2-21. 剣の理由(レッド・ローズ)
放課後の道場は、昼間より少し涼しかった。
窓が開いていて、風がゆっくり通り抜けている。
紅羽は防具を外し、面を床に置いた。
籠手を外し、タオルを取る。
「……終わり」
短く言って、額の汗を拭う。
いつも通りの動作。
――のはずだった。
気づくと、綾芽がすぐ近くにいた。
正面ではない。
少し横。
声を出さなくても、存在が分かる距離。
(……近い)
そう思ったのに、下がらない。
それどころか。
無意識に、体の向きを綾芽の方へ寄せていた。
(……あ)
自分でやってから気づく。
なのに、直さない。
タオルで汗を拭きながら視線を落とす。
綾芽は床を見ている。
特に気にしている様子はない。
「……見てた?」
「ん? なにを?」
即答。
本当に分かっていない声。
「……なんでもない」
そう言いながら、紅羽は一歩動く。
――綾芽の前に。
完全に、進路を塞ぐ形。
(……なんで前に出たんだ、私)
分からない。
ただ、目の前に来てほしかった気がした。
綾芽は一瞬だけ止まり、
「?」という顔でこちらを見る。
近い。
思っていたより、ずっと。
ほどけた髪。
汗の残る首元。
剣道の稽古のあと特有の、少しだけ熱を帯びた空気。
紅羽の胸が、ひくっと鳴る。
(……まずい)
「……なに?」
困った声。
答えられない。
分かっているのは――
離れたくない、という感覚だけ。
「……別に」
それだけ。
綾芽は少し考えて、
「ああ、そっか」とだけ言った。
納得してないくせに、深くは聞かない。
その距離のまま、数秒。
紅羽は耐えきれず視線を逸らす。
その拍子に、ほんの少し肩が触れた。
(……)
触れた瞬間、
胸の奥が静かに跳ねた。
「……片付ける?」
「うん」
綾芽は一歩下がる。
距離が戻る。
――それが、少し寂しい。
(……これ)
幼馴染だからじゃない。
剣道仲間だからでもない。
(……好き、なのか)
言葉にはしない。
まだ出来ない。
でも。
同じ「幼馴染」では、もうない。
帰り道。
いつもの分かれ道で、綾芽と別れた。
数歩。
その瞬間。
――空気が変わった。
「やっほー!」
背後から、場違いに軽い声。
振り返る。
ぬいぐるみみたいな、小さな妖精が浮いていた。
「急だけどさ、魔法少女にならない?」
胡散臭い。
どう考えても怪しい。
普通なら、無視して終わっていた。
でも。
妖精が続ける前に、
頭の中にさっきの光景が浮かぶ。
竹刀を構える綾芽。
無理してるのに、平気そうに笑う横顔。
(……男の子は、危ない)
この世界で、
前に出る男の子ほど狙われる。
守られる側のはずなのに、無茶をする。
(……だったら)
妖精を見る。
「戦えば、守れるの?」
妖精は、一瞬だけ間を置いて頷いた。
「うん。守れるよ」
それだけ。
十分だった。
「……なら、なる」
声は思ったより落ち着いていた。
「綾芽は――」
一拍。
「私が守る」
妖精は何も言わない。
ただ、嬉しそうに頷いた。
差し出される、小さな宝石付きのネックレス。
「名前を決めて。名前が変身の鍵になる」
迷わない。
「――レッド・ローズ」
息を吸う。
「レッド・ローズ、セットアップ」
宝石が光る。
視界が白に染まる。
剣を持つ理由は、ただ一つ。
前に立つため。
背中を預けさせないため。
――それだけで、十分だった。
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