1-40. 由衣、自己嫌悪
放課後。
教室には、もうほとんど人が残っていない。
オレンジ色の夕日が窓から差し込んで、机の影を長く伸ばしていた。
木村由衣は、自分の席に座ったまま動かなかった。
帰る理由はある。
でも、立ち上がる気になれない。
さっきの光景が、頭の中で何度も再生される。
りおなと話している綾芽。
楽しそうだった。
自然だった。
距離が、近かった。
――だから。
(だからって……)
机に額をこつんと当てる。
「……最悪」
小さく呟く。
ノートに視線を落とす。
綾芽に教えてもらった部分。
分かりやすい説明。
きれいな補足。
余白に書かれた、整った字。
胸の奥が、少しだけ痛くなる。
「……ちゃんと教えてくれたじゃん」
なのに。
自分は、何を言った?
――“誰でも思いつくでしょ”
思いつかないから聞いてるんでしょうが。
(バカじゃないの、私)
両手で顔を覆う。
熱い。
恥ずかしい。
消えてしまいたい。
でも一番きついのは、そこじゃない。
「……ありがと、って」
言った。
確かに言った。
でも。
聞こえてない。
聞こえてないことにしてくれた。
その優しさが、逆に刺さる。
椅子を少し蹴る。
ギ、と小さな音。
「なんであんな言い方しか出来ないのよ……」
本当は。
普通に言えばよかった。
教えて、って。
ありがとう、って。
それだけでいいのに。
それなのに口から出るのは、いつも逆。
好きの反対みたいな言葉ばかり。
沈黙。
夕日が、少しだけ赤くなる。
由衣はぽつりと呟いた。
「……嫌われたかも」
その可能性を想像した瞬間、
胸がぎゅっと縮む。
呼吸が浅くなる。
目の奥が、少しだけ熱い。
慌てて瞬きをする。
「……やだ」
即答だった。
嫌だ。
それだけは、絶対に嫌だ。
机に突っ伏す。
髪がさらりと落ちる。
「……次は」
小さく、決意する。
「次は、普通に話す」
間。
「……たぶん」
弱い。
とても弱い。
自信なんて、全然ない。
その時。
「由衣?」
びくっ、と肩が跳ねた。
顔を上げる。
教室の入り口に立っていたのは——
綾芽だった。
心臓が、一気に跳ね上がる。
「な、なに!?」
声が裏返る。
最悪。
綾芽は少し首を傾げた。
「ノート、忘れてたよ」
差し出される。
由衣のものだ。
さっき慌てて閉じたまま、置きっぱなしだったらしい。
「あ……」
受け取る。
指先が、少しだけ触れる。
それだけで、体温が上がる。
沈黙。
綾芽が、ふっと笑った。
「さっきさ」
終わった。
絶対怒られる。
身構える。
でも。
「ちゃんと考えてるよね、由衣」
思考が止まる。
「え?」
「質問の仕方、いいと思う」
さらっと言う。
本気の声で。
胸の奥に、何かが落ちた。
音もなく。
静かに。
由衣は、何も言えなかった。
言葉が出ない。
代わりに出たのは——
「……ばか」
反射だった。
綾芽が瞬きをする。
(違う違う違う違う!!)
慌てて口を押さえる。
でももう遅い。
数秒の沈黙。
そして綾芽は、
少しだけ困った顔で笑った。
「それ、悪口?」
「ち、違う!!」
叫ぶ。
もう顔は真っ赤だった。
綾芽はそれ以上何も言わず、
「じゃあ、気をつけて帰ってね」
それだけ残して、教室を出ていった。
扉が閉まる音。
静寂。
由衣はその場に立ち尽くしたまま、
ゆっくりしゃがみ込んだ。
そして。
両手で顔を覆う。
「…………無理」
指の隙間から、声が漏れる。
「普通にって決めたのに……」
数秒。
それから、もっと小さく。
「……でも」
顔は見えない。
でも声は、少しだけ柔らかかった。
「嫌われて、ないかも」
胸の奥が、ほんのり温かい。
由衣はしばらく動かなかった。
帰り道。
何度も思い出す。
整った字。
優しい声。
困ったような笑い方。
そして最後に、ぽつり。
「……次こそ」
小さく握る拳。
「次こそ、ちゃんと話す」
夕焼けの中、
ツンデレは今日も一人で反省していた。
まだ、デレは来ない。
でも——
たぶん、もうすぐだ。
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