1-60. 決めないという決定
協会・技術棟。
夜。
ほとんどの職員は帰っている。
ラボの照明だけが、まだ白く点いていた。
主任は椅子に座ったまま、動かない。
机の上には――
例の、バールのような杖。
報告書はまだ白紙だった。
コンコン。
「開いてます」
入ってきたのは、私服の菖だった。
「まだ帰ってなかったの?」
「帰れなくなりました」
正直だった。
菖は机を見る。
「……置いてあるのね」
「封印するほどでもない。ですが、放置もできない」
沈黙。
主任が先に言った。
「今日は、相談です」
菖は椅子に腰掛ける。
「珍しいわね」
「ええ。だいたいのことは一人で決めますから」
一拍。
「今回は、決めない方がいい気がしている」
菖の視線が、少しだけ鋭くなる。
「理由は?」
主任はバールを見る。
「才能が大きすぎる場合、
組織はだいたい二択を間違えます」
「囲うか」
「排除するか」
菖、小さく笑う。
「極端ね」
「組織とはそういうものです」
静かな声だった。
主任は続ける。
「早期認定は、成長を歪める」
「過小評価は、事故を生む」
「なら、どうするの?」
主任は答えた。
「何もしない」
沈黙。
菖はその言葉を転がすように繰り返す。
「何もしない、ね」
主任は頺れるでもなく、ただ言う。
「観察だけします」
「介入しない」
「方向づけもしない」
「本人が、自分の足で選ぶまで」
菖は腕を組む。
「親としては?」
主任が聞いた。
少しだけ間があった。
菖はバールを見ず、窓の外を見る。
「……あの子ね」
「放っておいても伸びるのよ」
「知ってます」
「でも」
ここで初めて、母の声になった。
「伸びすぎるのも、怖いの」
主任は頷いた。
否定しない。
「だから本当は、枠に入れたい」
「でも、入る器じゃない」
静かな同意だった。
菖がぽつりと言う。
「あなた、気づいてる?」
「何をですか」
「あの子、まだ一度も
“力が欲しい”って言ってない」
主任の目が細くなる。
「ええ」
「全部、興味から始まっている」
「そう」
「これ、いちばん危ないタイプよ」
主任は少しだけ笑った。
「同意します」
沈黙。
夜のラボは、機械音だけが小さく鳴っている。
やがて主任が言った。
「……魔法少女側に引き込みますか?」
菖は即答しなかった。
長い間のあと。
「しない」
それから、少しだけ笑う。
「少なくとも、“こちら側”が決めることじゃない」
主任は深く息を吐いた。
どこか安堵にも似ていた。
「良かった」
「あなたがそのタイプで」
菖、片眉を上げる。
「どういう意味?」
「才能を見ると、すぐ旗を立てたがる大人は多い」
一拍。
「あなたは立てない」
菖は肩をすくめた。
「親だもの」
そして少しだけ、悪い顔をする。
「……ただし」
「はい」
「危なくなったら、全力で潰すわよ」
主任は即答した。
「その時は、私も手伝います」
二人とも、本気だった。
沈黙。
やがて主任が白紙の報告書を閉じる。
「記録は残しません」
「英断ね」
「代わりに、覚えておきます」
菖は立ち上がる。
帰る気配。
扉の前で止まり、振り向かずに言った。
「ねえ、主任」
「はい」
「もしあの子が――」
少しだけ迷ってから。
「とんでもない場所まで行ったら」
主任は答える。
「追いつけるように準備します」
一拍。
「組織ごと」
菖は笑った。
声には出さずに。
「頼もしいわね」
扉が閉まる。
主任は一人になる。
机の上のバールを見る。
そして、小さく呟いた。
「……何も決めない」
それが今日の結論だった。
だが主任は知っている。
何も決めないという選択は――
最も覚悟が要る決定だ。
ラボの灯りは、まだ消えない。
(続く)
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