2-14. 相合傘は心臓に悪い
ある日の木村由衣。
放課後。
窓の外を見た瞬間、私は固まった。
「……うそ」
雨。
しかも、ザーザー降り。
普通の雨じゃない。
完全に「今日はもう諦めて濡れて帰るしかない」タイプの雨だった。
私は、カバンを抱えて昇降口に立ったまま動けない。
(やばい)
(傘ない)
(お母さんに言われたのに)
「傘持っていきなさい」
「今日は大丈夫!」
「天気予報見たの?」
「午後六時からだって!」
……完全にフラグだった。
私は空を見上げた。
ザーザーザー。
(どうしよ)
辺りを見回す。
もう誰もいない。
みんなとっくに帰っている。
私は小さくため息をついた。
「……濡れて帰るか」
そう思って、一歩踏み出したそのとき。
後ろから声がした。
「どうしたの? 由衣ちゃん」
びくっ。
振り返る。
そこに立っていたのは――
真咲綾芽君だった。
黒い髪。
紫がかった瞳。
傘を持って立っている。
私は一瞬、言葉を失った。
「えっと……」
(落ち着け)
(普通に話す)
(普通に)
「か、傘……忘れただけニャ」
(ニャ!?)
(なんで!?)
綾芽君はきょとんとした。
「そっか」
そして、当たり前みたいに言った。
「じゃあ、一緒に帰ろう」
心臓が止まりそうになった。
「え」
「え?」
「い、いいの!?」
「うん」
「でも」
「濡れちゃうし」
綾芽君は少し笑った。
「大丈夫だよ」
そう言って、傘を少し広げる。
「入って」
(無理無理無理無理)
(近い)
(距離近い)
(死ぬ)
でも、この雨の中を帰る勇気もない。
私はおそるおそる傘の中に入った。
その瞬間。
肩が――
触れた。
(近い近い近い近い)
(近い!!)
心臓がドクドク鳴る。
綾芽君は普通に歩き出した。
私はもう、まともに歩けない。
(落ち着け)
(落ち着け私)
(普通に歩く)
雨の音が大きい。
ザーザー。
沈黙。
沈黙がつらい。
何か言わなきゃ。
「きょ、今日は月曜日ニャ」
(何言ってるの!?)
綾芽君は笑った。
「うん」
「学校来てくれて嬉しいニュ」
(ニュ!?)
(死ぬ)
私は顔が熱くなるのを感じた。
綾芽君は普通に答える。
「ありがとう」
「でも、今日は雨だね」
「そ、そうニョ……」
(ニョ!?)
(なんで!?)
もうやめてほしい。
私の語尾。
綾芽君はふと私を見た。
「由衣ちゃん」
「にゃ!?」
「肩、濡れてるよ」
そして――
そっと傘を寄せた。
ぐっ。
距離が縮まる。
肩がぴったり触れた。
(無理)
(近い)
(死ぬ)
心臓が爆発しそうだった。
私はもうまともに喋れない。
「だ、大丈夫ニャ……」
「でも濡れるよ」
「いいニョ……」
(何この語尾)
(私どうしたの)
綾芽君は少し困った顔をした。
「風邪ひくよ」
「……」
優しい。
優しすぎる。
こんなの反則だ。
私は俯いたまま歩いた。
雨の音。
傘の音。
肩のぬくもり。
心臓の音。
全部混ざって、もうよく分からない。
(落ち着け)
(落ち着け)
(落ち着け)
でも。
どうしても思ってしまう。
(こんなの)
(好きになるに決まってるじゃん……)
しばらく歩いて。
私の家の前に着いた。
「ここ?」
綾芽君が聞く。
私は頷いた。
「う、うんニャ」
(またニャ)
綾芽君はにこっと笑った。
「じゃあ、また月曜日」
「う、うんニュ」
(ニュ!?)
(なんで!?)
私は顔が真っ赤だったと思う。
綾芽君は気づいてない。
普通に手を振った。
「またね」
そして雨の中を歩いていく。
私は玄関の前で立ち尽くした。
心臓がまだドキドキしている。
肩に残るぬくもり。
私は小さくつぶやいた。
「……むりニャ」
初めての相合傘は――
心臓に、ものすごく悪かった。
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