Part 37
帆船は海面を漂う鎖に足止めを余儀なくされた。
「衝角で突き崩せ!」クロキは操舵手に命令したが、
「速度が足りません!」マストにのぼる男は首を振った。
「砲弾を用意しろ!」
船が旋回し、船体の横腹を沖へと向けた。
片舷斉射、数十門の砲台が火を噴いた。水柱とともに鈍い金属音が響いた。
「やはり衝角だ!突き崩せ!」
船はふたたび旋回し先端を向けた。船体の顎にはカブトムシの角のような、黒々とそり上がる鋼鉄の突起物がある。
ギャリギャリと金属の擦れる音、船体が激しく揺れる。
しかし頑強な鎖が断たれることはなかった。
「もう一度だ、船を戻せ!」
「これ以上は船体が持ちませんよ!」
相手の船体に穴を開けるほどの破壊力を持つ衝角だが、鎖の耐久力もさることながら、限定された湾内ではその本来の力を発揮するに至らなかった。
漁港を振り返れば、すでに多数の人影があった。
町民たちと黒装束の衝突──すでに黒装束らの敗走のようであった。
「……仕方あるまい」
船は西に進路を変えて追い風に乗り、速度をつけてた船体は護岸を破壊しながら陸地へと乗り上げた。
船は尚も石畳の上を滑り、やがて船体を横に大きく傾けて止まった。
甲板からヒュルルと一本の煙が音を立てて飛翔し、雨霧の空に黄色い華を咲かせた。
「それで、次はどうするの?」
「次って?」
螺旋階段を下るアランとリリィだがその足は遅い。駆け下りようものなら二人の立っている方向に傾きそうになるほどに、芯を失った灯台は危ういバランスを保っていた。
「どうやってあの船に乗り込むの?」
「それはこれから考える」
「もう、行き当たりばったり……」
ふと、下階の中央にたたずむ人影に気付いて二人は足を止めた。
それが仇敵の一人───フーゴ・フルドリッカであると認めたとき、凍てついた、俗に殺気と呼ばれる独特の気迫が塔内を満たした。フーゴの方もまた、階段を降りる男の影を見つけていた。
気迫の高まりを敏感に感じ取ったアランは、背後のリリィを背中で押して、その場に倒れた。
彼の頭上を凄まじい剣風が駆け抜け、壁に獣の爪痕のような五本線が深々と刻みこまれた。
「リリィ、奴のほかに、周囲に人の気配は?」
「ないけど」
リリィはハッとして、
「まさか、ここであの人を?」
「どのみち、出口はひとつしかない……」
決心したアランは腰もとの鞘の留め金を外した。
フーゴの足下には、上から吹き込み内壁を伝い落ちた雨水が踝の辺りまで溜まっているが、そこに小さな水柱が二本、フーゴの目の前に立った。そしてそこから白煙が猛烈に噴出した。アランが道中、黒装束からくすねた煙幕である。
広くない円形の塔内に白いモヤが充満した。
アランがフーゴの頭上へ飛びかかる。
どのような武器か見当がつかないが、相手は離れた距離からでも容易にこちらを斬り裂くことができる。とにかく距離を詰めなければ勝ち目はない。
フーゴは外套をひるがえした。
彼の左腕には、青銅色の籠手があった。
籠手の甲には同じような色をした拳大のボビンがあり、それが唸りをあげて回転すると、五本の指先から鋼糸が放たれる。
「やはりお前には死んでもらう、暗殺者!」
鋼鉄の旋風が、白煙もろともアランを切り裂いた。
階段から見下ろしていたリリィは、白い霧のなかに血煙がブワッと広がる陰惨な光景に息を呑んだ。
いったい何故フーゴがあのような武器を持っているのか、なぜ糸が手から飛び出して、かつ人を斬れるのか。失われた技術、兄妹の生まれる前から続けられた戦いの積み重ねが、あの兵器を生み出したのだが、そんな事に思いを巡らせるほどの余裕はない。
水面に広がる、鮮やかな紅の波紋。その中心にアランがいた。
旋風に全身を斬られ石畳に打ちつけられながらも彼は生きていた。
五本の鋼糸が集まって絡み合い、一本の鞭となって水面を打った。
アランは身を屈めてフーゴに迫る。その姿には四足の獣のような獰猛さがあった。
荒ぶる鞭が頭上をかすめながら、アランの袖から飛び出したものが二つある。
距離をとるため後ろに飛ぼうとしたフーゴの脚に鋭い痛みが走った。
漆黒の苦無が、それぞれの腿に突き刺さっていた。アランの握るナイフの白刃が、たまらず膝をついたフーゴの眼前に迫っていた。
フーゴの首筋をナイフが裂き、鮮血が噴き出た。だが、すれ違うアランの首にも五本の鋼糸が絡みつき、彼は石畳を転がっていた。物言わぬ持ち主とは反対に、腕にはまった籠手が断末魔の如くギュルルルと唸った。
血に塗れながら、フーゴは勝利を確信した。
鋼糸が巻き取られて、逃げる暇もなく相手の首は落ちる。
───しかし、そうはならなかった。
逃げ場を求めて上昇した煙幕の白雲を、小さな影が突き破った。
アランもその姿を予期していなかった。
ハンマーを両手に掲げて落下してくるのは、リリィだ!
鉄を叩くような、甲高い激突音が響いた。
水しぶきを上げて、小さな身体は受け身を取って着地した。
彼女のハンマーは、フーゴの籠手を掌ごと砕いていた。
中央の鋼糸を巻き取るボビンがひしゃげて、鋼糸は止まった。
「兄さん!」
リリィは駆け寄った。
鋼糸を首に巻きつかせたまま、アランは動かなかった。




