第三十五話 空絶結界
「あれっ? なんか三人ともビショビショじゃんっ★ 川遊びでもしてたのかなっ★」
「そうなのぉ? いいなぁ。ぼくたちもまぜてよぉ」
「―――いいぜ、そこ降りろよ……オレたちと同じ目に遭わせてやっからッ!」
ズブ濡れの仲間を見下ろして楽しそうに笑うミライとエルザに、対するレンは下から怒りの咆哮。
ガルルッ、と牙を鳴らすレンに、アオイは慌てた様子で止めにかかる。
「レンさん、怒っている場合ではありませんよ! また、ここから降りて逃げなければ……!」
「―――不可能」
代わりに返答したサクラの呟きに、アオイはそちらへ振り向いてしまう。
「不可能とは……どういうことですか?」
「裏路地、下あった。でも―――河川敷、下ない」
「―――!」
サクラの言ったことは真実だろう。
そう理解しているのに、アオイは反射的に河川敷の最奥の断面へ走り出していた。
下を覗き込むと、
「―――奈落の、底……」
そう呼ぶに相応しい、巨大な穴があった。
そんな穴へ飛び降りれば、当然人間の体が耐えられるわけがない。
―――あるのは、『死』のみ。
ここから下へ降りて逃げ延びるという選択肢は、完全に潰えた。
「―――そういうこった、朽葉」
背後からのレンの声に、放心していたアオイの意識が引き戻される。
振り返れば、レンとサクラが『魔晶器』を構え、≪魔装≫を発動していた。
―――ボア・シャドウを、ここで倒すために。
散々今まで逃げ回ってきたが、逃げ場を失い、この土壇場で二人は腹を括った。
≪魔晶術≫が使えなかろうが、コントロールできなかろうが関係ない。
やってみなければ、わからない。
己を持てる全ての力を使って、全力で抗い、全力で戦って倒してみせる。
―――正真正銘、命懸けで。
それしか、頭になかった。
「ここで、仕留めるしかねぇ!」
「ズブ濡れにした、許さない……!」
直後、レンとサクラは駆け出した。
ボア・シャドウを目前に跳躍し、レンはその物々しい牙をぶった斬ろうと黒剣を振り下ろす。
「―――ッ!?」
(硬ぇ……!)
全力の一撃を放つも、ボア・シャドウの牙にヒビを入れるどころか、傷一つつけられなかった。
その現実に驚愕していると、黒剣が牙から離れた。
それはボア・シャドウが頭を横振りして、
「ブオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
咆哮と共に、レンをその巨大な頭部で攻撃したからだ。
脇腹に入ったその重たい一撃に意識が飛びそうになり、レンは軽々と吹っ飛んだ。
「―――今、チャンス」
攻撃を終えたボア・シャドウの一瞬の隙を突き、サクラはずっと構えていた黒矢を五回放つ。
五本の矢が迫ると、ボア・シャドウは野生の勘というべきモノでその存在に気づき、あっさりと牙で弾いた。
「嘘……」
サクラが唖然と呟いた瞬間、ボア・シャドウは前脚で川の水を掻く。
と―――サクラへ向かって、突進した。
ボア・シャドウが真っ直ぐ突っ込んでくると予感し、サクラは横へ回避しようとするがやめた。
間に合わないと思ったからだ。
だったら、正面から受け止めた方がリスクが低いと判断し、黒弓を前に持ってきて防御態勢に入る。
「うっ……!」
ボア・シャドウと衝突した瞬間、小さな呻き声を漏らして、サクラの矮躯が吹っ飛ぶ。
サクラは奈落の底へ落とされる。
かと思われたが、運良く木の幹に背中をぶつけたことで止まり、奈落の底に落ちることはなかった。
意志に反して、倒れ伏すレン。
意志に反して、木の幹にもたれかかるサクラ。
だからこそ、
「ぐ、ぅ……っ」
「う、ぐ……っ」
二人は根性とも言うべき不屈の気力で立ち上がり、再びボア・シャドウと対峙した。
ボア・シャドウの脅威をその身で思い知らされたにもかかわらず、レンとサクラの戦意は失われていない。
紅光を放ち続ける『魔晶器』を構え、≪魔装≫を解いていなかったから。
なおも戦い続けようとする仲間の意志を感じ取って、
「どうして、まだ戦おうとするんですか……っ」
立ち向かわず、ただ怯えて、傍観者のように見ていたアオイから、掠れた小さな声が漏れる。
そして自分を守るようにボア・シャドウと対峙する、レンとサクラの背中へ向かって叫んだ。
「≪魔晶術≫の使えないレンさんでは、≪魔晶術≫のコントロールができないサクラさんでは、敵いっこないのに、どうして立ち向かうんですか!? 同じなのに……」
(―――≪魔晶術≫が使えない、ワタシと……っ)
両拳を強く握り、俯くアオイは悔しさに歯噛みした。
けれどそこには、自分に対する腹立たしさもある。
立ち向かわない自分に、意気地なしな自分に、勇気のない自分に。
―――≪魔晶術≫さえ会得できない、無力な自分に。
心底、腹が立っていた。
自分だって≪魔晶術≫が使えないクセに、その上、立ち向かっているレンとサクラに対して侮辱するなんて、どの口が言っているのだろうとさえ思った。
そのことに後悔して傷ついて、自分の弱さをより自覚して傷を抉って。
勝手に傷つき、勝手に心を痛めて、勝手に自信を失う。
……そんな負のループを繰り返す自分に、うんざりした。
「あぁ、朽葉の言う通りだ……。≪魔晶術≫の使えないオレじゃ、肝心の≪魔晶術≫のコントロールができないポンコツ氷咲じゃ、アイツには勝てないかもしんねぇ」
「ポンコツ、また言った」
「―――でも、んなもん関係ねぇよ」
バッ、とアオイは顔を上げる。
レンの真剣な声音によって。
「ミライと空宮は、仲間が黙って殺されるとこを平気で見てられるようだけど……オレは違う。仲間が死ぬとこなんて見たくねぇッ! もう誰かが死ぬとこなんて二度と見たくねぇッ! ……だから、オレは抗う。勝ち目がなくても、どんなに絶望的でも、最後まで抗い続けてやる! 立ち向かわないまま死んで後悔するより、立ち向かって死んだ方がマシだ!! それに―――」
首だけを振り向かせ、
「―――やってみなきゃ、わかんねぇだろ?」
笑顔で、レンはアオイに告げた。
アオイは漆黒の双眸を大きく見開く。
そのクシャッとした屈託のない笑顔が、この死地に相応しくないくらい……輝いていたから。
もう一度、レンはボア・シャドウを見据え、サクラに語りかける。
「オレたちの逆転劇、朽葉に見せてやろうぜ―――氷咲!」
「当然。ボア・シャドウ、強くなる通過点……!」
ボア・シャドウを見据えるレンとサクラ。
―――絶対にぶっ倒してやる。
二人の眼光が、そう語っていた。
その意志を感じ取ったのか、ボア・シャドウは前脚で地面を引っ掻く。
突進の前兆。
今回の助走の距離は、サクラの時よりも長い。
つまり、先刻よりも強力な突進が来ようとしていた。
「―――ブオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
咆哮を上げ、ついにボア・シャドウが立ち塞がる二人の人間に向かって全力の突進をする。
サクラの時であれだけの威力があり、今回の突進はそれを遥かに上回る威力。
けれど、覚悟が決まった二人では、そんなので怯みなどしない。
だから、
「―――かかってこいよ、バカ野郎おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
レンとサクラも、駆け出した。
この突進攻撃が、自分たちが受けたモノとは別物だと知りながらも、真っ直ぐ走ったのだ。
逃げも、隠れも、避けもしない。
完全なる捨て身攻撃。
それは全て、ここで決着をつけるために。
死んでも構わない、命懸けでボア・シャドウを倒す。
そのレンとサクラの気持ちを知りながらも、
「―――ミライくん、救けてください!!」
アオイは、希望に救いを求めた。
レンとサクラがどんな想いで立ち向かっているのか知っているが、それでも……あのバケモノには勝てない。
感情の強さが、強さに直結することも、強さに変わることはないことをアオイは知っている。
だから、レンとサクラは間違いなく―――ボア・シャドウに敗北し、殺される。
その惨劇を回避するために、アオイはそうしたのだ。
……たとえ、二人の覚悟と決意を踏みにじることになったとしても。
レンとサクラが、死んでほしくないから。
レンとサクラに、生きていてほしいから。
「このままでは、レンさんとサクラさんが……死んでしまいます! あの日のように、ワタシを救ってくれたみたいに、お二人を……! お願いします、ミライくん……ワタシたちを救けてくださいっ!!」
瞳を濡らし、希望に縋るアオイの決死な願い。
それは、
「―――がんばってぇ」
……叶うことはなかった。
ミライはボア・シャドウの上から笑顔を浮かべて、アオイに手をヒラヒラと振っていた。
そのミライの応援によって……アオイの中で、ナニカが崩れる音がした。
アオイの救世主は、アオイを救わない。
そうなるのは……今ある、この現実だけで十分だった。
(―――そん、な……だって、ミライくんは……)
どんな時も、優しくて―――。
(―――ミライくんは……)
どんな時も、温かくて―――。
(―――ミライくんは……)
人に、希望を与える―――。
(―――ミライくんは……)
太陽、みたいな人なんです―――。
(―――そんなミライくんが……)
ワタシを、救けてくれないなんて―――。
「―――何を言っているんですか、ワタシは」
自分をも見捨てたミライに絶望しそうになったその時、アオイは自らの言葉で踏み留まる。
「ワタシは、ミライくんに縋りたくてここにいるんですか? いいえ、違います。ミライくんの隣に立つためです……。背中を追うだけではない、ミライくんの隣に相応しい女性になりたいんです―――!」
願望を口にした瞬間、アオイはハッと思い出す。
―――ミライが、術のやり方を説明した時のことだ。
『それにバンってやるとバぁンってなるじゃん。それでバンしたヤツをもっとバぁンってするんだよぉ』
(バンとすると、バぁンとなる……。それでそのバンとしたものを、さらにバぁンとさせると―――)
「―――そういうことですか、ミライくん!」
ミライ語を完全に解読したアオイは、満面の笑みを浮かべる。
ミライに近づけたような気がしたから。
そして―――確信も得たから。
目を瞑って、アオイは腕を前に伸ばして黒槍を真横に持つ。
それから≪魔装≫を発動すると、さらに神経を研ぎ澄ませて集中し、自分の持てる力全てを黒槍へ集約させた。
(あの時、ミライくんがお伝えしたかったことは、こういうことですよね―――!)
紅光を放つ黒槍の槍先を天へ向け、
「―――≪空絶結界≫ッ!!」
ついに、アオイは≪魔晶術≫を発動した。
レンとサクラを守るように目の前に現れたのは、15メートルあるボア・シャドウよりも高い、透明な壁―――結界が顕現する。
アオイの結界を見て、
「これは……結界? まさか―――!」
「≪魔晶術≫、成功した……!」
足を止めたレンとサクラが、この結界がアオイの≪魔晶術≫だと気づき、
「わぁ。エルザちゃんのいったとおりだぁ」
「うんっ★ 計画通り、上手くいったねっ★」
ミライは空色の双眸を大きく見開き、エルザはご満悦な様子で頷いた。
直後、その結界にボア・シャドウが衝突。
「ブオッ!?」
結界を突き破れず驚愕するボア・シャドウ。
アオイはトドメを刺すべく、黒槍を構えた。
―――先ほどまでの恐怖、困惑、絶望を感じさせないほど、凛とした戦乙女の姿だ。
「今までの、お返しですッ!」
その場で、アオイは黒槍で眼前の虚空を突く。
瞬間、結界が独りでに進み出し、ボア・シャドウはその結界に押されていき、地面に線を引きながら後退していく。
が、いよいよその力に耐えられなくなって、急速に後ろへ下がっていった。
「これじゃ、エルちゃんたちも巻き込まれるねっ★ 降りよっ★」
「だねぇ」
背後を確認したエルザがそう言うと、ミライも同感だと頷く。
そうして二人がボア・シャドウから飛び降りると、そのボア・シャドウは川を通過し―――一番奥の断層へと到達した。
ボア・シャドウは結界に抗う術がないが、倒すほどの決定打がなく、ただ結界と断層に挟まれるだけだった。
だから、
「―――ハアアアアアアアアッ!!」
アオイは黒槍へ大量の魔力を注ぎ、トドメを刺す―――!
アオイの魔力によって強化された結界。
その結界の押し出す圧力によって、ボア・シャドウの巨大な体が断層にめり込み、断末魔を上げる。
赤黒い飛沫を纏った結界を解くと、押し潰されたボア・シャドウが力無く倒れ―――黒い塵と化して絶命した。




