第07話 異世界の朝と、思った以上に大変な大移動
――寒い。
目を覚ました瞬間、最初に思ったのはそれだった。
「……寒っ」
毛布に包まったまま、俺は身体を丸める。
昨日の夜は焚き火があったから、それほど気にならなかった。
だが、火が消えた夜中から朝方にかけて、かなり冷え込んだらしい。
薄い毛布一枚では、少々厳しかった。
「……異世界の朝、思ったより冷えるな」
上半身を起こす。
吐いた息が、ほんの少し白くなった。
「マジか……」
俺は周囲を見回す。
まだ完全には日が昇っていない。
空は薄い青色に染まり始めている。
草原には朝露が降りていて、昨日まで歩いてきた道も濡れていた。
「海斗くん、おはよう……」
隣から眠そうな声がした。
「おはよう、唯衣」
「……寒いね」
「寒いな」
唯衣は毛布にくるまったまま、ぶるっと震えた。
「これ、毎日こんな感じなのかな?」
「季節にもよるだろうけど……昨日の昼間は暑かったからな」
「温度差あるね」
「昼と朝で、結構違うみたいだな」
そんな話をしていると。
「おはようございます」
蝉丸が眼鏡をかけながら起き上がった。
「おはよう」
「寒いですね」
「だよな」
「僕、昨夜は三回くらい目が覚めました」
「俺もだ」
すると。
「おはよう!」
妙に元気な声が響いた。
振り返ると、慎之助さんが立っていた。
「……元気ですね」
「朝だからな!」
「昨日、寒くなかったんですか?」
「寒かったぞ」
「じゃあ、なんでそんなに元気なんです?」
「朝だからだ!」
「意味が分かりません」
蝉丸が呆れたように眼鏡を押し上げる。
慎之助さんは笑った。
「それより海斗ちゃん」
「はい?」
「朝飯は?」
「俺に聞かないでください」
「酒は?」
「もっと知りません」
「異世界の朝って厳しいな」
「慎之助さんが言うと、違う意味に聞こえます」
そんなやり取りをしていると、騎士たちが朝食の準備を始めた。
昨日と同じようなパンと干し肉。
そして水。
「……やっぱりこれか」
唯衣がパンを見て苦笑する。
「保存食だからな」
「二日目だよ?」
「まだ二日目だ」
「三日目もこれかな?」
「……可能性はある」
「うわぁ……」
唯衣が露骨に嫌そうな顔をする。
俺は苦笑しながらパンを手に取った。
昨日は硬いと思った。
でも。
「……あれ?」
一口かじってみる。
昨日より食べやすい気がする。
「どうしたんです?」
蝉丸が聞いてくる。
「いや……昨日より硬く感じない」
「慣れたんじゃないですか?」
「それもあるか」
俺はもう一口かじる。
やっぱり食べられる。
味も、昨日ほど気にならない。
人間の適応力ってすごいな。
そんなことを考えていると。
「海斗くん」
唯衣がこちらを見た。
「何?」
「昨日のレベルアップって、今も身体に変化ある?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「昨日の夜、少し試してみたんだけど、身体が軽くなってる」
「やっぱり!」
唯衣の目が輝いた。
「じゃあ、レベルが上がると強くなるんだ!」
「まだ俺一人だから分からないけどな」
「私もレベル上げたい!」
「いや、無理に上げなくていいだろ」
「でも異世界なんだよ?」
「だから?」
「強くなったほうが安心じゃない?」
「それはそうだけど……」
唯衣の言いたいことも分かる。
この世界には魔物がいる。
俺たちは、いつ何に襲われるか分からない。
強くなれるなら、それに越したことはない。
ただ。
「レベルを上げるために、わざわざ魔物を探すのは危ないと思う」
「……それもそうだね」
唯衣が少ししょんぼりする。
「自然に出てきたら、そのとき考えよう」
「うん」
唯衣は頷いた。
◇
「出発します!」
朝食を終えると、騎士たちが声を上げた。
俺たちは毛布をまとめ、再び歩き始める。
昨日と同じ。
騎士が前後を囲み、その中を俺たちが歩く。
ただ。
昨日とは少し違うことがあった。
皆、疲れている。
当たり前だ。
飛行機で長時間移動した直後に、昨日は一日中歩いた。
しかも野営。
身体が休まったとは言い難い。
「足が痛い……」
「もう歩けない……」
「王都って、まだなの?」
あちこちから弱音が聞こえる。
騎士たちもそれを理解しているらしく、昨日よりさらにゆっくりとした速度で進んでいる。
「四百八十八人を一気に移動させるって、やっぱり大変だな」
俺が呟くと、蝉丸が頷いた。
「しかも、この世界の道は舗装されていませんからね」
「確かに」
昨日からずっと、草原や土の道ばかりだ。
当然、電車もバスもない。
車もない。
つまり。
基本的に徒歩。
「……文明って、すごいんだな」
思わずそんな感想が出た。
日本にいた頃は、電車や車を使うのが当たり前だった。
数十キロ程度なら、移動にそれほど苦労しない。
でも、この世界では違う。
一歩ずつ、自分の足で進むしかない。
「そう考えると、王都まで何日かかるんだろうな」
「騎士さんに聞いてみましょうか?」
「頼む」
蝉丸が近くを歩いていた騎士に声をかけた。
「すみません。王都までは、あとどのくらいですか?」
「この人数ですと……順調に進んでも、あと二、三日はかかるでしょう」
「二、三日……」
俺は思わず空を見上げた。
「まだそんなにあるのか」
「通常ならもっと早いのですが」
騎士は苦笑する。
「これだけの人数を安全に移動させるとなると、どうしても速度が落ちます」
「ですよね」
俺たちは四百八十八人。
しかも全員が旅慣れているわけではない。
子供もいれば、高齢者もいる。
普段から運動している人ばかりでもない。
当然だ。
「気長に行くしかないな」
俺はそう呟いた。
◇
しばらく歩いていると、先頭の方からざわめきが聞こえてきた。
「どうしたんだ?」
「何かあったのかな?」
俺たちも足を止める。
少しして、一人の騎士がこちらへ走ってきた。
「前方に川があります!」
「川?」
蝉丸が聞き返す。
「はい。かなり大きな川です」
「橋は?」
「……ありません」
「え?」
四人の声が重なった。
「橋がない?」
「はい」
騎士は困ったような顔をしている。
「少し上流へ行けば浅瀬があるようですが、全員が渡れるか確認が必要です」
「なるほど……」
俺は川の方向を見る。
木々の向こうから、水の流れる音が聞こえてくる。
少しして、俺たちも川の近くまで移動した。
「……結構大きいな」
目の前を流れる川は、思っていた以上に幅があった。
水もかなり澄んでいる。
対岸までは、ざっと三十メートルほどだろうか。
「これ、どうするんです?」
唯衣が騎士に尋ねる。
「浅瀬を探します」
騎士たちが川沿いを確認し始める。
しばらくして。
「こちらです!」
声が上がった。
少し上流に、川幅が狭くなっている場所があるらしい。
近づいてみると、確かに水深はそれほど深くなさそうだった。
ただし。
「靴、濡れるよね」
唯衣が川を見る。
「たぶんな」
「服も?」
「転ばなければ大丈夫だと思う」
「……絶対転びたくない」
「それは俺も同じ」
騎士たちは安全確認を始める。
最初に数人が川へ入り、水深を確認していく。
水は膝下程度。
大人なら問題なく渡れそうだ。
「順番に渡ってください!」
騎士の指示が飛ぶ。
四百八十八人が、一斉に川へ入るわけにはいかない。
少人数ずつ、ゆっくりと渡っていく。
「冷たっ!」
「うわ、冷たい!」
「滑る!」
あちこちから声が上がる。
「唯衣、気をつけろよ」
「うん」
唯衣が慎重に足を進める。
俺も後ろから続く。
一歩。
また一歩。
川底の石が思った以上に滑る。
「……これは怖いな」
「海斗くん、手!」
唯衣が手を差し出してきた。
「大丈夫か?」
「ちょっと滑る!」
「分かった」
俺は唯衣の手を取る。
そのまま、ゆっくりと進んでいく。
すると。
「きゃっ!」
唯衣の足が滑った。
「危ない!」
俺は反射的に身体を支える。
「大丈夫?」
「う、うん……」
唯衣は俺の腕につかまりながら、恥ずかしそうに笑った。
「ありがとう」
「気をつけろよ」
「海斗くんがいてよかった」
「……まあ、これくらいなら」
そう言いながら、俺はふと気づいた。
唯衣を支えたとき。
以前よりも身体が軽く動いた。
力を入れた感覚も、ほとんどない。
やっぱり。
レベルアップの影響は、本物らしい。
俺は何気なく自分の手を見た。
この世界では。
俺たちの常識が、少しずつ変わっていく。
魔物がいる。
魔法がある。
レベルがある。
そして。
人間の身体そのものまで、成長する。
まだ分からないことばかりだ。
でも。
少しずつ、この世界の仕組みが見えてきている気がする。
◇
川を渡り終える頃には、昼近くになっていた。
「休憩します!」
騎士の声が響く。
「また休憩!」
「やった!」
昨日と同じような歓声が上がった。
俺は川の向こう側を振り返る。
四百八十八人。
誰一人として、俺たちがこの世界に来た理由を知らない。
どうして飛行機ごと転移したのか。
なぜ俺たちなのか。
日本に戻る方法はあるのか。
何も分からない。
それでも。
こうして一歩ずつ進んでいる。
「……王都に行けば、何か分かるかな」
俺が呟くと、蝉丸が答えた。
「きっと何か分かると思います」
「そうだといいな」
「少なくとも、王国の人たちは僕たちを敵扱いしていません」
「それは確かに」
騎士たちは俺たちを守っている。
食料も用意してくれた。
野営までしてくれた。
少なくとも今のところ、敵意は感じない。
「だったら、まずは王都まで行くしかないな」
俺はそう言って、空を見上げた。
遠くには巨大な山。
その向こうに、まだ見えない王都。
そして。
俺たちがこれから生きていくことになる、異世界そのものが広がっている。
まだ旅は始まったばかりだ。
俺たちは知らない。
この先に待っているものが。
そして。
王都へ向かう途中で、俺たちの運命を変える出会いが待っていることも――。
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