第二十六話 ゴキゴキッ
「は~、やっぱり若い子を触ると若返るわ~。肌ツヤが段違いっ!」
「ホント、ツヤツヤしてるわ~。私もレンちゃんにくっつけばよかったわ~」
「にしても、レンちゃんスゴく喜んでたわね~。あなたみたいな美人と腕組みしたからかしら~?」
「あら、やだっ! よしなさいよ~、美人だなんて恥ずかしいじゃないっ! ……まあ事実なんですけど~! おほほほほ~!」
おばさんAはお嬢様のように上品さの欠片もない高笑いをしながら、おばさんB、Cと共に大聖堂を後にする。
イケメンと触れ合えて、そのおかげで肌ツヤが良くなって、美人だと褒められて―――大変ご機嫌な様子だった。
ガチャリと扉が閉まって、おばさんシスターたちが完全にいなくなったことを確認したレン。
肩を押さえて、冷や汗を流しながら真正面の扉を上目に睨みつけた。
なぜ、そんなことをするのか。
理由は明白だった。
「ふざけんじゃねぇぞ、あのクソババァ……!」
―――レンの肩に大ダメージを与えた、おばさんAに恨み言を言うためだ。
「喜んでねぇし、美人じゃねぇし、触るってレベルじゃねぇだろーが! オレの腕、ぶっ壊してんだよ! アンタはオレの肌の潤い成分、全部根こそぎ奪って肌ツヤ良くなったけど、その代わりアンタが与えたストレスのおかげで、こっちは肌ガッサガサなんだけど! あと、暴走を止めもしねぇでヘラヘラ笑ってるアンタらも同罪だ! ―――マジでふざけんじゃねぇぞ、あのクソババァどもッ!!」
否、おばさんAだけではなく、BとCも含まれていた。
早口で捲し立てて、レンは今まで封印していた怒りを思いのまま爆発させる。
その代償として、「ぜぇ……ぜぇ……」と肩で息をするくらい体力を使ってしまったが……。
通常レンはこういう時、真正面から文句を言うタイプの人間だ。
では今回、なぜ堂々とおばさんシスターに文句を言わなかったのか―――?
それは、まだ巨大な背中が視界にいる状態で言おうものなら、自分の元へまたやってくることを推測していたからだ。
否、レンは絶対だと確信していた。
全身に警鐘を鳴らす、悪寒がそう告げていた。
だからこそレンは、タイミングを見計らって鬱憤を晴らしたのだった。
「はぁ……利き腕じゃなかったのが不幸中の幸いだけど。―――こんな肩じゃ、両手で剣は振れねぇな。仕方ねぇ、しばらくは右手一本でやるしかねぇか……」
怒りは一時的に鎮まったが、万全の状態で訓練を臨めないことに、レンの顔は浮かないものになる。
今さらだが、こんな独り言を言っても大丈夫かと不安に思っただろう。
しかし、問題ない。
なぜなら、ここにいるのはレン一人だからだ。
おばさんシスターたちに酷い目に遭っている間に、そそくさと他の者は皆ここを後にしていた。
つまり、誰も助けに入らず見捨てられた。
薄情である。
一人残ったレンの怒りの叫びは、誰もいないこの空間では心地いいくらい反響した。
破壊された左肩を押さえたまま、レンも訓練に行こうと大聖堂を後にする。
「―――肩、外れてる」
が、横から無気力な声で喋りかけられ、レンは「うわぁ!?」と間抜けに叫んだ。
バッと振り返ると、そこには小柄な少女がいた。
紫紺のショートボブの髪は耳を隠し、髪と同色の双眸に少しかかっている。
華奢な矮躯は、小動物を彷彿とさせる愛らしさを兼ね備えているが、漂う暗い雰囲気によって、その魅力が少々損なわれている。
この少女がいたということは、レンは一人きりではなく、二人きりの中で感情も声もデカい独り言をぶちまけていたということになる。
なので、
(おい、嘘、マジかよ……!? 今までの愚痴、全部コイツに聞かれてたのかよっ!?)
恥ずかしさのあまり、レンの顔は真っ赤っか。
誰もいないからと安心し切って、好き放題おばさんシスターたちの悪口を言ったバチが当たったのだ。
こんなツケを払うことになるのなら、最初から言わなければと後悔すると同時に、愚痴を言ってはいけないと自戒。
少女の顔を見つめていると、レンは元の顔色に戻った。
「……ん、あれ? お前、確か……オレたちと一緒に訓練してるヤツだよな?」
眉を寄せるレンは、目の前の少女に見覚えがあった。
自分たちと同じく草壁教官の指導を受け、候補生として日々訓練をしている者と。
ただし、姿をチラッと見かけたことがあるだけで、名前は知らなかった。
「………」
レンの問いに、少女はコクリと頷く。
それから少女は、ジト目でレンが押さえている肩を凝視した。
視線が自分に向けられていないとわかり、レンは「これか?」と肩を押さえている理由を語る。
「クソババァ―――じゃなくて、シスターに肩ぶん回されてな。そんで、こんなザマになっちまった。……マジで、あのババァ許さねぇ!」
経緯を話しているうちに、段々とムカついてきたレン。
最後には、思いきり怒りの炎を再燃させていた。
ちなみに、レンは肩を『ぶっ壊された』と言っていたが、それは大げさで―――真実はただ単に肩が外れているだけだった。
先ほど視診した少女の言葉は正しかったのだ。
「貸して」
少女の一言で、レンの炎は鎮火される。
少女を見下ろして、レンはさらに眉を寄せた。
「貸す? 何をだ?」
「―――腕」
限界まで簡潔に答えると、少女はレンの痛めている左腕へ手を伸ばす。
が、レンが一歩足を引いたことで腕に触れることは叶わなかった。
「はぁ!? ダメに決まってんだろ!」
当然のことだ。
レンは今、腕が外れている状態。
その腕をほぼ赤の他人に委ねることなど、最早、危険でしかない。
「いいから、貸す」
無表情な顔をムスっとさせて、少女はまたもレンの左腕に手を伸ばした。
「だから! ダメだって言ってんだろ!」
再びレンは、少女の腕から回避した。
めげない少女はレンの腕を取ろうと躍起になり、それをレンは後ろに下がって回避を続ける。
ここまで少女はレンの腕を掴むことに成功していないが、レンの表情が徐々に苦しくなっていった。
(コイツ、ちっせぇからか―――メチャクチャ動きが俊敏だ……!)
攻防を重ねる度に、少女の動きが洗練され、スピードが増していた。
これまで余裕を持って回避していたのに、現在では辛うじて回避するのがやっとだ。
ドンドン速さが増していく少女に内心で驚愕していると、
「―――!?」
突然、レンは両の目をカッと見開いた。
見たこともない、圧倒的な光景を目の当たりにしたことで。
(あんな動き、見たことがねぇ……! こんなにも動き回るのか……女の、む、む、胸ってのは―――!?)
レンが今、凝視しているもの―――それは小柄なこの少女には似つかわしくない、隊服を盛り上げる豊かな双丘。
動く度に、まるで生きているかのように双丘が動き回る。
その神秘に、すっかり思春期少年のレンは目を奪われていた。
だからか、
「―――うわっ!?」
後ろから躓いてしまったのは。
臀部を床に落とし、レンは尻もちをついた。
そして、「痛ってぇ」と顔をしかめながら尻を撫でて、
(何してんだ、オレは……! オレには心に決めたヤツがいんだ……! あ、あんな誘惑になんか負けんな……! しっかりしろ、オレ!)
少女の胸に吸い込まれていった自分のスケベ心を、心の中で叱りつけた。
これだけでは足りないと、レンは思いきり目を瞑って、ある呪文を唱える。
「心頭滅却、心頭滅却、心頭滅却、心頭滅却、心頭滅却―――」
全ての欲望を無に帰す呪文―――『心頭滅却』。
この呪文で、レンは今まで数々の煩悩を断ち切ることに成功した。
しばし唱えて、「よし、もう大丈夫だ!」と内に秘めた煩悩を退散させたと判断し、レンは穏やかな笑みで瞼を開ける。
「―――ブツブツ、うるさい」
瞬間、無気力で呆れた声が頭上から聞こえ……少女のたわわな胸が、視界いっぱいに広がった。
レンは目をパチクリさせて硬直した直後、
「ヒョエ―――ッ!?」
あまりのド迫力に謎の奇声を上げ、端正な顔を間抜けに赤面させた。
思わず、それに少女は僅かに顔をしかめ、両耳を手で塞ぐ。
「……だから、うるさい。―――隙あり」
少女は好機だと、レンの左腕に手を伸ばす。
おかしくなってしまった今のレンでは避けることもできず、少女に左腕を掴まれてしまった。
(―――! ヤベッ……!)
それによってレンは正気を取り戻すが……最早、手遅れだ。
少女はレンの左腕を弄り回す。
ゴキッ、ゴキッ、と何回も痛々しく骨が鳴った。
「や、やめてくれー! これ以上、腕がぶっ壊れたらオレは……! 頼む! まだ幻滅師になってねぇんだ! だから……もうやめてくれっ!!」
「―――治った」
無気力、けれども、優しい声音。
それを発したのは、目の前の無表情な少女。
その少女は今、満足そうにうっすらと、極々うっすらと微笑んでいた。
遠くだと絶対に気づけないだろう笑みに、目の前にいるレンのみは気づく。
そしてその微笑みに、一瞬だけだが、またも目を奪われてしまった。
が、少女が手を離したことで、その魔法は解除される。
少女の言ったことに理解が追いつき、
「おぉ……本当だ! さっきまでスゲェ痛かったのに、全然痛くねぇ!」
外れた左肩を触ったり回したりして調子を確かめ、レンは左肩が無事に治ったこと確認した。
「スゲェな、お前……。一体、どうやって治して―――」
左肩から少女に視線を移すと、その少女はすでにいなかった。
どこに、とレンは立ち上がって探すと、ガチャリと扉の閉まる音が背後から聞こえた。
そちらへ振り向き、少女が大聖堂を後にしたのだと理解した。
今度こそ一人きりになったことを実感して、その扉をボーッと眺めていると、次第にレンはクスッと笑みを零してしまう。
「だったら、最初っから『外れた肩治すから腕貸して』って言やいいのに……不器用なヤツ。でも、それ以上に―――優しいヤツだ」
少女の優しさに触れて、頭の中に刹那的な少女の笑みが浮かび、レンは温かい気持ちになる。
しかし、
「―――にしても、スゲーデカかったな……アイツの胸」
その弊害で、少女の豊かな双丘を思い出してしまうのだった。




