第60話 ペローと再会! ……唯衣、ちょっと落ち着こうか
翌朝。
「……よし。こんなところかな」
俺は、丸太小屋の前で簡単な設計図を広げていた。
昨日決めた、ピザ窯の建設計画。
パン職人のロッソさんに窯の構造を教えてもらい、それを参考にして自分たちの窯を作る予定だ。
もちろん、すぐに完成するわけじゃない。
耐火性のある材料を探し、設置場所を決め、基礎を作る必要がある。
それでも、目標ができると気分が違う。
「海斗さん、何を見てるんですか?」
声を掛けてきたのは唯衣だった。
「昨日の設計図。窯を作るなら、どこに置くのがいいか考えてるんだ」
「なるほど!」
唯衣は俺の隣にしゃがみ込んだ。
「ここはどうですか?」
彼女が指差したのは、畑から少し離れた開けた場所だった。
「悪くないな。ただ、風向きと煙の流れも確認したい」
「煙ですか?」
「ああ。家に煙が流れ込んだら困るだろ?」
「それは嫌ですね……」
「それに、火を使う場所だから、周囲に燃えやすいものを置かないようにしないと」
「分かりました!」
唯衣は真剣な顔で頷いた。
……うん。
こういうときは、ちゃんと話を聞いてくれるんだよな。
普段は動物を見つけると一直線だけど。
「それと、畑の世話も忘れないようにな」
「もちろんです!」
「本当か?」
「本当です!」
「昨日、雑草を抜いていたら、途中で土の中の虫を観察してなかったか?」
「……あれは、珍しい虫だったんです」
「畑仕事は?」
「ちゃんと続けました!」
「ならいいけど」
俺が笑うと、唯衣は頬を膨らませた。
「海斗さん、私のことを何だと思ってるんですか!」
「好奇心旺盛な人」
「それは褒め言葉ですか?」
「もちろん」
「……本当かなぁ」
唯衣は疑わしそうな顔をした。
そんなやり取りをしていると、蝉丸が自宅の錬金術工房から歩いてきた。
「二人とも、ここにいたんですね」
「どうした、蝉丸?」
「昨日の紙の実験について、記録を整理しておきました。次に試す方法もいくつか考えてあります」
「おお、助かる」
「ただ、すぐに完成するとは思わないでくださいね。植物の繊維を変えるだけでも、結果がかなり違いますから」
「分かってるよ」
俺は頷いた。
「無理に急ぐつもりはない。少しずつ試していこう」
「そうですね」
蝉丸が笑う。
トイレットペーパーも、ピザ窯も。
どちらも、俺たちの生活を少しずつ便利にしてくれるはずだ。
焦らず、一つずつ進めていけばいい。
そう思っていた。
そのときだった。
「……あれ?」
唯衣が、森の方を見た。
「どうした?」
「誰か来ますね」
俺も顔を向ける。
俺たちの住居は、ネリス村の中心部から少し離れた場所にある。
村の外れに広がる土地を使わせてもらい、そこにそれぞれ丸太小屋を建てたのだ。
だから、村人が訪ねてくるときも、畑や森に用事があるときも、村から続く道を歩いてくることになる。
今、その道の先から一人の男性がこちらへ近づいていた。
黒い髪。
引き締まった体格。
そして、頭には狼の耳。
「……ペロー?」
俺が呟いた、その瞬間。
「ペローさん!」
唯衣がぱっと立ち上がった。
彼女の顔が、これまでにないくらい明るくなる。
ペローも俺たちに気づくと、軽く手を上げた。
「よう。久しぶりだな」
「お久しぶりです!」
唯衣は嬉しそうに駆け寄りかけて――。
途中で、はっと足を止めた。
以前なら、そのまま耳や尻尾に触ろうとしていたかもしれない。
だが、今は違う。
「……元気そうでよかったです!」
「ああ。唯衣も元気そうだな」
「はい!」
返事が弾んでいる。
……うん。
分かりやすい。
ものすごく分かりやすい。
俺は隣の蝉丸を見た。
蝉丸もこちらを見た。
そして、二人同時に小さく頷いた。
――なるほど。
これは、そういうことか。
「……何ですか、その顔」
唯衣が俺たちを睨んだ。
「いや、別に?」
「何も言ってませんよ?」
「絶対、何か思ってますよね!?」
「気のせいだろ」
「気のせいじゃありません!」
ペローが不思議そうに俺たちを見た。
「……何かあったのか?」
「いや、何でもない」
俺は笑って誤魔化した。
「それより、どうしたんだ? 今日は何か用事か?」
「ああ。近くの森で用事を済ませていてな。帰る前に、少し顔を見に来たんだ」
「そうだったのか」
ペローは以前にも、この場所を訪れている。
だから、俺たちがどこに住んでいるかも知っているし、村の中心から少し離れていることも分かっている。
森での用事が近くであれば、ついでに立ち寄ることもできるわけだ。
「この前は、いろいろ世話になったからな」
「気にしなくていいって」
俺は手を振った。
「それに、こっちも助けてもらったことがあるしな」
俺がそう言うと、ペローは少しだけ笑った。
「それでも、礼は言っておきたいんだ」
「律儀だなぁ」
慎之助さんが自分の小屋から顔を出した。
「おっ、ペロー君じゃないか!」
「慎之助さん。お久しぶりです」
「元気そうで何よりだ。せっかく来たんだし、ゆっくりしていけよ。ちょうど昼飯の準備をしようと思っていたところだ」
「いいんですか?」
「もちろん!」
慎之助さんは胸を張った。
「客人を追い返すほど、俺たちは冷たくないぞ!」
「それは知ってますよ」
ペローが笑った。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「そうこなくっちゃ!」
慎之助さんは満足そうに頷いた。
その横で、唯衣がそわそわしている。
「……唯衣?」
「は、はい!?」
「どうした?」
「な、何でもありません!」
いや。
何でもない人間は、そんなに慌てないと思うんだが。
俺は苦笑した。
まあ、いいか。
本人が自分の気持ちに向き合い始めたところだ。
周りがあまり茶化すのもよくない。
……少しだけなら、いいと思うけど。
いや、やめておこう。
俺は余計なことを言いそうになる口を閉じた。
◇ ◇ ◇
昼食の準備をしながら、俺たちはペローと話をしていた。
今日のメニューは、燻製肉と焼いたパン、それに野菜を使ったスープだ。
「相変わらず、いい匂いだな」
ペローが燻製肉を見ながら言った。
「燻製は保存にも向いているからな。味もよくなるし」
「前に食べたときも思ったが、こういう料理は獣人の集落でも喜ばれそうだ」
「へえ。そうなのか?」
「ああ。狩りで獲物を仕留めても、すぐに食べきれるとは限らないからな」
ペローは肉を見つめながら続けた。
「保存の方法はいろいろあるが、こういう香りの付いた肉は珍しい」
「なるほどな」
燻製は、俺たちの食生活でもすっかり定番になってきた。
最初は保存食のつもりだったが、今では普通に食べる料理としても重宝している。
「そういえば、ペローさん」
唯衣が少し身を乗り出した。
「ん?」
「今日は、どちらの森に行っていたんですか?」
「この辺りの森だよ。少し確認したいことがあってな」
「確認したいこと?」
「ああ。魔物の動きや、獣道の様子なんかをな」
「そうなんですね」
唯衣は頷いた。
「危ないことはなかったですか?」
「今日は特に問題なかったよ」
「よかった……」
唯衣がほっと息を吐く。
その表情を見て、ペローが少し不思議そうに首を傾げた。
「心配してくれたのか?」
「えっ? あ、はい!」
唯衣は一瞬だけ戸惑ったあと、真っ直ぐに答えた。
「だって、怪我をしたら大変ですから」
「……そうだな。ありがとう」
ペローが穏やかに笑った。
その瞬間、唯衣の頬がほんのり赤くなった。
……おいおい。
分かりやすすぎるだろ。
俺は何も言わず、スープを器に注いだ。
慎之助さんは、にやにやしている。
蝉丸は、見て見ぬふりをしていた。
全員、同じことを考えているらしい。
ただし、誰も口には出さない。
今は、それでいい。
◇ ◇ ◇
昼食が始まると、ペローは燻製肉を一口食べた。
「……うん。やっぱり美味いな」
「口に合ったならよかった」
「燻製の香りがいい。肉の味も濃く感じる」
「時間をかけて煙を当てるからな。使う木によっても香りが変わるらしい」
「へえ。奥が深いんだな」
ペローは感心したように頷いた。
その横で、唯衣が話題を変える。
「そういえば、ペローさん。前に話したこと、覚えてますか?」
「前に?」
「私たちが、いろいろなものを作っているって話です」
「ああ。覚えてるよ」
「今はトイレットペーパーを作ろうとしてるんです!」
「……トイレットペーパー?」
ペローが首を傾げた。
「簡単に言うと、用を足したあとに使う紙です」
俺が説明すると、ペローは目を丸くした。
「紙を、そんなことに使うのか?」
「そう。俺たちの世界では普通に使われていたんだ」
「へえ……」
ペローは感心したように頷いた。
「紙そのものが貴重な地域もあるからな。用途を聞くと驚くが、便利そうではある」
「まだ試作段階ですけどね」
蝉丸が付け加えた。
「繊維の処理や柔らかさに課題が残っています。安全性も確認しなければいけません」
「なるほど。簡単ではないんだな」
「そうなんです」
唯衣が頷く。
「でも、完成したら絶対に便利になると思います!」
「それは楽しみだな」
ペローは穏やかに笑った。
唯衣は、その笑顔を見て少しだけ頬を赤くした。
……いや、だから。
分かりやすすぎるって。
俺はそっと視線を逸らした。
本人の気持ちを勝手に決めつけるつもりはない。
けれど、少なくとも唯衣がペローと話す時間を楽しんでいるのは間違いなさそうだ。
そして、ペローもまた、彼女の話を面倒がることなく聞いている。
今は、それだけで十分なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
昼食を終えると、ペローは少しのんびりしていくことになった。
慎之助さんは燻製の話を続けている。
蝉丸は、工房で使っている道具について説明していた。
俺は食器を片付けながら、唯衣とペローの様子を横目で見ていた。
「ペローさんって、狼の姿にもなれるんですよね?」
「ああ」
「今もなれます?」
「なれるけど……どうして?」
「いえ、その……」
唯衣は少し迷ったあと、笑顔で言った。
「また、狼の姿も見てみたいなって」
「……そうか」
ペローは少し考えた。
「じゃあ、あとで少しだけな」
「本当ですか!?」
「ただし、今日は遊びに来たんだからな。ずっと狼の姿でいるわけじゃないぞ」
「分かってます!」
唯衣は嬉しそうに頷いた。
その様子を見て、俺は少しだけ安心した。
以前の唯衣なら、狼の姿を見たいという気持ちが先に立っていたかもしれない。
けれど、今は違う。
ペローが何をしたいのか。
どう過ごしたいのか。
それを考えながら話しているように見えた。
もちろん、本人にしか分からないこともある。
だからこそ、急がずに距離を縮めていけばいい。
俺はそう思った。
「……海斗さん?」
いつの間にか、唯衣がこちらを見ていた。
「ん?」
「何か考えてました?」
「いや。楽しそうで何よりだと思ってな」
「……っ!」
唯衣の顔が赤くなる。
「そ、そういう言い方、やめてください!」
「何が?」
「もう!」
ペローが不思議そうに首を傾げる。
「……本当に何かあったのか?」
「何でもないです!」
唯衣が慌てて答えた。
俺は思わず笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
やがて、ペローは帰る時間になった。
「今日はありがとう。また近くに来たら寄らせてもらうよ」
「ああ。いつでも来てくれ」
俺は手を振った。
「次はピザ窯を作っているかもしれないぞ」
「ピザ窯?」
「新しい料理を作るための窯だよ。完成したら、ぜひ食べていってくれ」
「それは楽しみだな」
ペローは笑った。
俺たちは、丸太小屋の並ぶ土地から森へ続く道の分かれ目まで、彼を見送ることにした。
村の中心へ向かう道とは反対側。
ペローが来た道を戻れば、森へ出られる。
「それじゃあ、またな」
「ああ。また来いよ」
「はい。またお邪魔します」
ペローが歩き出す。
「……ペローさん!」
唯衣が思わず声を上げた。
ペローが振り返る。
「ん?」
「また、来てくださいね!」
一瞬だけ、静寂が落ちた。
唯衣は自分の言葉に気づいたのか、少し恥ずかしそうに俯いた。
ペローはそんな彼女を見て、優しく笑った。
「ああ。時間ができたら、また来るよ」
「……はい!」
唯衣は大きく頷いた。
ペローの姿が森へ続く道の向こうに消えていく。
その姿が見えなくなるまで、唯衣はずっと見送っていた。
「……唯衣」
「はい?」
「そろそろ戻ろうか」
「……はい」
唯衣は名残惜しそうにしながらも、俺たちの方へ戻ってきた。
慎之助さんが肩を揺らして笑っている。
「いやぁ、青春だなぁ」
「慎之助さん!」
「はいはい。何も言ってませんよ」
「絶対、何か言うつもりでしたよね!?」
「さて、どうだったかな?」
蝉丸も小さく笑った。
「唯衣さん、次に会うときは、もう少し落ち着いて話せるといいですね」
「……もう!」
唯衣は顔を赤くしたまま、自分の小屋へ歩き出した。
「おい、どこへ行くんだ?」
「ちょっと休憩です!」
「そうかそうか」
「海斗さんも、慎之助さんも、蝉丸さんも、絶対に何か勘違いしてますからね!」
「俺たちは何も言ってないぞ?」
「それが一番怪しいんです!」
唯衣はそう言い残し、小屋の扉を閉めた。
俺たち三人は顔を見合わせた。
「……分かりやすいな」
俺が呟く。
「ええ」
蝉丸が頷いた。
「見ているこっちまで、なんだか微笑ましくなりますね」
「いやぁ、いいねえ。若いってのは」
慎之助さんがしみじみと言った。
「慎之助さんも、まだ三十一歳でしょう」
「心はいつでも青春だ!」
「はいはい」
俺は笑った。
異世界に来てから、いろいろなことがあった。
突然の転移。
慣れない生活。
魔物との遭遇。
そして、何もないところから生活に必要なものを作る日々。
大変なことも多い。
それでも、こうして仲間と笑い合える時間がある。
それだけで、悪くないと思えた。
「さて、明日は設計図の続きをやるか」
俺は、丸太小屋の前に置いてあった紙を手に取った。
トイレットペーパーの改良は、まだ途中。
ピザ窯の設計も、これからだ。
畑の作物も、引き続き世話をしていかなければならない。
やることは山ほどある。
それでも。
この村外れでの暮らしは、少しずつ楽しくなってきている。
そして、唯衣の気持ちもまた、少しずつ変わり始めているらしい。
……まあ。
俺にできるのは、二人をそっと見守ることくらいだろう。
「……さて、頑張るか」
俺は空を見上げた。
青い空。
穏やかな風。
遠くに見える森。
ここでの暮らしは、まだまだ続いていく。
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