第二十五話 ゴキッ
初めての訓練から二週間が経ち、4月15日になった。
試験を行った大聖堂の大広間に張り詰める荘厳な空気。
それは今この大聖堂にて、イリス教の儀式―――礼拝が執り行われているからだ。
最奥の祭壇にいる司教―――ヌルは、巨大な女神像に向かって祈りを捧げる。
その後ろで、ズラリと並んでいるイリス教徒と候補生も、ヌルと同じように祈りを捧げた。
実はこの大聖堂は『シャド=ルナ修道院』と同じ敷地内にあって、悪魔に取り憑かれた憑依者によって中が破壊されていたが、現在では修繕が完了していた。
試験の時にはなかった長椅子がいくつも並んでいて、これが本来の大聖堂のあるべき姿なのだろう。
修繕前では、小さな女神像を置いて簡易的な祭壇を作って礼拝をしていたが、ようやく今日からこの大聖堂でそれができるようになったのだ。
讃美歌と聖書の朗読が終わり、今は最後の祝福の祈りをしている。
目を瞑って、両手を胸の前で組んで、祈りを捧げていた。
すると、そっと手を解き、ヌルは瞼を上げて振り向いた。
「本日の礼拝を終わりにします。皆さんに、女神イリスの祝福があらんことを」
爽やかな笑みで告げられた声によって、イリス教徒と候補生は祈りをやめて目を開ける。
皆がぞろぞろと帰っていくのを見て、
「さて、帰るか……」
長椅子に座っていたレンも、それに続こうと立ち上がった。
終始、この荘厳な空気の中で行われた礼拝だが、その間レンは一切緊張しなかった。
すっかり習慣づいているからだ。
敬虔なイリス教徒であるレンにとって、最早これは日常の一部で、いつも通りのこと。
最初こそ緊張していたが、今ではもう緊張せずに礼拝ができる領域になっていたのだ。
「―――全く。候補生の子たち、全然参加してないじゃない」
俯きがちに長椅子と長椅子の間の道を歩いていると、そんな声が前方から聞こえた。
(なんだ?)
レンは思わず立ち止まって顔を上げると、三人の熟練おばさんシスターたちが固まって難しい顔を浮かべていた。
「そうそう。信仰心が足りないんじゃないかしら? それに候補生の子たちだけじゃなくて、最近の若い子も」
「私たちが平和に暮らしていけるのも、イリス様のおかげだっていうのに……なんて薄情なのかしら!」
次第に信仰心のないイリス教徒に対して、怒りが芽生え始めていた。
(まぁ確かに、薄情かもな。10人くらいだったかな? 候補生の中で来てたの……)
レンは、今日礼拝に来ていた候補生たちを思い浮かべてみた。
440人いる候補生の中で、両手で数えられるくらいの人数しか来ていなかった。
(そして来てないヤツらの中に、ミライに、空宮に、朽葉が……なんで来てるのオレだけなんだよ!?)
そう。
イリス教のこの礼拝に来ているのは、レンのみだった。
レンは今日から大聖堂での礼拝が可能になると聞きつけて三人を誘っていたのだが、
『つまんなぁい』
『めんどいっ★』
と、こんな感じで、あっさりと断られてしまったのだ。
(なんだよ、つまんないとかめんどいって……! 気持ちはわからなくもないし、礼拝は絶対じゃねぇけど―――テメェらイリス教徒だろーが! ちっとは敬虔になれよ!)
礼拝の参加は強制ではなく、自由だ。
よって、ここに来ていない候補生は特に罰せられることはない。
しかし……レンには、不可解なことがあった。
『すみません……宗教上の理由で、どうしても無理なんです……』
そう断ったアオイの理由だ。
(朽葉に至っては、どういうことだよ!? 宗教上の理由って何? 同じイリス教徒だろー!?)
意味がわからなすぎて、レンは頭を抱えてしまう。
「―――あら! レンちゃんも来てたの~!」
おばさんシスターの一人に見つかった。
頭を悩ませていたものがキレイに吹っ飛び、その肩がビクリと跳ねる。
「ど、ども~」
頬を引きつらせながら笑みを浮かべると、そのおばさんシスターを筆頭に二人のおばさんもレンの元へやってきた。
三人のおばさんシスターによって、進路は潰された。
「レンちゃん、あれからケガは大丈夫? 訓練は順調?」
「おかげさまで大丈夫っす。訓練はまぁ……ボチボチっす」
(本当はボチボチどころじゃねぇんだけど……)
本当と嘘を織り交ぜて、レンは返した。
あることが上手くいっていないことを相談しても、『魔晶器』を持たないおばさんたちからヒントはもらえないだろうと思ったから。
「ホント? よかったわ~!」
その返答を聞いて、尋ねたおばさんシスターは安堵の笑みを浮かべる。
「あなた、知り合いなの? この候補生の子と」
「ええ。この子が試験の時、頭にケガをしてたから、それを私が手当てしてあげたの。……そうよね? レンちゃん」
太い首を傾げるおばさんシスターに、「は、ははは、そうっすねー……」とレンは苦笑いで同意する。
話を合わせているように見えるが、それは事実だった。
この三人の中で一際恰幅のいいおばさんシスターは、試験の時にレンの頭に包帯を巻いて手当てをしてくれた恩人なのだ。
でもレンは、このおばさんシスターが少し苦手。
巻かれた包帯はギチギチにキツくて痛かったし、その時に『絶対、安静、いいわね!?』と強く言われた時の圧は凄まじかったから。
ちなみに名前を知っているのは、同じような圧で聞かれて、反射的に答えてしまったからだ。
レンは未だに、そのことを後悔している。
『ちゃん』付けなのだから……。
「あら、そうだったの~。ねえ、レンちゃんからも、候補生の子たちに礼拝に参加するよう声をかけてくれる? 訓練で忙しいのはわかっているけど……」
「レンちゃんが『影呪』から守られているのも、『魔晶器』を使うための魔力に覚醒できたのだって―――イリス教の『宿魔の儀』のおかげなの。だから、そのご恩を返さないと薄情でしょ?」
(この人たちまで、『ちゃん』付けで呼んじゃったよ……)
恰幅のいいおばさん―――おばさんAを真似して、残りのおばさんB、Cもレンのことをそう呼んだ。
レンの後悔がさらに大きくなったが、
「―――その、『宿魔の儀』ってのは何なんすか……?」
気になる単語が聞こえたので尋ねてみた。
それにおばさんシスターたちは、なぜか驚きの声を上げた。
「まっ! あなた知らないの!?」
「本当にイリス教徒なのかしら!?」
「え……?」
(そんな常識的なヤツなのか、『宿魔の儀』ってのは……。なんか嫌だな、ミライと空宮みてぇじゃん……)
知らないうちにおばさんB、Cに説教をされたレンは、そのことに対する理不尽さを感じるよりも、常識外れだと言われたことにショックを受けていた。
「まあまあ、落ち着いて二人とも」
おばさんAが二人のおばさんを宥めると、レンに向き直った。
「……レンちゃん、覚えてないかしら? 教会で、男の子の好きな飲み物みたいなものを飲んだの」
「あー……」
(幻滅師に助けられてここに来た時、第七区《向こう》の教会で、そんなの飲んだな……)
言われて、レンは思い出した。
「確かに小さい頃、飲んだっすね。ポカエリみたいなの」
「そうそう! それよそれ! それを飲む儀式を『宿魔の儀』っていうのよ」
「……そう、なんすか」
(あれが『宿魔の儀』なのか……。その儀式で渡されたアレのおかげで、『影呪』にかかんなくて―――)
「―――魔力に目醒めたのか、オレたちは……」
幻滅師とイリス教徒を除き、東京にいる人間は元々魔力という漫画やアニメに出てくる架空の力を持っていなかった。
しかし、それは『世界終末』以前の話である。
『世界終末』後、潜在的に魔力を秘めていると判定され、東京に住むことになってイリス教徒となり、『宿魔の儀』を受けたことで―――東京の幻滅師と同じ救済する力、魔力に目醒めたのだ。
レンが呟きを落とすと、密かにおばさんAはニヤリと口角を上げた。
「レンちゃん? 『宿魔の儀』について教えた代わりに、私からお願いがあるの~。さっきも言ったけど、候補生の子たちを集めてちょうだ~い」
「ヒィ……!?」
猫撫で声でおばさんAは腕に絡みついて顔を近づけると、レンはその気色の悪さにゾワリと背筋に悪寒が駆け巡った。
絡まれた腕に屈強な胸筋の硬さを感じて、レンはバレないようにカタカタと機械じみた動きで顔を逸らした。
「……他のヤツらを、っすか?」
「ええ、そうよ~。もし他の候補生の子たちをた~くさん連れてきたら、わ・た・し~、レンちゃんのことも~っと好きになるわよ~?」
「あは、あははは……それは困るっすね~……」
口角を無理やり上げて笑みを作り、全身から冷や汗を噴き出し、うっかりレンは本音を一部漏らしてしまう。
「相当、気に入ってるのね……」
「確かにレンちゃん、男前だもの……」
その時、おばさんAは、レンの耳元に顔を近づける。
「……だけどね? レンちゃん」
「ヒャッ!?」
その囁きにゾクリとして、レンは悲鳴を上げて体が跳ねた。
そんなレンの異常に気づかず、おばさんAは恋する乙女のように頬を赤く染めた。
「―――まあ私の一番の好きは『推し』のものだから、レンちゃんは一番になれないから許して~! キャッ! 私ったら、イケメンをフっちゃうなんて罪な女ああああああああああああああ!!」
おばさんAは黄色い咆哮を轟かせると、その巨腕で絡ませているレンの腕をブンブンと横へ振る。
―――ゴキッ。
「ぎゃあああああああああああああああああ!!」
骨に異常をきたす音が聞こえ、レンの悲鳴が響き渡った。




