1-59.雫、落ちる一歩手前(※まだ落ちてない)
昼前。
魔法少女協会・受付。
静か。
平和。
書類も少ない。
つまり――
考える余裕がある。
雫は端末を操作しながら、ふと入口を見た。
(……まだ来てない)
瞬間。
「……」
自分の思考に気づいて、手が止まる。
(違う)
来訪者の確認は受付の仕事。
当然の行動。
業務。業務。
何もおかしくない。
……はず。
横から梓の声。
「雫」
「はい?」
「今、入口見たね」
「見てません」
即答。0.2秒。
梓、無表情で頷く。
「見た人の否定速度だった」
「業務確認です」
「なるほど」
完全に信じていない声だった。
そのとき。
自動ドアが――開いた。
反応。
雫:0.4秒
梓:0.9秒
凛:1.2秒
すず:気づいてない(書類逆)
「こんにちはっ!」
来た。
雫、立ち上がる速度がほんの少し速い。
「……こんにちは」
声が柔らかい。
自分でも分かるくらいに。
(落ち着いて)
ただの来訪者。
ただの少年。
綾芽はにこっと笑う。
「雫さん、今日も優しそうですね!」
直撃。
「……っ」
一瞬、呼吸が止まる。
梓、横で確信。
(今のは強い)
すず、小声。
「ねえ今の聞いた!?
優しそうだって!!」
凛。
「静かに」
綾芽、続ける。
「あと、なんか安心します!」
二撃目。
雫の思考が、一瞬だけ空白になる。
安心する。
その言葉は――
後方支援型にとって、
ほぼ必殺だった。
「……ありがとう、ございます」
声が、少しだけ低くなる。
落ち着かせている。
自分を。
梓、観察モード。
(声の温度、2度上昇)
「主任は第三ラボです」
業務。完璧。
だが。
綾芽は動かない。
「あの」
「はい?」
「無理してません?」
停止。
空気が止まる。
「最近ちょっとだけ疲れて見えます」
静かに言う。
「ちゃんと休んでくださいね」
――致命傷。
すず、口を押さえる。
梓、天を仰ぐ。
凛、目を閉じる。
(強すぎる)
雫だけが、動けなかった。
胸の奥が、
ぎゅっと縮む。
この感覚を、知っている。
戦場で守れたとき。
誰かが生き延びたとき。
「ありがとう」と言われたとき。
それに、似ている。
でも違う。
もっと静かで、
逃げ場がない。
「……雫さん?」
綾芽が首を傾げる。
はっと我に返る。
「だ、大丈夫です」
珍しく噛んだ。
梓、確信。
(噛んだ)
雫が噛むのは、年に数回。
レアイベントだった。
綾芽は安心したように笑う。
「よかった」
そして、ぺこり。
「行ってきます!」
去っていく。
ドアが閉まる。
沈黙。
三秒。
最初に口を開いたのは、すず。
「雫先輩」
「……なに?」
「今の、防御不可ですよね」
「……」
否定できない。
凛が静かに言う。
「完全に支援型殺しだな」
梓、追撃。
「雫」
「はい」
「好きになりかけてる自覚、ある?」
思考停止。
「……ありません」
否定が、遅い。
梓、頷く。
「末期一歩手前だね」
「違います」
でも。
否定の声は弱かった。
雫はそっと、マグカップに手を伸ばす。
中身はもう空なのに、
気づいていない。
胸の奥が、まだ騒がしい。
理由は分かっている。
分かっているから――
認めない。
まだ。
絶対に。
そのとき凛がぽつりと言った。
「雫」
「……はい」
「落ちるときは静かに落ちろ」
「落ちません」
即答。
だが。
梓と凛は知っている。
こういうタイプほど、
気づいた瞬間、
一番深くまで落ちる。
その頃。
廊下を歩きながら、綾芽は考えていた。
(雫さん、ちょっと疲れてたな)
(次は差し入れでも持っていこう)
善意100%。
破壊力100%。
受付では。
雫が小さく息を吐いた。
そして無意識に、
入口を見た。
もう閉じているのに。
――まだ落ちていない。
でも。
もう、安全圏ではなかった。
(つづく)
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