第十九話 外の世界
候補生たちの目が点となる。
背負い投げするエルザと、背負い投げされたレンも。
まるで想像のつかないチンプンカンプンな言葉を、急に叫び出したからだ。
それをした男は候補生の間抜けな顔を見て、今自分が何を言ったのか思い出した。
そして、瞳を伏せたまま溜息をつく。
「……すまない、寝ぼけていた。この一週間、24時間ずっと周辺警護をしていたんでな。今のは忘れてくれ」
「無理だろ。寝起きでいきなり『ママ』って言われたら忘れらんねぇよ。しかも、あんな険しい顔したおっさんが……お袋にしても、奥さんにしてもキツいって」
「ブラックすぎます、幻滅師さんのお仕事……」
ジト目でツッコむレンと、この男のしていた仕事に遠い目をするアオイ。
何事にも厳しそうなこの男の口から『ママ』という言葉は大変似合っておらず、仕事に関しては過労死をしてしまうほどブラックだ。
自分たちを待っている間に仮眠を取るのも納得できるが、立ってするのもどうかとも候補生は思った。
「自己紹介をしたいところが……何を寝転がっている、さっさと整列しろ」
仰向けに倒れているレンに向かって、男は鋭い視線を向ける。
そう、レンだけを注意していた。
(え? なんでオレだけ?)
自分に背負い投げをしたエルザを注意していないことに疑問を抱き、視線を上に向けてエルザを見る。
しかし、そこにいたはずのエルザがいなかった。
瞬時に上体を起こして、レンは周囲を見回してエルザを探す。
そして、発見した。
「―――ププッ★」
ミライとアオイの元で、シレッと整列しているエルザの姿を。
怒られるレンを見て煽り全開の笑みを浮かべているが、小ズルいことにエルザは口元を手で隠して男にバレないように笑っていたのだ。
(なんかいつの間に返り討ちするだけじゃなくて、オレ一人だけを悪者にしやがって、あのクソ宮……ッ!)
怒りのオーラを発し、レンは握り拳を作る。
今すぐにでも殴りたい気持ちでいっぱいだが、状況的に不可能なのと、実際に整列をしていない自分も悪いためそれだけに留めた。
レンは立ち上がって整列するのだが、やはり怒りが収まっていないのだろう。
整列する時にドンドンと足音を立てて、フンッと鼻を鳴らして男に体を向けた。
そんなレンを見て、男は呆れた息を吐いて自己紹介を始める。
「俺は第七幻滅部隊に所属する―――草壁イッキだ。そして今日から、お前たちの教官として指導を行う」
幻影滅殺部隊―――通称・幻滅部隊に所属する草壁イッキは、この110名の候補生の教官を務める幻滅師だ。
しかし、黒いコートに隠れてしまって、幻滅師の証明である徽章は見えなかった。
『魔晶器』すらも。
候補生は不安になる。
あのイッキという男は本当に幻滅師なのか、本当だとしても弱いのではないか、と。
ガッカリした顔の彼らを見て、気にする様子もなく、イッキは背を向けて門と対峙する。
「訓練を始める。俺についてこい」
言って、イッキは軽く手を挙げる。
それは合図だった。
門の両脇に控えていた二人の本物の幻滅師が、門を開ける。
ゴゴゴッ、と重たい音を立てて開かれた門の先にある、外の世界にイッキが進もうとすると、
「―――待ってください!」
凛とした声で、女の候補生がその背中を呼び止める。
その声に、イッキは立ち止まるが振り返らない。
「ついてこいって言ってますけど……具体的にどんな訓練をするんですか? 壁の外で『魔晶器』の使い方を教えてくれるんですか? 他の3グループも、草壁教官と同じような訓練をしているんですか? 教えてください!」
「―――そんなのは、どうでもいいことだ」
問うた少女は息を呑む。
心底どうでもよさそうなその声の、イッキの圧にやられて。
「ツベコベ言わず、黙って俺についてくればいい。そうすれば、答えは自ずとわかる。―――お前たちが真に、幻滅師になりたいのならな」
イッキが圧を発しただけで、尋ねた少女だけでなく、他の候補生たちも何も言えなくなった。
「―――いくぞ」
静かにそう言って、イッキは腕をコートの中に隠したまま走り出す。
使命感に駆られるように、誰からともなく、候補生たちはイッキの後を追いかける。
次々と、壁の影と外の光の境界線を越えて―――。
◆
外の世界は荒廃していた。
道路のコンクリートはヒビ割れ隆起していて、その左右には、かつて建物だったも
のが倒壊したまま放置されている。
結果コケが生え、草木が生い茂り、廃墟と化していた。
自分たちが目にしたことのない異常な世界に、候補生たちはイッキに置いて行かれないように注意しながら走って、物珍しそうにキョロキョロと見渡している。
レンもそのうちの一人だが、その瞳には懐かしさがあった。
「……10年ぶりだな、この世界も」
5歳の時まで、レンはこの荒廃した世界で生きていた。
―――両親をシャドウに殺され、憧れる二人の幻滅師に助けられるまで。
だから、他の候補生と違って外の世界を知っていたのだ。
「ミライっちっ★ 懐かしいね、外の世界っ★」
「うん。エルザちゃんとのオモイデいっぱぁい」
レンの前を走る、ミライとアオイが楽しげに会話をしている。
思い出話に花を咲かしているが、その内容はあまりにおかしかった。
「あれ? お前たちも幻滅師に助けられて、ここに来たのか?」
レンの疑問に、エルザとミライは首だけを振り向かせて答える。
「ううん、エルちゃんは生まれてからずっと東京都第一区在住だよっ★」
「ぼくもぉ」
「オメェは、オレと朽葉とおんなじ第七区だろーが!」
「そうだったぁ。あははぁ」
レンにツッコまれ、ミライは呑気に笑った。
が、怒る口とは裏腹に頭は冷静だったレンは、二人の発言について思考する。
(……最初っから東京にいるのに、外の世界を知ってる? どういう―――ははーん、なるほどな。アイツら嘘ついてんだ。何が狙いかわかんねぇけど、問い詰めて白状させてやる。―――オレをおちょっくった、罰だ……!)
そういう魂胆で、レンは小バカにしたように「ハッ」と鼻で笑った。
「懐かしいってお前ら、冗談もほどほどにしとけって。壁の外へ行くことは禁止されてんだぞ? 今みたいに候補生か幻滅師にでもならなきゃ、さっきのあの門番に門を開けてもらえねぇんだからなぁ。なのにどうやってお前たちは、『懐かしい』だなんて言えたんだよ。なぁ、教えてくれよ? もしかしてあれか? あのバカ高ぇ壁を登ったりとか、穴開けたー、なんて言うのか?」
「スゴいっ★ よくわかったね、レンっちっ★」
「めいたんていみたぁい」
煽り口調全開だったレンは、
「……え?」
大変間抜けな顔をして、見事なカウンターを食らった。
レンの目的は、二人への仕返し。
だから二人の揚げ足を取ることで、嘘を咎めようとした。
こんなのではおそらく、二人は変わらないだろうと思っているが、とにかくツッコミ役とイジられ役のストレスを発散させたかった。
しかし、計画は狂った。
まさかのミライとエルザは、壁をなんとかして外に出ていたと言った。
二人の顔からも雰囲気からも、嘘をついているようには見えない。
何よりミライが嘘だと言ってないことが、レンが確信を持った理由だ。
レンとミライは小学校からの長年の仲で、基本的にミライは思っていることをそのまま口にするから本音しか言えず、たまに言う冗談も『ウソなんだけどねぇ』と明か
してくれる。
それが今回はなかった。
つまり、本当だということだ。
「ちなみに、どっちがどっちなんだ……?」
「エルちゃんは壁をピョーンって飛び越えましたっ★」
「ぼくはテツパイプでバぁンってカベこわしたよぉ。あぁ。もちろんいっぱいガムテープはってぇ。オトでないようしてぇ。それからバレないようにぃ。ビニールシート
でニセモノのカベつくったんだぁ。うん。モンダイないねぇ」
「問題ありありだわ! マジでイカれてんのか、テメェら!? ピョーンの容量じゃ飛び越えらんねぇし、ミライに至っては、ちゃっかり証拠隠滅までしやがってる! しかも証拠隠滅までしやがってる! ってか、ナチュラルに禁止事項破ってやがるよ、コイツら!!」
壁の外には、幻滅師以外の人間は立ち入ってはならない。
それが、ここでは禁止事項として定められている。
だが、幻滅師の教官と同行すれば、特例として候補生はこうして外へ行けるのだ。
ミライとエルザは現在、候補生。
そのため、その特例が適用され、壁の外へ行ってもなんの問題はない。
が、先ほどの話では、それ以前に外を出ているため……明らかに禁止事項を破っていることになる。
(でも、それも時効とかなんとかで、アイツらは無罪放免なんだろうな……)
ミライとエルザは強い、圧倒的なまでに。
少なくとも証拠が残っているミライをチクったとしても、幻滅師として優秀で活躍してくれるからと不問となるだろう。
それを許されるぐらいの実力があると、レンは知っていて認めてもいる。
でも、あまりに常識外れで、常識がなさすぎて、溜息をついてしまう。
ふと隣を見ると、アオイは不思議そうな顔で外を見ている……のではなかった。
初めて見る外への好奇心は一切なく、
「―――あれから、もう3年ですか……」
物憂げな顔をして、悲しそうに呟いていた。
その横顔が儚くキレイで、レンは心奪われるも一瞬のこと。
気になったことがあり、アオイに尋ねてみる。
「……もしかして朽葉も、幻滅師に助けられたのか?」
今度こそ自分と同じなのでは、とレンは思い声をかけると、アオイはハッとする。
遠くを見つめるのをやめて、アオイは誤魔化すような笑みをレンに向けた。
「いえ……少し違います」
アオイは作り笑顔のまま俯く。
……でも、その笑みは酷く痛々しく、悲しそうに見えた。
「………」
だからレンは、そこで追及をやめた。
一体どういうことなのか気になるが、アオイは話したくない様子だし……そんな顔は見たくないから。
そして、こんなことを聞いたことに後悔して、考えなしな自分を心底呪う。
自分に対して怒りが湧き上がり、レンは奥歯を噛んだ。
そのタイミングで、
(皆一様に余力があり、会話をしているところも多々あるな)
イッキは首だけ振り向かせて、候補生たちの様子を観察する。
特に注目したのが纏う雰囲気だった。
それを受けて、イッキはこう判断する。
「―――ペースを上げるとするか」
呟いた途端、足の回転数を上げる。
イッキは一気に候補生から距離を離し、視界から消えるような速度で走った。
気づいた候補生たちは驚愕して、先ほどの余裕の色は全て消え、会話もやめて真剣に走る。
「これってもしかして、かけっこなのかなっ? それなら一位独走は、このエルちゃんがなるべきっ★」
「あははぁ。まけないよぉ」
ダンッ、と異様な足音でエルザが走ると、ミライも同じ音を出して急加速して走っていく。
二人とも満面の笑みを浮かべて、凄まじい勢いでレンとアオイから距離を離す。
「アイツら、どんな脚力してやがんだよ……!?」
「元の筋肉の質から違うのでしょうか……?」
「でも、そんなのオレたちには関係ねぇ……根性で追いついてやる! ってか、抜いてやる!」
「はい! お二人を、追いかけましょう!」
タンッ、とミライとエルザとは程遠い足音を鳴らして、二人はあの背中たちを追いかける。
レンとアオイは強い気持ちで、前に進んでいくのだった。




