Part 36
トードリッジの町の中央に、人々がどっと流れ込んだ。
「何事だ!」
「町の奴らだ!」
黒装束らは突然の蜂起に狼狽えた。
よほど油断していたのか、なかにはすっかり装束を脱いでしまって、朝から……いや、朝まで酒を煽って、寝ぼけ眼で赤ら顔の者までいた。
町民の投げた火炎瓶が、そうした腑抜けの数人を焼いた。
やっとのことで事態を把握し、刀剣と弓矢を携え、陣を敷いた。
道いっぱいに横一列に並び、弓を引き絞る黒の軍勢をまえに、町民たちは投石で対抗した。臼砲で崩された建物の残骸を、掌に収まる程度に細かく砕いて、細長い布で包み遠心力を利用して射出する、かなり原始的な投石器である。
石ころの二つ三つなら、血気盛んな黒装束、笑って見過ごしただろう。
しかし、雨空を覆わんばかりの建材、石材には肝を潰したらしく、咄嗟に「わぁっ」と蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
倒れた男たちの血塗れの頬を、雨が打ち、洗い流す。
その雨粒を切り裂かんばかりに石と矢が飛び交う。
彼らはただの町民ではなかった。寒風吹き荒ぶ雪山と冷たい海に挟まれた彼らは、厳しい環境に耐えうる強靭な精神と肉体を、無自覚ながらも育んでいたに違いない。
「もう駄目だ!援軍を呼べ!」
逃れるように屋根に登った黒装束が鏑矢を放った。
ギョーン……と、奇妙な音を響かせながら矢は北の空へ飛んでいった。
鏑矢の音を聞いた一団が駆けつけて来る…はずだった。
しかし、港のほうもまた奇妙な現象に直面していた。
町民が蜂起したのと時を同じくして、港の方では白煙が立ちこめはじめたのである。それは局所的なものであったが、陸にいる黒装束の衆を狼狽させるには十分であった。
駐留していた船は援護をするでもなく、予想外の奇襲におののいて港を離れようとすらしていた。
「船が動きそう!」
リリィは灯台の前で叫んだ。
岬の先端に危なげにそびえる白い巨塔は雨に濡れ光っていた。
入り口は鋼製の扉は、両扉を錠前と数条の鎖で固定されている。
「下がってろ、リリィ」
アランは自身の腕ほどあるハンマーを振り上げた。錠前は鎖ごと吹き飛んだ。
灯台の内部は吹き抜けで、雨風が上部から入り込み、内壁に沿って水が滝のように流れ落ち、水捌けが悪いのか床は浸水していた。あちこちから吹く隙間風は呻き声のようでなんとも不気味だった。
「どこだ、どこかにスイッチがあるのか?」
「上よ、上にあがって」
リリィが先導する。彼女には道筋が見えているようであった。事実、この灯台に刻まれた記憶を視ているのである。
二人は内壁に沿って打ち込まれた螺旋階段を駆け上がった。
赤茶に錆び果てた手すりや踏面がキィキィと軋む。上層に近づくにつれ階段の揺れは増すばかりだが、そんなことに躊躇する二人ではない。
最上部に置かれた巨大な燭台は、溜まった雨水を溢れさせている。
リリィが壁の一点を指した。
アランがハンマーを二、三度壁に叩きつけるとレンガにヒビが入り、さらに叩くとポッカリと穴が空いた。そこには材質の異なる箱が埋め込まれていた。
「これは……」
金属で出来ていた。蓋を開くと丁字の取手があった。
「それを引くのよ」
リリィの言う通りにアランが引くと、取手にはワイヤーが繋がれていて、またすぐ元の位置に戻ってしまう。
「な、なんだこれ」
「もっと引いて、繰り返し、何度も!」
アランには訳が分からなかった。しかし、リリィを信じるより他はなかった。
ギュイ、ギュイ、と取手を引くたびにワイヤーを通して何かが動いている。そして突然、取手は動かなくなった。
「これで、どうなるんだ」
「…………」
リリィは答えなかった。
彼女の透視した灯台の記憶の中には奇妙な箱の存在があるだけで、
それを起動させた次のアクションは未知数であった。
───耳をつんざく轟音に二人は一瞬、気絶していたのだと悟った。
燭台に溜まった雨水が、ひっくり返したようにドッと溢れて、二人を先ほど登ってきた螺旋階段のそばの壁際まで押し流した。
さきに目を覚ましたのはアランだった。彼の体は足下で爆発があったのを覚えていた。浮き上がりそうになるほどの衝撃だった。
───なにが起きた?
燭台の軋む音が断末魔のように響いた。灯台全体が揺れていた。
「リリィ、起きろ」
ペチペチと頬を叩くと、リリィは目を覚ました。
「……ど、どうなったの……なにが起きたの?」
「わからない、でも何だかマズい、急いで降りよう!」
帰りの螺旋階段は傾いているように感じて、二人は何度か足を滑らせた。
甲板に立つ乗組員が、はたと手を止めた。
雨は降っているが船出に支障はないと判断した矢先、彼らは海の異変を敏感に察知していた。
湾内が異様に波立っている。水底を巨大な何かが動いている。
灯台のそびえ立つ東の岬から西の岬へ、一筋の物体が海面に隆起した。
目の当たりにした全員が息を呑んだ。それは朽ちた沈没船の残骸ようにも古代遺跡の一片のようにも見えた。真っ黒で、表面の歪な、山の稜線だけを浮き立たせたようなそれは、一つの輪が小舟ほどある鎖であった。
湾口は一条の鎖によって文字通り封鎖された。
「縛鎖陣か───」
クロキは呟いていた。
まだ彼が戦場に駆り出されていた頃、風の噂でその名前を聞いただけだったから、それが十数年の時を経た今、目の前に現れるなどとは露にも思わなかった。
いつ誰が、そのような機能を港に持たせたのか、今となっては知る由もない。
「船底が削られる!」
操舵手が必死の形相で操舵輪を回すが間に合わず、帆船は木の爆ける音を港に響かせながら横っ腹を豪快に擦り付けた。鎖は大型船の接触にも微動だにせず、もはや浅瀬も同然であった。




