第54話 ペローさんって、こんなに頼もしかったんだ……
「……それで、何があったんですか?」
家に戻るなり、俺は唯衣に尋ねた。
「えっと……その……」
唯衣は気まずそうに視線を泳がせた。
その隣では、ペローが腕を組んでいる。
黒い狼の姿ではなく、いつもの狼獣人の姿だ。
頭の上には黒い耳。
腰の後ろでは、ふさふさとした尻尾が揺れている。
そして、唯衣の足元では、三匹のスライムがいつもより大人しかった。
「森の入口近くで、狼型の魔物に襲われたんだ」
ペローが代わりに説明した。
「複数いた。幸い、俺が近くにいたから追い払えたが……」
「……そうだったのか」
俺は唯衣を見た。
「怪我は?」
「ありません。大丈夫です」
「本当に?」
「本当です!」
唯衣は慌てて両手を広げた。
「どこも怪我してません!」
「ならいいけど……」
俺は大きく息を吐いた。
無事だったことに、心底ほっとした。
だが、同時に反省もする。
森の奥へ行くなとは言った。
それでも、村の近くなら絶対に安全というわけではない。
俺たちは、この世界の危険をまだ十分に理解できていないのだ。
「……悪かったな、ペロー。助けてくれてありがとう」
「いや。俺がたまたま近くにいただけだ」
ペローは首を振った。
「礼を言われるようなことじゃない」
「それでも、助かったよ」
俺は改めて頭を下げた。
「本当にありがとう」
ペローは少し照れくさそうに耳を動かした。
「……ああ」
その様子を見て、唯衣が小さく笑った。
俺はそれに気づいたが、あえて何も言わなかった。
……まあ、助けてもらった相手に笑顔を向けるくらい、普通のことだろう。
そう思っていた。
このときは。
◇ ◇ ◇
「それで、ペローさんはこれからどうするんですか?」
唯衣が尋ねた。
「俺か?」
「はい。今日はもう帰るんですか?」
「そうだな。森の様子を確認したら、村へ戻るつもりだった」
「……そうですか」
唯衣の声が、ほんの少しだけ小さくなった。
俺は気づかないふりをした。
ペローは俺たちと知り合ってからも、ずっと独立した立場だった。
助けた相手だからといって、無理に一緒に暮らしてもらう理由はない。
彼には彼の事情がある。
だからこそ、今後どうするかは本人の意思を尊重したい。
「ペロー、もし時間があるなら昼飯でも食べていかないか?」
「いいのか?」
「もちろん。命の恩人を、そのまま帰すわけにもいかないだろ」
「いや、そこまで大げさにしなくても……」
「いいから、いいから」
慎之助さんが横から口を挟んだ。
「せっかく来たんだ。飯くらい食っていけよ」
「そうですね!」
唯衣も勢いよく頷いた。
「私も、ペローさんともっとお話ししたいです!」
「……お、おう」
ペローの耳が、ぴくりと動いた。
俺はそれを見て、少しだけ口元を緩めた。
どうやら、唯衣は今回のことで、ペローに対する見方が変わったらしい。
今までは、狼の姿を見てはしゃいでいた印象が強かった。
だが、今は違う。
彼の話を聞きたい。
もっと知りたい。
そんな気持ちが伝わってくる。
「よし。じゃあ、昼飯の準備をするか」
「私、手伝います!」
唯衣が手を挙げた。
「海斗さん、今日は何を作るんですか?」
「そうだな……」
俺は少し考えた。
「昨日の燻製肉が残ってるから、それを使おうか」
「やった!」
唯衣の顔が明るくなる。
「ペローさん、燻製って知ってます?」
「燻製?」
「煙で肉や魚をいぶして、香りを付けたり保存しやすくしたりするんです!」
「へえ……」
ペローは興味深そうに頷いた。
「そんな方法があるのか」
「ありますよ! すっごく美味しいんです!」
「それは楽しみだな」
ペローが笑う。
唯衣も笑う。
……うん。
なんだか、いい雰囲気だ。
「海斗君」
慎之助さんが、俺の肩を軽く叩いた。
「何です?」
「若いっていいな」
「……何の話ですか?」
「いや、何でもない」
「絶対、何か考えてますよね?」
「気のせいだ」
慎之助さんは、にやにやしながら台所へ向かった。
……あの人、絶対に何か察しているな。
◇ ◇ ◇
昼食の準備は、思ったよりも早く進んだ。
燻製肉を薄く切り、パンと一緒に皿へ並べる。
それから、野菜のスープも用意した。
特別に豪華な料理ではない。
それでも、香ばしい燻製の匂いが食欲を刺激する。
「できました!」
唯衣がテーブルに皿を置いた。
「おお……!」
ペローが目を輝かせた。
「これが燻製か」
「はい!」
唯衣は得意げに胸を張る。
「どうぞ、食べてみてください!」
「いただきます」
ペローは燻製肉を一切れ口に運んだ。
そして――。
「……!」
目を見開いた。
「どうだ?」
俺が尋ねる。
「美味い……!」
ペローは、もう一切れ手に取った。
「肉の味が濃い。それに、この香り……」
「煙でいぶすと、こういう風味が付くんだ」
「なるほど……」
ペローは感心したように頷いた。
「これはいいな。保存にも使えるなら、旅をするときにも役立ちそうだ」
「そうなんですよ!」
唯衣が嬉しそうに言った。
「海斗さんたちと一緒に暮らすようになってから、こういう料理も増えたんです!」
「へえ……」
ペローは俺を見る。
「海斗は、いろいろなことを知っているんだな」
「いや、知ってることを試しているだけだよ」
「それでもすごいと思う」
まっすぐに褒められて、少し照れくさくなった。
「……まあ、役に立っているなら何よりだ」
その後も、俺たちは他愛のない話をしながら食事を続けた。
森のこと。
村のこと。
ペローがこれまで旅してきた場所のこと。
そして、獣人の暮らしについて。
唯衣は、いつも以上にペローへ質問していた。
「ペローさんは、普段どんなものを食べているんですか?」
「肉も食べるし、野菜も食べる。人族と大きくは変わらないよ」
「狼の姿のときも?」
「食べるものは変わらないな」
「じゃあ、狼の姿でもパンを食べるんですか?」
「食べるぞ」
「ええっ! そうなんですか!?」
「……唯衣」
俺は思わず口を挟んだ。
「質問が多い」
「あっ……ごめんなさい」
唯衣がしゅんとする。
すると、ペローが笑った。
「別にいいよ。気になることがあるなら、聞いてくれて構わない」
「……本当ですか?」
「ああ」
「じゃあ……」
唯衣の顔がぱっと明るくなった。
「今度、もっといろいろ教えてください!」
「分かった」
ペローは穏やかに頷いた。
そのやり取りを見て、俺は少しだけ安心した。
唯衣は、ただ狼の姿が好きなだけではない。
ペローという人間そのものに興味を持ち始めている。
それは、きっと悪いことではないだろう。
◇ ◇ ◇
食事が終わったあと。
ペローは、そろそろ帰ると言って立ち上がった。
「今日はごちそうになった。ありがとう」
「いえ、こちらこそ助かりました」
俺は頷いた。
「また何かあったら、遠慮なく声を掛けてくれ」
「分かった」
ペローは玄関へ向かった。
唯衣も、なぜか一緒についていく。
「唯衣?」
「あ、えっと……」
唯衣は少し慌てた。
「お見送りです!」
「……そうか」
俺は苦笑した。
玄関の外で、ペローが振り返る。
「じゃあ、またな」
「はい!」
唯衣は笑顔で手を振った。
ペローが歩き出す。
黒い尻尾が、ゆっくりと揺れていた。
その背中が遠ざかっていく。
唯衣は、しばらくその姿を見送っていた。
「……唯衣」
「はいっ!?」
俺が声を掛けると、唯衣はびくりと肩を跳ねさせた。
「そんなに驚かなくてもいいだろ」
「い、いえ! 何でもないです!」
「……そうか?」
「そうです!」
唯衣は慌てて家の中へ戻っていった。
その耳が、ほんの少し赤くなっていたことに、俺は気づいてしまった。
「……なるほど」
思わず呟く。
これは、もしかすると。
「海斗君」
背後から慎之助さんの声がした。
「何です?」
「若いっていいな」
「……慎之助さん」
「何だ?」
「それ、さっきも言いましたよね?」
「大事なことだからな」
「何が大事なんですか!」
慎之助さんは楽しそうに笑った。
俺はため息をつく。
……まあ、いいか。
誰かを好きになることは、悪いことじゃない。
それに、ペローは信頼できる男だと思う。
唯衣が彼をどう思うようになるのか。
それは、本人たちのペースで決まっていくだろう。
俺たちができるのは、余計な口出しをせずに見守ることくらいだ。
そう考えながら、俺は空を見上げた。
今日も、ネリス村は穏やかだった。
ただし――。
俺の知らないところで、唯衣の気持ちは少しずつ変わり始めていた。
可愛い狼獣人。
それだけだったはずの相手が。
今では、もう一度会いたいと思う人になっていたのだから。
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