第06話 異世界初の野営と、思った以上に快適な夜
灰色狼を倒したあと。
俺たちは、しばらくその場から動けなかった。
というより。
四百八十八人のほとんどが、さっきの出来事を話題にしていた。
「今の見た?」
「男の人が狼を吹っ飛ばしたぞ」
「魔法じゃないよな?」
「拳だったように見えたけど……」
「異世界って、本当に何でもありなんだな」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。
俺は少し居心地が悪くなって、自分の拳を見つめた。
別に目立ちたいわけじゃない。
唯衣が襲われそうだったから動いただけだ。
それなのに、思った以上に注目されてしまった。
「海斗さん」
隣に来た蝉丸が、小声で話しかけてきた。
「はい?」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だけど……何が?」
「いえ。さっきから自分の拳を見ていますから」
「ああ……」
俺は苦笑した。
「自分でも、ちょっと信じられなくてな」
「でしょうね」
蝉丸も倒れている灰色狼を見る。
「僕も、まさか素手で倒せるとは思いませんでした」
「俺だって思ってないよ」
「でも、実際に倒した」
「そうなんだよな……」
改めて考える。
俺が使ったのは、昔から練習していた寸勁。
ただし、あんな威力が出たことは一度もない。
そもそも、あれほど大きな狼を吹き飛ばせるような技じゃない。
「やっぱり……レベルのせいなのかな」
「可能性は高いと思います」
蝉丸が頷く。
「ゲームなんかでは、レベルが上がると身体能力が上昇しますからね」
「この世界が本当にゲームみたいな仕組みなら、ってことか」
「はい」
蝉丸は少し考えてから続けた。
「ただ、まだ断定はできません。海斗さんが元々強かった可能性もありますし」
「いやいや。昔ちょっと格闘技をやってただけだぞ」
「それで灰色狼を素手で倒せるなら、僕は今まで海斗さんをかなり過小評価していたことになりますけど」
「俺もだよ」
思わず二人で笑った。
すると。
「海斗くーん!」
少し離れたところから唯衣が手を振っている。
「こっち!」
「今行く」
俺たちが近づくと、唯衣が少し不安そうな顔をしていた。
「騎士さんたちが、そろそろ今日の移動を終わりにするって」
「そうなのか?」
「うん。今日はここで野営するんだって」
「野営か……」
俺は周囲を見回した。
見渡す限りの草原。
遠くには森。
夕方になりかけた空は、少しずつ赤く染まり始めている。
「まあ、この人数だもんな」
四百八十八人。
これだけの人数を連れて夜まで歩き続けるのは危険だろう。
特に森の近くなら、さっきみたいな魔物が出てくる可能性もある。
「野営って、テントとかあるのかな?」
唯衣が首を傾げる。
「どうだろうな」
俺も気になった。
そして。
少しして、その答えが分かった。
「えっ……」
唯衣が固まる。
「これだけ?」
目の前に積まれていたのは、毛布。
それから簡単な敷物。
以上。
「……テントは?」
「ないみたいですね」
蝉丸が苦笑する。
「マジか……」
俺は空を見上げた。
異世界初の野営。
まさか、本当に地面で寝ることになるとは。
「まあ、雨が降らなければ何とかなるだろ」
「海斗くん、前向きだね」
「キャンプみたいなものだし」
「キャンプ……?」
唯衣が不思議そうに俺を見る。
「学生の頃から、たまに山とかでキャンプしてたんだよ」
「へえ……」
「だから、こういうのは慣れてる」
「なんか海斗くんって、普通そうに見えて変なところで強いよね」
「変なところって何だよ」
「格闘技とかキャンプとか」
「……そう言われると否定しづらいな」
俺が苦笑していると。
「海斗ちゃん!」
今度は慎之助さんがやってきた。
「ちょっと問題がある」
「何です?」
「酒がない」
「知ってます」
「重大な問題だぞ」
「さっきからずっと言ってますよね」
「夜だぞ?」
「だから?」
「普通、キャンプといえば酒だろ」
「それは慎之助さんだけです」
「そうか?」
「そうです」
俺と蝉丸と唯衣の声が重なった。
「三対一か……」
慎之助さんは残念そうに肩を落とした。
「仕方ない。今日は我慢するか」
「できるんですか?」
「たぶん」
「たぶんなんですね……」
俺たちは苦笑した。
◇
日が沈み始めると、騎士たちがいくつかの場所に火を起こした。
魔法を使ったのかと思ったが、普通に火打石を使っているらしい。
火が大きくなると、その周囲に人が集まり始めた。
四百八十八人。
これだけの人数が一斉に話し始めると、かなり騒がしい。
不安を口にする人。
家族を心配する人。
スマートフォンが使えなくなったことを嘆く人。
逆に、異世界に来たことを楽しそうに話す人。
人それぞれだった。
俺たちも焚き火の近くに座っていた。
夕食は昼と同じような保存食。
硬いパン。
干し肉。
水。
それだけだった。
「……二食連続か」
唯衣がパンを見つめる。
「仕方ないだろ」
俺は苦笑した。
「四百八十八人分の食料を用意してくれただけでもありがたいよ」
「それはそうなんだけど……」
「王都に着けば、もう少しマシになるかもしれませんよ」
蝉丸がフォローする。
「そうだといいね」
唯衣がパンをかじる。
「……やっぱり硬い」
「頑張れ」
「海斗くん、他人事!」
「俺も食べてるって」
そんな会話をしていると。
隣から、ものすごく静かな声が聞こえてきた。
「…………酒」
「まだ言ってるんですか」
俺は思わず笑ってしまった。
慎之助さんは真剣だった。
「異世界初日の夜だぞ」
「だから何です?」
「記念日だろ」
「記念日なら余計に水で我慢してください」
「水じゃ記念にならん」
「知りませんよ」
蝉丸が吹き出す。
「慎之助さん、本当にお酒好きなんですね」
「お前も大人になれば分かる」
「僕、二十四歳なんですけど」
「まだまだ若い」
「慎之助さん三十一歳ですよね?」
「七歳も違うだろ」
「十分近いですよ」
またくだらない会話が始まる。
それを聞きながら、俺は空を見上げた。
「……綺麗だな」
「え?」
唯衣も空を見る。
「わあ……」
そこには、無数の星が浮かんでいた。
「こんなに星、見えたっけ?」
「日本だと街の明かりがありますからね」
蝉丸も空を見上げる。
「この辺りには、人工の明かりがほとんどないんでしょう」
星が多い。
それだけじゃない。
見たことのない星座まである。
「……本当に異世界なんだな」
自然と、そんな言葉が口から出た。
昼間までは、まだどこか現実感がなかった。
飛行機。
騎士。
魔物。
魔法。
レベル。
どれも現実離れしたものばかりだ。
でも。
今、俺たちの頭上にある空は。
確かに、俺たちが知っている空とは違う。
「帰れるのかな……」
唯衣が小さく呟いた。
その声には、昼間までなかった不安が混じっていた。
「……分からない」
俺は正直に答える。
「でも、王都に行けば何か分かるかもしれない」
「うん」
「だから今は、できることをやろう」
「できること?」
「飯を食って、寝る」
「……ふふっ」
唯衣が笑った。
「海斗くんらしいね」
「生きるなら、それが一番大事だからな」
俺は焚き火を見つめる。
今の俺たちには何もない。
金もない。
家もない。
帰る方法も分からない。
身分証もない。
この世界の知識だって、ほとんどない。
だけど。
今日一日、何とか生き延びた。
それだけでも十分だ。
◇
「じゃあ、俺は少し周囲を見てくる」
食事が終わった頃、俺は立ち上がった。
「周囲?」
唯衣が首を傾げる。
「ああ。寝る前に、ちょっとだけ確認しておきたい」
「危なくない?」
「大丈夫。遠くには行かないよ」
俺はキャンプをしていた頃の癖で、周囲を確認することにした。
風向き。
地面の状態。
森までの距離。
火の位置。
そして、人の出入り。
夜間に何か起きた場合、逃げ道があるかどうか。
そんなことを考えながら、少し歩いてみる。
すると。
「……ん?」
身体が妙に軽い。
一歩踏み出す。
さらにもう一歩。
「……やっぱり」
明らかに違う。
足が軽い。
身体の動きが、今までよりも滑らかだ。
少しだけ走ってみる。
「……速い」
思わず声が出た。
俺は立ち止まり、自分の手を握る。
力を込める。
「……これか」
レベルアップ。
数字が一つ増えただけじゃない。
身体そのものが、ほんの少し強くなっている。
いや。
ほんの少し、という表現では足りないかもしれない。
昼間までの自分と比べて、明らかに違う。
俺は拳を握った。
そして、何もない空間に向かって軽く拳を突き出す。
シュッ。
空気を切る音がした。
「……」
思わず苦笑する。
これは確かに。
普通じゃない。
俺は再びステータスを開いた。
【名前】佐藤 海斗
【年齢】29
【種族】人族
【レベル】2
【スキル】
・گەڕان بە ئینتەرنێت
・هەڵگرتن
・بەهێزکردنی جەستە
「……この三つか」
相変わらず、意味は分からない。
だけど。
もしかしたら、この三つのどれかが身体能力に関係しているのかもしれない。
いや。
そもそも、レベルが上がっただけなのか?
まだ何も分からない。
「……明日、もう少し試してみるか」
俺はステータスを閉じた。
そのとき。
「海斗さん」
後ろから声がした。
振り返ると、蝉丸が立っていた。
「蝉丸か」
「一人で何をしてるんです?」
「ちょっと身体を確認してた」
「身体?」
「ああ。レベルが上がっただろ?」
「はい」
「やっぱり、身体能力が上がってるみたいだ」
蝉丸の目が少し輝く。
「本当ですか?」
「試してみたら、明らかに違った」
「なるほど……」
蝉丸は腕を組んで考え込む。
「やっぱり、レベルには能力値の上昇があるのかもしれませんね」
「たぶんな」
「明日、僕も自分の能力を確認してみます」
「そうしたほうがいいと思う」
俺たちは焚き火の方へ戻る。
すると。
「おっ、戻ってきたか」
慎之助さんが毛布にくるまりながら声をかけてきた。
「どうでした?」
「特に問題なしです」
「そうか」
慎之助さんは安心したように頷いた。
「じゃあ寝るか」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
「おやすみ、海斗くん」
四人で、それぞれ毛布にくるまる。
硬い地面。
薄い毛布。
慣れない環境。
決して快適とは言えない。
それでも。
焚き火の暖かさと、人の気配があるだけで、不思議と安心できた。
俺は目を閉じる。
今日一日だけでも、色々なことがあった。
異世界。
騎士。
魔法。
魔物。
そして、レベルアップ。
明日になれば、また何か起きるかもしれない。
そう思いながら。
俺は、異世界で初めての夜を迎えた。
――このときの俺は、まだ知らなかった。
明日からの旅が。
ただ王都へ向かうだけの旅ではなくなることを。
いつも読んでいただきありがとうございます。
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