第三十話 自己紹介
シコリのようなものが残った、心地のよくない号令が終わって今日もまた訓練が始まる。
これまで訓練は皆で固まって一緒に行っていたが、今日から候補生は、教官のイッキが決めた小隊で訓練することになった。
そのため今は、各小隊ごとに集まって別々で行動していた。
相変わらずイッキは、遠く離れた高所の上で腕組みしながら候補生を監視していた。
所々隆起した大通りで、エルザをリーダーとする小隊―――エルザ隊は円を作って立っていた。
が、レンは難しい顔で考え込んでいた。
―――教官である、イッキについてだ。
(草壁教官のあの眼……アレは尋常じゃなかった……。一体、何があったんだ……?)
「―――っち、レンっちっ★」
「―――!」
自分を呼ぶ声が意識に届き、レンは思考の海から現実へ引き戻されてハッとする。
一番最初に見えたのは、憎たらしいくらいにキレイなエルザの顔。
次いで、エルザと同様に自分を見つめる、ミライ、アオイの顔だ。
「あ、やっと気づいてくれたっ★ もー、イッキっちに睨まれてチビったことなんか気にしてないでっ★ エルちゃんの話、ちゃんと聞かなきゃダメだぞっ★」
「何捏造してんだ!? 睨まれたぐらいでチビるわけねぇだろ!」
メッと人差し指を立ててウィンクするエルザに、レンは怒号と共に言い返す。
そんな中、ミライは純粋な疑問を隣のアオイに問うた。
「アオイちゃん。『チビる』ってなぁに?」
「―――え!?」
気になったことは、なんでも質問するミライ。
だが、それはあまりに唐突で、突拍子もないもので、アオイは裏返った声でビックリしてしまった。
それでも答えなければならないと、アオイの責任感が発動。
頬を染め、体をモジモジさせ、口をゴニョゴニョさせながら回答する。
「え、えーっと、『チビる』というのは、お、お、お漏らしの、こと、です……って、何を言っているんですか、ワタシ!? ミライくんにそんな、そんな―――ハレンチなことを教えてしまうなんて!? ハレンチですっ!」
「へぇ。『チビる』っておもらしなんだぁ。じゃあウソついてるねぇ。レンがおもらししてるとこぉ。ぼくみたいことあるもぉん」
「ガキの頃だし、一回だけだろーが!」
怒りの形相を解き、レンはエルザに向き直る。
「ってか、空宮の話は聞いてたぜ。―――自己紹介、だろ?」
「ピンポンピンポーンっ★ 大正解っ★ エルちゃんたちは前からトモダチ同士だったけど、サクラっちだけ初対面っ★ だから、エルちゃんたちから、サクラっちに向けて自己紹介しよって話っ★」
「………」
エルザを一瞥するサクラ。
そのジト目には、何か言いたげな色が浮かんでいた。
その寂しげな視線に気づかず、エルザは続けた。
「その続きなんだけど、誰から自己紹介しよっかっ★」
「―――オレからやる。オレは、初対面じゃねぇからな」
エルザ、ミライ、アオイは、一斉にレンを見る。
その表情は、不思議そうにしていた。
「えっ? そうなの、レンっちっ?」
「あぁ……ちょっと独特な喋り方で、不器用なんだけど―――スゲェいいヤツなんだ」
エルザの問いに答えると、レンは正面にいるサクラの元へ歩く。
「さっきぶりだな。オレは、佐伯レン。あん時は助けてくれて、ありがとな―――氷咲」
爽やかスマイルで、レンは手を差し出した。
そう。
この氷咲サクラは、大聖堂にてレンの外れた左肩を治した少女だった。
少女の名前を知ること、お礼を言うこと―――レンはその目的を果たすことがようやくできた。
しかも、その相手が同じ小隊の仲間というのは、運命的なモノを感じざるを得ない。
レンはそんな思いを抱いて手を差し出していると、
「………」
サクラは握手に応じることなく―――プイッ、とそっぽを向いた。
「―――え?」
てっきり拍手に応えてくれると思い込んでいたレンは、思わず呆気に取られる。
「レン。ウソはよくないよぉ」
「……その、他の誰かと勘違いしているのでは?」
頭の後ろで手を組むミライと、不安げに眉尻を下げるアオイは、レンの背中に声を投げかけた。
慌てて振り返って、レンは二人を説得しようとする。
「ちょ、嘘じゃねぇって! ホントだって! 頼むから氷咲もなんとか言ってくれよ、なぁ!?」
首だけ振り向かせて、サクラに助けを求める。
しかし、
「………」
その思いは届かず、プイッとサクラは反対方向にそっぽを向いた。
一縷の望みが完全に断たれ、あまりのショックに……レンは真っ白になる。
「違ぇんだよ……本当なんだよ……」
地面に両手両膝をつき、レンは泣きそうな声で呟く。
エルザはしゃがむと、落ち込むレンの肩に手を置いた。
「エルちゃんは信じてるよっ★ レンっちの言ってることっ★」
「空宮……!」
エルザの言葉に、レンの項垂れていた顔が上がった。
いつもなら、あのうざいエルザの笑顔が……レンにとっては希望のように見えた。
だから、その希望に縋りつく。
「頼む、空宮……! 氷咲が、オレと初対面じゃないってこと証明してもらうには―――どうしたらいいんだっ!?」
「ンニャッ? 簡単な話だよっ★」
レンの肩から手を離し、エルザは立ち上がって名探偵のように指差した。
「―――好きな人打ち明けるとかして、信頼を築けばいーんだよっ★」
「そうか、そういうことか……!」
元気を取り戻し、レンは笑顔で立ち上がる。
「そういう秘密とか、隠し事とか、あえて自分から腹の内を全部さらけ出せば、信頼を勝ち取れるってわけか! それに、オレたちは小隊の仲間だ! だったら、好きな人とか全部、仲間と共有するべきだよな!」
「うんうんっ★ その通りだよ、レンっちっ★」
「―――んなわけねぇだろおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
突如として、レンの怒号が響き渡る。
エルザは、レンの希望ではなかった。
……奈落の底に突き落とすような、絶望そのもの。
そのことを、ハッキリとレンは思い出した。
「ニャハハッ★ バレちゃったっ? 信頼なんて、そんな程度じゃ築けないし、時間もかかるからねっ★ あと、レンっちうっさいっ★」
「テメェのせいだろーが! 大体、好きな人を打ち明けるとか……できるわけねぇだろ! 何考えてんだよ!?」
「あれっ? そこで好きな人いないって言わないってことは―――いるってことなんだねっ?」
「……!?」
無邪気に言うエルザに、レンはギクリと狼狽える。
正確無比なまでに、図星を突かれたからだ。
即否定ができずに顔を赤くするレンを見て、
「ニュフフ~ッ★ やっぱりレンっち、青春謳歌中~っ★」
猫のような口で、イタズラっぽい目つきで、エルザは笑った。
「確かに……エルザさんの言うことには一理あるかもしれません。だったら、腹を括らなければ……!」
一度深呼吸をして、アオイは意を決した様子でサクラに自己紹介する。
「わ、ワタシは朽葉アオイと申します! そ、それで、す、す、す、好きな人は―――だ、ダメです! 言えませ~~~~~んっ!!」
アオイは真っ赤に染まる顔を両手で覆うが、恥ずかしさのあまり頭から湯気が出ていた。
結局、アオイも好きな人を打ち明けることはできなかった。
しかし、その後に続いたミライは違う。
「ぼくぅ。ほしなしミラぁイ。すきなひとはぁ。レン。アオイちゃん。エルザちゃん。キミもだからぁ―――いっぱぁいいるなぁ」
あははぁ、と『すきなひと』を指で数えていたミライは笑った。
が、それは全員が思っているのとは全く違っていた。
「―――だから、言わなくていいって言ってんだろ! ってか、ミライに至っては趣旨理解してねぇし!」
無自覚にエルザのノリに乗ってしまったアオイとミライに、レンが思いっきりツッコむ。
このコントの元凶であるエルザは「ニャハハッ★」と笑い、シレッとサクラに自己紹介を始めた。
「それじゃ、エルちゃんは空宮エルザっ★ エルちゃん、って呼んでねっ★ 最後は―――サクラっち、キミの番だよっ★」
サクラに向かって、エルザは自己紹介を促した。
四人はサクラの無表情な顔を見つめる。
数秒の沈黙を置き、サクラは俯いたまま顔を見ないように、小さな口からか細く言葉を紡ぐ。
「氷咲、サクラ。……よろしく」
「よろしくな、氷咲!」
「よろしくお願いします、サクラさん!」
「よろしくね、サクラっちっ★」
「よろしくねぇ。サクラちゃん。あぁ―――」
サクラを見ていて、ミライはあることに気がついた。
「―――サクラちゃん。おっぱいおおきいねぇ」
その一言は、時が止まったかのように場の空気を凍りつかせた。
隊服を盛り上げるほどの豊かなサクラの双丘を指差し、そこから紡がれたミライの言葉。
その笑顔は、いやらしさなど一切なく―――純粋無垢。
けれど、好奇心はあった。
それ故に、こうお願いするのだった。
「ねぇ。おっぱいさわってもいぃい?」
ミライは小首を傾げて尋ねる。
無断で相手の体に触ってはいけないという、そのくらいの常識は持っていた。
……けれど、ある意味で常識はなかった。
サクラはゆっくり顔を上げると、そのジト目はドン引きのあまり軽蔑し切っていた。
そして、
「―――しね」
心から思ったことを素直に呟き、ミライの頬に渾身のビンタを放った。
ミライは頬に赤い手形をスタンプされ、
「おっぱいさわっちゃダメなんだぁ。ごめんねぇ?」
痛がる素振りすら見せず、いつもの笑顔でサクラに謝った。
それを見て、エルザは何やら必死な様子で口を手で押さえつけていた。
吹き出すくらい、笑ってしまいそうになったから。
「み、ミライっち、あ、あんなに、思いっきりビンタされて、アホなこと言ってる……っ★ ニャハ、ニャハハ―――ッ★」
しかし、結局エルザは吹き出して笑ってしまう。
涙を流すほどに、大爆笑して。
「ミライくんは、お胸の大きな女性がお好きなんですね。ワタシは―――」
呟き、アオイはそっと自身の胸に触れる。
―――断崖絶壁。
真っ平らな胸の感触に、アオイは静かに絶望し……真っ白になった。
爆笑するエルザ、絶望するアオイ―――その二人を見ていたレンは呆れ顔になる。
「何やってんだか……」
(でも、マジでよかった。氷咲の前で胸のこと言ってたら、オレまでアホみてぇになってた……)
そしてレンは、心の底からサクラにビンタされなかったことに安堵したのだった。




