アイズ・オブ・ベクトル《コレ》≫があるよッ!」
ジレオの瞳に矢印が宿る。
全ての物体のベクトルを操作する、ジレオの≪天生術≫。
その力をもって、ジレオは反撃に出る。
サクラの放った三十本の氷の矢が動きを止め、全ての矢は二人のいる方へ向きが変わった。
「おチビちゃんの矢で、黒髪の嬢ちゃんの結界を壊すッ!!」
腕を伸ばし、ジレオはベクトル操作によって大幅に強化された氷の矢を飛ばし、結界を破壊し―――二人の人間を殺しにかかる。
乱反射した時よりも、速度も、威力も、凄まじい氷の矢が結界と衝突する。
「―――!?」
(結界が―――壊せない!?)
予想外の結果に動揺するジレオ。
頭の中は、疑問だらけだった。
「一体、なんで、どうして!? 俺の術で、おチビちゃんの矢は、とんでもなく強くなってるのに、なんで結界が壊れないんだ!?」
「―――決まってる」
ジレオの叫びに応えたのは、サクラだ。
続けて、こう告げた。
「死ぬ気、アオイ、頑張ってる……から!」
「―――ふんぬうううううううううううううううううううッ!!」
サクラの隣で、アオイは顔を真っ赤にして黒槍を強く握っていた。
その意図を読み取って、ジレオはニヤリと笑みを浮かべる。
「そうか……結界を強化したってワケか。だから俺は、結界を壊せなかった……」
「ええ、その通り、です……っ。結界に、魔力を込めて、強化することは、ボア・シャドウを、倒した時に、学び、ましたから……っ」
壁状の結界を構築し、それを押し出した時のことを思い出して、アオイは魔力を込めれば結界の強度が増すことを学んでいた。
「それじゃあ、つまり―――」
「ワタシの結界とあなたの矢、どちらが勝つか、勝負です……ッ!!」
「俺の矢と君の結界、どっちが勝つか、勝負だッ!!」
直後、一人の幻滅師と一体の天使は咆哮を上げる。
アオイは結界の、ジレオは三十本の矢の強化に、全身全霊を捧げる。
「グッ……!」
「ほらほら、どうした? このままだと負けちゃうよッ!」
顔をしかめるアオイに、ジレオは余裕がありそうに挑発した。
ジレオの≪アイズ・オブ・ベクトル≫によって強化された氷の矢たちは、アオイの強化された結界を突き破ろうと押し出し、結界の一面を変形させた。
けれど、まだ突き破れる気配はないため、ジレオはもっと挑発して、アオイの精神を揺さぶって結界を不安定にさせようとする。
「大体、黒髪の嬢ちゃんさー! ミライっていう―――クソ野郎に浮気するから、俺に殺されるんだよ!!」
「クソ、野郎……?」
「俺以外の男は、全てクソ野郎なのに……どうして君も、今まで俺が愛を捧げた女の子たちも、みんな俺を拒絶するんだろう……。こーんなにも、イケメンで、浮気もしないで、一途に愛する完璧な男なのに。―――だから、みーんな殺したんだッ!! 浮気する女なんかいらないッ!! 悲鳴を上げて苦痛を抱いたまま、汚く死ぬべきなんだッ!! 俺の愛を拒絶した罰だ、ざまぁみろッ!! アハハハハハハハ―――」
「―――黙りなさいッ!!」
一喝。
たったそれだけで、ジレオの陰惨な哄笑は止まり、怯んでさえいた。
大人しそうな見た目からは想像もできない怒りに満ちた声が、視線の先の女の子の口から発せられたからだ。
その隙に、一喝したアオイは言葉を続ける。
「あなたとは言葉を交わしたくないので、指摘しませんでしたが……どの口で『一途』だなんて言えるんですか? あなたは、愛を拒絶されたらすぐに―――他の女性に愛を向けているではありませんか。これって、立派な浮気ですよね?」
「え、えっと、それは……!」
「本当の『一途な愛』というのは、愛を拒絶されても、変わらずに愛し続ける気持ちのことです。……たとえ肉体は変わっても、その想いは魂に刻まれ、前世から来世まで永遠に続いていく、ステキで、尊く、約束された―――運命なんです。あなたが語っていることは、全部間違っています。あなたはただ、自分だけを愛してくれる都合のいい愛を求めているだけです。そんなのは―――偽物に過ぎません」
「そ、そんなことは……!」
「何より、あなたは言ってはいけないことは言いました……ミライくんを、クソ野郎などと。―――クソ野郎は、あなたの方じゃないですかああああああああああああああああああッ!!」
結界の一面を押し出していた氷の矢。
しかし、アオイの怒りの叫びによって氷の矢を押し返し、結界を元の形に戻すだけではなく、三十本の全てを矢を跳ね返した―――!
「え、な、なんで!? 俺は術を発動したままなのに、どうして!?」
ジレオの≪アイズ・オブ・ベクトル≫と、アオイの結界の跳ね返しによって、さらなる進化を果たし、縦横無尽に乱反射する氷の矢に激しく動揺するジレオ。
ジレオは気づいていなかった。
動揺を誘おうとした己の言葉によってアオイが強くなり……怒れるアオイの言葉で精神が乱れ、逆に自分の術が不安定になったことを。
頭をフル回転させて、ジレオは打開策を必死に探し出す。
(もう……あの氷の矢は俺のコントロールのできないくらいのベクトルになってる。だから、ベクトルを下げて、操作できる限界ギリギリのベクトルにして反撃を―――)
「でも、この術って―――目で捉えられるモノじゃないと、ダメなんだよね……」
ジレオの≪アイズ・オブ・ベクトル≫は、自分の視認できる物体でなければベクトルが操作できない。
天使の動体視力をもってしても視認できないほど、今の氷の矢の速度は凄まじかった。
だから、憎しみも、嗜虐も、狂気も何もない、諦めだけが残った安らかな笑みを浮かべて、ジレオは足掻く術も、意志もなく―――三十本の氷の矢を一身に浴びた。
「―――まだ生きていたんですか? しぶといんですね」
ホルマリン漬けのように、頭部を収めるくらいまで縮小した結界の中にいる首を見下ろして、アオイは酷薄に言う。
その首というのは、四肢が凍って砕け、顔が凍傷によって赤くなった、瀕死状態のジレオのことだ。
天使には再生能力があるが、≪天生術≫の行使によって再生できるほどの力を失い、こんな悲惨な姿となったのだ。
アオイのその声に、ジレオの爛れた瞼が上げる。
失いかけた光が息を吹き返し、その瞳がもう一度、輝いた。
「君の、言う通りだ……。俺の愛は、『一途』なんかじゃなくて、偽物、だった……。こんなこと、言われたの、生まれて、初めてだよ……。君は、俺の間違いを、正しくてくれた……。そして、本物の愛を、知ったよ―――君が、好きだ……」
「うっ……」
ドン引きの声を漏らしたのは、アオイの隣にいるサクラだ。
けれど、そんなサクラの引きっぷりに気づかず、ジレオは告白を続ける。
―――もうアオイ以外、何も見えていないのだから。
「君のこと、見てると、心臓がキュッて、なったんだ……。あはは……もう、心臓なんて、ないはず、なのに……。それでも、胸が高鳴ったってことは、本当に、心から愛してるって、ことなんだ……。もう、他の女の子なんか、どうでもいい……。君しか、いないんだ……。俺が、本物の『一途な愛』を、向けられるのは……。だから、頼むよ……。俺を、助けて―――俺を、愛して……?」
「―――嫌です。あなたみたいに、人の苦痛や絶望に喜びを覚えたり、自分以外の男は全部『クソ野郎』と決めつけたり、欠点だらけなのに完璧だと思い込んで客観視ができていなかったり―――『一途な愛』を手にしたと勘違いする、異常な方は嫌いですから」
貼り付けた笑みで、アオイはジレオに言いたいことを言った。
笑顔が消え失せ、絶望一色に染まるジレオは、ただただアオイを見上げることしかできなかった。
「それに、知っているじゃありませんか。ワタシには、お慕いしている人がいると。ですので―――ごめんなさい」
そう、アオイは優しい声で、自分に恋する天使に引導を渡す。
トン、と黒槍で地面を軽く叩くと、結界がギュッと圧縮して……失恋した天使の首を潰した。
結界を解くと、黒い塵が舞っていく。
それを見つめるアオイは、女神のような笑みを浮かべているが、その眼差しはどこまでも冷え切っていた。
……が、
「さ、サクラさん、約束は守れましたよ……っ!」
ジレオを倒したことを実感した途端、生まれたての小鹿のようにフラフラしながら、アオイは黒槍を杖代わりにしてなんとか立っていた。
「フラついてる。でも、いい……」
アオイとサクラの約束。
それは先の戦闘において、アオイが≪魔晶術≫を使って倒れたら許さないというものだ。
そして、アオイはフラつくも、ぶっ倒れてはいないため、約束が守られたことをサクラは認めた。
「あんな巨大な結界を構築すれば、ぶっ倒れるかと思いましたが……体力をつけたおかげで、なんとかなりました!」
「違うと思う……でも、アオイ。結界、小さくしてた。スゴい」
「そういえば!? 怒りで我を忘れていましたが、ワタシ、結界の大きさを変えていましたね! ……なんだか、ミライくんみたいになれたようで嬉しいですっ!」
「相変わらず、趣味悪い」
すっかり上機嫌なアオイに、サクラは呆れたジト目を向ける。
それから、アオイの腕を掴んで肩を貸した。
「サクラさん……?」
「しばらく、肩貸す。……アオイ、頑張ったから」
静かに、アオイは穏やかな笑みで首を横に振る。
「……いいえ。ワタシたち、どっちもです」
「………(こくり)」
アオイから僅かに顔を逸らし、サクラは俯きがちに頷く。
その頬は、ほんの少しだけ緩んで……赤らんでいた。
「ミライくんたちなら、きっと大丈夫なはずです……。ですが、あのエルザさんでも、たった一人で三体の天使を倒すことは難しいはずです……。今のうちに体力を回復して、加勢に向かいましょう!」
「………」
その言葉に頬の色と位置が元に戻り、言葉も、頷きも返すことなく、サクラは無言。
温度の異なる沈黙の中、二人の少女はゆっくりと歩き出した。




