第33話 トイレに屋根と扉を付けよう! ……異世界の衛生改革は地道です
翌朝。
「よし、今日も頑張るか」
俺はテントから出ると、大きく伸びをした。
朝の空気は澄んでいる。
鳥の声が聞こえ、遠くでは村人たちが畑仕事を始めていた。
そして、俺たちの土地では――。
「海斗さん! こっちの板、もう少し短くしますか?」
「いや、それは入口の横に使うから、そのままでいい。切るのはこっちだな」
「分かりました!」
唯衣が元気よく返事をする。
少し離れたところでは、蝉丸が木材の寸法を測っていた。
慎之助はというと。
「……ふう。朝から働くと腹が減るな」
「まだ何もしてないだろ」
「いやいや、これから働くために腹を空かせているんだ」
「それを普通は空腹って言うんだよ」
「言い方の問題だな!」
「違います」
いつもの調子だ。
俺たちは現在、家の建築と並行して、屋外トイレの建設を進めている。
水場の確保については、村の井戸掘り職人であるダンさんたちのおかげで、ひとまず目処が立った。
手押しポンプも、試験的に村へ一台設置している。
耐久性については、まだ確認中だ。
それでも、桶を使って水を汲み上げる必要がなくなったのは大きい。
村では、急いでいない人まで順番待ちをして水を汲むほど好評らしい。
……いや、本当に便利なんだよな。
俺だって、初めて使ったときは感動した。
ただし、ポンプが一台しかない以上、今後も村で使い続けるなら、壊れにくさや修理のしやすさを確認する必要がある。
便利だからといって、すぐに量産するわけにはいかない。
何事も、地道な検証が大切だ。
「さて、と」
俺は建築途中のトイレを見た。
柱と壁の骨組みは、だいぶ形になっている。
あとは屋根を付け、扉を設置し、内部を整えれば、建物としては完成に近づく。
もっとも、トイレは建物さえできれば終わり、というものでもない。
むしろ重要なのは、その中身だ。
排泄物をどう処理するか。
臭いや虫をどう抑えるか。
周囲の土や地下水を汚染しないよう、どう管理するか。
ここを適当にすると、せっかく井戸を掘った意味までなくなってしまう。
「海斗さん、何か考え事ですか?」
蝉丸がこちらを見た。
「トイレの処理設備についてな。建物は作れても、排泄物の処理が適当じゃ意味がないだろ?」
「確かに。特に井戸が近くにありますからね」
「そういうこと」
俺は頷いた。
「排水や汚水の処理は、家の中に水洗トイレを作るときにも必要になる。今のうちに、ちゃんと考えておきたい」
「分かりました。僕も資料を整理しておきます」
頼もしい返事だった。
蝉丸は頭がいい。
しかも、錬金術のスキルを使って、木材の加工や部品作りまで手伝ってくれる。
俺が検索で調べた情報を、実際に形にするうえで欠かせない存在だ。
ただし、俺が調べられるのは基本的に現代の一般知識だ。
この世界の土壌や地下水の状態までは、検索しただけで分かるわけではない。
現地で確認し、必要なら詳しい人に相談する。
それを忘れてはいけない。
◇ ◇ ◇
「屋根は、こんな感じでいいんじゃないか?」
しばらくして、慎之助が組み上げた木材を指差した。
トイレの屋根は、雨水が流れ落ちるように傾斜を付けている。
雨が内部に吹き込まないよう、軒も少し長めに取った。
「いいと思います。ただ、板の隙間はできるだけ減らしましょう。雨漏りすると面倒ですから」
蝉丸が確認しながら言った。
「分かった。じゃあ、ここを調整するか」
俺は木材を押さえ、慎之助が位置を直す。
唯衣は少し離れたところで、加工済みの板を運んでいた。
「これ、こっちでいい?」
「ああ、そこに置いてくれ」
「了解!」
唯衣は小柄な体で、せっせと板を運んでくれる。
もちろん、重すぎるものは持たせない。
俺たちは身体能力強化のスキルを持っているが、だからといって無茶をする必要はない。
怪我をしたら、結局は作業が遅れるだけだ。
「……ところでさ」
唯衣が板を置きながら口を開いた。
「トイレって、完成したらすぐ使えるの?」
「建物だけならな」
「だけなら?」
「中の設備と、排泄物を安全に処理する仕組みが必要なんだ。そこができていないうちに使うのは駄目だ」
「そっか……」
唯衣は少し残念そうな顔をした。
「早く使えるようになってほしいな。今の生活も嫌いじゃないけど、やっぱりトイレは快適な方がいいもん」
「それは俺も同感だ」
テント暮らしは、キャンプだと思えば楽しい。
だが、何日も続けて生活するとなると、話は別だ。
特に衛生面は、気分の問題だけでは済まない。
体調を崩さないためにも、きちんとした設備が必要になる。
「それに、手を洗う場所も欲しいよね」
唯衣が続けた。
「トイレを使ったあと、毎回井戸まで行くのは大変だし」
「そうだな」
俺は頷いた。
「手洗い場は設置しよう。水を流したあとの排水も考えないといけないけど」
「石鹸も欲しいですね」
蝉丸が顔を上げる。
「この村でも、石鹸は手に入るんでしょうか?」
「それは村長さんか、商人に聞いてみるか」
石鹸そのものは、現代のような工業製品でなくても作れる。
ただし、材料や製法には注意が必要だ。
特に灰から作るアルカリ性の液体や、脂肪を使う製法は、濃度や扱い方を間違えると危険になる。
いきなり自作するより、まずはこの世界で使われているものを調べる方がいい。
「ダンさんが来たら、井戸の周辺で手洗い場を作る場合の注意点も聞いておこう」
「はい」
蝉丸が頷く。
「水を汲む場所と、汚れた水を捨てる場所は分けた方がよさそうですね」
「その通り。排水が井戸の方へ流れないようにしないとな」
「なるほど……」
蝉丸はすぐにメモを取った。
こういうところは、本当に頼りになる。
◇ ◇ ◇
昼前。
屋根の骨組みができあがったところで、俺たちは一度休憩することにした。
「ふう……」
俺は腰を伸ばす。
「いやあ、建築って思ったより大変だな」
「海斗君、今さらか?」
慎之助が笑った。
「最初から分かっていたことだろう」
「頭では分かっていたんですよ。実際にやると、想像以上だったってだけで」
「まあ、それはそうだな」
慎之助も素直に頷いた。
俺たちはテントの近くに腰を下ろし、水を飲む。
その足元では、プルルがゆっくりと這っていた。
小さなスライム。
唯衣がテイムした従魔だ。
最近、唯衣のステータス画面でプルルのレベルが確認できるようになった。
ただ、どうして表示されるようになったのか。
何をすればレベルが上がるのか。
そのあたりは、まだ分かっていない。
「プルル、おいで」
唯衣が手を差し出す。
プルルは、ぷるん、と身体を揺らして近づいた。
「ふふっ。今日も元気だね」
「……そういえば、昨日の動きだけど」
俺はプルルを見ながら言った。
「壁に張り付いたとき、少し平たくなっていたよな」
「うん。私も見た」
唯衣が頷く。
「いつもより、ぺたーってなってた」
「単に柔らかい身体だから形が変わっただけかもしれませんね」
蝉丸が冷静に指摘した。
「新しい能力だと判断するには、まだ情報が足りません」
「だよな」
俺も同意する。
異世界だからといって、何でもかんでも特殊能力だと考えるのは危険だ。
偶然かもしれないし、スライムという生き物の普通の性質かもしれない。
「じゃあ、これからも観察だね」
唯衣がプルルをそっと撫でる。
「ご飯を食べた日とか、動き方とか、記録してみようかな」
「いいと思うぞ」
俺は笑った。
「ただし、無理に何かをさせるのはなしな。プルルの様子を見ながら、少しずつ確認しよう」
「分かってるよ!」
唯衣は元気よく返事をした。
その直後。
プルルが、唯衣の手のひらにぴたりとくっついた。
「……あれ?」
「どうした?」
「なんか、今日はいつもより甘えん坊かも」
「スライムが甘える、か……」
慎之助が腕を組む。
「酒を飲んだら俺にも懐くかな?」
「プルルに酒を飲ませるなよ」
「冗談だって!」
「本当に?」
「……たぶん」
「信用できないな」
唯衣が笑い、蝉丸も小さく吹き出した。
そんなやり取りをしていると、村の方から人影が近づいてきた。
「おーい、皆さん!」
聞き覚えのある声。
ダンさんだった。
◇ ◇ ◇
「作業は順調ですか?」
「あ、ダンさん。おかげさまで、屋根まで形になってきました」
俺が答えると、ダンさんは建築中のトイレを見上げた。
「ほう。しっかりした造りですな」
「まだ途中ですけどね」
「それでも、なかなかのものです」
ダンさんは感心したように頷いた。
それから、俺たちが設置した井戸の方へ視線を向ける。
「そういえば、村の手押しポンプですがね」
「何かありましたか?」
「いやあ、あれは凄いですな!」
ダンさんは嬉しそうに笑った。
「桶を引き上げなくても水が出る。最初は半信半疑でしたが、今では村の者が順番に使っておりますよ」
「それはよかったです」
「ただ、まだ使い始めたばかりですからな。どれくらい長持ちするかは、これから見ていかないといけません」
「そうですね。こちらでも、使った回数や不具合がないか確認しておきます」
便利なものほど、壊れたときに困る。
特に村の生活に関わる道具なら、なおさらだ。
「ところで、ダンさん」
「はい?」
「トイレの排泄物を処理する方法について、少し相談したいんです」
俺は率直に切り出した。
「井戸の水を汚さないようにしたいんですが、この辺りの地面や地下水について、何か分かりますか?」
ダンさんの表情が少し真剣になる。
「なるほど。それは大事な話ですな」
「今はまだ、建物を作っている段階です。処理設備については、きちんと確認してから決めたいと思っています」
「それがよろしいでしょう」
ダンさんは頷いた。
「この辺りは場所によって土の性質が違います。水が染み込みやすいところもあれば、雨が降ると水が集まりやすい場所もある。井戸からの距離だけで安全かどうかを決めるのは難しいですな」
「やっぱり、そうですか」
「ええ。地面の状態を確認し、雨水の流れも見ておく必要があります。汚れた水が井戸の方へ流れるような場所は避けるべきです」
俺は頷いた。
やはり、現地の事情は現地の人に聞くのが一番だ。
「もしよければ、明日、候補地を一緒に見てもらえませんか?」
「もちろんです。私に分かる範囲でよければ協力しますよ」
「ありがとうございます」
「ただし、排泄物をどのように処理するかについては、私も詳しいわけではありません。必要なら、村長や、そうした仕事に詳しい者にも相談しましょう」
「ぜひお願いします」
これで一歩前進だ。
俺は現代の知識を調べられる。
蝉丸は錬金術で材料を加工できる。
ダンさんは、この土地のことを知っている。
それぞれの知識を持ち寄れば、より安全な方法を考えられるはずだ。
焦る必要はない。
暮らしを便利にすることと、安全を確保すること。
その両方を満たしてこそ、意味がある。
◇ ◇ ◇
夕方。
屋根の仮組みを終え、俺たちは道具を片付けた。
扉の取り付けや、内部の仕切り、換気のための工夫は明日以降だ。
それに、建物が完成しても、処理方法が決まるまでは使用できない。
まだまだ作業は残っている。
「……なあ、海斗君」
慎之助が、夕日に照らされたトイレを眺めながら言った。
「何です?」
「これが完成したら、次は家だよな?」
「そうですね」
「その次は?」
「家の水回りを整えて、生活設備を作って……」
「その次は?」
「……慎之助さん」
「はい?」
「まさか、もう酒造りのことを考えてます?」
「当然だろう!」
慎之助が胸を張った。
「快適な暮らしには、酒が必要だ!」
「いや、優先順位!」
「トイレの次は酒でもいいじゃないか!」
「よくないです!」
唯衣が呆れた声を上げる。
「まずはお風呂! それからキッチン!」
「風呂も大事だな……」
俺は腕を組んだ。
温かい湯に浸かれる生活。
想像しただけで、疲れが取れそうだ。
「……よし」
俺は立ち上がった。
「まずはトイレを完成させよう。そのあと家の水回りだ」
「賛成!」
唯衣が手を挙げる。
「お風呂!」
「俺は酒!」
「僕は作業場と本棚が欲しいですね」
「……全員、欲望に忠実だな」
思わず笑ってしまった。
けれど、それでいいのかもしれない。
俺たちは、この世界で生きていくことになった。
いつ日本へ帰れるのかも分からない。
だったら、今の生活を少しずつ良くしていけばいい。
トイレを作る。
水を使えるようにする。
安全に暮らせる環境を整える。
その積み重ねが、きっと俺たちの未来につながっていく。
「……明日も頑張るか」
俺は、できあがりつつある小さな建物を見つめた。
異世界の衛生改革。
その第一歩は、まだ始まったばかりだった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
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