第十一話 ハンカチ
レンは、意識を取り戻した。
己の潜在意識の中ではなく、ちゃんと現実世界で、ちゃんとウツロに取り憑かれてない自身の肉体に。
そのはずなのに、視界は真っ暗だった。
呼吸も上手くできない。
理由は明白―――レンの頭部が、天井に突き刺さっているからだ。
(どういう状況!? 真っ暗だし、息しづれぇし、足ブラブラするし……そうだ、あのバカミライがオレを天井にぶっ飛ばしたんだった!)
ようやく、宙ぶらりんであると理解したレン。
許さねぇ、と鼻息を荒くしながら手足を使って抜け出そうと試みるも……思ったよりも深く突き刺さっているため難航した。
だが、なんとかミライへの怒りによる力技で抜け出すことに成功し、天井の木片とシャンデリアのガラスの破片と共に落下を始める。
真っ暗だったはずの世界が、瞬間、色づいた。
怒りが浄化され、心奪われる圧巻の光景だった。
しかし、今のレンにそんな感動を覚える余裕などない。
パラシュートなしの、高所からのスカイダイビングの真っ最中なのだから。
全身に浴びる風によって、目が変形して涙が出て、口を閉じられず歯が剥き出しになる。
さながら、その形相は強風に耐え忍ぶ、芸人そのものだった。
(なんだよ、これ~~~っ!?)
現実で叫ぶことができず、心の中でレンは叫ぶ。
が、落下中に黒剣を手から離してしまった。
(ヤベッ、手が滑って……!? 早く取らねぇと――――――え?)
急いで黒剣を取り戻そうと手を伸ばすレンだったが、ふと視線を下へ向けた。
目の前に床が見えた。
ピッカピカの、キレイに磨かれた床が。
その床に反射して、自分の情けない格好と顔が映っている。
でも、それは一瞬のこと。
―――そのままレンは、ついに地上に辿り着いた。
潰れたカエルのようなポーズで。
ガキンッ、と黒剣が床に突き刺さったと思わしき音がした直後、
「―――レンさん!」
倒れ伏すレンの耳に、悲痛な声が届く。
目が見えない状態だが、すぐにアオイだとわかった。
けれど全身を打ちつけたため、体を動かすどころか、返事すらロクにできなかっ
た。
次には、三人分の足音が聞こえた。
これも、アオイ、ミライ、エルザのものだと瞬時に把握。
そして、その次に聞こえたのは……信じられないことだった。
「悪魔から体を取り戻して、あの高いところからの落下……。それでは、レンさんは―――!」
「―――うん、人間じゃ無理っ★ 死んじゃったねっ★」
アオイの震えた声の後、エルザのふざけた明るい声が聞こえた。
(何が『死んじゃったねっ★』だ!? 勝手にオレの人生終わらすなよ!? まだ生きてるよ!? 今すぐ訂正してやらねぇと……だけど、体が言うこと聞かねぇ)
反論したい気持ちでいっぱいだが、それに体が追いついてくれない。
アオイの不安を、どうにかしたいのに……。
すぐに言い返してやれない自分を呪っていると、
「―――あははぁ。あんなのでぇ。レンがおそらいくわけないじゃん」
動かなかった体が起き上がった。
いや、掴まれた腕がそのまま誰かの肩に乗っかって、立ち上がらせてくれたのだ。
それをした人物は、レンの顔を覗き込むと―――満面の笑みを浮かべる。
「ねぇ? レン」
「ミ、ライ……」
肩を貸したミライの名を、レンはなんとか呟くことができた。
驚愕に、アオイとエルザは目を見開く。
「レンさん、生きていたのですか……!?」
「……まぁ一応、気合と根性でな。つーかさ、確認もしねぇで勝手に殺すなよ。さすがに酷いぜ……」
「す、すみません……!」
レンが苦笑いして言うと、アオイは深々と頭を下げる。
申し訳なさそうにするアオイに、
「いいよいいよ、そう思われても仕方ねぇし」
紳士らしく、レンはフォローした。
「レンっち、悪魔に取り憑かれてたよねっ? よく戻ってこれたねっ★」
「……色々と偶然が重なって、な」
(頭突きで契約したなんて言えねぇ……)
ポリポリ、とレンは頬を掻きながら曖昧に答える。
なんとなくダサい気がして、カッコ悪いと感じたから。
そんなレンを遠くから見ていたヌルが、
(―――そんな、あの状態から自我を取り戻すなんて……!?)
信じられない、という風に驚愕していた。
「レンさん、頭から血が……!」
アオイがレンの頭を見て、そう言った。
レンの頭から血が滴り落ちていた。
天井に突き刺さった時からずっと出血していて、額から目元のあたりまで赤く塗られているようだった。
レンが生きていたことに驚いたあまり、気づくのが遅くなってしまった。
レンは頭を触って、手の平が血で赤くなっていることを確認する。
「ホントだ……」
どこか他人事のように、レンは呟く。
当事者であるレンも視界が悪いとは思っていたが、全身の痛みでその原因が頭の出血だとアオイに指摘されるまで気づかなかった。
ツッコミ気質であるレンは、細かいところに気づきがち。
だから、本来であれば指摘されるより先に自分の出血に気づいているはずだっ
た。
が、その出血によって頭がボーッとして感覚が鈍っていたため、いつものキレの良さが発揮されなかったのだ。
「これ、使ってください!」
言って、アオイが一輪の小さな花が刺繍された、白いハンカチを差し出す。
アオイの優しさに、レンの表情がパーッと明るくなる……のは、一瞬だった。
―――キレイなハンカチが、自分の血で汚くなる。
そのことに気がついて、レンは受け取るのを躊躇った。
「だ、大丈夫だって! そんなの使わなくたってヘーキ! ほら―――!」
ミライに預けている腕とは反対の空いた腕を使って、レンは制服の袖でグリグリと頭を拭く。
袖が血で汚れるだけで、あまり上手く拭えず、余計に顔に血の赤が付着した。
それをアオイが不安げに見ていると、
「せっかくかしてくれるんだからぁ。ちゃんとつかってあげなよぉ」
ミライがアオイのハンカチを代わりに受け取って、レンの腕を退かしながら強引に血を拭っていく。
「痛て、痛てて……! ば、バカ、やめろお前!」
アオイのハンカチで、グリグリとレンの頭と顔周りを丹念に拭く。
やめろと言っても、ミライは止まらない。
とても楽しそうだった。
そんなミライにつられて、顔を見合わせたアオイとエルザは笑ってしまった。
レンの頭と顔は少し血の跡が残っているが、だいぶマシになってキレイになった。
「レン。これちゃんとあらってかえすんだよぉ?」
「言われなくてもわかってるよ、オメーじゃねぇから」
ミライが差し出した自分の血で赤く汚れてしまったアオイのハンカチを、ぶっきらぼうな口調とは裏腹に丁寧に受け取るレン。
そしてレンは、アオイと約束する。
「朽葉、ハンカチありがと。それと……汚して、ごめん。なるべく、元通りにして返すから!」
「……! はい! 返してくれるの、待ってます!」
アオイの笑顔を見て、どこか罪悪感のようなものが消えたような気がした。
レンの強張った顔が和らぐも、すぐに真剣なものへ変わる。
アオイのハンカチをポケットに入れ、傍らで床に突き刺さっている黒剣の柄を掴んで腰に差す。
そして、周囲を確認した。
「まだ、悪魔に取り憑かれてるヤツらがいるな……」




