1-77.扱いづらすぎる児童
担任になって三年目。
十歳のクラスを受け持つのは、正直、楽だと思っていた。
だいたい分かってくる年頃だし、
ふざける子、泣く子、張り切る子――全部想定内。
――ただし。
真咲 綾芽、君を除いて。
出席は、週一回。
理由は「家庭の事情」とだけ聞いている。
問題行動?
ない。
成績?
文句なし。
授業態度?
静か。良すぎるくらい。
ノート?
板書より早い。
……なのに。
なぜか、教室の空気が変わる。
しかも厄介なのは、
学校側の対応だった。
職員会議で、一度だけ名前が出た。
真咲 綾芽。
その時、上から来た指示は妙に曖昧だった。
「本人の意思を優先してください」
「可能な限り、希望に沿う形で」
「無理な干渉は避けるように」
理由の説明はない。
ただ、
“そういう扱いをする児童”
として共有されている。
特別扱いと言うには静かすぎる。
だが確実に、
普通の児童とは扱いが違った。
(……何者なの、あの子)
聞かない。
聞いてはいけない。
そういう空気だけがある。
最初に違和感を覚えたのは、音読の時間だった。
「では、次。真咲くん」
立つ。
姿勢がいい。
声も落ち着いている。
普通だ。
本当に、普通。
なのに。
読み終わったあと、
教室が一拍、静まる。
(……今の、何?)
拍手もない。ざわつきもしない。
ただ、視線だけが集まる。
本人は気にしない。
席に戻り、静かに座る。
(……疲れる)
次はグループ活動。
男女混合、四人組。
無難な組み合わせにしたつもりだった。
なのに。
「じゃあ、真咲くん、どう思う?」
誰が決めたわけでもないのに、
自然と中心にいる。
仕切らない。
指示もしない。
ただ一言。
「これでいいと思うよ」
それだけ。
全員が、うなずく。
(……なぜ?)
一番困るのは、女子だ。
騒がない。
はしゃがない。
それなのに、離れない。
休み時間。
彼の周囲にだけ、
半径一メートルほどの静かな円ができる。
ひそひそ声。
「今日いるんだ」
「ノートきれい」
「声、落ち着くよね」
本人は、机で本を読んでいるだけ。
(……無自覚が一番厄介だ)
極めつけは、参観日だった。
保護者が後ろに並ぶ中、
私は悟った。
子どもは普通。
――大人のほうが、違う。
後方から聞こえる、抑えた声。
「……あの子?」
「紫の……」
「噂の……」
聞こえないふりをする。
そうしないと、授業が進まない。
授業後。
「先生」
呼ばれて振り向く。
「来週、学校来れないかも」
申し訳なさそうな顔。
理由は言わない。
「……分かりました」
それ以上、聞けなかった。
聞いてしまえば、
きっと私は“教師としての距離”を保てなくなる。
その日の業務日誌。
真咲 綾芽
問題行動:なし
学習態度:良好
人間関係:良好(※要注意)
総評:
「普通にしているだけで、周囲の空気を変える児童」
ペンを置き、ため息をつく。
(……頼むから)
(せめて、自覚してくれ)
教室の外で、
彼は囲まれて笑っていた。
――ああ。
本人だけが、普通の十歳だ。
それが一番、扱いづらい。
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